第二回講義        10月21日


      第一部 社会制度に特有の<危うさ>と<堅固さ>



§1を序論として、本論である社会存在と社会認識の密接な関係について論じよう。
論じたい論点は、次の2つである。

  論点1:「社会制度では、認識と存在が不可分に結びついていることが、社会制度に特有の
<あや うさ>と<堅固さ>をあたえている」

  論点2:「社会体系は、知の体系と似た構造を持つ」

第一部では、論点1を、社会を説明する上で重要ないくつかの概念装置を説明しながら、明らかにしたい。

(「§1の懐疑主義の話と、本論とはどうつながるんですか?」という質問が聞こえてきそうですが、それには、いまのところうまく答えられません。一つの答は、講義の最後に用意してありますが、もっとよい答えがあるはずなので、考えているところです。それを考えながら、今年の講義をしてゆくことにします。)


              §2 予言の自己実現


         参考文献:ロバート・K・マートン『社会理論と社会構造』森東吾他訳、みすず書房。

   マートン(1910生まれ、テンプル大学卒業後、ハーバード大学に学び、19   36年同大学助教授、41年以降コロンビア大学の社会学教授。『17世紀イ   ギリスの科学・技術および社会』(1938、1970)『科学の社会学』(1965)『理   論社会学について』(1967)『社会理論と機能分析』(1969)

<「予言の自己実現」の定義>
マートンは「予言の自己実現」(邦訳では「予言の自己成就」となっている)を次のように定義している。
   「自己成就的予言とは、最初の誤った状況の規定が新しい行動を呼び起こ
    し、その行動が当初の誤った考えを真実なものとすることである。」

<銀行の例>
 「銀行資産が比較的健全な場合であっても、一度支払不能噂がたち、相当数の預金者がそれをまことだと信ずるようになると、たちまち支払不能の結果に陥る」
 「銀行の財政状態の安定性は、一連の状況規定に依存していた。すなわち、人々が生活してゆくための経済的約束の込み入った体系が揺るぎないものでという信念に依存していた。ところが、一度預金者が状況を異なったふうに規定し、また一度彼らが約束の果たされ得る可能性について疑念を抱くに至ると、そのときはじめてこの不真実な決定の結果は十分に真実なものとなったのである。」(訳384)

 マートンはこの予言の自己成就のメカニズムを一般的に次のように説明する。
「この寓話がわれわれに教えるところは、世間の人々の状況規定(予言または予測)がその状況の構成部分となり、かくしてその後における状況の発展に影響を与えるということである。これは、人間界特有のことで、人間の手の加わらない自然界ではみられない。ハレー彗星の循環がどんなふうに予測されようと、その軌道には何の影響も及ぼさない。しかし、ミリングヴィルの銀行が支払い不能になったという噂は、実際の結果に影響を与えたのである。つまり、破産の予言が成就されたのである。」(訳384)

 では、なぜ「状況規定」が「状況の構成部分」となるのだろうか。人々は、確かに、状況についての一定の予期(予言)に基づいて、行為を決定する。しかし、このとき、この状況の予期(状況規定)が、状況の構成部分になるとは、どういうことだろうか。次の例をみてもわかるように、マートンが「予言の自己実現」と呼ぶものには、多様な事例が含まれている。我々がそのメカニズムをより詳細に分析するには、それらの事例をいくつかに分類する必要があるだろう。(これは、私の宿題にします。)

<その他の例>
 「試験ノイローゼの場合を考えてみよう。きっと失敗するに決まっていると思いこんでしまうと、不安な受験生は勉強するよりも、くよくよして多くの時間を浪費し、いざ試験にのぞんでまずいことになる。最初の誤った不安は、いかにももっともな不安に変形してしまう。」(訳384)
 「二国間の戦争は「不可避である」と信ぜられている場合がある。この確信にそそのかされて、二国の代表者たちの感情はますます疎隔し、お互いに対手の攻撃的動きに不安を抱き、自分も防衛的動きをして、それに応ずることになる。武器、資材、兵員が次第に大量に蓄えられ、挙げ句には戦争という予想通りの結果をもたらすのである。」(訳384)

<「自殺的予言」の定義>
「自己成就的予言の反対物は「自殺的予言」であるが、それはもし予言がなされなかったとすれば、たどったであろうコースから人間行動を外れさせ、その結果予言の真実さが証明されなくなる場合である。」(訳385)

<差別を「予言の自己実現」で説明する>
 マートンは、差別を例にたいへん興味深い論点を示している。

・黒人のスト破りの例
「黒人は、彼らがスト破りだから排斥されているというより、彼らが組合から排斥されているから(そして多くの仕事からも)排斥されたためにスト破りとなったのである。このことは、最近2、30年の間に彼らの組合加入が認められた産業にあっては、スト破りとしての黒人が事実上なくなったことからも察知することができる。」386

・内集団の美徳と外集団の悪徳
「民族外集団がもし白人プロテスタント社会の価値を信奉しても非難され、しなくても非難される事実を知るためには、まず一人の内集団の文化的英雄を取りあげてみる必要がある。」(訳387)
「頑ぜない学童でも、リンカーンが倹約家で、勤勉で、知識欲に燃え、大望を抱き、一般人の権利のために献身し、もっとも微賎な労働者階級から身を起こして、実業家、弁護士といった尊敬に値する高い地位にまでめざましく出世することが出来たことを知っている。」388
「リンカーンが夜遅くまで働いたことは、彼が勤勉で、不屈の意志をもち、忍耐心に富、一生懸命に自己の能力を発揮しようとした事実を証明するものだとされる。ところが、外集団のユダヤ人や日本人が同じ時刻まで夜働くと、それは彼らのがむしゃら根性を物語るものであり、また彼らがアメリカ的水準を容赦なく切り崩し、不公正なやり方で競争している証左さだとされるだけである。
 内集団の英雄が倹約家で、つつましく、また貯蓄家であるとすれば、外集団の成らず者は毛珍帽で、欲張りで、一文惜しみである。内集団のエイブは、スマートで、敏捷で、才知にあふれているから、1から10まで誉められ、外集団のエイブは同じことながら、すばしこく、ずるく、悪賢くて、余り目先が利きすぎているから、何から何まで軽蔑される。」390

    「隙のない、手のこんだ偏見のために、人種的、民族的な外集団は進退
     両難に陥っている。外集団のメンバーは、大体何をしようとそれには
     かかわりなしに、徹頭徹尾非難される。」
    「それは民族的、人種的諸関係における『すればするで非難され』『し
     なければしないで非難される』過程であるといっても差し支えないだ
     ろう。」(訳387)

 これは、「偏見の自己実現」といってもよいかもしれない。人種的偏見を持っている人には、どのような反証例も偏見を反証することはできないということであり、これは、科学研究における理論の反証不可能性の議論と同形である。ある種の予言は、このように反証にたいして免疫をもつことによって、つねに確証されることになる。

<自己成就的予言の悪循環を止める方法>
「慎重な計画を持ってすれば、自己成就的予言の作用とその社会的悪循環を止めさすことができるという証拠は十分にある。」396
「制度的、行政的条件がよろしきを得れば、人種間の親和の経験が人種間の葛藤の危惧の念にとって代わることが出来るのである。
 こういう変革や、その他これと同種の変革は自動的に生ずるわけではない。危惧の念を実在に転化する自己成就的予言は、慎重な制度的規制が欠如した場合にのみ作用するものである。そして、危惧の念から社会的災厄が生じ、逆に災厄のために危惧の念が強化されるという、両者の悲劇的循環を破るには、人間本性は不変なりという観念に根ざしている社会的宿命論をどうしても拒否しなければならない。」397

<マートンへの批判と拡張>
 マートンの間違いは、自己実現的予言がまるで常に悪い結果ばかりを生み出すかのように述べていることにある。自己実現的予言は、よい結果を生み出す場合もある。また、「誤った状況規定」を真実のものにしてしまうという言い方にも、それを否定的に捉える見方が現れている。誤った状況規定であるとは、かならずしもいえない。自己成就的予言は、よい結果を生み出す場合もあるだろう。
 たとえば、普通は銀行の取付騒ぎが起こらないとすれば、普通は銀行は破産し
ないという予言によって、取付騒ぎがおこらず、銀行が破産しないという予言の
自己成就が成立しているといえるのではないか。一般に、ある予言の自己成就が
ないときには、別の予言の自己成就が成り立っているのだといえるだろう。
 つまり、予言はつねに行われている。