第六回講義      §6 ダブルバインド



1、ダブルバインドの定義
 ベイトソンはダブルバインドによって精神分裂病を説明しようとする。彼による「ダブルバインド状況」の定義を見ておこう(「精神分裂病の理論化へ向けて」『精神の生態学 上』思索社)。これは、つぎの6つの条件が満たされた状況のことである。

1、二人あるいはそれ以上の人間 
    このうち一人を「犠牲者」と呼ぶ。
2、繰り返される経験 
    我々の仮説が注目するのは、精神的外傷を引き起こす単一の経験ではなく、
    ダブル・バインドの構造が習慣的な期待となるような、繰り返される経験である。
3、第一次的な禁止命令   
   (a)「何々の事をするな、さもなければあなたを罰する」或は
   (b)「もし何々のことをしなければ、あなたを罰する」 
4、より抽象的なレベルで第一次の禁止命令と衝突する第二次的な禁止命令。
    これも第一次の禁令と同じく生き延びることに対する脅威となる処罰或は信号によって
    補強される。これは3に比べて記述することが難しい。
    その理由は、
    (1)この禁令は普通非言語的手段によって子供に伝えられるから。ポーズ、ジェスチャー、
      声の調子、意味深長な動作、表面上の言葉に隠された含意。
    (2)第二次の禁令は第一次の禁止のどの要素にも衝突する。
5、犠牲者が現場から逃れるのを禁ずる第三次的な禁止命令
6、犠牲者が自らの世界がダブル・バインドのパターンのうちにあるのだと知覚する
  ようになったときには、これまで述べてきた構成因子が完全にそろう必要はもはや無い。」

 ダブルバインドは、普通に訳せば「二重拘束」ということである。だから、「あちらが立てば、こちらが立たず」というような矛盾する二つの命令があることである。しかし、ベイトソンのダブルバインドの定義でユニークなのは、この二つの命令の論理階型が異なるという条件である。

 <なぜ二つの命令の論理階型が異なることが必要なのであろうか?>
 精神分裂病者は、常にメッセージをダブルバインドのパターンで知覚するのである。従って、他者との正常な対応が出来なくなり、そこから分裂病の症状が発生したのだ、と説明されることになる。それ故に、分裂病が発生するためには、うえのような知覚のパターンが必要なのである。そして、それは条件6によって、形成される。しかし、もしダブルバインドが同一の論理階型に属する矛盾する命令であるとすると、そのような状況に持続的にさらされると、その状況の論理的な矛盾ははっきりと認識されることになるだろう。そして、そのように矛盾に気づいたならば、いくら継続的にそのような状況に晒されても、それによってコミュニケーションの能力が損なわれることはないだろう。
 ダブルバインドに晒されていても、それに気づかないということが可能になるためには、第一と第二の命令の論理階型が異なっている必要があったのである。


<ダブルバインド状況からの帰結>
 「ダブルバインド状況が現れるときには、いかなる人間であれ、その論理階型の識別能力に支障をきたすであろう、というのがここでのわれわれの仮説である。この状況の一般的特徴を以下に述べてみよう。
(1)ある個人が抜き差しならぬ関係に巻き込まれたとき。すなわち、適切な応答ができるように、どの様な種類のメッセージが伝えられているのかを性格に識別することが肝要極まりないと彼に感じられるような関係に身を置いたとき。
(2)そして、この関係の相手が、ふたつの等級に属するメッセージをのべていて、その一方が他方を否定しているといった状況に捉えられたとき。
(3)さらに、どの等級のメッセージに答えたらよいかについてのみずからの識別判断を正しいものとするために、表明された二種類のメッセージについて何か言いたいが、それができない、つまりメタコミュニケーションとしての陳述が出来ないとき。
 すでに触れたように、これは発病以前の精神分裂病患者と母親との間に起こる状況だが、同時に正常な関係にあっても、現れる状況なのである。」(303f)


 「あるメッセージがどんな種類の物か判らないとき、人間は従来妄想症的、破瓜病的、あるいは緊張病的と呼ばれてきた対応の仕方で、自己防衛をはかるということにほかならない。これら三つの選択がすべてではない。重要なのは、他人が何をいわんとしているかを発見するのに助けとなる選択肢だけは、どうしても選びとれないと言うことである。しかるべき助力がないと、彼は他人のメッセージについて論ずることが出来ない。この場合、人間は管理人を失った自動制御装置と同じ様なものとなる。それは決して終わることのない、しかし常に体系だった歪曲へ向けて螺旋運動を続けていく。」(307f)

破瓜病的反応:メッセージを文字どおりに取ろうとする。
 上司に「なんで帰ったんだ」と問われて、「電車で帰りました」と答える。
 なぜか、答えなければ罰せられる、答えれば罰せられる、という否定的ダブル バインド状況での一つの選択肢。
妄想症的反応:メッセージの裏の意味を読もうとする。
緊張病的反応:コミュニケーションを拒否して内にこもる。

<メタメッセージの禁止>
 ここで二種類のメッセージの矛盾に付いて何も言えないのは、つぎの理由による。「子供が真にこの状況から逃れることのできる唯一の方法は、母親によって放り込まれた矛盾する立場に論評を加えることである。しかしそうしてみたところで、その論評を愛情のない母親だという自分に対する非難として受け止める彼女は、子供を罰するか、お前の状況理解は歪んでいると激しく主張するだろう。子供が状況に付いて語るのを妨げることで、母親は子供にメタコミュニケーションのレヴェルの表現をするのを禁じている。」(311f)
 「私はお前を愛しているから、こっちへ来なさい」と「私はお前を愛していないから、あっちへ行きなさい」という二つの命令が、与えられているとき、その矛盾を指摘することは、とりもなおさず、「私はお前を愛していないから、あっちへ行きなさい」というメタメッセージを対象化し、メッセージとすることである。しかし、このことを母親は自分自身にも認めていないから、そういうダブルバインドの指摘を受け入れず、禁止する。母親が子供にメタコミュニケーションを禁止するのは、、母親自身が自分に「子供を愛していないこと」を意識することを禁止するのと同じメカニズムである。
 ここでの母親の態度は、以前に述べた「予言の自己実現」による差別意識の自己確証、というメカニズムとおなじである。

<メタコミュニケーションが禁止されるところ>
   ・病院での、患者と医者の関係で、患者から医者に質問をしにくい。
   ・学校での教師と生徒との関係で、生徒から教師に質問をしにくい。
   ・会社で上役に質問をしにくい。
 これらの場合、質問しにくいだけではなくて、冗談を言いにくい、用もないのに話すのがはばかられる、メタコミュニケーションがしにくい
 病院は患者のためである以上にそこで働く人のためのものである。しかし、そうでありながら、病院は「あなたのものですよ」というふりをする。そこで、患者はダブルバインドに陥る(323)。
 学校でもそうである。学校は生徒のためであるというふりをするが、実際にはそれ以上に教師のためのものである。それ故に、生徒はダブルバインドに陥る。それに対して、塾は生徒のためであると同時に先生と経営者のためであることを隠さない。それゆえに、生徒はそこではダブルバインドに陥らない。


2、二種類のダブルバインド
 ベイトソンが発見したダイブルバインドは、分裂病の発生原因となるものであった。分裂病の発生の説明として、この議論がどの程度認められているのか、(入江には)明らかではないが、精神疾患一般に関しては、その原因の説明だけでなく、治療に関しても、ダブルバインド論は有効であり、大いに利用されている(とくにシステム論的家族療法において)。このような状況をふまえて、ダブルバインドを以下のように二種類に区別できるだろう。

a:否定的ダブルバインド(病因的ダブルバインド)
 条件1、第一次的な禁止命令
    2、第二次的な禁止命令。これは第一次の禁止命令と矛盾する。
      しかも、論理階型がことなる。
   3、上の状況からの逃避を禁止する第三の禁止命令。
 結果:何をしても罰をうける。

例:不景気になりそうだから、消費をひかえたいと思うが、しかしそうすると景気はますます悪くなる。しかし、消費を増やしたいと思っても、そうすると将来いっそう困ることになる可能性がある。どちらを選択しても、罰を受ける。どちらを選択しても、気持ちが落ち込む(不景気な気分になる)。

b:肯定的ダブルバインド(治療的ダブルバインド)
 条件1、第一次的な命令
    2、第二次的な命令。これは第一次の命令と矛盾する。しかも、論理階型が異なる。
 結果:何をしてもほめられる。

   (治療的ダブルバインドの例)
     1、症状:「私はノーと言えない」
     2、症状処方:「ここの人みんなにノーと言いなさい」
     3、二重拘束:(全ての人にノーというか、治療者にノーと言うか)の二者択一において
       両方とも望まれる結果に到達する。
       命令に従わないことが、命令に従うことになる。
   結果:治療の成功
   他の例:「反抗せよ」「この命令に従うな」

・「病原となる二重拘束の中にあっては「やっても駄目、やらなくても駄目」であっても、治療上の二重拘束の中では「実行しても変わり、実行しなくても変わる」のである。」(3-125)
・病原的二重拘束が人を勝ち目のない状況に追い込むのに対して、治療的な二重拘束は、患者を負けることのない状況に置く。

<治療的ダブルバインドの説明>
 治療的二重拘束でもある種の緊張した関係が一定期間存在する。治療の流れの中で患者が変えたい、なくしたいと思っている行動を治療者は処方し、奨励する。また治療者は、この強化が変化のための手段であることをほのめかす。患者は、変化せずにいることによって変化しなさいという二重拘束状態に置かれる。
 ワツラウィックらは、つぎのように述べている。
 「もし彼がそれに従うならば、もはや彼は『それをせざるを得なくする』。彼は『それ』をする。そしてこのことが、私たちの示そうとしたように、『それ』をできなくさせる。これが治療の目的である。また、もし彼が命令に抵抗するならば、症状行動を示さないことによってのみ彼は抵抗することができる。これが治療の目的でもある。」

 最後に、患者が逆説を解釈することで、その二重拘束を解消してしまうことは許されない。言い換えれば、治療的二重拘束において患者は、症状を捨てる(命令に従わない)か、または自主的に故意に症状を示すことによって、症状を支配できるようになるのである。もし後者が実行されるならば、患者は症状に支配されているのではなく、反対に今や自分が症状を支配していることになる。このタイプの拘束あるいは逆説的状況は、患者をその病理的枠組みから押し出すのである。(5)

3、振り返って
<これまでの諸概念の諸関係(残念ながらすべての関係を網羅していません)>
 
(1)ダブルバインドと分裂生成
 ダブルバインドとフィードバックはどうかんけいしているのか。ダブルバインドにおいてもおそらくフィードバックは重要な働きをしているだろう。ダブルバインドをかけられた者の行動は、ダブルバインドをかけた者にどの様な行動を起こさせるか。ベイトソンの観察によれば、ダブルバインドにかけられたものは、どの様に反応しても母親に叱られるのである。
 ダブルバインドをかけるものとかけられるものとの関係は一見対称的である。なぜなら、ダブルバインドに対するどんな反応も二義的であり、それ自体がダブルバインドをかける行為となる。それ故に、それに対する反応もまた二義的となり再びダブルバインドとなる。つまり互いにダブルバインドを掛け合うという関係になるのである。故に、対称的な関係であるように見える。
 しかしその際に、弱い方が常に困惑するのであるから、この関係は実は非対称の相補的な関係である。分裂病の子供と母親との関係はおそらく相補的な分裂生成であろう。「弱い方」というのは、第三の拘束をかけられている方である。つまり、母と子の間には、ダブルバインドをかける以前に相補的な関係、保護する者対保護される者の関係があり、その上でダブルバインドをかけ合うから、一方が困惑することになるのである。ダブルバインドによって一方が分裂病になるという事態は、相補型の分裂生成であるといえるだろう。
 弱い方がダブルバインドにかかることによって、ますます弱くなり、ますますダブルバインドにかかりやすくなり、という分裂生成が生じるのではないか。
 ダブルバインドをかけられた子供の反応が、母親のダブルバインド的態度を強化することになってしまうというメカニズムがあるのだろう。

(2)ダブルバインドと自己成就的予言
 マートンは、差別を「予言の自己成就」で説明するときに、つぎのように述べていた。
    「それは民族的、人種的諸関係における『すればするで非難され』『し
     なければしないで非難される』過程であるといっても差し支えないだ
     ろう。」(訳387)
被差別者は、「否定的ダイブルバインド」に晒されているのだと言えるだろう。

 ところで、マートンの間違いは、自己実現的予言がまるで常に悪い結果ばかりを生み出すかのように述べていることにあった。自己実現的予言は、よい結果を生み出す場合もある。このことは、外集団への差別の逆もいえるということを意味している。つまり、内集団のリンカーンは何をしても誉められるのである。この時、内集団の人物は「肯定的ダブルバインド」におかれているのである。

 
(3)予期の予期と相互予期
 予期の予期がはずれる可能性があるので、社会は、ルールを設定し、このルールに依拠することによって、未来への予期を確実なものにしようとしてきたのだ、とルーマンは指摘している。そのルールの典型例が、法、貨幣、言葉、などである。
 しかし、これらのルールに依拠できるためには、つまりこれらのルールがルールとして機能するためには、ルールが相互知識になっていなければならない。
 赤信号が信号として機能するためには、「赤信号では止まらなければならない」をみんなが知っており、しかもそれだけでは不十分であって、みんなが知っていることをみんなが知っており、それが相互知識になっていることが必要である。


<自己実現的予言の区別>
自己実現的予言は、次のように区別できるだろう。
(1)他者との関係なく予言が実現する場合
    例:試験に落ちるのではないかと心配して、勉強が手につかず、試験に落ちる。
(2)予期1の予期によって予期1が実現する場合
    例:相手と仲よくやってゆけるだろうと思って、相手に接することが、相手に好感を与え、
      相手と仲良くなる。
(3)相互予期によって、予期が実現する場合
    例:お金が通用すると言うことが相互予期になっていることによって、お金が通用する。
      言葉、ルール、制度、集団、などについても成り立つ。

-----------参考文献-----------------
1、ベイトソン『精神の生態学』上、下、思索社
2、ウィークス&ラベイト『逆説心理療法』星和書店
3、ワツラウィック『変化の言語』を読んで、
4、ミニューチン『家族と家族療法』誠信書房
5、パラツォーリ他『逆説と対抗逆説』星和書房
6、アッカーマン『家族関係の理論と診断』岩崎学術出版社
7、遊佐安一郎『家族療法入門』星和書店
8、リン・ホフマン『システムと進化』
9、チオンピ『感情論理』学術書院
10、吉川悟『家族療法』ミネルヴァ書房
11、『現代のエスプリ』242号、至文堂
12、十島よう蔵、十島真理『童話・昔話におけるダブル・バインド』ナカニシ   ヤ
13、織田元子『システム論とフェミニズム』勁草書房
14、加茂陽『ソーシャルワークの社会学』世界思想社
15、マートン『社会理論と社会構造』
16、ウィーナー『サイバネティクス』副題「機械と動物における制御と通信」
17、ベルタランフィ『一般システム理論』 開放システムと閉鎖システム
18、ミラー『一般生物体システム理論』 上位システムと下位システム

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注、ダブルバインド論の広がり
・物語り分析への適用
   十島よう蔵、十島真理『童話・昔話におけるダブル・バインド』ナカニシヤ
・フェミニズムでの女性差別の分析に応用
   織田元子『システム論とフェミニズム』勁草書房
・ソーシャルワークへの応用
   加茂陽『ソーシャルワークの社会学』世界思想社
   

注、システム論的家族療法理論のⅢ分類 (10-323)
A、構造的アプローチ:面接室内での家族システムの変化を目標とした一群
アンドロフィー:戦略的・構造的アプローチ
    ウィテカー:象徴的体験的家族療法
    ミニューチン:構造的家族療法  
B:戦略的アプローチ
    ヘイリー:戦略的家族療法
    ワツラウィック:短期療法(MRI)
C:システミックアプローチ
    アッカーマン家族療法研究所
    パラツォーリ:ミラノ派


3、システム論的家族療法
(1)第一種変化と第2種変化
 問題に対する常識的な解決方法が、問題を拡大、持続させる悪循環をひきおこしている。
例1:欝病患者に、家族は「元気をだしなさい」とはげまされて、ふさぎ込んでいては「いけない」と思いこみ、本来正常な反応である悲哀感と格闘することによってますます状態を悪化させる。
  おれはダメだ、→ 悲しい、→ おれはダメだ、 → 悲しい

例2:夫が酒をのむ  妻がいらいらする 夫が酒を飲む 妻がいらいらする

例3:父が母を非難する 子供があばれるから母を非難してしまう
母が子供をしかる 父が非難するから子供をしかってしまう
子供が暴れる   母が叱るから暴れたくなった


 この悪循環を絶ち、システムに相転移をおこさせる。
(2)そのための介入が、システム論的家族療法での治療である。
 患者の家族システムは、悪循環の中で分裂生成が進み、その悪循環システム自体が、行き詰まっているときに、治療に来るのだろう。
 したがって、システムは相転移のきっかけを待っているともいえる。その状況では、ほんの小さな変化が、相転移を引き起こす可能性がある。
治療者をいれることで、悪循環が逆に維持可能になるばあいもある。