第四講義    §4 相互知識(相互に明白、共有知、相互予期)


1、相互知識
(a)シファーの「相互知識」の定義
    S.R. Schiffer, Meaning, Clarendon Press, Oxford, 1972, pp.17-26.
「SとAが相互にpを知っている*」の定義
次のようにしよう。
   「K*sap」=df.「SとAが相互にpを知っている*」
我々は次のように言うことができる。
   K*sap iff
   Ksp
   Kap
   KsKap
   KaKsp
   KsKaKsp
   KaKsKap
   KsKaKsKap
   KaKaKaKsp




(b)相互知識の例
「君と私が一緒に食事をしており、我々は互いに向かい合わせに座っており、我々の間のテーブルの上にはかなり目だつ蝋燭があるとしよう。
私は、蝋燭と君に向かっており、君は蝋燭と私に向かっているという状況にいる。
(Sと蝋燭に向かっているAと蝋燭に向かっているSと蝋燭に向かっているAと蝋燭に向かっているSと蝋燭に向かっているAと・・・)

 テーブルの上に蝋燭があることを君と私は相互に知っている*。

 私は、テーブルの上に蝋燭があることを知っている。
            Ksp
 私は、君がテーブルに蝋燭があることを知っていることを知っている。私はどのようにしてこのことを知るのだろうか。第一に、「普通の」人(普通の感覚能力と知性と経験を持つ人)ならば、彼の目が開いており、彼の顔が対象の方を向いているならば、彼はその対象をみるだろうと、私は考える。第二に、君が「普通の」人であることを私は知っている。そして、君が目を明けて蝋燭に向かっていることを私は知っている。したがって、
            KsKap
 さらに、私は、私だけが、上に述べた法則に気づいている人であるとは仮定しない。それゆえに、私は、君が、普通の人は彼の開いた目の線上にあるものをみる、と考えることを知っている。そして、私は、君が私の目が開いており顔が蝋燭に向かっているのを知っているのを知っている。そこで、
            KsKaKsp
 私が君が普通の観察者についての当該の法則を知っていることを知っている。そこで、私は、君が私と同じように考えることを知っている。そこで、
            KsKaKsKap

以上から、次のことが明きらかだろう。
   (1)わたしは、これを永遠に続けることができる。
   (2)この遡行は無害である。
   (3)このケースで得られた現象は一般的なものである。

ここでの条件を明確にしておくと、
 条件1 Sが、「ふつうの人」はこうした状況でpを知る、と知っていること
 条件2 Sが、相手が「ふつうの人」である、と知っていること



(3)相互知識の分類
 ベイトソンは、人間は、「相手がこちらを知覚していることをこちらが知っており、相手もこちらが相手を知覚している事実をわきまえている」というの事実の重要性に注目し、それを「相互知覚の相互覚知」と名付けた。
 ベイトソンは、このような相互覚知がコミュニケーションにおいて生じるとき、「コミュニケーションについての相互覚知」を「メタコミュニケーション」と呼んだ。そして、メタコミュニケーション機能を、二つに分けた。コード化に関するメタコミュニケーションと、参加者の関係についてのメタコミュニケーションである。我々は、これに対応する形で、「コード化についての相互知識」と「参加者の関係についての相互知識」を区別できるだろう。
(a)コード化についての相互知識
*語の意味の相互知識
ベイトソンは、全てのコミュニケーションは同時に、コード化についてのメタコミュニケーション機能をもつと考える。例えば「『猫がいる』というとき、"猫"という言葉は、私がみたものを表す、という命題を暗に確認している」という。つまり、xを発話して、pという信念を生じさせようとしているときには、「xはpを意味する」というコードについての確認をしている。つまり、xが「非自然的意味」を持つならば、そこには必ずコード化があるはずであり、その確認が行われいるといえるだろう。
*貨幣・権力というコミュニケーション・メディアは、その妥当性についての相互知識を必要とする。
 例えば、お金が通用するためには、人々がお金が通用すると思っているだけではなく、人々が、人々がお金が通用すると思っている、と思っていなければならない。これは、さらに反復する必要があるかもしれない。ようするに、お金が通用するには、そのことについての相互知識が成立していなければならないのである。
*法や道徳などの規範の妥当性も、それについての相互知識の成立によって、機能するようになる。
 例えば、みんなが赤信号で止まらなければならないと考えていたとしても、そのことが相互知識になっていなければ、赤信号でも反対側の青信号の人は安心してわたれない。赤信号は、赤信号としての役目を果たさない。つまり、規範は、相互知識によって規範として機能する、つまり規範として成立するのである。
 もう一つ例をあげると、約束が拘束力を持つためには、人々が約束が拘束力を持つと考えるだけでなく、人々が、人々が約束が拘束力をもつと考える、と考えることが必要であり、さらにこれを反復する必要があるかもしれない。要するに、約束が拘束力を持つためには、それについての相互知識がなければならないのである。

(b)参加者の関係についての相互知識
*誠実性についての相互知識
 誠実な話し合いが成立するためには、互いに誠実に話すだけでなく、互いに相手が誠実に話していることの知が必要であり、さらにその知についての知が必要である。たとえば、自分の発話の誠実性を相手が知っていることを知っていることが必要である。なぜならば、もし、そのような知がなければ、相手が自分の発話を誠実なものとして理解しているかどうか解らないことになるからである。また、相手の発話の誠実性を自分が知っていることを相手が知っていることを知っていることも必要である。なぜならば、もしそのような知がなければ、相手の発話を誠実なものとして理解してそれに応じようとしていることを相手が知って話しているのかどうかが解らないことになるからである。このような議論は、更に続けることも出来るだろう。誠実な話し合いが成立するためには、誠実性についての<相互知識>が必要である。

*対話者の人間関係についての相互知識
 先輩ー後輩、上下関係、男女、医者患者、店員と客、等
 両者の関係が、非対称的ないし相補的であるとき、あるいは対称的であるとき、この関係についての相互知識を予期しつつ、振る舞うことが必要になる。下の者は、上のものに対して、自分が下の立場であると考えていることを、相手に知らせなければならない。上の者も同様である。対等の者も、そのことを互いに確認しておかなければ、親しい態度が、卑屈な態度や、横柄な態度として理解されてしまう可能性が生じる。
 上下関係の自己理解は、謙譲表現や敬語などの言葉遣いで表現することが出来る。それが相手の期待と食い違ったときには、相手はおれは上役だと威張った口調で上下関係に付いての彼の理解を表現したり、親しい口調で仲間であることを強調したりする。
 このことは、様々な権力関係についてもいえる。たとえば、イスラエルとPLOの相互承認が成立するためには、両方が相手の存在を承認することだけでは不十分であり、そのことを両者が知っていなければならない。つまり、「両者が、相互に互いを承認するものとして、互いを承認する」(ヘーゲル)のでなければならない。

*排除、差別と相互知識
 逆にいえば、社会的排除というのは、コードを知らない者に対して行われるだけではなく、コードを知ってはいるが、コードについての<相互知識>があることを知らない者(みんながコードを知っており、かつ、みんなが、みんながコードを知っていること、を知っている、ということを知らない者)に対しても行われる。
 コミュニケーションは、つねに相互知識を作りだし、それはつねに排除の可能性を作り出す、ということもできる。

*癌を告知すると、その人との会話が少なくなってゆく。その理由は、相互知識が何かが曖昧になると、自分の発言がどう理解されるかが、より不確実になり、発言が少なくなる。

*差別されている人との会話が少なくなるとすれば、その理由は、相互知識が何かが曖昧になるためではないか。
 <黒人の友人に「お前はニガーだ」といえたとき、初めて白人の青年が黒人達の仲間入りが出来てきた>という事例
 黒人達の内部の相互知識が解らないから、そこに入っていけないだけではなく、
黒人たちと白人青年の間に相互知識が成立していないから、仲間になれないのである。知識の内容の違いではなく、ある知識を共有しているという知識の成立が問題なのである。
 二人の間に、差別の切断が入ることによって、相互知識の成立に対して疑念が生じるのである。

*集団の成立と相互知識
ベイトソンがつぎのように述べている。
 「集団が決定因となるには、参加者が相手の知覚に気づいていることが必要である。」(224)この場合、集団が決定因になるとはどういうことか。それは、次に様なことである。「この相互覚知は、参加者二人のすべての行為と相互行為の決定因となるのである。」(224)

 他者の知覚を覚知していなければ故意に偽ろうとの動機は存在しないし、偽ろうと思っても成功しない。偽りの存在は、それ故、集団が知覚の相互覚知の上に成り立つことを証拠だてるものなのだ。



*別の分類
1、話し手と聞き手がどういう人であるか、未知の人であるならば、未知の人であるということについての相互知識が必要である。
2、絡路の確保「きこえますか」
3、発話の順序・機会・量・関係
4、言語コード
5、発語内行為「質問ですか」
6、誠実性
7、話し方の適切性、「・・・とお呼びしていいですか」目上の人への尊敬語

2、相互知識への批判と修正
(1)バック&ハーニッシュの相互知識への批判
 「相互知識の定義は、信念の三レベルに限定されず、無限につづく。より高次の信念は、原理上は可能であり、スパイ同士や欺瞞的な親友同士の間では、・・・可能かもしれないが、共同体全体、ないし大きな集団では、より高次の信念は不可能である、と我々は考える。」Bach and Harnish(1979,p309)

 「心理学的な限界がある。・・・おそらくたいへん賢いひとでも、6レベル以上の想定をすることはできないだろう。」Harder and Koch (1976,p62)

(2)入江の批判
シファーの定義するような相互知識は有り得ないだろう。なぜなら、例えば、
  K*sap iff
これが成立するとすれば、例えば、
  KsKaKsKap
が成立しているというのだが、これが成立するためには、
  KaKsKap
を知らねばならない。しかし、このことを予想することは出来るし、洋装しているとしても、これを知ってはいない。なぜなら、それを知るには、相手に問い尋ねて確認するしかないからである。そして、そういうことはやってはいない。
だから、シファーの定義するような相互知識はありえない。

(3)「相互予期」への修正
このような批判を考えるならば、現実に存在するのは、もし解い尋ねるならば、シファーのいうような相互知識が成立するだろう、という予期である。このような予期を両者がしているのであり、予期の予期もしており、
 Eapを Aはpを予期する、と言う意味に定義すれば
相互予期をつぎのように定義できるだろう。 

   E*sap iff
   Ksp あるいは Ksp
   Kap Kap
   KsKap KsKap
   KaKsp KaKsp
   EsKaKsp KsKaKsp
   EaKsKap KaKsKap
   EsEaKsKap EsKaKsKap
   EaEaKaKsp EaKaKaKsp
・ EsEaKaKaKsp
・ EaEsKaKsKap
・ ・
・ ・

というように定義できるだろう。
しかし、この場合にも相手が予期していることを予期する程度であればよいが、
予期が5、6回つづくとそのような予期を相手がしているとはとうてい予期できない。(そのような予期を相手がなし得るということは、予期できるとしても。)

この予期をどのように定式化するかは問題であるが、
しかし、ここに成立しているのは、知識である、というよりは予期と呼ぶべきものであるだろう。これを「相互予期」と呼ぶことにしたい。