第9回講義 つづき §7 ホッブズの国家論
「契約とはどのようなものか]
<権利の放棄renouncing>とは、他の人々がそれに対する権利を享受するのを妨げる自由を放棄することである。
自分の権利を放棄したりする者は、他人が これまで持っていなかった権利を彼に与
えるわけではない。
<権利の譲渡transferring >とは、それによって得られる利益が誰か一人または複数の特定の人間に帰するように
意図されている場合である。「全ての権利
が譲渡され得るわけではない。・・・
第一に人はその生命を奪おうとして、力によって襲いかかる敵にたいして、抵抗する権利
を放棄することはできない。」(162) (→抵抗権の根拠となる)
<契約Contract>とは、権利の相互譲渡(mutual transferring of right)のことである。
<信約Covenant>とは、相互契約者のうちの一方が、彼の側で契約した物は引き渡すだろうが、相手方には、
ある期間の後に契約を履行させるにまかせ、そのあいだは、相手方を信頼していると
いうばあい、彼の側からするとこの契約は、<協約Pact>とか<信約>とか呼ばれる。
また、両者がいま結んだ契 約をのちに履行するというばあいもある。
<信約が無効invalid になる場合>
「ある信約がなされ、そのさい契約者双方ともいますぐ履行することはなく、しかし互いに相手を信頼しているというばあい、もしも彼らが完全に自然の状態(すなわち戦争状態)にあるときには、何かもとっともな疑念さえあれば、契約は無駄Voydとなる。しかし彼ら双方のうえに共通の力が加え
られ、それが履行を強いるに十分な権利と力を持つものであれば、契約は無駄にはならない。」(166)
[コモンウェルス(国家)の成立]
<コモンウェルスの必要性>
**平和のためには公共的権力が必要である**
「人々が外敵の侵入から、あるいは相互の権利侵害から身を守り、そしてみずからの労働と大地から得る収穫によって、自分自身を養い、快適な生活を送ってゆくことを可能にするのは、(人々を恐れさせ、また人々を共通の利益を求めるように導きもする)公共的な権力(Common
Power)である。」(196)
<どうやってコモンウェルスを設立するか>
*契約によって
「この権力を確立する唯一の道は、すべての人の意志を多数決によって一つの
意志に結集できるよう、一個人(one Man)あるいは合議体(Assembly of men)に、かれらのもつあらゆる力と強さを授与することである。いいかえると、自分達すべての人格Personを担う一個人、あるいは合議体を任命し、この担い手が公共の平和と安全のために、何を行い、何をおこなわせようとも、各人がその行為をみずからのものとし、行為の本人Authorは自分達自身であることを、各人が責任をもって認めることである。」(196)
*契約内容
「これは同意や和合以上のものであり、それぞれの人間が互いに契約をむすぶことによって、すべての人間が一個の人格へと実際に結合されることである。その方法は、あたかも各人(every
man)が各人(every man)に向かってつぎのように宣言するようなものである。『私は自らを統治する権利(my
Right of Governing my self)を、この人間(this Man)または人間の合議体に完全に譲り渡し、権限を与える(Authorise)ことを、つぎの条件の下に認める。その条件とは、君も君の権利を譲渡し、彼の全ての行為に権限を与える(Authorise)ことだ。』」
*もう一つの契約内容
「コモンウェルスが設立されたといわれるのは、多数の人々(Multitude of men)が、次のような各人の各人との合意(Agree)および信約を行う場合である。つまり、彼ら全員の人格をあらわす権利(つまり、かれらの代表者であるという権利)が、ある一個人または合議体に、多数決によって(by
the major part)与えられ、その人間または合議体に「賛成投票」した者も「反対投票」した者もすべて、同じ態度で、その人間または合議体の行為と判断に、それがあたかも自分自身のものであるかのごとくに、権限を与え(Authorise)、そうすることによって、互いに平和に暮らし、他の人々から保護してもらうことを目的とする、という合意および信約である。」(198)
(この多数決の正当性については、ホッブズは詳細に吟味してはいない。)
<コモンウェルス、主権者、国民の定義>
コモンウェルス:「それは、一個の人格であり、その行為は、多くの人々の相互契約により、彼らの平和と共同防衛のためにすべての人の強さと手段を彼が適当に用いることができるように、彼ら各人をその行為の本人とすることである。」(197)
「この人格をになう者が、<主権者(Sovereign)>と呼ばれ、「主権(Sovereign
Power)」を持つといわれる。そして彼以外のすべての者は、彼の国民(臣民、臣下)(Subject)である。」(197)
下枠の言葉は、我々からみるならば、ホッブズの考えていた
・・・・・・・・・・・・・・ 「近代的個人・近代的主体」 とは
・ Man ・・人間 ・ 男性であり、
・ Person ・・人格 ・ フィクションであり、
・ Subject ・・国民・ 臣下・ 奴隷である、
・・・・・・・・・・・・・・ ということを意味している。
「これが達成され、多数の人々が一個の人格に結合統一されたとき、それはコモンウェルス(Common-wealth)、ラテン語でキウィタス(Civitas)と呼ばれる。かくてかの偉大なるリヴァイアサン(大怪物)(Leviathan)が誕生する。」(196)
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・リヴァイアサン:水にすむ巨大な怪獣で、時に悪の象徴 ・
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<コモンウェルスがリヴァイアサンになる理由>
1、主権を剥奪することはできない
「全ての人々の人格を担う権利が主権者に付与されているのは、主権者と人々との契約ではなく、人々相互の契約によるものであり、したがって、主権者の側が契約を破ることはありえない。またしたがって、国民の側が契約違反による没収を主張して、服従の義務を免れることもできない。」(199)
2、主権者の行為を国民が非難することは正当ではない。
「全ての国民は主権を設立することによって、主権者のあらゆる行為をあらゆる判断をつくりだした本人であるから、主権者がどのように行動するにせよ、それは国民のだれかを侵害したことにはなりえない。また国民は、いかなる行為をも不正であるとして非難すべきでない。」(201)
3、国民は主権者を処罰できない
「主権者が殺されたり、方法のいかんを問わず、国民によって処罰されたりすることは、不当である。全ての国民は主権者の行う行為をつくりだした本人であるから、それは自分の行為にたいして他を処罰することになるからである。」(201)
清教徒革命の内乱の時代に生きたホッブズにとって、主権がない場合(戦争状態)にくらべれば、強大な権力もけっして有害なものではない、ということになる。
[ホッブズ問題:国家契約は可能か?]
ホッブズを含めた国家契約論者に対して、国家契約は歴史的な事実ではないという反論がある。しかし、そのことはホッブズやルソーやカントなど多くの契約論者が自らみとめていることである。契約論者が主張していることは、契約が歴史的な事実であるということではなくて、<もし我々が、合理的に考えて国家を契約によって設立したとすれば、そのような国家は正当性をもつだろう、したがって、それとおなじ国家のあり方は、それが実際に契約によって創られたものであれ、他の仕方でつくられたものであれ、正当性をもつ>ということを主張したいのである。
ところで、もしその国家契約が理論的に実現不可能なものであるとすれば、契約によって設立されるはずの国家のあり方も正当性をもちないことになるだろう。したがって、国家契約が理論的に考えてそもそも実現可能であるかどうかは、国家契約論にとっての根本的な問題である。
では、「ホッブズのいう国家契約は可能だろうか」。先に結論をいうと、ホッブズの国家契約は、<国家契約の履行を保証する強制的な権力を、まさに国家契約そのものによって設立しなければならない>というアポリアをかかえている。
これを説明しよう。
<囚人のディレンマとの類似>
ホッブズの国家契約のアポリアは、有名な「囚人のディレンマ」とよく似ている。ゲーム理論で、「囚人のディレンマ」とよばれているのは、次のような状況である。ある事件の共犯者である二人の囚人がおり、別々に取調をうけていて、互いに話せない。そして、取調官は、囚人にこういう。「君には二つの出方がある。一つは黙秘、もう一つは自白すること。二人とも自白すれば、4年の刑。片方が自白し、もう一方が黙秘すれば、自白した方はたった1年の刑だが、黙秘した方は5年の刑になる。もっとも、両方が黙秘すれば、二人とも2年の刑になる。さて、君はどうする。」
囚人 B | |||
黙秘 | 自白 | ||
囚人A | 黙秘 | 2\2 | 5\1 |
自白 | 1\5 | 4\4 |
囚人のディレンマの重要な点は、各人が利益を求めて合理的に行為するとき、全体としてはもっとも不利益な選択をすることになる、ということである。各人が合理的な選択をしても、全体としては不合理な選択になる場合がある、ということである。
いまホッブズ的な自然状態にいる二人の人間を考えてみよう。各人は相手に対して攻撃するか、攻撃しないかで、次のような利害関係にあるとしよう。
人間B | |||
静観 | 攻撃 | ||
人間A | 静観 | 0\0 | -5\2 |
攻撃 | -5\2 | -2\-2 |
この場合、両者が合理的に考えれば、両者はともに攻撃しあうことになる。
では、ホッブズの国家契約の場合はどうであろうか。問題を簡単にするために二人だけで考えてみよう。
人間B | |||
履行 | 不履行 | ||
人間A | 履行 | a\a | c\b |
不履行 | b\c | d\d |
囚人のディレンマが生じるためには、a<b と c<d が成立していなければならない。Bが不履行の場合のAの利得は確かに、c<d
になると思われるが、しかし、いまBが履行する場合のAの利得は、a<b になるとは断言できないだろう。したがって、囚人のジレンマは成立しないかも知れない。しかし、自分が履行して相手が履行しないときの危険が余りに高いとき(例えばそれが死を意味する場合)には、やはり履行には踏み切れないだろう。
ちなみに、アメリカの政治学者アクセルロッドは、その著書『つきあい方の科学』(CBS出版)の中で、不特定多数の人間達によって構成される「反復囚人のディレンマ」の場合には、各人に相互協調を強制する共同権力が不在であっても、自然発生的に協調関係が成立し得ることを経験的に証明している。彼がこうしたディレンマ状況における最良のゲーム戦略として挙げているのは、同じくアメリカの心理学者によってラポポートによって「しっぺがえし」と名付けられた戦略であった。これは、3つの規則から構成されている。
①自分からはけっして裏切らないこと(協調の精神)
②相手が裏切った場合はただちに報復すること(復讐の精神)
③相手が協調に転じたときにはこだわりを捨ててそれにならうこと
(寛容の精神)
ホッブズのいう戦争状態は、一見するとこのような「反復囚人のディレンマ」であるようにみえるかもしれない。しかし、戦争状態では常に死にさらされているために、事後的に見れば確かに持続し反復される戦争状態も、当事者各人にとってはつねにそのつど一回限りのものでしかない。したがって、反復囚人のディレンマとは別のものである。