第10回講義(後半) §9 Representationと公理体系と検証主義 


 
1、公理体系と検証主義への批判

(1)公理体系のアポリア 
 現代論理学では、「公理主義」は次のような困難を抱えている。
 (1) 公理設定のアポリア
   真なる命題としての公理を立てることが(ミュンヒハウゼンのトリレンマのゆえに)不可能である。
(2) 定理導出のアポリア
   仮に(例えば、規約によって)公理を立てられたとしても、規約主義のアポリアがあって、公理から定理を導出することが不可能
   である。
(a)限定的規約主義のアポリア
          ルイス、クワインの指摘
             参考文献:ホフスタッター『ゲーデル・エッシャー・バッハ』白揚社
                    飯田隆『言語哲学大全U』勁草書房、二章
       (b)根源的規約主義のアポリア
             参考文献:野矢茂樹「根元的規約主義」 『現代思想』1990.10
                    金子洋之「必然性と正当化」同書
                    
(2)検証主義への批判
 現代の科学論では、検証主義もまたその改良である反証主義も、不十分であることが明らかになっている。

(3)このような論理学における公理主義のアポリアと科学哲学における検証主義の不十分さは、これと非常によく似た論理で展開されている、社会システムのアポリアであり、不十分さとしても理解することが出来る。
 これらは、すべて、representationの論理であり、それの行き詰まりであると思われる。私たちは、representationにかわる論理によって、知の体系や社会システムを構築する必要があるように思われる。それは個別的な現象としてはすでに様々な領域で登場しているようにも思われる。


2、Representation による社会システム

(1)人格の構造

      権限authority
     a/   \b
本人author − 代理人actor(あるいは本人)の言葉と行為

 カントの場合ならば、現象としての自我には、「Ich denke」の表象が伴い得る。
つまり、私の表象(感覚、知覚、判断、快・不快の感情、欲求、など)には「Ich denke」の表象がともないうる。これが伴うことによって、それは私にとって存在するものとなり、私の表象となる。

(2)言語・知覚・貨幣・演劇・所有

   意味          性質character
  a/   \b      a/   \b
対象    言葉    対象     表象

   事実           真理
 a/   \b       a/   \b
 観察    観察文   観察文  理論



  価値           役character(仮面)
a/   \b       a/   \b
紙幣  ・  金   役者actor ・ 人物person
c c


   労働                意志
  a/   \b            a/   \b
 労働者   労働生産物   人格    行為(身体)


    権利
  a/   \b    
  住民 → 代表者


2、科学方法論と代議制
  
      真理         真理          権利
   観察 →  理論   公理 → 定理    住民 → 代表者


 (a) 多数の観察→理論→少数の公理→多数の定理→多数の観察

 (b) 住民の声→代表者の声→憲法→法律→行政→住民


3、未来に向けての断片的な認識

 *ホッブズの人格論からいえることは、representationの構造が学問にも社会にも多数見られるということである。
*ロックの所有論からいえることは、所有概念が、近代的な人権概念の基礎になっていること、およびその構造が、公理体系や官僚制や法治国家のシステムに類似していることである。

 このようなrepresentaionや公理体系の行き詰まりは、学問の世界でも、社会にも明かになりつつある。しかし、かわる制度や認識が、様々な領域で現れつつあるようにおもわれる。しかし、いまだその全体像はよくわからない。

(1)契約と相互知識
 契約は、相互に権利を譲渡することである。しかし、その相互の権利譲渡するだけでは、不充分である。そのことが相互知識になっていなければならない。
 このことは、契約によって集団を構成する場合にも妥当する。

(2)集団が、一つの人格になるためには、相互知識が必要である。
   ここに10人の人間がいるとしよう。
    (A1)xさんは、他の9人の中のaさんと彼を代表する契約をした。
       また、bさんとも契約した。これを繰り返して、すべての人と、その 
      人を代表する契約をした。
      しかし、これだけでは。xさんは、10人の集団を代表しているとはいえない。
      (なぜ?)

   (A2)(A1)にくわえて、上の10個の契約がすべての人に知られており、またそのことが相互知識になっている。
      しかし、これだけでも、xさんは、10人の集団を代表しているとはいえない。
      (なぜ?)

   (B1)xさんは、xさんがこの集団全体を代表する、と考えている。
      しかし、これだけでは、xさんは、10人の集団を代表しているとはいえない。
      (なぜ? なぜなら、aさんは、aさんが10人の集団を代表していると考え  るかもしれないから。)

   (B2)(B1)に加えて、aさんも、xさんが10人の集団を代表している、
       と考えている。また、bさんも同様に考えている。さらに、他の各人も、
       すべて、同様に考えている。
       しかし、これだけでは、xさんは、10人の集団を代表しているとはいえない。
       (なぜ? なぜなら、各人は、自分がだけがそう思っているだけかもしれず、
        他の人は別様に考えているかもしれない、と考えるから)

   (B3)(B1)と(B2)に加えて、その二つが相互知識に成っている。
       このとき、xさんは、10人の集団を代表していると言えそうである.
       この(B3)を簡単に言いかえれば、つぎのようになる。

   (c)xさんが集団を代表していると、全員が考えていて、しかもそれが相互知識になっている。


 では、集団が大きくなり、全員がそのように考えているかどうかが、わからないとき、また、相互知識が成立しているかどうか、よくわからないときを考えてみよう。今ここに1億人からなる集団があったとしよう。
   (d1)aさんは、xさんが集団を代表している、と考えている。
      aさんは、xさん自身もそのように考えている、ことを知っている。
      aさんは、多くの人がそのように考えていることを直接に知っている。
      aさんは、ほとんどの人がそのように考えていることを、マスコミを
         通じて知っている。
      ほとんど人が、aさんと同じように上の4点を満たしている.
      ほとんど人が、<ほとんどの人が上の4点を満たしている>ことが相互知識になっているとおもっている。
 
      しかし、これだけでも、xさんが集団を代表しているとはいえない。
      (なぜ? なぜなら、「ほとんどの人」ではなくて、「すべての人」と言えるならば、xさんが集団を代表している
       といえるだろうが、「ほとんどの人」では、正当性をもたないからである。非常に多くの人からなる集団では、
       「すべての人」の間に相互知識が成り立っているかどうか、確認できないので、それは各人の推測にとどまってしまう。)

   (d2)(d1)に加えて、aさんは、xさんが集団を代表することに反対ならば、そのときには、反対することが保障されて
      いることを知っている。
      aさんは、すべての人も、上のことを知っている、と推測している。
      aさんは、それにもかかわらず、現実には、反対の意見がない、と推測している。
      aさんは、それゆえに、<xさんが集団を代表することを、すべての人が承認している>と推測する。
     すべての人が、aさんと同様に<xさんが集団を代表することを、すべての人が承認している>と推測する。
      すべての人が、<xさんが集団を代表することを、すべての人が承認している>と推測していることが、
      相互知識になっていると推測する。

 こうして、国家のような大集団が、主体になるためには、批判の可能性が保障されていなければならない、ということがわかる。つまり、民主主義によってのみ、国家は、主体になりうるのである。
 しかし、このような大集団の場合には、相互知識の確認は、小集団の場合以上に困難である。その困難は、批判の可能性を周知することによって、ある程度は、克服できるが、しかし、これによって完全に克服できるわけではない。
 そこで、多くの社会問題では、相互知識が成立しているかどうかについて、論争になるのである。

(2)不換紙幣と「予期の予期」
貨幣は、金の価値を代理することによって、通用するのではない。各人が、後で自分が物やサービスと交換できるだろうと予期して、自分の物やサービスと貨幣を交換するのである。お金で、物やサービスを買おうとするものは、相手が上のように予期するだろうと予期して、買い物をする。
(4)現在の間接民主制が、正当性をもつのは、代表者が、決定していることが、皆の声を代弁しているからだけでなく、それが、批判に対して開かれていることによってである。つまり、もし不満があるならば、それにたいして批判の声をあげることができる。そのような批判、改正の可能性が確保されており、それにもかかわらず、批判の声があがらず、改正されていないことが、すでにある制度の正当性を保証しているのである。