2008年度第2学期 共通教育科目「哲学基礎B
 
「認識するとはどういうことか?」
  第4回講義(2008年10月23日)
      §4 論理学や数学の正しさについて
ミュンヒハウゼンのトリレンマによって、どのような主張も究極的には根拠付けられていないことが証明されました。
この主張自身や、懐疑主義の主張や、相対主義の主張自身が、自己自身に適用されると、自己矛盾してしまう可能性があるのですが、それの厳密な検討は難しい問題なので、ここではおこないません。それは論理学を使った検討になるはずです。
私には、いまのところポパーの批判的合理主義によって知の正当化を考えるのが、もっとも合理的な態度のように思われます。しかし、批判的合理主義そのものの採用を、ポパーが考えたように、個人の非合理な決断であると理解することは、正しくないように思います。なぜなら、個人の私的な決断というものは、ウィトゲンシュタインが批判した私的言語に基づくものであり、成立しないからです。個人の決断もまた、他者とのコミュニケーションの中ではじめて有意味なものとして成立するのです。
私的な言語が成立しないのは、言語を使用するとは、言語の使用の規則に従うことなのですが、一人で考えているときには、「規則に従っていること」と「規則に従っていると信じていること」の区別が出来ないからです。(私的言語批判については、これとは違った解釈があることを断っておきます。)
 
さてこのように主張を批判にさらして、あるいは経験のテストにかけて、批判やテストをクリアしている限りにおいて、その主張を知として採用するという態度をとろうとするとき、もっとも有力な候補は、論理学や数学でしょう。
 
では、現代哲学において、論理学や数学の正しさについては、どのように考えられているのでしょうか。フレーゲやラッセルによる、数学は論理学に還元しようとする論理主義の試みがあり、それが現代でもホットな話題となっています。
(もしこの問題に興味のある人がいれば、飯田隆編『論理の哲学』(講談社選書メチエ)をお勧めします。
 論理学を勉強しようとする人には、戸田山和久『論理学を作る』名古屋大学、野矢茂樹『論理学』東京大学出版会、レモン『論理学初歩』をお勧めします。)
 
 
1、論理的真理の定義の問題
クワインが、「経験主義の二つのドグマ」(クワイン『論理学的観点から』飯田隆訳、勁草書房)において、論理学の真理(分析的真理)と経験的な真理(綜合的真理)の区別を明確に引くことが出来ないことを論証した。これは、現在もなお係争中です。
 
2、公理主義の問題点
現代の論理学、数学は公理主義という形式を取ります。そこで、公理主義を説明し、公理体系の正しさについての問題点を説明します。
 
A 公理体系を巡る歴史
公理axiomaという語は、アリストテレスによって哲学に導入された。彼の『分析論後書』で、公理を論証的学問の始源命題、最初の真なる無媒介の命題という意味でもちいた。
 
1、ユーウクリッド『幾何学原論』の体系
(参考文献『数学の歴史Tギリシャの数学』彌永、伊藤、佐藤著、共立出版株式会社)
 
 ユークリッド(Eukledes)は、紀元前3世紀に、プトレマイオスT世治下のアレクサンドリアのムセイオンで活躍した。ユークリッドの『原論』(Stoikheia)は、定義holoi23、要請aitemata5、共通概念koinai ennoiai9、定理、からなる。公理axiomaという語は、『原論』の中には一つもない。
 
定義23
1、点は部分のないものである。
2、線は幅の無い長さである。
3、線の端は点である。
4、直なる線は、その上の点に対して一様に横たわる線である。
5、面は長さと幅だけをもつものである。
6、面の端は、線である。
7、平らな面は、その上の直線に対し一様に横たわる面である。
8、平面上の角とは、一つの平面上の二つの線のなす傾きである。ただし、それらの線は、互いに交わり、一方が他にまっすぐにつながってはいないものとする。
9、それらの線が直線であるときは、その角は直線角であるという。
10、直線が直線の上に立ち、そこにできる二つの接角が相等しいときは、それらの角のおのおのは直角であるといい、それらの直線のおのおのは他の直線の垂線であるという。
11、鈍角は直角より大きい角である。
12、鋭角は、直角より小さい角である。
13、境界は何かの端である。
14、図形は一つまたはいくつかの境界で囲まれたものである。
15、円は一つの線で囲まれた次のような平面図形である。すなわちその図形の中にある1点があって、その点からその線までの線分がすべて互いに等しいようなものである。
16、その点は、円の中心と呼ばれる。
17、円の直径は、その中心を通り、両方の側で円の周囲によって境される線分で、それは円を2分する。
18、半円は、直径と、それによって円の周囲から切りとられた部分によってかこまれた図形である。半円の中心は円の中心と同じである。
19、直線図形は、線分によって囲まれた図形で、三辺形は三つの、四辺形は四つの、多辺形は多くの線分によって囲まれたものである。
20、三辺図形のうち、等しい3辺をもつものは等辺三角形、等しい2辺をもつものは二等辺三角形、等しくない3辺をもつものは不等辺三角形である。
21、また三辺図形のうち、直角をもつものは直角三角形、鈍角をもつものは鈍角三角形、三つの鋭角をもつものは鋭角三角形である。
 
要請5
1、任意の点から任意の点まで直なる線がひけること
2、限られた直線をそれに続いてまっすぐに延長できること
3、任意の中心と距離を持った円をかくことができること
4、全ての直角は互いに等しいこと
5、一つの直線が二つの直線と交わり、その一方の側にできる二つの角を合わせて2直角より小さくなるときは、それらの二つの直線をどこまでも延長すれば、合わせて二直角より小さい角のできる側で交わること。
 
共通概念9
1、同じものに等しいいくつかのものは互いにも等しい。
2、また、等しいものに等しいものを加えれば、全体は等しい。
3、また、等しいものから等しいものを取り去れば、残りは等しい。
4、また、等しいものに等しくないものを加えれば、全体は等しくない。
5、また、同じものの2倍は、互いに等しい。
6、また、同じものの半分は、互いに等しい。
7、また、重なり合うものは、互いに等しい。
8、また、全体は部分より大きい。
9、また、二つの直線は面分を囲まない。
 
2、『ポール・ロワイヤル論理学』
はじめて、論理学を公理体系として示そうとした。
 
4、ニュートン力学の公理系
『プリンキピア』は、公理系になっている。
 
5、新しい公理系概念 規約主義の始まり
・ペアノの自然数論の公理系(『数学原理』1889
・ヒルベルト『幾何学基礎論』1899  
・ブルバキ(P.ヴェーユ)による数学全体の公理体系化
 
非ユークリッド幾何学の登場以来、公理は自明な真理とみなされるのではなく、科学者集団の規約だと理解されるようになった。そのような公理観を明確に打ち出したのは、ヒルベルトの『幾何学基礎論』だとされている。これらにおける公理は、記号の使用規則の規約だとみることができる。したがって、これらの公理が真であることを規約としてみとめるのではない。真や偽であるためには、これらの公理が何かについての判断で無ければならず、そのためには、公理の解釈が必要である。しかし、これらの公理系は、記号が何かを指示しているとは考えない。
 
7、命題論理学の公理体系の歴史
(1)フレーゲの公理系(1879)
   1、 x⊃(y⊃x)
   2、 (x⊃(y⊃z))⊃((x⊃y)⊃(x⊃z))
   3、 (x⊃(y⊃z))⊃(y⊃(x⊃z))
   4、 (x⊃y)⊃(〜y⊃〜x)
   5、 〜〜x⊃x
   6、 x⊃〜〜x
   α、 代入法則
   β、 推論法則
 
(2)ニコッドの公理系(1917)
(3)ラッセルとホワイトヘッドの公理系(1925)
(4)ヒルベルトとアッカーマンの公理系(1928)
(5)ルカシェヴィッツの公理系(1930)
   1、 x⊃(y⊃x)
   2、 (x⊃(y⊃z))⊃((x⊃y)⊃(x⊃z))
   3、 (〜x⊃〜y)⊃(y⊃x)
   α、 代入法則
   β、 推論法則
(6)ゲンツェンの自然推論系(1934)
   公理0個、推論規則8個
 
B 公理主義のアポリア(難問)
1、公理設定のアポリア
  公理は自明な真理ではなく、規約として設定される。
 
2、定理導出のアポリア
(a)限定的規約主義のアポリア
(1)ルイス・キャロルの指摘
    (参照:L.キャロル『不思議の国の論理学』柳瀬尚紀編訳、朝日出版社、pp.17-24)
ホフスタッター『ゲーデル・エッシャー・バッハ』pp.59-62
(2)クワインの指摘
    (参照:飯田隆『言語哲学大全U』勁草書房、第一部、第二章。)
 
 
<キャロルによる説明>
 
アキレス曰く、
A PならばQである。
B Pである。
Z Qである。
我々は、ABから、Zを導出できる。」
 
亀曰く
「さて、どうしてでしょう。ABからZを結論するときには、次のCが前提になっているのではないでしょうか。
 C ABを認めるならば、Zを認めなくてはならない。」
 
アキレス曰く
「やれ困ったやつだ。では、そいつを前提に加えることにしよう。
A PならばQである。
B Pである。
C ABを認めるならば、ZQである」を認めなくてはならない。
Z Qである。
我々は、ABCから、Zを結論できた。どうだ。今度は、納得できたかね。」
 
亀曰く
「さてさて、どうしてでしょう。ABCからZを結論するときには、次のDが前提になっているのではないでしょうか。
 D ABCを認めるならば、ZQである」を認めなくてはならない。」
 
アキレス曰く
「やれやれ困ったやつだ。では、そいつも前提に加えることにしよう。
A PならばQである。
B Pである。
C ABを認めるならば、ZQである」を認めなくてはならない。
D ABCを認めるならば、ZQである」を認めなくてはならない。
Z Qである。
我々は、ABCDから、Zを結論できる。どうだ。これで納得したかね。」
 
亀曰く
「さてさてさて、どうしてでしょう。ABCDからZを結論するときには、次のEが前提になっているのではないでしょうか。
 E ABCDを認めるならば、ZQである」を認めなくてはならない。」
 
 
アキレス曰く
「やれやれやれ、困ったやつだ。では、そいつも前提に加えることにしよう。
A PならばQである。
B Pである。
C ABを認めるならば、ZQである」を認めなくてはならない。
D ABCを認めるならば、ZQである」を認めなくてはならない。
E ABCDを認めるならば、ZQである」を認めなくてはならない。
Z Qである。
我々は、ABCDから、Zを結論できる。どうだ。もう納得したかね。」
 
亀曰く
「さてさてさてさて、どうでしょう。・・・・・・・・・・
 
 
(b)根源的規約主義
 
3、体系の不完全性
ゲーデルによる自然数論の公理系の「不完全性の証明」
 
4、タルスキーによるメタ言語による真理の定義
 公理や定理の真理性を語るには、メタ言語が必要になり、メタ言語の真理性を語るにはメタメタ言語が必要になり、以下同様につづく。