後期第七回(第十九回)講義   
      §17  ヘーゲルの民族国家承認論
      


       (この後にコジェーヴ批判と、ヘーゲル『精神現象学』の承認論の解釈を展開する
       予定でしたが、準備の余裕がないので、順序を変えて、ヘーゲルの国家承認論に
       ついて論じます。)


 あるものが何であるかを知るには、それが何でないかを知らなければならない。
我々が、ヘーゲルの国家論を理解しようとするときには、それが国家契約論の批判として構想されたことを忘れてはならない。我々は、先ず、ヘーゲルの国家論が何でないかを見たいと思う。

                                    

第一章 ヘーゲルの国家契約説批判

 ある理論に対する批判は、一般に、(1)その理論の整合性についての批判、(2)その理論の前提に対する批判、(3)その理論からの帰結に対する批判に分けられる。我々は、ヘーゲルの国家契約説に対する批判をこの3つに分けて整理してみよう。

                  

(1)国家契約説の理論的整合性に対する批判。


(イ)ヘーゲルは、多数決主義を次のように批判する。
「全ての者が同じことを意欲するという必然性はなく、小数が多数に服従するという拘束性もない。むしろ各人はーー各人は個別的な積極的意志として措定され、承認されているからーー逃げ去り、他者達と他の事について同意する権利を持つ。
」(Real Phisosophie II,PhB版,245)
「この原則からは当然、全ての者が一致する場合でなければ、どんな法律も効力をもちえないという結論が生まれる。これから早速、小数は、多数に譲歩しなければならないという規定、原理が出てくる。従って、多数が決定権を持つことになる。けれども、ルソーも既に言っているように、こうなると小数の意志はもはや省みられないから、自由はもはやないことになる。ポーランドの議会では各議員はことごとく同意を与えることが必要であった。そこで、このような自由のために、国家は滅亡したのであった。」(「歴史哲学」HW,Bd12,S.61)
 (ロ)ホッブズの契約説は、契約の成立が、それを保証する権力の存在を前提するという循環に陥る。ヘーゲルはおそらくこのような循環にきづいていたと思われる。彼は、国家権力と交換契約の相互依存関係を次のように指摘しているからである。「交換ないし一般的に言って所有の他者への譲渡が観念的になっているところでは、この観念性は、国家の権力全体がそれに依存することによって、実在的に措定される。」(SdS、66)ホッブズの契約論が循環に陥る理由の一つは、「信約」の規定にある(上野氏の論文参照)。ヘーゲルは、ホッブズのその信約概念を直接には批判していないが、それと同じフィヒテの主張を次のように批判している。
「フィヒテはかつて次のような主張を立てた。すなわち、契約を守る責務は私にとってはただ、相手の開始する給付とともに初めて始まる。なぜなら、私は相手の給付以前には、相手が自分で言った言葉がはたして本気であったかどうかに関しては不知の状態にあるからである。それ故、相手の給付に先立っての私の責務は道徳的な性質のものでしかなく、法的性質のものではないのである。
 しかしながら、約定(Stipulation)として表明は、表明一般ではなくて、成立した共通の意志を含んでおり、意向とその変更との恣意はこの共通の意志の内に止揚されたのである。・・・
フィヒテの見解では、契約の法的なものはどうやら、悪しき無限、はてしない過程のうえに立てられており、時間、行為の質料、などの無限な分割可能性の上に立てられていることになる。このことによってフィヒテの見解はたちまちその無効性を示すのである。」(§79)
 ヘーゲルがここでいう約定とは、契約における合意を身振りや行為や言葉で表現することである(§78)。そしてこの約定によって、直ちに責務が生じると考える。「私は約定によって、直接に、給付の義務を法的に負わされているのである。」(§79)しかし、このことは、ヘーゲルが、国家契約が成立すれば、直ちに責務が生じる、と考えるということを意味するのではない。なぜなら、この約定についての議論は、国家状態を想定したものだからである。ヘーゲルは、国家のない自然状態での契約については論じていない。
「契約は、契約にはいるものが互いに人格および所有者として承認し合うことを前提する。」(§70、追加)後に述べるように、相互承認の成立は国家の成立であるから、契約は常に国家の成立を前提することになるのである。
 国家状態でならば約定に履行の責務があるというのは、ホッブズの考えでもある。ヘーゲルがここで論じているフィヒテの契約論が、国家状態を想定しているのかどうか、を確認しなければ、このフィヒテ批判が正しいかどうかは判定できない。
 (ところで、フィヒテも契約が承認を前提すると考える。このフィヒテが承認によって国家の成立を説くことができないのは、彼のいう承認が単なる個人間の承認関係であって、民族を媒介にした承認、ないし民族精神を形成する承認ではないからである。)

                      

(2)国家契約説の前提に対する批判


(イ)自然状態での権利の批判
 ホッブズは、契約を権利の相互的な譲渡と定義する。この様に定義される契約によって国家を設立するには、人は自然状態で何等かの権利を持っていなければならない。カントも同様の主張をしている。「もし自然状態においては、暫定的にすらも外的な私のもの・汝のものが存在しないとすれば、このものに関する何等の法義務も存在せず、従ってまた自然状態を脱却せよという何等の命令も存在しないことになるだろう。」(「法論の形而上学的基礎論」§44)カントは自然状態は、不正の状態ではなく、無法状態であると言う(§44)。フィヒテも、ホッブズの自然権に当たる根源権を想定している。
 これに対して、ヘーゲルは人間が自然状態で権利を持つことを認めない。「自然状態」とよばれる関係における「諸個人の唯一の関係は、この関係を廃棄することである。この関係においては、諸個人は互いに対して如何なる権利も義務も持たない。」(GW,VI,214) 権利は相互承認によって成立すると見なされる。
(ロ)自然状態における自由の想定の批判
 ホッブズは、自然権を「各人が自分自身の自然すなわち生命を維持するために、自分の力を自分が欲するように用いうるよう各人が持っている自由」と定義する。ルソーもまた、社会的自由と区別しはするが、自然状態における自然的自由を認めている。この様な自然状態における自由の想定をヘーゲルは批判している。
 ヘーゲルは、「自然」概念の二義性を指摘する。「人間が自然のままに、本性上、生まれながらに自由であるということは、人間が概念上、しかしまさにその点でたんに人間という規定の上で、即ちただ即自的に自由であると言う意味では、全く正しい。ある対象の本性、自然性とは要するに、その対象の概念というのと同じ意味である。{これは、アリストテレスの自然概念の影響である。}だが、それは同時にまた、人間がその単に自然的な直接的存在のままにあるという意味にもとられるのであって、この意味がいまいう自由の概念の中に取り入れられているのである。」(「歴史哲学」58f)
 ヘーゲルはこの様にいわば<概念としての自然>と<直接性としての自然>を区別する。そして、契約論者は<直接性としての自然>の意味で自然状態を論じていると見なし、その様な自然状態において、人間が自由を享受していたという仮定は、証明できないと言う。
「この{後者の}意味で、一般に人間が自然的な権利を所有していて、その自由を無制限に行使し、また享受していたと考えられる自然的状態が仮定される。だが、この仮定をすぐに歴史的事実とみるのは正当ではない。また、この仮定を真正面からとって、このような状態が現在も存在しているとか、或は過去の何処かに存在したとかいうことを証明しようとしても、それは難しい。野蛮の状態をその証拠に挙げてみても、それは、野生のままの情熱、乱暴な行動の情熱に結び付いたもので、従ってそれがいかに未発達のものであったにせよ、それはそれとしてそのままいわゆる自由の制限であるところの、社会的な色々の機構に結び付いているものであることは明らかである。それで、いまいう仮定は理論の生みだした空虚な構想の一つにすぎず、理論から生まれてくる一つの必然的な観念にほかならない。理論はこの観念をすぐに存在にすり替えるが、しかしそれはちっとも歴史的に立証せられているわけではない。」(「歴史哲学」58f)
 更に、ヘーゲルはこの仮定が証明不可能なけではなくて、誤りであることを主張する。自然状態は不法の状態であり、社会と国家が、無神経な感情や自然的衝動や放縦を制限することによって、自由が成立すると主張する。法は、自由を制限するものではなくて、自由と本質的に同一なのである。
「このように自然状態というものは、現実の存在のなかでも経験的に見いだされるものであるが、それはまた概念上でも存在するものである。しかし、直接的なもの、自然的なものの観念性としての自由というものは、直接的なもの、自然的なものとしてそのまま存在するものではなくて、むしろ獲得されねばならないものなのである。それも、知識と意欲との訓練の無限の媒介を通じて、獲得されねばならないものである。だから、この点からいえば、自然状態はかえって不法の状態であり、暴力の状態であり、非人間的行為と感情との放縦な自然的衝動の状態に過ぎない。確かに、社会と国家とによる制限ということも言いうる。しかし、それこそむしろ、こういうような無神経な感情と野生の衝動との制限であると共に、またさらに恣意と情熱との意識的な放縦に対する制限でもある。だから、この制限こそ、真実に、即ち理性的に、或はその概念に即して自由であるような自由の意識と意欲とを生み出すための媒介の役を勤めるものである。法と人倫は、概念上は自由と元々一つのものである。二つは即かつ対自的に本質性であり、普遍的な対象であり、また普遍的な目的である。」(「歴史哲学」58f)

                    

(3)国家契約説からの帰結に対する批判


 契約論によって成立する国家は、彼の契約観に基づいて一定の性格を持つことになる。「法哲学」§75で、契約の性格が3点述べられている。(a)契約は恣意から出発する。(b)契約によって、現存在することになる同一な意志は、共通な意志(gemeinsamer Wille)でしかなく、即且対自的に普遍的な意志(allgemeiner Wille)ではない。(c)契約の対象は、ある個別の外面的な物件である。なぜなら、ただその様な物件だけが、それを手放そうとする双方の側のたんなる恣意に従わされているからである。これらの中の(b)と(c)は、(a)に基づいていると言える。
(イ)(a)ゆえに契約によってできる国家は、恣意による偶然的なものになる。
(ロ)(b)ゆえに契約による国家では、政治の安定が望めない。
(ハ)(c)ゆえに国家は個人の目的の手段になってしまう。
(イ)を批判して、ヘーゲルは国家を必然的なものと考える。
「国家に入るとか国家を去るとかは個々人の恣意によることではなく、それゆえ国家は、恣意を前提とする契約に基づくものではない。国家を創設することは万人の恣意似もとづくことであるかどと言うのは間違いである。かえってむしろ、何人にとっても、国家の内にあるということは絶対的に必然なのである。」(§75追加)「人間の理性的な規定は、国家の内に生きることである。どんな国家もまた現に存在していないとすれば、国家の創設されることをもとめる理性の要求が現に存在している」(§75追加)
 (ホッブズでは、確かに国家設立は偶然的である。フィヒテでも国家の設立は偶然的である。ロック、ルソーではどうだろうか。カントの契約論では、国家はけっして偶然的なものではなく、必然的なものである。これは、カントとヘーゲルの契約論の差異に基づくのであろうか。)
(ロ)を批判して、ヘーゲルは君主論をとる。
この批判では、ルソーの共和制、「一般意志」が念頭におかれている。ヘーゲルは、共和制では、政治の安定は望めないと考える。ヘーゲルがこういうとき、フランス革命後の混乱が念頭にある(「歴史哲学」参照)。
「人民だけが、理性と洞察を持ち、正義を知っているとするのは、危険な、誤った前提である。と言うのは、どの正当も皆人民の代表であるわけだが、国家組織の本質の問題は、高度の知性の論議すべき問題であって、必ずしも人民に委ねられるべき事柄ではないからである。
 もし個別的な意志の原理が国家の自由の唯一の規定または原理としてその根底におかれて、国家によって、また国家のために行われる全ての事柄に対して、全ての個人の同意が必要だと言うことになれば、本当に憲法というものはないことになる。」(「歴史哲学」HW,Bd12,S.61)
 「我々が人類史について知って以来はじめての、途方もない光景をひきおこしたのであった。」(「法哲学」§258)「否定的な自由が欲すると思っているものは、それ自身すでに抽象的な表象でしかありえず、これの現実化は、破壊の凶暴でしかありえないのである。」(『法哲学』§5)「人々の頭の中と現実の内にもろもろのおそるべき現象を作りだした。」(『法哲学』§29)
  {ここでの革命のテロルに対する批判的発言は、コジェーヴ解釈におけるテ   ロルの顕彰と矛盾しないのだろうか。}

 ホッブズは、契約論をとるが共和制を採らない。その理由は、ヘーゲルと同じく彼も、政治の安定を重要視するからである。共和制では、政治の安定は望めないという考えは、ヘーゲルとホッブズに共通である。但し、両者の君主論の内容はことなる。
(ハ)を批判して、ヘーゲルは国家自体が目的であると考える。
「近代における国家の偉大な進歩は、国家がどこまでも即かつ対自的な目的であって、何びとも国家への関係においては中世のように自分の私的な約定に従ったやり方をすることは許されない、と言う点である。」(「法哲学」§75 追加)「近代における国家理念の特色は、国家を主観的意向に基づくのではなくて意志の概念、即ち意志の普遍性と神性に基づく自由の実現態とするところにある。不完全な国家とは、国家の理念がまだ覆い隠されていて、この理念の特殊的規定が自由な自立性に達していない国家のことである。古典古代の諸国家では、確かに普遍性は既に見い出されるが、しかし個人的特殊性はまだ解き放たれて、自由にされてはいず、したがって普遍性へ、即ち全体の普遍的目的へ連れ戻されていなかった。」(「法哲学」260節、追加)
 確かに、ホッブズ、ルソーにとって国家は、個人の目的のための手段である。カントにとっても、おそらく国家は個人(=目的)の手段であると言えるだろう。フィヒテは、ヘーゲルと同じく必要国家と理性国家を区別し、必要国家は理性国家の実現のための手段であると考える。

                         

第二章 ヘーゲルの国家承認論

 ヘーゲルの契約論批判の(1)と(2)は承認論に基づいており、(3)は彼の民族国家論に基づいている。この承認論と民族国家論は密接に関係している。彼は、<民族が人倫的実体であり、個人より先のもの、第一のものであること>を相互承認論によって論証しようとしていると言えると思うので、我々はまず彼の承認論を検討したい。
   

(1)自然状態における生死を賭けた闘い

 ヘーゲルが承認論を社会哲学の構成原理にするのは、「実在哲学I」(1803/04)からである。自分の総体性を意識した個人(独我論的な個人)は、必然的に互いに相手の総体性を否定し合い、命を賭けて戦うことになる。しかし互いに相手のの総体性を承認することは、矛盾する。「諸個別者のこのような承認は、それ自身において絶対的矛盾である。承認とは、他の意識の中に総体性としての意識が存在していることである。しかしこのことが現実になると、他の意識が廃棄される。それによって、承認自身が廃棄される。承認は実現されない。むしろそれは、それが存在することによって、存在することを止める。」(GW,VI,312) 
 しかしここで彼は、相互承認が、民族精神として民族精神を中辞として成立するという解決策を(後の叙述とはちがって)直ちに呈示する。承認し合う者は、個別者としてではなく、自分の個別性を自己否定し全体へと自己放棄した者、普遍として、互いに承認し合うのである。自分の個別性を自己否定し、全体へと自己放棄するというとき、いまだ民族精神ではないこの全体とは、いわば即自的な民族である。即自的な民族は、相互承認によって民族精神となることによって、国家になるのである。
 「実在哲学II」(1805/06)では、ヘーゲルは、承認の運動によって、自然状態が廃棄され、国家が設立されると述べている。「人間は必然的に承認され、必然的に承認する。・・・承認するものとして、彼自身は運動であり、この運動は彼の自然状態を廃棄する。」(GW,VI,215)
 「エンチクロペディー」では、承認のための闘いは、自然状態に於て生じると述べている。「承認のための闘いは、人間達が個別者としてのみ存在している自然状態の中にのみ生じ得る。これに対して、それは市民社会や国家とは縁遠い。なぜなら、そこでは、この闘いの成果をなすもの、即ち承認されている状態が、既に現前しているからである。というのは、国家は暴力によって生じ得るにも関わらず、国家は暴力に基づいて安定することは出来ないからである。暴力は、国家の出現において、即且対自的に正当なもの、諸法律、体制を存在せしめただけである。国家の中では、民族の精神、習俗、法が、支配的なものである。」(Enzy、§432、追加)
{市民社会や国家において、「承認されている状態」が現前しているとあるが、支配と隷属の関係も国家状態であるから、ここでの「承認されている状態」には、相互承認だけでなく、一面的な承認関係も含めて考えなければならない。}

                         

(2)主奴関係は国家の起源

 承認のための生死を賭けた闘いは、一方ないし両方の死に到るが、これによっては承認は成立せず、承認を求める運動は「より高い矛盾」に陥ることになる(この理解は、「実在哲学II」以来変わらない)。従って、さしあたり生じるのは、主人と奴隷の関係、支配と隷属の関係である。(この関係がいかにして生じるかは、様々の説明がなされる。「人倫の体系」(1801/2)では、「生の不平等な力」に基づく(SdS,33)と言われているが、しかし暴力だけでは充分条件ではなく、暴力がかかる差異をうみだすためには外の条件が必要である。その条件とは、自分の本質についての一定の理解である。「実在哲学II」では、「精神現象学」以後では、自分の本質を何と考えるかの違いに基づく。)
 ヘーゲルは、国家の起源をこのような主奴関係にみるが、そのことは「エンチクロペディー」で次のように明言されている。「承認の闘いと主人のもとへの隷属は、国家の始まりとしての人間達の共同生活がそこから出現するところの現象である。この現象の根拠である暴力は、法の根拠ではない。それにも関わらず、この暴力は、欲望と個別性の中へ沈み込んだ自己意識という状態から、普遍的自己意識という状態への移行の必然的で正当な契機である。これは、国家の外面的或は現象的な始源であるが、実体的な原理ではない。」(Enzy,§433)国家の実体的な原理とは、承認関係であると思われる。この様な暴力の必然性について、彼は次のようにも述べている。「隷属と暴君政治(Tyrannei)は、諸民族の歴史において必然的な段階、従ってつまり正当なものである。」(Enzy,§435追加) ここでは、暴君政治の例として、古代ギリシャのソロンのペイシストラトスが述べられている。
(参照、「諸国家の起源の一部をなすところの、英雄達や冒険的な騎士たちなどの復讐遂行は、私的復讐とは違ったものである。」(『法哲学』§102)「国家においてはもはやどんな英雄も存在し得ない。英雄達はただ無教育の状態においてのみ出現する。彼らの目的は正当な、必然的な、国家的なものであり、そしてこれを彼らは自分達の事柄として実行する。諸国家を打ち立て、婚姻と農業を導きいれた英雄たちは、もちろんこのことを承認された権利として行ったのではないのであって、これらの行為はまだ彼らの特別な意志として現れる。けれども、英雄達のこうした強制は、自然性にたいする理念のもっと高い権利として、一つの正当な強制である。なぜなら、自然の強力に対しては、平和的手段ではほとんど成功しないものだからである。」(『法哲学』§93))

 ヘーゲルが自然状態を不正なものと考えることは前に述べたが、この主奴関係は既に国家状態であり、如何なる不正でもない。その理由は次の通りである。「奴隷に留まる者達にとって、如何なる絶対的不正も起こっていない。なぜなら、自由の獲得のために、命を賭ける勇気を持たない者は、奴隷であるに値するからである。これに対して、ある民族が自由であろうと単に想像するだけではなく、現実に自由の情熱的な意志を持つときには、如何なる人間的暴力もその民族を単に受動的に支配される隷属の中にとどめておくことは出来ない。」(Enzy,§435追加)
 (当然、我々はこの様な主張をイデオロギー論の立場から批判しなければならない。ある民族が自由に気付かないと言うことは、彼らのイデオロギーが経済的下部構造などによって社会的に規定されているからに他ならないのであって、彼らの認識能力の欠如のせい(?)ではないからである。)
 「実在哲学II」では国家の起源について次のように述べられている。「各人は、即自的には普遍意志である」が、普遍意志を承認していない。「しかし普遍意志は即自(Ansich)であり、現に存在している。普遍意志は彼らの即自である、即ち彼らを強制する彼らの外的な暴力である。全ての国家は、偉大な人間の崇高な暴力によって設立されており、身体的な力によってではない。というのは、多くの者は一人より身体的に強いからである{これはホッブズの議論と同じである}。偉大な人間は、他の者達が彼らの主人と呼びたくなる何かを彼の特徴の中に持っている。彼らは意志に反して彼に従い、彼らの意志に反して、彼の意志が彼らの意志である。彼らの直接的な純粋な意志が彼の意志である。しかし彼らの意識された意志は他のものである。・・・彼は彼らの神である。このようにして、テー
セウスはアテネ国家を設立し、フランス革命では恐るべき暴力が国家を設立した。
この暴力は専制政治(Despotismus)ではなく、暴君政治(Tyrannei)、純粋なぞっとする支配である。しかし、これが国家をこの現実的個体として構成し維持する限り、これは必然的で正当である。」(RPII,246)ちなみに、ヘーゲルはこの様な意味でマキャベリズムを支持している。
     {この箇所を読む限り、コジェーヴ解釈による革命のテロルの顕揚は正しい 
      ようにおもわれる。}
 このような支配服従関係が成立するためには、生と死を賭けた闘いがなければならないし、それによる人殺しが最初にあった、とヘーゲルは考えているように思われる。「各貴族、各指導者、各都市は自己を至上のものとして主張した。国家を創設する唯一の手段は、これらの主権を抹殺することであった。しかも、彼らが、自己を直接的な個別者として至上のものとして妥当させようとするときには、その粗野に対しては、指導者の死と残りの者にとっての死の恐怖のみが、手段である。」(Real Philosophie II,247) 
                           

(3)相互承認と法状態

 「実在哲学II」と「エンチクロペディー」では、この様な主奴関係は、主として奴隷が教養をつむことを通して、相互承認の関係へと移行する。
 この移行は歴史的には暴君政治から法治国家への移行である。「暴君政治から、現実的個別的な意志の直接的な外化が結果する。つまり従順への教養形成が結果する。普遍的なものをむしろ現実的な意志として知るという、従順へのこの教養によって、暴君政治は余計になり、法律の支配が登場する。暴君が行った暴力は即自的には法律の暴力である。しかし、従順によって、それはもはや疎遠な暴力ではなく、知られた普遍意志である。暴君政治は、それが厭うべきもの、下等なもの等であるから、諸民族によって潰されるが、しかし実際にはそれが余計になったから潰されたのである。暴君の思い出は憎悪されている。」(RPII,247f)ちなみに、ここでは、ロベスピエールが例として挙げられている。
 このようにして強制された法(普遍的なもの)を承認する(内面化する)ことを通して、諸個人は法(普遍的なもの)を承認している者同士として互いに相手を承認することになるのではないだろうか。こうして、個と個との相互承認は、個と普遍の承認関係を媒介にして成立する。
 しかし、厳密には、法は個人間の相互承認を前提している。故に、<法>の承認を媒介にして個人間の相互承認を成立させると言うときには、この<法>は、本来の法ではなく、まだ暴君の命令でしかない。しかしその命令が、即自的には普遍意志であることによってこのことが可能になるのである。
 けだし、この命令が、即自的には普遍意志であるなどとヘーゲルが主張できるのは、あれほど歴史意識の敏感であったヘーゲルが、近代民族のあり方を超歴史的な民族のあり方と取り違えたことに基づいていると言えるのではなかろうか。近代における歴史意識の覚醒は、民族主義の登場を背景にしていた。ある意味でそれは、近代民族の正当化のために呼び覚まされたとも言える。従って、歴史主義が民族の歴史性を問うことは、歴史主義が自らの歴史性を問うことに他ならない。ヘーゲルの民族に対する没歴史的な態度は、彼にとっての必然的な錯誤であったと言えよう。

             

第三章 ヘーゲルの民族概念ないし民族国家論の近代性
(1)アリストテレスとの比較

 ヘーゲルは、個人ではなく民族が第一のもの(das Erste)であることを主張する時、よくアリストテレスを引合いに出す。
「肯定的なものは、本性上、否定的なものより先である。或は、アリストテレスが言うように、民族は本性上個別者より先である。」(「自然法論文」HW,Bd.2,S.505)(これは、Positivitaetの批判とどう関係しているのか。何故、民族が肯定的なもので、個人が否定的なものであるのか。)
「個人の個別性が第一のものではなく、むしろ人倫的自然の生命性、神性が第一のものである。」(Vgl.SdS,63)「個人の意志が原理および要素であるように見えるが、しかし逆に、一般意志が第一のもの、本質である。(欄外に:アリストテレス、全体は本性上、諸部分より先である。)」(Real Philosophie II,245)
 これらの発言は、はたしてアリストテレスの主張と同じ意味で行われているのだろうか。両者の差異をはっきりさせることによって、ヘーゲルの「民族」概念ないし民族国家論の近代性を指摘することが出来るであろう。 
 先ず、アリストテレスの「政治学」の当該箇所を引用しよう。
 「自然には、国は家や我々個々人より先きにある。何故なら全体は部分より先にあるのが必然だからである。例えば、全体としての肉体が壊されると、人が石の手という場合のように、同じ名称で言うのならともかくも、そうでなければ、手も足もないであろう。何故なら手はきかなくされれば、石の手のようなものであるが、しかし全てのものはその働きとその能力によって定義されるものであるから、従ってもはや定義された様なものでないときには、同じものではなく、むしろ同じ名称のものであると言わねばならないからである。だから国が自然にあると言うことも、また各個人より先にあるということもあきらかである。何故なら各個人はもしそれが孤立させられたときに自足的でないとすれば、国に対して、ちょうど部分が全体に対するような関係においてあるからであるからである。そして共同することの出来ないものか、或は、自足しているので共同することを少しも必要としないものは決して国の部分ではない、従って野獣であるかさもなければ神である。」(第二章)
(イ)アリストテレスは「民族は本性上個別者より先である」などとは言っていない。
 彼の言う国は、ポリス(都市国家)であり、民族国家ではない。彼は、民族(εθνοσ)と国家を決して同一視しない。国は、異種的な人間達からできており、民族は同質的な人間達から出来ているという。
「国はただ多数の人間からというばかりではなく、また種類の違った人間から出来ている。なぜなら国は同じ様な人間から出来るのではないのだから、というのは、軍事同盟と国とは別だから。即ち軍事同盟は、たとい種において同一であるにしても、量によって有益なのであって(なぜなら同盟は元来が援助のためにあるのだから)、それはちょうど物を計ってみて重さが多ければ、それだけ有用である場合のようなものであろう。(この様な点で国はまた民族から相違しているであろう。ただし、この民族と言うのはその人口が村村に分かれている場合のものではなくて、例えばアルカディア人たちのような同盟を結んでいる場合のものを言うのである。)しかし一つになって国をなさなければならぬその構成員というのは種の上で異なってるのである。」(II,ii 3)
 また、彼のいう国は民族より小さいものである。
「国も余りに少人数から出来たのでは自足てきではないだろう(しかるに国は自足てきなものである)、また余りに多人数から出来ていたのでは、民族のように、生活に必要なものにおいては自足的であろうけれど、国制を持つのが容易でないから、国ではないだろう。ーー何故なら誰が余りにも過度に多人数のものの将軍となるであろうか。或は、ステントルのような声をもつのでなければ、誰が彼らの伝令となるであろうか。
 ここからして必然に、最初の国は、国的共同体に即した良き生活をするのに自分らだけで足りる人口に初めて達したときの人口の数からなるものだということになる。」(VII,v 11)
(ロ)アリストテレスの国は、個人によって作られるものである。
 「国は、現に我々が見るとうり、いずれもある種の共同体(コイノニアー)である、そして共同体はいずれもある種の善きものを目当てに構成せられたものである(というのは全ての人は善きものであると思われるものののために全ての事を成すからである)。」(第一章)
 これに対して、ヘーゲルは、国家が作られたものであるという考えを次のように否定する。「とにかく文句なしに本質的なことは、国家体制は時間の中で生じたものであるとはいえ、一個の作りものと見なしてはならないということである。というのは、国家体制は、それどころか、全く即かつ対自的に存在するもの、それゆえに神のごとく不易なもの、作られるものの圏を超えたもの、と見なされなくてはならないからである。」(「法哲学」273節、追加)ヘーゲルにとって、国家は、民族が法状態を獲得することによって成立するものであって、いわば、民族が国家になるのである。民族もまた、彼の考えでは、作られるものではないことになる。
(ハ)では、民族国家とポリスを置き換えれば、二人の考えは同じであるかと言えば、そ   うではない。
 もう一つの問題は、アリストテレスにおけるポリスと個人の関係と、ヘーゲルにおける民族と個人の関係の差異である。アリストテレスもヘーゲルも有機体における全体と部分の関係を比喩に使う。そこで、両者の有機体論の差異が問題となる。
 アリストテレスは、部分は全体が壊れると「働きと能力」が変化するから、もはや同じものではなく、それ故に全体が部分より先にあると言う。では、この「先にある」とはどういう意味か。アリストテレスは「先にある」の二つの意味を区別する。彼によれば、生成における順と実体における順は逆である。「ものの生成における順と実体(本質・自然)における順とは逆である。即ち、その生成に於てより後のものは、自然に於てはより先のものであり、生成に於て第一のものは自然においては最終のものである。というのは、例えば家は煉瓦や石のためにあるのではなくて、これらが家のためにあるのであり、その他の質料についても同様だから。・・・そこで、時間の順では、質料と生成が必然的に先であるが、説明方式に老いては実体即ち個々の事物の形式(形態・形相)の方が先であらねばならない。このことは、誰でも事物の生成についてその説明方式(定義)を言ってみれば、明らかである。例えば、建築(家造り、家の生成)の説明方式には家のそれが含まれるが、家の説明方式には、建築のそれは含まれない。そしてこのことは、その他の生成についても同様である。」(「動物部分論」645a12ーb19、 出隆著「アリストテレス哲学入門」231)
 アリストテレスでは、国は自然においては個人より先であるが、生成においては、個人(家や村も)が国より先であることになる。しかし、ヘーゲルでは生成においても民族が個人よりも先であると考えられているのではないだろうか。

                        

付論1、ヘーゲルの国家起源論
1、ヘーゲルに、国家の起源論はない。

 『法哲学要綱』(1821)おいて彼は次のように述べている。「国家一般のあるいはむしろ各々の特殊な国家やその諸権利や諸規定の歴史的起源がどのようなものであるか、或はどのようなものであったか、国家が最初は家父長的関係から生じたのか、恐怖ないし信頼から生じたのか、職業団体などから生じたのか、・・・・・これらのことは、国家の理念には関係なく、むしろここで語られている学問的認識との関係では、現象としての歴史的事柄である。」(§258)
 彼は、ここでは、国家の理念のみを扱い、歴史的事柄については論じないという。では、彼は、国家の歴史的起源、歴史的事柄を哲学体系の中の何処で扱うのであろうか。『歴史哲学』の中であろうか。しかし、『歴史哲学』においても、国家の歴史的起源は論じられない筈である。なぜなら、「歴史哲学」は、実は、彼の哲学体系の中では、「客観的精神」の中につまり「法哲学」の中に属するからである。(このことは、ニュルンベルガー・エンチクロペディー(1808ff.)以来のことである(vgl.HW.Bd.12、S.561ff)。)
 また「法哲学」で、彼は、国家の起源は歴史以前のことであると次のように述べている。「普通の考え方でも、家父長的状態は国家体制とは呼ばれないし、こういう状態の民族も国家とは呼ばれず、その自主性も主権とは呼ばれない。だから私心のないぼんやりした無垢の状態も、承認を求めての形式的闘争の勇気や復讐の勇気も、現実的な歴史が始まる前のことである。」(349節、追加)そうすると、歴史哲学の中でも、国家の起源は述べられないことになる。彼の言う歴史とは、国家史であると言っても過言ではないだろう。「歴史哲学」では、「世界史に於て問題に成りうるのは、ただ国家を形成した民族だけである。」(56)と述べられている。確かに、国家形成についての叙述もあるが、それは非常に簡単なものである。

              

2、『法哲学』における国家の歴史的起源についての叙述

「堅固な所有権の創始は、国家創設の伝説に於て、或は少なくとも共同生活創設の伝説においては、婚姻の創始と結び付いて現れる。」(179節)
「国家の本来の始まりと最初の建設が、婚姻制の創始と並んで農業の創始にあるとせられたのは、当然のことである。{この立場では、「実在哲学」のIやIIにおけるように、承認のための闘い以前に家族について語ることはもはや出来ない。入江}なぜなら、農業の原理は、土地の形成と共に排他的私的所有を伴うものであり、あてどなくさまよいながら生活の資をさがす野蛮人の流浪生活を、私法による平穏な状態と欲求満足の保証された状態へと導くからである。そしてまたこれによって性愛が婚姻へと制限され、それによってこのきづなが、それ自身のうちで普遍的な持続的結合へ拡大され、欲求が家族に対する配慮へ、占有が家族財へと拡大されるからである。
 これを示す資料としては、私の非常に尊敬している友人クロイツアー氏の、学識と才気に富んだ解明以上に興味あるものはあるまい。同士は、この解明を、とくに『神話と象徴』の第四巻において、我々に示してくれた。」(203節)
(訳注、G・F・クロイツアー(1771ー1858)は、ハイデルベルグ大学教授で、古代学者。ヘーゲルはハイデルベルグ時代、同教授と親交を結んだ。ハイデルベルグ的ロマンティークの精神で書かれた彼の『古代諸国家、ギリシャ人の神話と象徴』(4巻、1810ー1812)は、シェリング、ヘーゲル、バッハオーフェンによって重要視された。)
「国家は、現実的なものとしては、本質的に個体的国家であり、それ以上に出てもまだ、特殊的国家である。個体性は、特殊性とは区別されねばならない。すなわち、個体性は、国家そのものの理念の契機であるが、特殊性は歴史に属するのである。」(259節、追加)

「近代における国家理念の特色は、国家を主観的意向に基づくのではなくて意志の概念、即ち意志の普遍性と神性に基づく自由の実現態とするところにある。不完全な国家とは、国家の理念がまだ覆い隠されていて、この理念の特殊的規定が自由な自立性に達していない国家のことである。古典古代の諸国家では、確かに普遍性は既に見い出されるが、しかし個人的特殊性はまだ解き放たれて、自由にされてはいず、したがって普遍性へ、即ち全体の普遍的目的へ連れ戻されていなかった。」(260節、追加)
「家族は、感受性に、市民社会は反応性に、国家は、有機的に組織された神経組織に対応する。」(263節、追加)この時、有機態全体は民族か。
「とにかく文句なしに本質的なことは、国家体制は時間の中で生じたものであるとはいえ、一個の作りものと見なしてはならないということである。というのは、国家体制は、それどころか、全く即かつ対自的に存在するもの、それゆえに神のごとく不易なもの、作られるものの圏を超えたもの、と見なされなくてはならないからである。」(273節、追加)
ヘーゲルは、近代国家を個人が国家を「おのれ自身の実体的精神として承認し、そして己の究極目的としてのこの普遍的なもののために働くということにある。」(『法哲学』§260)と考える。
「民族は最初の内は、まだ国家ではない。家族、遊牧民の群れ、部族、多数の衆などの、国家状態への移行は、理念一般が形式を備えたものとして民族の内で実現されることである。この形式がなければ、民族は倫理的実体ではあるが、即自的にそうであるに過ぎず、客観性を欠いている。客観性を欠くということは、思惟された諸規定性としての法律を備えることによって自己に対しても他民族に対しても、普遍的かつ普遍妥当的な現存在を持つということがないことであるから、そういう民族は、承認されない。従ってその民族の独立性も、客観的な法律状態と対自的に堅固な理性的状態を欠くものとして、ただ形だけのものであって、主権ではない。」(349節、追加)
 「普通の考え方でも、家父長的状態は国家体制とは呼ばれないし、こういう状態の民族も国家とは呼ばれず、その自主性も主権とは呼ばれない。だから私心のないぼんやりした無垢の状態も、承認を求めての形式的闘争の勇気や復讐の勇気も、現実的な歴史が始まる前のことである。」(349節、追加)

             

3、『歴史哲学』における国家の歴史的起源についての叙述

 ヘーゲルは、世界史を自由の実現の歴史と捉え、アジアにおいては、一人の専制君主が自由であることを知っているにすぎず、ギリシャ・ローマ時代においては、小数の貴族が自由であることを知っているに過ぎず、「ゲルマン諸国民に至って初めて、キリスト教のおかげで、人間が人間として自由であり、精神の自由が人間のもっとも固有の本性を成すものであるという意識に達した。」(B12、S.31)これは、西洋中心史観の代表的なものとして批判されています。これは、東洋人からみて、極めて歪曲された理解です。しかし、東洋以上に軽ろんじられている地域があります。それは、アフリカです。彼は『歴史哲学』の本論をアジアから書き始めますが、アフリカは本論には出てきません。その理由を彼は、「序論」で次のように述べています。「アフリカは、歴史的世界には属しない。アフリカには、運動と発展は見いだされない。」(s.129『歴史哲学』岩波文庫、上巻210頁)これは、アフリカの民族は、国家を作らなかったということです。「世界史に於て問題に成りうるのは、ただ国家を形成した民族だけである。」(56)と彼が言うとき、アフリカの民族の排除が念頭にあるのです。