後期第10回(第22回)講義    § 番外編



          <ソーカル事件>
    :参考文献:                
     1、金森修「サイエンス・ウォーズ」『現代思想』1998.7
     2、金森修「サイエンス・ウォーズ(承前)」『現代思想』1998.8
     3、村上陽一郎、野家啓一、対談「サイエンス・ウォーズ」
          『現代思想 特集 サイエンス・ウォーズ』1998.11

<事件の経緯>
 ポールグロスという生物学者とノーマン・レヴィットという数学者が1994年に共著『高次の迷信』によって、クーンに始まる「新科学哲学による総体主義的認識論と、ポストマートン期の一連の科学社会学的潮流の数々」(1ー19)を批判した。
 「後者は、前者の仕事を重要な震感源にしながら、科学が扱う対象の素朴実在論的措定を拒み、科学的知識なるものは結局のところ、実在自体の正確な写像というよりは、社会が与える一連の文化的装置のなかではじめて形姿を整えられる媒介的構成物にすぎないと考えた。」(1ー19)
 その代表的な仕事には、次のようなものがある。
   バーンズ『科学的知識と社会学的理論』1994
   メンデアルスゾーン他編『科学的知識の社会的生産』1977
   バーンズ他編『自然の秩序』1979
「さて、ポストマートン期の科学社会学はその後、クーンやファイアーアーベントなどの新科学哲学以外にも、フーコーの権力論、ガーフィンケルのエスノメソドロジーなどの理論的援護を受けながら、社会構成主義、ストロングプログラム、科学人類学、アクターネットワーク理論、科学政治学、科学の修辞論、科学の社会的イメージ論、器具・装置論、言説分析、実践としての科学論、STS、社会的認識論、モード論など、もっとも有名なものだけをあげても十指に余る多くの潮流を生み出してゆく。」(1ー20)

 『高次の迷信』に対する批判として、カルチュラル・スタディーズの雑誌『ソーシアル・テクスト』は、「サイエンス・ウォーズ」特集号を組んで1996年春に発行した。ところがである。この中にはまさにトロイの木馬が仕組まれていた。
 それは、特集号に掲載されていたソーカルの論文であった。ニューヨーク大学の物理学者アラン・ソーカル Alan.D.Sokalは、「境界を侵犯すること:量子重力論の変換的解釈学に向けて」を投稿し、それはレフェリーをとおって掲載されていたのである。しかし、その論文は、カルチュラルスタディーズの科学批判が、学問の名に値しないいい加減なものであることを証明するために、量子力学に関してカルチュラルスタディーズ風の科学批判を展開して見せたパロディー論文だったのである。
 しかも、ソーカルは、「サイエンス・ウォーズ」特集号の発売におくれること約3週間、1996年4月中旬に発売された雑誌『リングア・フランカ』にのせた論文「物理学者がカルチュラル・スタディーズで実験する」で、この事実を暴露したのである。
 『リングア・フランカ』のその次の号には、『ソーシャル・テクスト』の編集委員会を代表してロビンズとロスの回答が掲載された。
 その後も、この論争は継続している。
上の金森氏の論文などを読んでこの事件についての感想を箇条書きすれば、つぎのようになる。
   ・学術雑誌の審査における信頼関係を傷つけた。
   ・カルチュラル・スタディーズには、明らかにいい加減なものがある。
   ・ラカン、デリダ、ガタリ、ドゥルーズなどによる数学的概念、科学的概念の使用は、
    全くデタラメである。
   ・これはカルチャー・ウォーズの第二段階である。

今日の科学論は、科学史、科学哲学、科学社会学の3分野に分けることができるようだが、科学社会学は、科学哲学のパラダイム論を受けて、科学理論の妥当性を、社会的な要因で説明しようとする傾向が強くなっているようだ。これに対して、ソーカルなどの科学者グループは、客観の実在性を素朴に主張し、科学がこれに依拠することを素朴に主張しているように思われる。従って、この問題の最終的な決着は、やはり科学哲学の領域でつけられることになるだろう。
 そこで次に、簡単に実証主義の科学論から新科学哲学への移行を解説しておきたい。


     <実証主義の科学観 カルナップの論理実証主義>

   参考文献 
   カルナップ「科学の統一の論理的基礎づけ」(1938)
                 『カルナップ哲学論集』紀伊国屋書店
   エイヤー『言語、真理、論理』岩波書店
   イアン・ハッキング『言語はなぜ哲学の問題になるのか』勁草書房


1、科学の統一プログラム

 自然科学が、当然のことながら真の理論体系を目指す以上は、専門分化した諸科学の統一が要求されることになろう。現在のところ、諸科学を統一する試みとしては、物理主義と、一般システム論の二つの立場がある。

(1)論理実証主義による物理主義
 物理主義(Physikalismus)を哲学的に基礎づけようとしたのは、論理実証主義である。
カルナップによれば、
  形式科学――論理学
      ――数学
  経験科学――物理学(化学、鉱物学、天文学、地質学、気象学などを含む)
――生物学(広義) ――生物学
    ――心理学および社会科学

物ー言語 = 前科学的言語と物理言語との共通の部分
物理言語 = 論理ー数学的用語と物理学的用語
生物学的言語 = 論理ー数学的用語と物理学的用語と生物学的用語 41


カルナップは、<物ー言語による科学の言語の統一>を意図した。
 物ー言語 = 前科学的言語と物理言語との共通の部分
     ――「観察可能な物ー述語」:重い、軽い、赤、青、大きい、小さい、                   厚い、薄い、・・・
     ――「傾性述語」:一定の条件のもとでの一定の行動に対する事物の傾              性を表現するような用語
       :弾性の、溶解性の、柔軟な、透明な、もろい、可塑             的な、・・・
・傾性述語は、観察可能な物ー述語に還元可能である。46
・「さらに、定義と(条件的な)還元を反復適用することによって、物ー言語の他  の全ての用語を導入することが出来る」46
つまり、物-言語は、最終的には全て「観察可能な物-述語」に還元されるということである。還元とは、次のような定義による言い換えである。
還元言明は、
 単純な(すなわち明示的な)定義 「・・・=・・・」
 条件的定義 「もし・・・ならば:・・・=・・・」
のどちらかである。44


つぎに、物理言語、生物学言語、心理学的言語もそれぞれ物-言語に還元可能である。
・「物理言語の全ての用語が、物ー言語の用語、したがって最終的には観察可能な 物ー述語に還元可能だということである。」46
・生物学的言語も、観察可能な物ー述語に還元可能である。「なぜならば、具体的 な場合における当の用語の確定は、最終的には具体的な事物の観察、すなわち 物ー言語で定式化された観察言明にもとづいていなければならないからである。」 47
・「心理学的言語の任意の用語に対して行動論的な確定方法が存在する。したが って、このような用語は、すべて物ー言語の用語に還元可能である。」51
・結論
「観察可能な物ー述語のクラスは、日常言語の中の認識にかかわる部分を含めて、 科学の言語の全体に対する十分な還元基だということである。」52

・カルナップは、全ての科学法則を物理法則に還元できるとは主張していないが、それを科学の目的だと考えている。「いまのところ法則の統一というものはない。科学全体の諸法則の一つの同質的な体系を構成することが将来の科学の発展に対する一つの目的である。この目的が到達不可能だということは示せない。」53

・還元主義と公理体系
論理実証主義は、全ての科学的な命題(全ての有意味な命題)を論理学や数学などの分析的に真である命題と観察可能な命題に還元しようとする。
真なる命題の全体集合を、その部分集合である小数の真なる命題から導出・演繹するという点において、還元主義と公理体系は同じである。
 しかし、論理実証主義のプログラムは、破綻した。その理由は、還元が不可能であったということである。
(1)物理法則や生物法則などの全称命題の、物ー言語への還元が不可能であった。
(2)傾性語の観察可能な物ー述語への還元が不可能であった。
      (グッドマン『事実・虚構・予言』勁草書房)
それを次により詳しくみよう。

2、論理実証主義の検証理論
 カルナップ(1891ー1954)は言明を3つに分ける。
  1、論理的恒真式と恒偽式 論理学と数学
  2、事実式の中で経験的に検証可能なもの 科学的言明
  3、事実式の中で経験的に検証不可能なもの   形而上学的言明         これは無意味であり、従って真でも偽でもない。

*「完全検証可能性」の定義
 「ある命題が検証可能であるとは、その命題が観察命題の集合から論理的に演繹可能であるということである」

*「完全検証可能性」という規準の欠点
欠点1:普遍的言明(例えば「すべてのスワンは白い」)は検証不可能であるか    ら、ほとんどの科学理論は無意味なものになってしまう。
欠点2:「黒いスワンが存在する」は検証可能であるので、有意味である。しか    し、その否定の全称文「すべてのスワンは黒くない」は検証不可能であ    るので、無意味である。つまり、有意味な文の否定が、無意味であるこ    とになる。これは、ある文が真または偽であるならば、その否定は偽ま    たは真であると言う、基本的な論理的原理に矛盾する。

*「部分検証可能性」の定義(エイヤーによる)
「ある命題が検証可能であるとは、その命題に他のいくつかの前提を結び付けると、それらの前提のみからは演繹されないようないくつかの経験命題が演繹される、ということである。」

*「部分検証可能性」という規準の欠点
欠点1:バーリンの批判
  「この論理学の問題は明るい緑色である。
   私はあらゆる種類の緑色が嫌いである。
   それゆえに、私はこの問題が嫌いである。
私はここで、妥当な三段論法をおこなっている。この大前提は弱い意味での検証可能性の定義にかなっており、また論理学と文法の規則にのっとっている。しかし、この推論はあきらかに無意味である」(イアン・ハッキング『言語はな題になるのか』けい草書房、160)
 この大前提はあきらかに無意味であるが、エイヤーの規準では、これが検証可能で有意味であることになる。
 しかし、エイヤー自身もまた、『言語、真理、論理』の第二版で、この基準はどんな文に対しても経験的意味を与えることになる、と自己批判している。例えば、sが「絶対者は完全である」と言う文であるとすれば、補助仮説として、「絶対者が完全であるならば、この林檎は赤い」と言う文を選べば、「このリンゴは赤い」という観察文が演えきされ得るようにするのに十分である。(参照
「意味の経験論的基準における問題と変遷」(Carl G. Hempel cf.6))

*「間接的に検証可能」の定義(エイヤーの二度目の試み)
「私は次のように言うことを提唱する。
 一つの言明は、それがそれ自身一つの観察言明であるか、あるいはそれと一つまたは複数の観察言明とから、後者の観察言明のみによっては演繹されないような観察言明が含意されるときには、直接的に検証可能であると言われる。
 そして、一つの言明は、次のような二つの条件をみたすときには、間接的に検証可能であると言われる。すなわち、第一に、その言明といくつかの前提によって、それらの前提のみによって演繹されないような、一つまたは複数の直接的に検証可能な言明を含意するということ。第二に、それらの前提には、分析的でもなく、直接的に検証可能でもなく、また他とは独立に間接的に検証可能であることが確立されるのでもないような言明は、なに一つ含まれていないということ。私は以上の規定によって、いまや分析的ではない、文字どおり有意味な言明がみたすべき条件としての検証原理を、次のように再定式化することができる。すなわち、そのような言明は、上に述べた意味で、直接的あるいは間接に検証可能でなければならない。」(イアン・ハッキング,161)

*「間接的な検証可能性」という基準の欠陥
・アロンゾ・チャーチの批判
「例えばNをハイデガーの「ナンセンス文」としてみよう。論理的に独立な三つの観察言明を自由に選びO1、O2、O3としよう。そして、つぎのような複合文をつくり、これをCと呼ぼう。
 (〜O1&O2)V(O3&〜N)
 Cは直接的に検証可能である。なぜなら、CはO1と結び付けられるとき、O3を含意するからである。
 ところで、CはNと結び付けられるならば、O2を含意する。それゆえ、NがO2をそれ自身で含意しないならば、Nはエイヤーの定義に従って間接的に検証可能ということになる。」

   (〜O1&O2)V(O3&〜N)
          O1
    故に  O3

   (〜O1・O2)V(O3・〜N)
           N     
     故に  O2


          <ポパーの反証主義>

 ポパー(1902ー)は、学問的言明を3つに分ける、つまり学問を3つに分ける。
a、証明可能、反証可能、議論可能な言明。   論理的数学的理論
b、証明不可能、反証可能、議論可能な言明。  経験的科学的理論
c、証明不可能、反証不可能、議論可能な言明。 哲学的或は形而上学的理論

(1)「反証可能性」の定義
 理論はただ観察命題と矛盾し得る形に定式化出来る場合にのみ科学的とされる。もし理論が、受容されている観察命題と矛盾したら、棄却されねばならない。
 理論は新しい事実、即ち、以前の知識では予期されていなかった事実を予言しなければならない。反証不可能な理論は何等新しい経験的予言を行わない。

(2)「反証不可能な言明」とはどのようなものか。
「反駁不可能」には
 (a)論理的に反駁不可能(論理的に矛盾していない言明)
 (b)経験的に反駁不可能(如何なる可能な経験的言明とも両立しうる言明)」の2義あり、「反証不可能な言明」とは(b)のことである。
我々は(b)をさらに二つに分けることが出来るだろう。
 イ、厳密な或は純粋な存在言明、
       「ガンに対する完全な特効薬が存在する。」
       「あらゆる病気を直すラテン語の文句が存在する」
       「永久機関がそんざいする」
       「透明人間が存在する」
       「黒いスワンが存在する」
 これらは、反証不可能である。
 しかし、これらの否定の言明は反証可能である。
 ところで、反証可能な命題が有意味であるならば、その否定も有意味であると考えるの適当だろう。ゆえに、ポパーは、反証不可能な命題もを有意味であると考える。

 ロ、形而上学的な言明
   決定論「未来は現在によって完全に決定されている」
   観念論「世界は私の夢である」
これらの否定の言明(非決定論、実在論)も反証不可能である。
   「神が存在する」(これの否定も反証不可能だろう)

・反証理論の欠点
 欠点:実際には、理論だけを前提にして、一定の予測が行われるのではなく、一定の個別的な対象について言明、また一定の状況、条件についての言明をも前提として、一定の予測の言明が導出されるのであるから、その予測の言明が、観察言明と矛盾したとしても、論理的には前提の内の少なくともどれか一つが偽である、ということが言えるだけであって、どの前提が偽であるかを特定することはできない。そうすると、多くの場合、少ない負担で訂正できる命題を修正しようとすることになる。実際に、科学史を調べると科学者は、理論を反証する観察が行われた場合に、理論を撤回せず、アドホックな説明によって、理論を維持しようとする傾向があることが解る。

参考文献
1、近藤洋逸『論理学概論』岩波書店
2、カルナップ『カルナップ哲学論集』紀ノ国屋書店
3、ポッパー『科学的発見の論理』恒星社厚生閣
4、同上  『推測と反ぱく』法政大学出版局
5、同上  『客観的知識』木鐸社
6、坂本百大編『現代哲学基本論文集』けい草書房


       <クーンのパラダイム論、新科学哲学>
                          
 一九六〇年前後に相次いで現れたトーマス・クーン、N・R・ハンソン、S・トゥールミン、P・ファイヤーアーベントらの仕事、いわゆる「新科学哲学」の登場によっ現代の科学観は大きく変化することになった。ここでは、このような新科学哲学の中でもっとも影響力の大きかったクーンの『科学革命の構造』をもとに新しい科学観を紹介したい。

 パラダイムとは何か 
 パラダイム:実際の科学の仕事の模範となっている例−−法則、理論、応用、       装置を含めた−−があって、それが一連の科学研究の伝統を作る       モデルとなるようなもの
 例:プトレマイオス天文学、コペルニクス天文学、アリストテレス力学、
   ニュートン力学、粒子光学、波動光学、など。(1ー12)

科学研究の三時期
 クーンは科学研究を三つの時期に分けた。それは、
    1、パラダイム成立以前の研究
    2、一定のパラダイムに基づいた研究=通常科学
    3、パラダイムの危機と変革の時期の研究
である。
 クーンによれば、パラダイムが出来上がり、それに基づいて研究が行われるということが、その科学の成熟の証しである。

 パラダイム成立以前の科学研究 
 パラダイム成立以前の研究分野は、その見解が本質的に異なっている学派が乱立し互いに対立し合っている状態となる。
 例えば、古代から一七世紀の末までは、光の本性について一般に受け入れられた唯一の見解というものは存在しなかった。そのかわり、エピキュロス派、アリストテレス派、プラトン派などのいろいろな理論が相対立していた。ニュートンが、初めて、物理光学においてほぼ完全に受け入れられるパラダイムを引き出したのである。
 他の分野では、例えば、運動論の最初のパラダイムはアリストテレスによって作られ、静力学の最初のパラダイムはアルキメデスによって作られ、熱学の最初のパラダイムはブラックによって作られ、化学の最初のパラダイムはボイルやブールハーフェによって作られ、地史学の最初のパラダイムはハットンによって作られ、電気学のパラダイムはフランクリンとその後継者によって初めて作られ、遺伝学では一般に受け入れられる最初のパラダイムが出来たばかりである。
 クーンの「パラダイム」概念は、後には社会科学でも用いられるようになるのだが、クーン自身は、「社会科学の分野ではパラダイムというものが、はたしてできているのかどうかさえまだ問題である」(1ー18)と考えている。

 パズル解きとしての通常科学
 パラダイムを基礎として行われる科学研究を、クーンは「通常科学(normal science)」(規範科学と訳されることもある)と呼ぶ。通常科学とは「特定の科学者集団が一定期間、一定の過去の科学的業績(パラダイム)を受け入れ、それを基礎として進行させる研究」(1ー12)である。
 クーンによれば、通常科学の研究はパズル解きである。パズルの特性の一つは、解答があるということである。パラダイムは、科学者集団に、問題を選ぶ基準を与え、その問題に解答があることを保証する。通常科学が非常に早く進歩するように見える理由の一つは、道を踏み外さずにこのような問題に注意を集中できるからである。

 パラダイムの危機
 パラダイムは、科学者に小さい分野の極めて専門的な問題に注意を集中させることによって、自然のある部分を、かつて考えられなかったほど詳細に深く探求することを可能にする。それ故に、そのパラダイムがより正確で、より徹底したものであればあるほど、変則性をより敏感に示すことになる。このような変則性は、パラダイムによって与えられた基盤に対してのみあらわれてくるのである。しかし、このような変則性や反証例に直面しても、科学者はすぐにそのパラダイムを放棄するわけではない。それらはそのパラダイムで解けるパズルであるのかもしれないからである。そのパラダイムで解けるパズルとそのパラダイムに矛盾する反証例との間にハッキリした区別があるわけではない。むしろこうした危機が「いろいろなパラダイムの変種を誘発することを通して、通常科学のパズルのルールを緩め、最後には新しいパラダイム出現の道を拓くのである」(1ー90)

 パラダイム変革としての科学革命
 クーンは、「科学革命」を一つのパラダイムから他のパラダイムへの転換としてとらえ、このような革命によって段階的に移行していくことが、成熟した科学において繰り返されるパターンである、と主張した。
 科学革命とは、「古いパラダイムがそれと両立しない新しいものによって、完全に、或は部分的に置き換えられる、という現象」(1ー104)である。

 クーンによれば科学革命が起こる理由は次のようなものである。
  一、新しいパラダイムで、旧いパラダイムを危機に導いた問題を解くことが    出来るということ。
  二、旧いパラダイムでは思いもよらなかった現象の予測が、新しいパラダイ    ムのもとで出来るということ。
  三、新しいパラダイムが、旧いものよりも「きれいで」「要領よく」「簡潔」    であること。ただし、おそらくこの様な議論は、科学においては数学に    於けるほど効果をもたない。
  四、どのパラダイムが、今まで完全には解けなかった問題に、将来解こうと    いう研究方向を与えるかということ。なぜなら、科学を進めるいろんな    道のうちのどれを採るかの決定が要請されるとき、その決定は過去の栄    光よりも将来の約束によらねばならないからである。

 パラダイムの共約不可能性 クーンのパラダイム論の衝撃は、「パラダイムの共約不可能性」の主張にあった。パラダイムは、通常科学研究において、解くべき問題とその解答と解答の正当性を決める規準を与えている。したがって、パラダイムが変化すると、解くべき問題とその解答と解答の正当性を決める規準もまた変化することになる。全ての問題を解いてしまったパラダイムは存在しないし、また二つのパラダイムの解けない問題が全く同じになることもないので、どのパラダイムを選択すべきかという問題に答えるには、どの問題を解くのがより有意義かという問題に答えなければならない。価値判断を含むこの問題と、解答の正当性の規準を選択する問題は、全く通常科学の外側にある規準によってのみ答えられる問題である。なぜなら、特定のパラダイムに基づいてこの問題に答えて、そのパラダイムの選択を正当化することは、循環論証になるからである。
 このようなパラダイムの共約不可能性を認めると、我々は科学革命の前のパラダイムよりも後のパラダイムの方が優れていると言えなくなる。つまり科学が進歩しているとは言えないことになる。

 観察の理論負荷性
 もうひとつ重要なことは、「パラダイム変革が起こる時は、世界自体もそれと共に変革を受ける」(一二五頁)ということである。ゲシュタルト心理学の反転図形のように、「革命前に科学者の世界で鴨であったものが、後には兎となる。はじめ箱の外側を上から見た人が、後にはその内側を下から見るのである。」(同頁)これは、N・R・ハンソンの用語を用いれば、「観察の理論負荷性」ということであり、我々は「ものを見ている」のではなく「ことを見ている」ということである。カルナップの検証理論もポパーの反証理論も、理論に対して中立的な観察言語に頼っているが、そのような中立的観察言語を見いだすことは不可能なのである。したがって、一定のパラダイムに拘束された観察言語を、パラダイムの選択規準にすることは出来ない。理論を反駁するのは、事実ではなくて他の理論なのである。これは、自然科学の実証性に対する根本的な批判になる。

参考文献
1、クーン「科学革命の構造」みすず書房
2、ノーウッド・R・ハンソン『知覚と発見』上、下巻、紀伊国屋書店
3、I.ラカトシュ『方法の擁護』新曜社
4、P.K.ファイヤーアーベント『方法への挑戦』新曜社
5、中山茂編著『パラダイム再考』ミネルヴァ書房
6、A.F.チャルマーズ『科学論の展開』恒星社厚生閣
7、ブラウン『科学論序説』培風館