第4回 講義


<学生の要望に答える>
・全体の見取り図を示してほしい。
 答え:そのようなものは、まだできていませんので、第一回にはなした問題意識の続きをはなします。
 第一回めでは、なぜ「社会問題」をとりあげるのか、それによって、何を目指しているのかをのべました。つまり、従来の<公理体系による学問体系>、それと密接に関連している<代表の論理によって構成された社会制度>、に対して<問答体系としての学問体系>また、それに依拠する形で<問答学の立場からの社会存在論>の構築をめざす、ということです。
 しかし、そこでは、具体的に「社会問題」について何を論じるのか、が曖昧でした.そこで、全体の見取り図の変わりに、それをお話します.

1、社会問題は、社会の中でどのようなものとしてあり、どのように機能しているのか.
(1)社会問題は、社会運動、社会制度などと関係付けて、社会の中で位置付けられることができる。
   社会的出来事(事件、事故、災害)との関係で位置付けることもできるだろう.
  機能・社会問題は、運動の原因となり、逆に運動を正当化する
  機能・社会問題は、社会的出来事から設定され、逆にそれらを解釈して社会的な意味を与える
  機能・社会問題は、制度の原因となり、逆に制度を正当化する。

社会的出来事(事件・事故・災害)⇒社会問題⇒社会運動⇒社会制度
                    ←       ←      ←

(2)社会問題は、市民的公共性、公益の構成要件である。
  ・社会問題は、市民的公共性(圏)を可能にする。なぜなら、教養ある市民が自由に討論する空間が、公共圏であるが、
  そこで討議される内容が、社会問題であるからである。
  (文芸的公共性を構成するのは、社会問題ではなく、学問、芸術の問題である)
 機能・社会問題は、市民的公共性の原因となり、またそれを正当化する。
  機能・公益は、「社会問題の解決への貢献」として定義できる?.

(3)社会問題が、主体をつくる。
    (社会問題に定位することよって、社会と個人の間の関係を別様に考える糸口を見つける。)
   ・ヘーゲルでは、共同体の主体性と個人の主体性は、両立しない。
    それは、個人が社会の構成要素だからである。
    構成要素が、主体性、自立性をもつとき、全体の主体性は、否定されることになる。また、逆でもある.
    (現代における、communitarianism  と liberalism の論争でも、どうように考えられている場合がある。)
   ・社会システム論では、社会システムとパーソナリティシステムは,別のシステムである。
    それらは、一方に還元されない。したがって、それらは、個人の主体性を保持したまま、
    社会もまた自律的システムであり得る。
    ・しかし、社会システム論では、個人の心は、システムの外部環境であり、詳細に論じられないし、
    またそのために、社会システムと個人の関係の考察が、不充分なままにとどまっているように思われる.
   ・そこで、このような問題関心にたって、構築主義による、心の社会的構成の議論をも参考にしながら、
    社会問題に注目しつつ、個人と社会の関係についての新しい切り口を提示したい。



§3 社会問題の定義(2) 社会システム論のアプローチ


1、マートンの「社会問題」論−−中範囲の理論としてのアプローチ

 マートンは、社会問題の基本的要素は、「広い範囲の人々が共有している社会的標準と社会生活の現状との実質的な食い違い」(マートン『社会理論と機能分析』青木書店、p.416)であると考える。 
 そして、社会問題を、社会解体と逸脱に区別した.
「社会解体とは、相関連する地位や役割の社会体系における不適切inadequancies ないし欠陥を指している」442
「社会解体は、相対的で程度の問題である」442
「解体を伴う社会問題の類型は、逸脱行為の場合のように、人々がその社会的地位の要求についてゆくことができないために起こるのではなく、これらの地位を納得のゆく脈絡のある社会体系にまで完全に組織することができないために生ずる」445

○マートンへの批判
 マートンの「社会問題」論に対しては、§2で述べたような批判、つまり客観主義的なアプローチが不可能である、という批判にくわえて、次のような批判をしなければならない。
 マートンでは、社会システムが前提されており、その適切な機能が損なわれている状態が、社会問題であると、言われている。しかし、このような定義では、社会問題の理解は、狭すぎるように思われる。「社会システムそのものが、社会問題の解決策である」とすれば、そのような社会問題は、ここでは抜け落ちる可能性がある。
 たとえば、いじめの問題は、教育制度がうまく機能していないという問題である。しかし、教育制度自体が、実は社会の課題(問題)を解決するために、作られたものである。
 マートンの議論では、制度そのものが不適切になって生じている社会問題を社会解体として(あるいは場合によってそれが、逸脱を生み出しているとして)取り上げることができるが、しかし、制度それ自体が、社会問題の解決ために作られたということ、さらにいえば、社会そのものが、社会問題の解決のために、作られた、あるいは発生した、ということを、扱うことができない。
 このことは、彼が「中範囲の社会学理論」という立場を取ったことに由来している。

 さて、このような視点で、社会問題の社会的機能を捉えることは、社会システム論の中で、十分可能なことである.そのことを、パーソンズのシステム理論とルーマンのシステム理論で、確認しておきたい.