第5回  講義  特別編 緊急避難?


 本日は、大変失礼しました。鞄を持ってくるのを忘れてしまいましたので、緊急に用意した内容で講義することになりました。
長い教師生活でも、こんなことは初めてです。自動車通勤でなければ、あり得ないことだとおもいます。今後は、重々気をつけることにいたします。


1、公共善と社会問題


 公共圏での議論は、公共善の判定や実現方法をめぐって行われるといえるだろうが、しかし、公共善とは何かを明確に定義するのは、簡単ではない。
 アメリカのベントレイやトルーマンといった政治学者達は、「私的利益(pri-
vate interest)に還元できない公的利益(public interest)は存在しない」と指摘した。

  「社会全般の利益などという集団利益を、我々は決して発見しないだろう。
   いかなる集団であれ、そして集団現象以外のいかなる政治現象も存在しな
   いのであるが、その政治的利益や活動が他の・・・集団に属する人々の諸活動
   に抵触しないようなものは一つもない。・・・・社会それ自体は、それを構成
   する諸集団の合成物以外の何ものでもない。」(Arthur F. Bentley, The
    Process of Government, Principia Press, 1949, p.222、足立、p.22)

  「多くの者は、公然あるいは非公然に、社会全体の利益、つまり社会構成員
   のすべてによって共有され、社会を構成する様々な集団の利益から区別さ
   れ、それらに優越するような利益が実在するものと考えている。・・・もしこ
   のことが事実であれば、利益集団はもとより政党ですらアブノーマルなも
   のとみなされてしかるべきことになろう。全包括的な国益や公共の利益の
   主張は、なるほど、様々な状況における効果的な装置かも知れない。・・・こ
   れらの主張は、それ自体としては、確かに政治データの一部である。とは
   いえ、これらの主張は、複雑な現代社会に生起するいかなる現実的状況を
   も潜在的状況をも記述するものではない。それゆえ、政治の集団論的解釈
   を展開するうえで、われわれはかくのごとき全包括的な利益に考慮を払う
   必要はまったくない。なぜといって、そのような利益は実際にはありもし
   ないからである。」(David B. Truman, The Governmental Process,
   Alfred Knopf, 1951, pp.50-51. 足立、p.23)
                        (参考文献: 足立幸男『政策と価値』ミネルバ書房)

 公共の利益を内容的に定義することは、非常に困難である。それは、結局、個人や集団や階級にとっての利益に還元されてしまうのである。冒頭に見たように、このことが、また公共圏の成立に対する重大な脅威になってきたのである。
 公共善がなければ、私的な利害についての争いしか無く、そうであれば、仮に普遍的な立場に立ったところで、私的な利害を調停する基準がなくなってしまう。
 ところで、私的な利害に還元されないような、公的利害はないが、しかし、私的な問題に還元されない公的な問題は存在する、つまり共同でとりくなまければ解決できない問題は存在する。我々は「公的な利害」を「公的な問題の解決に対する利害」と定義することができるだろう。もちろん、「公的な問題の解決によって得られる利益もまた、私的利益に還元されるだろう。しかし、これによって、公的利益と私的利益の区別を導入することは可能になる。ところで、公的な問題とは、ふつう「社会問題」と呼ばれている。

2 「社会問題」の定義のための考察


1,社会問題を困っている人の人数、解決によって利益を受ける人の人数によって、定義することはできない。
 なぜなら、たとえ、全員が困っているとしても、老いや死の問題は、社会問題ではない。恋愛問題や、進学問題や、就職問題も、社会問題ではない。また、逆に、死刑の問題などのように、あるいはある種の差別のように、非常に少数の人が困っている問題であるとしても、それが社会問題である、という場合がある。
 ところで、たとえば、家庭内での夫の暴力が、私的な問題ではなくて、社会問題であると、考えられるようになるとき、問題の理解はどのように変化したのだろうか。

2,社会問題とは、社会のあり方と深く関係した問題である。
しかし、これだけでは、非常に曖昧である。これは、次のうちのどの関係だろうか。
   (1)社会問題は、「社会的な原因」で生じる問題である。
(2)社会問題は、社会が解決すべき責任のある問題である。
   (3)社会問題は、社会全体の取り組みによってしか、解決できない問題である。
社会だけが解決の能力をもつ問題である。
 (1)(2)の問題点
 「社会制度そのものが、社会問題の解決の手段である」とすれば、そのような社会問題にさきだって社会が存在するのではないことになる。したがって、このような問題をも社会問題に含めようとするならば、(1)と(2)は不適切である。

 (3)の問題点
・ボランティアが解決できる問題は、社会全体で取り組む必要の無い問題であり、社会問題ではない。したがって、ボランティアには公共性はない、ということになる。
・社会全体で取り組まなければ解決できない問題とは、どのような問題か。
 ある集団で取り組まなければならない問題が、生じることによって、集団が発生する。たとえば、自警団がつくられることによって、自衛のための集団が発生する。
 それは、社会全体で取り組むとは、社会制度を作って取り組む、あるいは社会制度を変更することによって対応する、ということであろう。
 「反復して生じるので、制度的な対応によってのみ解決できる問題」