第8回  講義  


§3 社会問題の定義(2) 社会システム論のアプローチ


3、ルーマンの社会システム理論 のつづき

(4)社会分化

3つのタイプの社会システムの区別
  相互行為Interaktion
  組織体 Organisation
  ゲゼルシャフト Gesellschaft

相互行為も、組織体も、ゲゼルシャフトの構成部分であって、ルーマンはゲゼルシャフトを「期待し得るコミュニケーションの総体」(SoSy:535)」132
と考えている。

・「第一次的分化形態」=「システム全体の中の第一階層の部分システムの形成」138

「社会構造」=「社会が部分システムへと分化するときの形式、および、
           部分システム相互の関係や
           部分システムのシステム全体への関係や
           部分システムの自分自身への関係の
        相互性の形式のことをいう。」145

「環節的分化」segmetaere Differenzierung
   「家族、種族、村落、などといった同等の部分に区分する。」146
   「相互行為と社会との差異が、まだ体験され得ない社会」146
   「「人々は、自分の属する組織体への関係に制限された、最小限のオートポイエーシス的自己    意識しかもたない」(SoSy:567)」147
   「単純な社会が制限されたものであるのは、未開人の原始的で前論理的な心性のせいではなく
   、むしろ単純な社会組織の機能的な要求が可能性を制限しているからである。」


「成層的分化」stratifikatorische Differenzierung
   「成層的社会は、自分自身とその中で起こることを、上下の区別という主導的な差異によって
   観察する。」150

   「垂直の社会分化は、環節的に分化した社会形態と比べて、複雑性が途方もなく増大して
    いることを特徴としているが、システムの内部における立場の諸規定は依然として比較的
    透明であった。」151
   「ヒエラルヒーというこの図式は、必然的に同じ物でありつづけており、どの視座から観察されて
    も同じだからである.」151
   「その場合に、システム全体の選択根拠、いわば世界をその奥底でまとめているものは、
    観察者の視覚から独立に、相対的に等質なものとして顕現した。」151
   ・道徳が、階層への帰属性を安定化させ、宗教が、階層秩序を正当化する。

近代的社会形態への転回
  「国家理性と主権が、社会に対する国家の独自な利害状況と、皇帝や教皇か
   らの政治の独立を表現する概念となる。この発展を一つの定式にまとめる
   とすれば、政治が他者準拠から自己準拠へと転換するのだといってよかろ
   う.」
   「成層化された社会は、・・・社会の複雑性の新しい処理の仕方へといわば
   強制されるのである.」155

   「教育と教育学を成層的な秩序モデルから切り離す動きがはじまり、それと
   同時教育独自の意味論が形成されること、科学だけの独自なコードが分化
   すること、家族の私的領域と特別な愛のコードが作られること,法が政治か
   ら分離されること,宗教と道徳から経済が開放され、経済的諸関係が完全に
   貨幣化されること、」156

「機能的分化」funktionale Differenzierung
   部分システムの「境界線は、それぞれが排他的で互いに代替っしえない社
   会的機能に即して引かれる」156
   「社会構造の観点からすれば、社会はあらゆるシステムに共通の基本的な
   シンボル表現によってもはや統合され得ない部分システムへと、みずから 
   分化している。」156
    「個々の機能的部分システム−−経済、政治、法、宗教、教育、科学、芸
    術など−−は、つねにそれぞれの機能に特有な視座から作動していて、
    それぞれの視座は自分の背後へ遡っていくことができない。」
   「機能システムは正しいことについての固有の規準にそって、したがって
   それぞれのプログラムの決まり文句(平和、公共の福祉、繁栄、教養、正義
   、など)にそって分化するだけではない。分化は、主として二元コードを会して、
    行われる。」(GS3:430)」156


(5)二元コード

政治にとっては、  役職と決定権力を保持しているいるか/否か
経済にとっては、  支払われるか/否か
法にとっては、   あることが合法的とみなされるか/否か
科学にとっては、  ある発言が真であるか/否か
宗教にとっては、  あることが救済に役立つか/否か
          道徳的な基準になるか/否か
教育にとっては、  あることが経歴上有利になるように学習されるか/否か

(ルーマンが部分システムを網羅していない、ということは、そのように独立した部分システム

たとえば、「支払い」が、経済におけるコミュニケーションであり、貨幣は、そのコミュニケーションのためのメディアである。
「価格にもとづいて、支払い予期に関する情報が得られ、言いかえると、他者が市場をどのように観察しているかを観察でき、またとくに価格変化から趨勢をみいだすことができる。価格は、それゆえ、理論のこの脈絡ではコミュニケーションのための情報と界されねばならない。」(『社会の経済』6)

 魚屋は、やってきたお客に何を伝えるかの情報選択を行う。そして、伝達形式の選択をおこなう。そして、
   「奥さん、今日はあじが安いよ」と呼びかける。
主婦は、それの理解の選択をする。そうすると、彼女は、それを買うか、買わないかの選択をすることになる。
 お金を手に入れた、魚屋さんは、そのお金を蓄えるかもしれない、それは支払いの延期である。あるいは、それをパソコンのローンの支払いに当てるかもしれない。お金を手にしたものは、そのお金で支払いをするか/しないかの決断を迫られる。


科学では、たとえばある主張について、真理であるか否かが問われる。いずれであれ、それの(真あるいは偽の)根拠について、さらに、真理であるか否かが問われる。

(6)コミュニケーション・メディアについて

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『権力』でのメディア論

<言語の限界>
   「コミュニケーションのこのような構成条件の下では、言語だけでイエ
     スとノーの選択を制御することはできない。というのも、言語とは、
     まさにイエスとノーの両方の可能性を保証するものに他ならないから
     である。しかしまた、選択を偶然にゆだねておくこともできない。そ
     れゆえ、どの社会も言語を補足する追加的な装置をもっていて、それ
     によって必要な範囲で選択結果を相手方に伝達する働きを確保してい
     る。」(8)

   「口に出して言われた言葉は何でも、言われたのとは反対の意味を生み
    出している」(ゲーテ『親和力』、ルーマン『社会システム理論』上巻、訳231)

この「言語を補足する追加装置」が、コミュニケーション・メディア(Kommuni-
kationsmedien)である。

<文字によって、4つのコミュニケーション・メディアが発達する>
  「特別にシンボル化されたコミュニケーション・メディアが発達するように
   なる歴史的なきっかけは、文字の発明と普及であったと思われる。」(9)
*文字によって、4つのコミュニケーション・メディアが<生まれる>のではなくて、<発達する>のである。なぜなら、文字の発生には、権力が前提になるだろうからである。権力が文字を必要としたのだと考えられるからである。

権力:「文字がなければ、政治ー行政の官僚制にみられるような複合的な権力
      連鎖をつくりあげることはできないし、ましてや政治的権力の民主
      的統制などおもいもよらない。」(9)
真理:「真理コードは、全てものを真と偽に二分法的に図式化する機能を持 
     っているが、この分類機能は、思考内容が文字で定式化されるよう 
     になるのをまって、はじめて必要とされるようになる。」(10)
 愛:「ギリシャの都市国家で友情/愛に関する特別コードが道徳として一 
     般化されたのも、都市の文字文化に対する一つの反作用であったの
      であり、もはや懇意な者のあいだで密度の高い相互行為を前提でき
      なくなったことに対する埋め合わせであった。」(10)
貨幣:「文字への依存は、貨幣コードの場合には、もっと明きらかである。」
   (10)

*コミュニケーション・メディアとして、これら以外には、宗教的信念、芸術、文明にとっての標準となっている「基本的価値」が、挙がっている(『社会システム』上巻、訳254)
(別の箇所には、教育、法、医療、宗教にはコミュニケーション・メディアがない、といわれているので、宗教についての発言には、矛盾がある。
「教育に関するメディアや医療に関するメディアはないのである。なぜなら、これらは単にコミュニケーションの成功のみならず、環境の変化によっても硬化がもたらされるケースだからである。法もまた独自のメディアをもっておらず、「究極的」には、政治中心的な権力に頼っている。宗教の場合に、メディアを借り得るのかどうか、についても疑う向きがあろう。こうして、これらのケースでは、いずれも組織に多くのものが求められるのだが、同時にまた、まさしくこうれらの機能システムにおいて専門職が見出されるのも偶然ではない。」『社会の経済』312)

メディアが行為調整するのではなくて、専門家が行為調整するということ?。

(7)ルーマンの社会システム論の社会問題への適用の試み
     ---- コードとしての社会問題 ----
 社会問題はしばしば、「公害」「環境破壊」「いじめ」「幼児虐待」「家庭内暴力」「セクハラ」などのキーワードをつくりだす。あたらしい社会現象を定義する新しいキワードを必要とする。
 社会問題があたらしく定義するキーワードは、コードとして機能する。つまり、社会の状況や問題や出来事の認識、さらにはそれに対する一定の価値判断、またときには、それに対する一定の対処方法、などを指示する言葉として、キーワードが設定される。これは認識のコードであると同時に、規範のコードでもある。

・コードの機能
1、コードの成立、つまり社会問題としての社会的認知の成立の、機能
(1)個人にとっての機能
   社会問題の社会的認知によって、すでに部分的に解決されている。

 いじめ、家庭内暴力、セクハラ、などの言葉で定義することによって、解放されるという場合もあるだろう。
  ・みんな悩んでいる(多くの人が困っている問題)
  ・個人の問題ではなくて,社会的な背景のある問題である.
    (社会に責任のある 問題)
    個人に責任を帰すると、その責任者に対する追求をせざるを得なくなる
    が、その必要がなくなる。
  ・個人が解決の責務から開放される
    (社会制度の変更によってのみ解決できる問題)

(2)社会にとっての機能
   社会問題の解決を推進する。
 一旦、そのようなコードを理解したならば、そのコードは、それに同調するか、違反するか、という選択を強制する。これは、たとえば行政に対して、社会問題に取り組むか、取り組まないか、という選択を強制することになる。
 制度についての知や、事件事故についての知とは、ことなり、社会問題についての知は、解決のための行動を引き起こすだろう。なぜなら、そのような行動をしないことは、問題がより深刻になること、あるいは、解決しないままに存続することを、選択することになるからである。
 このような行動への転換は、社会問題についての知が共有知になることによって、発動する。なぜなら、うえのような選択をすることになってしまうことを、私が知っていることを、他の人が知っているからである。
 マスコミがある問題を報道したにもかかわらず、行政が動かないとすれば、それは、動かないという立場をとることを、社会に向かって表明することになるのである。

 「予期圧力は、予期の規範的視覚付けによって強化されるが、単に予期するだけでも、その事実がしられるならば、予期を向けられた者は、予期に添うか反するかの二者択一の可能性を手にし、それゆえまた意思決定をせねばならなくなる。」『社会の経済』286

2、社会問題は、社会分化を引き起こす。

 社会問題 → 社会システムによる解決 
        ・社会システムがうまく機能せず、問題を解決できない
         ・社会システムはうまく機能しているが、
            そのことが別の問題を引き起こす。
        ・環境やシステムの変化が、別の問題を引き起こす。

             → 解体、逸脱(社会問題) → 社会システムの再構築・分化
                               ・社会システムは、免疫能力を身につけ、
                                より安定したシステムになる。

・社会システムは、他方で解決できないラディカルな社会問題を無視・否定する。
・社会システムが、社会問題の解決として正当化される以上、社会システムは、 社会問題を設定して、それに取り組まなければならない.
 そのために、社会問題の設定という機能が、社会システムの中に組み込まれて いる。これは、マスコミによっておこなわれる。

・社会問題の原因は、社会システムの機能不全にあるということができる。またそれゆえに、だから、システムを再構築することによって、解決できるのである。このようなことは、「社会問題」という概念が、近代の機能主義的社会システムに親和的であること、あるいは機能主義的社会観を前提していることを意味している。

(7)社会問題の考察から見た、ルーマン理論への批判

1、政治学や法学や経済学というディシプリンが無効になっている、というフーコーの時代診断と矛盾しないだろうか。学問の世界では、従来のディシプリンが、現実的な課題に答えられなくなっている。したがって、テーマごとに、interdiciplinary な研究が必要になっている。
 経済、政治、法、などの機能的部分システムの自律性を強調し、それに注目しても、現実的な要請にはこたえられない.
 たとえば、社会問題は、自律した部分システムの問題として理解され、経済問題、政治問題、教育問題、医療問題、などにわかれるだろう。しかし、これらは互いに関連しているし,環境問題、高齢化の問題、など、部分システムの問題として限定することができないような問題をうまく取り扱えない.

2、社会問題への取り組みは、社会制度(あるいは社会全体)を対象にする行動であり、社会全体の観察、社会の将来への計画、社会統合への配慮、などの態度をともなう。
 このような社会全体へ自己言及は、社会を一つの共同体(ないし主体)へと構成することになる。
 あるいは、社会問題の設定における公共性、という概念を帰結する。
 あるいは、私的なコミュニケーション/公的なコミュニケーションの区別、を必要とするように思われる。