第五回講義  Russel(続き)


<先週の議論の補足>
《「ウェイヴァリーの著者」の第一次的現れと第二次的現れ》
「ジョージ四世は、スコットがウェイヴァリーの著者であるかどうか知りたいと思っていた」というときの二つの意味
(1)「ジョージ四性は、ただ一人の人がウェイヴァリーを書きしかもスコットがその人であったのかどうかを知りたいと思っていた」
(2)「ただ一人の人がウェイヴァリーを書いた、そしてジョージ四世は、スコットがその人であったかどうかを知りたいと思っていた」

(1) が「ウェイヴァリーの著者」の第一次的現れであり、(2)が「ウェイヴァリーの著者」の第二次的現れである。

《「現在のフランス王」の第一次的現れと第二次的現れ》
・「現在のフランス王は禿頭ではない」の場合
(1)「現在のフランス王」の第一次的現れ
 「現在のフランス王であって、しかも禿頭でないようなあるものが存在する」
(2)「現在のフランス王」の第二次的現れ
 「現在のフランス王であって、しかも禿頭であるようなあるものが存在する、ということは偽である。」
この(1)は偽であるが、(2)は真である。

・「現在のフランス王は禿頭である」の場合
(3)「現在のフランス王」の第一次的現れ
 「現在のフランス王であって、しかも禿頭であるようなあるものが存在する」
(4)「現在のフランス王」の第二次的現れ
 「現在のフランス王であって、しかも禿頭であるようなあるものが存在する、ということは真である。」
この(3)も(4)も偽である。

{入江:ラッセルは、(1)が第一次的な現れであり、(2)が第二次的な現れであるというが、これは、上の「スコットはウェイヴァリーの著者である」の場合の説明とは、すこし異なっているのではないだろうか?}



       2、「直知による知識と記述による知識」
(アリストテレス協会の1910-11年度の会報に初出。以下の引用は『神秘主義と論理』江森巳之助訳(みすず書房、1995年)により、数字はその頁数を示す。)

<直知(見知り)の定義>
「「直知」(acquaintance)「記述」(description)との対照をはっきりさせるために、まず第一に、「直知」とはどういう意味かを説明しよう。」241
「私が、ある対象に関して、直接の認識関係(cognitive relation)を持っているとき、言いかえるならば、私がその対象自体を意識しているとき、私はその対象を直知しているというのであります。ここで認識関係と言うのは、判断を構成する種類のそれではなく、表象を構成する種類のそれを意味しております。」242
「sがoを直知している、ということは、oがsに表象されている、ということと本質的に同じであります」242

{このような「直知」の定義からするならば、「直知」の対象は、存在者であるといえる。}


<「直知」の対象の種類>
(1)「感覚与件」色、音、など
「色を見、あるいは音を聞くとき、私はその色、あるいはその音を直接に直知しているのであります。」243
感覚与件は通例「複合的」である。243
「内省にさいして、我々は、我々自身に対して種々な認識的ならびに意欲的関係にある諸対象よりなるところの、変化しつつある諸複合体を直接に意識しつつある、と感ずるのであります。」
(2)「直知」ないし「Aを直知している自我」という複合体
「私自身のみを意識しているという精神状態を発見することは困難であります」243 しかし、「我々は「Aを直知している自我」という複合体を直知しているばかりでなく、「私はAを直知している」という命題を知っていることは明白であります。」
「我々は、直知を直知しており、直知は関係であることを知っている、と。また我々は、それの中において我々が、直知は関係付ける関係であることをみとめるところの複合体を、直知しています。」244

・問題:私自身を直知する?
「私が私自身を直知しており、それゆえに「私」は単にある特定の対象の固有名詞であって、何らの定義を要しない、と考えるか、あるいは自覚を分析する別の方法を発見するか、どちらかが必要であるように思われます。」244
(原注によれば、1917時点では、「私」を直知していると考えない、つまりそれは記述される。「私」は論理的固有名ではない。
 『哲学の諸問題』(1912)では、「私の直知」を認めるが、『心の哲学』(1921)ではそれを認めない。「ヒュームとおなじく、自己は、内観の対象とはなりえないとし、「私」という言葉が、文法上の主語としてつかわれているからといって、その名でよばれる対象が存在しなければならないと考えるのは未熟な考えかたであるとしている」(エイヤー、前掲書、113))

(3)「普遍」=「概念」
「我々が意識している普遍」=「概念」(concept)
主語となる場合
 「黄色は青色とことなる」「黄色は緑色ほど青色ににていない」
述語になる場合
 「これは黄色である」
「この場合、「これ」というのは、特殊な感官与件であります。そして、普遍的諸関係もまた意識の諸対象であります。上下、前後、相似、欲望、意識自体、等々はすべてわれわれが直接に意識しうる諸対象でありましょう。」245

(4)「関係」
「我々は、普遍的関係自体を意識するのではなく、普遍的関係がそれの一要素であるところの、諸複合体のみを意識するのであることを、強調すべきでしょう。」245
「我々は「前」の諸事例を直知しているだけでなく、「前」の意味をも直知している、と考えなければなりません。」246

<「記述による知識」の対象の種類>
(1) 物的対象
(2) 他人の精神
「物的諸対象や他人の諸精神」は「記述による知識」によってしられる。247
{1917年時点では、(3)私自身 が付け加わるだろう。}

{ところで、「これは、机である」の「机」は普遍概念であろう。そして、ここでの「これ」は感覚与件であろう。「これ」が物的対象だとすると、それが指示できることになるが、物的対象は、記述によって知られるものだからである。}

<記述の説明>
「記述」=「あるしかじかのもの」(a so-and-so)あるいは「そのしかじかのもの」(the so-and-so)という形式の任意の句(247)
「不定的」(ambiguous)記述=「あるしかじかのもの」(a so-and-so)という形式の句(247)
「確定的」記述=「そのしかじかのもの」(the so-and-so)という形式の句247

この論文では、「確定的」記述のみをあつかう。

「我々が、ある対象は「そのしかじかのもの」である、ということを知っている時、すなわち、ある特定の属性を持っている対象がひとつあってそれ以上はない、というを知っているとき、その対象は「記述によって知られている」ということにしましょう。そしてこの場合一般に、我々はその同じ対象を直知によっては知っていない、ということが含意されているといたします。」248

<固有名の記述説>
「普通の言葉は、固有名詞でさえも、通常は記述なのであります。還元すれば、ある固有名詞を正しく用いている人の心の中にある考えを明白に表現しようとすれば、一般に、その固有名詞を記述で置き換えなくてはならないのであります。」249
{このような記述説を、クリプキは『名指しと必然性』で批判し、因果説を主張する。これに対してサールは『志向性』で因果説を批判し、記述説を擁護する。}

・例えば「ビスマルク」を本人が使用する場合(直知である)
「自分自身を直接に直知するというようなことがあると仮定すれば、ビスマルク自身は、彼が直知している特殊の個人である自分を直接に示すために、自分の名前を使ったかもしれません。この場合、もし彼が自分について判断を行ったとすれば、彼自身は、その判断の要素になるわけです。この際には、その固有名詞は、ある特定の対象に単純に代わるものとして直接に使用されたので、その対象の記述として使用されたのではありません。」249
・他人が使用する場合(記述である)
「もしビスマルクを知っているある人がビスマルクについて判断を行ったとすれば、事情は違ってきます。このひとが直知しているのは、ビスマルクの肉体と結び付けられた---特定の諸感覚与件であります。・・・すなわち、ビスマルクの肉体および精神は記述によって知られるのであります。」250

・厳密な意味の固有名(論理的固有名)
「思うに外延は、固有名詞――ある対象にある性質を付与するのではなく、単にそれに名前をつけるだけの言葉、――の場合を除けば、命題の要素ではありません。さらに、この意味では、厳密な意味における固有名詞はただ二つあるだけで、それは「私」と「これ」だ、と主張すべきであります。」259
{このような厳密な意味の固有名は、「論理的固有名」とよばれる。のちには、「私」は論理的固有名でないとされる。}


<直知の原理>
「ある特殊に適用できることが知られている記述は、――その記述されているものについての我々の知識が単にその記述から論理的に結果するものでない場合には、――我々が直知しているところのある特殊への引照を、何らかの仕方で含んでいなければならない場合には、――我々が直知しているところのある特殊への引照を、何らかの仕方で含んでいなければならない、とおもわれるのであります。」251

「諸記述を含む諸命題を分析する際の基本的な認識論的原理は次のとおりであります。――《われわれの理解し得る命題は、いずれも我々が直知している諸要素からのみ構成されていなければならない》」253
{この原理は、「直知の原理」と呼ばれる(エイヤー、前掲書)}



注:再説:ラッセルの思想発展の時期区分(邦訳『心の分析』の竹尾氏の解説による)

////////第1期(1893-1899)////////
  (こ時期は、ドイツ観念論の影響下にあった)
1895-1901年、トリニティ・カレッジの特別研究生となる。
1897年『幾何学の基礎』
1900年『ライプニッツ哲学の批判的解説』

////////第2期(1900-1910)////////
  (この時期は、数学基礎論、数理論理学の仕事に没頭)
1900年7月パリの国際哲学会議でイタリアの論理学者ペアノに出会う。
1902年、「ラッセルのパラドクス」の発見
1903年『数学の原理』(The Principles of Mathematics)出版
1905年「指示について」
1908年「タイプの理論に基づく数理論理学」
1910年ムーアとの共著『数学原理』(Principicia Matthematica)第1巻
    (第2巻、1912年、第3巻、1913年)

////////第3期(1911-1918)////////
   (この時期は、論理学の仕事から、分析および綜合の方法を取りだし、
    それによって彼の知識の理論、ならびにそれと結びついた形而上学を
    発展させる仕事にとりかかる。)
1912年 この年、ウィトゲンシュタインと出会う
    『哲学の諸問題』(The problems of Philosophy)(訳『哲学入門』) 
1913年、『知識の理論』を書くが、ウィトゲンシュタイの批判にあい、出版せ
     ず。{入江:批判の一つは、私の直知だと思われる}
1914年、「外部世界はいかにして知られうるか」
     これは、『数学原理』の論理学が哲学の問題に適用できることを具体
     的に示した最初の業績であり、カルナップに影響を与える。
     センスデータへの還元主義が放棄された。
1918年「論理的原子論の哲学」『神秘主義と論理』『数理哲学序説』

////////第4期(1919-1927)////////
1921年『心の分析』
    物理学に適用された現象主義を、心理学に拡張しようとした。
    心についても、センスデータにかわって、「感覚やイメージだけからな
    る要素」が心的でも、物的でもないものとされ、それから物質や心が
    構成される。「中性的一元論」が主張される。
1924年「論理的原子論」
1927年『物質の分析』

////////第5期(1928-1959)////////
1940年『意味と真理の探求』(邦訳『言語哲学的研究』)
1948年『人間の知識』
1960年『私の哲学の発展』



注:外延と内包を区別することの困難
 通常は、次のように理解されている。
   Cが現れるばあいには、外延について語っている。
   「C」が現れる場合には、内包的意味について語っている。
しかし、ラッセルは、「表示について」のなかで、このような立場を矛盾を指摘している。(興味深い論点なのでここに、引用、紹介します。)

「内包的意味は外延を指示する」と考えるときの困難
(1)「内包的意味と外延との関連を保ちながら、しかもそれが一つの同じものになってしまわないようにするという二つのことを、ともには達成できないということ」61f
(2)「内包的意味が指示句による以外には捉えられないということ」62

<「Cの内包的意味」の問題点>
「グレイの悲歌の1行目の内包的意味」は「「晩鐘が夕暮れのときを知らせる」の内包的意味」と同じなのであって、「「グレイの悲歌の1行目」の内包的意味とは同じではない。それゆえに、我々が欲している内包的意味をうるために、「Cの内包的意味」という言い方ではなく,「「C」の内包的意味」という言い方をしなければならない。そしてそれはただ「C」というのと同じなのである。」
62

<「Cの外延」の問題点>
「同様に「C」の外延は、我々が欲する外延を意味せず、それは何か次のようなあるものを、すなわちそれがそもそも何かを指示するとすれば、我々が欲する外延によって指示されるところのものを指示するようなあるものを、意味することになる。たとえば、「C」を「上記した例のうちの第2の例に現れる指示的な複合表現」であるとしてみよう。すると、
 C=「グレイの悲歌の1行目」そして、Cの外延=晩鐘が夕暮れの時を知らせる。しかし、我々がその外延として意図していたものは、「グレイの悲歌の1行目」であった。それゆえ、我々は我々が欲していたところのものをうるのに失敗してしまったのである。」62