第七回講義  論理学の解説



<学生の質問に答える>
前回の質問5、「概念を直知できるのであれば、記述の理論は、不要ではないか?」
 直知されるものは、対象として存在します。ということは、概念は、対象として存在することになります。
 「黄色は、青ではない」は、「どれをxとしても、xが黄色であるならば、xは青ではない」(ここでの「黄色」「青」は普遍概念(名詞)であって、形容詞ではない)(前回のこの箇所の記述は、変な文章になっていましたので、抹消してください。)ということになります。このように記述の理論で書き換えたときに、普遍概念は、すべて述語になります。ラッセルは、述語に対応する対象が存在すると考えていることになります。
 これを、『意味と真理の探求』(邦訳『意味と真理性』毛利訳)で説明します。
ラッセルは、ここで「これは黄色だ」という原子文について次のように説明しています。
「私が水仙を指差し、「これは黄色だ」と言ったとしよう。この場合に「これ」は私の現在の視野の一部の<固有名>と見なせるし、また、「黄色」はクラス語とみなせよう。・・・これは、与えられた対象を、ただ[黄色のもののクラスに]分類している。」(前掲訳、28)

つまり、「これ」である<視野の一部>が直知され、そして、「黄色」という普遍概念(ないし「黄色いもののの集合」)が直知され、前者が、後者の要素であることが直知されて、「これは黄色だ」という判断が行われると考えられている、ということになります。(飯田隆によると、ラッセルは、『数学の原理』では、次の3つを区別しないようだ。(飯田、『言語哲学大全I』226)
  述語  human
  一般名 man
  抽象名 humanity 
しかし、黄色のものの集合を直知することは、不可能です。なぜなら、それにはすべての黄色いものを眼前において直知しなければならないからです。したがって、上の「これは黄色だ」で直知されている「黄色」は、<黄色性>とでもいうような<抽象的な性質>、<黄色いものどもが共通にもつ一般的な性質>であるはずです。そうすると、そのような<普遍的性質>が直知されることになり、それが存在することになりそうです。)

ラッセルは、記述の理論によって、ある種の存在者の想定を消去することに成功しましたが、飯田隆によると彼は素朴な実在論的意味論(語の意味は対象である、と考える立場)であったようです。
「私は、ヘーゲル主義者達が存在しないというものならどれもこれも存在すると信ずるようになった。その結果、私は、きわめて充実した宇宙を手にいれた。・・・私は、動詞や前置詞の意味であるような普遍者からなる世界の存在を信じた。」(『私の哲学的発展』)(飯田隆『言語哲学大全I』152から孫引き)
「存在は、考えられるどのような項にも、また、思考の対象となりうるいかなるものにも、属する。端的にって、存在は、真であろうが、偽であろうが、そもそも命題中に出現できる全てのものに、また、こうした命題すべてに属する。」
(『数学の原理』)(飯田隆『言語哲学大全I』153から孫引き)

 したがって、「記述句」に対応する存在者の想定は、記述の理論で消去しましたが、動詞に対応する「普遍概念」や前置詞に対応する「関係」を存在すると考えており、それを直知できると考えていたということになります。
 しかし、『意味と真理の探求』の時期では、すでに「普遍概念」に対応する普遍を存在者とは考えていないようです。つぎにみるように、「普遍」は「関係」に還元されれます。
「ところが、「これは黄色だ」は見かけほど簡単ではないのである。子供が「黄色」という語の意味を学ぶとき、定義によって黄色である対象(あるいは、対象の集合)がまず存在し、その次に、色においてこれと類似している対象が他にもあるという知覚が存在する。このように「これは黄色だ」と子供にいう時には、我々が子供に伝えるものは、(運良く伝え得るとして)「これは<定義によって黄色である対象>に色が類似している」ということである。このように分類的名命題、すなわち、述語を付与するような命題は、実は、<類同性>を主張している命題であるように思われるであろう。もしもそうであるなら、最も簡単な命題でさえも関係表現的なものである。」(前掲訳28)
ラッセルは、これは<類同性>という普遍を直知できるということであると考える。それならば、ほかの普遍も直知できないはずはない、と考える。このあたりの説明は、流動的で、決定的なものにはなっていない。

 前回引用した『心の分析』の次の発言も、普遍概念を直知の対象とはみなさなくなることを述べたものだと、断言してよいでしょう。
「普遍者は、知覚されるものが現れるような種類の仕方で、心の前に単一の対象として現れることはけっしてない。普遍は世界の構造の1部分であるが、しかしそれらは推論された部分であって、我々のデータの1部分ではない。」(『心の分析』276)





          番外編 命題論理学の解説

 前回講義の後、真理関数に関する質問が多かったので、命題論理学についての解説をしました。



<論理学史>

1889   ペアノの自然数論の公理系
1895ー97  カントール(1845ー1918)「超限集合論の基礎付への寄与」
1897   ブラリーフォルテティ(1861ー1931)「超限数についての疑問」でパラド
     ックスを示す。
1899   ヒルベルト(1852-1943)「幾何学基礎論」
1899,7、28 カントールはデデキント(1831-1916)への手紙で「カントールのパラ      ドックス」を述べる。
1902、6、16 ラッセル(1872-1970)はフレーゲ(1848-1925)への手紙で「ラッセルの     パラドックス」を述べる。
1908   ラッセル「型の理論に基づいた数理論理学」還元公理の導入
1910-13  ラッセル、ホワイトヘッド「プリンキピア・マテマティカ」
1912   ブラウアー(1881-1966)、直観主義を主張
1922   スコーレム(1887-1967)「集合論の基礎付に関する若干の考察」
1930   ゲーデル(1906-1978)「論理学における述語計算の公理の完全性」
1930   ゲーデル「不完全性定理」
1935   ゲーデルが公理的集合論における選択公理の無矛盾性を証明
1935   ゲーデルが一般連続体仮説の無矛盾性を証明
1943   ゲーデルが型の理論の枠内での選択公理の独立性を証明



<命題論理の公理系の歴史>

(1)フレーゲの公理系(1879)
   1、 x⊃(y⊃x)
   2、 (x⊃(y⊃z))⊃((x⊃y)⊃(x⊃z))
   3、 (x⊃(y⊃z))⊃(y⊃(x⊃z))
   4、 (x⊃y)⊃(〜y⊃〜x)
   5、 〜〜x⊃x
   6、 x⊃〜〜x
   α、 代入法則
   β、 推論法則

(2)ニコッドの公理系(1917)
1、 (x|(y|z))|((u|(u|u))|((v|y)|
                       ((x|v)|(x|v)))
   α、 代入法則
   β、 論理式 x と x|(y|z)から新しいzを得る。

(3)ラッセルとホワイトヘッドの公理系(1925)
   1、 xvx⊃x
   2、 x⊃xvy
   3、 xvy⊃yvx
   4、 (x⊃y)⊃(zvx⊃zvy)
  5、 xv(y⊃z)⊃yv(xvz)
   α、 代入法則
   β、 推論法式

(4)ヒルベルトとアッカーマンの公理系(1928)
   1、 xvx⊃x
   2、 x⊃xvy
   3、 xvy⊃yvx
   4、(x⊃y)⊃(zv⊃ Azvy)
   α、 代入法則
   β、 推論法式

(5)ルカシェヴィッツの公理系(1930)
   1、 x⊃(y⊃x)
   2、 (x⊃(y⊃z))⊃((x⊃y)⊃(x⊃z))
   3、 (〜x⊃〜y)⊃(y⊃x)
   α、 代入法則
   β、 推論法則

6、ゲンツェンの自然推論系(1934)