第三回講義  
2001.5.8


§3 グライスの意味論による発語内的指示の分析


1、 グライスの意味論の解説
   第一節 グライスの意味論の検討
(参考論文
 Paul Grice, Meaning (1948), in Studies in the Way of Words, 1989, Harvard U.P.,)
P.F. Strawson, Intention and Convention in Speech Acts, in Philosophical Review,   
        vol.73, 1964, pp.439-460.
S.R. Schiffer, Meaning, Clarendon Press, Oxford, 1972, pp.17-26.)

――――――――(ここら拙論「メタもミュニケーションのパラドクス(2)」からの引用
 グライスは、有名な論文「意味」(1948)において、まず、最初に「自然的意味」と「非自然的意味」を区別する。前者の例は、「それらの斑点は、風疹を意味している」「最近の予算案は、我々が厳しい年を迎えること、を意味している。」であり、後者の例は、「バスのベルが3度鳴るのは、バスが満員であることを意味している」である。前者は、因果性にもとづいた意味であるが、後者の意味は、因果性に基づいていない。この区別は大変重要な指摘であるが、この論文の主題は、後者の「非自然的意味」が成立するための必要十分条件を明らかにすることである。
 グライスによる最初の提案は、次の通りである(以下、第三の最終提案まで順次検討する)。
  「"xが何かを非自然的に意味した"が真であるのは、xが、xの発話者に   よって、ある"聞き手"にある信念を生じさせるように意図されていたと   きである」(1)
(この引用からも、グライスが、xの非自然的意味を、発話者の立場でとらえようとしていることが解るが、それは次に述べる第二、第三の提案で、さらに明確になる。後の論文「発話者の意味と意図」では、このような観点での意味を、「発話者の意味」と呼び、そのことを明示しているのだが、この論文では、その点が曖昧で、そのために議論が曖昧になっているところがあるように思われる。)
 この第一提案の欠点をしめすために、グライスは次の例を挙げている。私が、B氏が殺人者であるという信念を刑事に生じさせるために、B氏のハンカチを殺人現場の近くに残す場合に、我々は、私が、そのハンカチを残すことによって、B氏が殺人者であることを意味した、とは言わないだろう、とグライスは言う。(グライスはこれを自明と考えたのか、なにも説明していないが)我々は次のように説明できるだろう。刑事がそのハンカチを見て、B氏が殺人者だと考えたとすると、そのときそのハンカチは、刑事にとって、B氏が殺人者であることを「自然的に」意味しているといえるが、「非自然的に」意味しているのではない。さらに、この場合の私は、刑事にとって、そのハンカチが「B氏が殺人者である」ことを「自然的に」意味することを、意図している。それゆえに、私は、その行為によって、何かを「非自然的に」意味しているとは言えない。
 このようなケースを除外するために、グライスの考えた第二の提案は、次の通りである。
  「xが何かを非自然的に意味したというためには、xがある信念を生じさせ  るという意図をもって"発話"されるだけでなく、発話者が発話の背後の   意図を、"聞き手"が認知することを意図したのではければならない。」(2)
これを成立すると次の二条件になる。

  条件1「発話者が、聞き手にある信念を生じさせようと意図して発話する。」
  条件2「発話者が、発話者が聞き手にある信念を生じさせようと意図していることを、聞き手が認知することを意図する。」

 上のハンカチの例で「非自然的意味」が成立しないのは、条件1は充たされているが、条件2が充たされていないからである。その例では、条件2と矛盾する条件2!が充たされている。

  条件2!「発話者が、発話者が聞き手にある信念を生じさせようと意図していることを、聞き手が認知しないように意図する。」

ところで、相手を欺こうとする上のような例を除外するには、条件2!が成立しないこと、つまり次の条件で十分なのではないか。

  条件2#「発話者が、発話者が聞き手にある信念を生じさせようと意図していることを、聞き手が認知しないことを意図していない」

 我々はグライスの条件2の指摘をすばらしい卓見だと思うが、しかしそれは、それだけグライスの条件2が我々にとって意外な指摘だったということである。つまり、ふつう我々は条件1のみを意識し、条件2をほとんど意識していないのではないかと思われる。条件2は本当に必要なのだろうか。
 条件1と条件2#を充たしている発話者が、聞き手に「あなたは私にある信念を生じさせようと意図しているのですか」と質問されるばあい、「はい、そうです」と答えるだろう。なぜなら、彼は条件1「発話者が、聞き手にある信念を生じさせようと意図する」を充たしているからである。そして、「はい」と答えることは、彼が聞き手にある信念を生じさせようと意図していることを認知させることになる。つまり条件2を実現することになる。
 もう一つの可能性がある。そして、実際には、これが最も多いかもしれない。それは、つぎの条件が充たされる場合である。

  条件2##「発話者が、発話者が聞き手にある信念を生じさせようと意図していることを、聞き手が認知することも、しないことも意図していない」

この場合にも、条件2#の場合と同じで、「あなたは私にある信念を生じさせようと意図しているのですか」と質問されたならば、「はい」と答えるだろう。そして、その返答によって、条件2を実現することになるだろう。
 しかし、条件1と条件2!を充たしている発話者、つまり相手を騙そうとしている発話者の場合には、同じ質問をされても、「いいえ」と答えて、シラを切ろうとするだろう。彼は、ある信念を聞き手に生じさせようと意図していることを聞き手が認知しないことを意図しているからである。
 まとめておこう。発話者は、もし、条件1を充たしており、また騙そうとしてないのならば、顕在的ないし潜在的に条件2を充たしている(潜在的に条件2を充たしているというのは、条件2#や条件2##である)。したがって、我々は、グライスのいう条件2が、少なくとも潜在的に充たされることが必要であると言えるだろう。グライスが条件2を必要と考えるのも、おそらくこのような意味においてであろうと思われる。
 条件2の必要性は、聞き手の側から考察するときには、もっと明きらかである。我々が、相手のある行為を発話として理解するのは、彼がその行為によって何らかの信念を生じさせようと意図していることを我々が認知する場合であろり、かつその場合に限る。相手の行為の意図をそのように認知しないにも関わらず、相手の行為を発話として理解することはありえないだろうからである。それゆえに、もし発話者が条件2を(はっきりと自覚して)充たしていなくても、聞き手が、ある行為を、発話として理解するとすれば、聞き手は、発話者がその発話によってある信念を生じさせようと意図していることを認知しているはずである。言い換えると、そのとき、聞き手は、発話者に関して条件2が成立していると考えているはずである。<聞き手Aにとって、Sが、行為xによって、何かを非自然的に意味する>ための条件は、グライスの2つの条件であることは明きらかである。
ただし、<話し手Sにとって、Sが、行為xによって、何かを非自然的に意味する>ための条件(グライスがこの論文で考察しようとしているのは、おそらくこの条件であると思われる)もまた、上に見たようにグライスの2つの条件(ただし条件2は潜在的充足でよい)であるといえる。
さて、グライスは、第二の提案にもまだ欠点があることを、次の例で示す。ヘロデは、洗礼者ヨハネの頭をお盆に載せてサロメにプレゼントした。この場合、ヘロデは、ヨハネが死んだことをサロメに信じさせようと意図しており、かつ、そのように意図していることをサロメに認知させようと、意図している。しかし、この場合、ヘロデが、洗礼者ヨハネの頭をお盆に載せてサロメにプレゼントすることによって、ヨハネが死んだことを意味していた、とはグライスは考えない。
 なぜだろうか。サロメは、ヨハネが死んだことをサロメに信じさせようとヘロデが意図しているのを認知するだろう。しかし、サロメが、ヨハネが死んだことを信じるのは、目の前のお盆の上の首がヨハネの死を「自然的に」意味しているからである。グライスは、この例は、「何かを思わせること」ではあっても「何かを告げること」ではない、という。そして、「非自然的意味」とは「何かを告げること」なのだという。(3)
 この区別を示すために、グライスは、次の二つのケースを比較せよと言う。
(1)私は、X氏に、X夫人との不謹慎な親しさを示しているY氏の写真を見せる。
(2)私は、そのような振舞のY氏の絵を描いて、それをX氏に見せる。
 (1)の場合には、私が彼に彼の妻とY氏の関係を信じさせようとしているという私の意図をX氏が認知しなくても、X氏は妻とY氏の関係を信じることがある。たとえば、私がその写真を彼の部屋に忘れて置くばあいである。つまり、私は、X氏に彼の妻とY氏の関係を信じさせようと意図1していることを、X氏に認知させようと意図2しなくても、意図1を実現することができる。つまり、ここでは、二つの意図が独立している。意図2から独立に意図1が成立するのは、その写真が、X氏の妻とY氏の関係を「自然的に」意味しているからである。もちろん、この場合には、最初のハンカチの例のように、聞き手が意図1を認知することが、意図1の実現を無効にすることにはならない。
 (2)の場合には、私が彼に彼の妻とY氏の関係を信じさせようとしているという私の意図1をX氏が認知しなくても、X氏は妻とY氏の関係を信じることがあるだろうか。たとえば、私がその絵を彼の部屋に忘れて置くばあいに、(問題が微妙になるので、それが私の描いたものであることをX氏が理解しないとすると)X氏は、その絵をみて妻とY氏の関係を信じることがあるだろうか。確かに、あるかもしれないが、その場合には、その絵が写真のように、自然的意味をもつことによってではなく、誰かが、その絵で、誰かに(あるいはX氏に)、妻とY氏の関係を伝えようと意図1したのだと考えるからである。この場合にも、私ではないが、誰かの意図1をX氏が認知するときにのみ、絵はX氏に妻とY氏の関係を信じさせることができるのである。私がX氏の前で絵を描いて見せる場合にも、私の絵がX氏に妻とY氏の親しい関係を信じさせることになるのは、私がX氏にそのことを信じさせようと意図1していることを彼が認知することによってである。つまり、二つの意図(意図1と意図2)は独立しておらず、意図1の実現は意図2の実現に依存している。
 そこで、グライスが最終的に提案するのは、次の規定である。
  「"A氏が、xによって何かを非自然的に意味した"ということは、"A氏  が、ある信念を生じさせるという意図の認知を介して、その信念を生じさせ  るという意図をもって、xを発話した"ということとおおよそ等値である。」  (4)
さらに、発話には、ある信念を生じさせるものだけでなく、聞き手にある行為をさせるものもあるので、グライスとストローソンにならって、より一般的に、「聞き手にある反応rを生じさせる」と言い替えて、整理すると次のようになる。 <S(speaker)が、行為xによって、何かを非自然的に意味する>ための条件は、次の3つである。

  条件1、Sが、行為xによって、A(addressee)にある反応rを生じさせよう と意図1している。
  条件2、Sは、AがSの意図1を認知することを意図2する。
  条件3、Sは、Aによる意図1の認知にもとづいて、Aにある反応rが生じることを意図3する。

―――――――――――――引用おわり

2、グライスの意味論による発語内的指示の分析
 Sが「これ」と言って、犬xを指示するとき、次の三つが成立している。

 (a)Sは、Aが犬xに注意を向けることを意図1している。
 (b)Sは、Sのこの意図1をAが認知することを意図2している。
 (c)Sは、Aがこの認知を理由にして、Aが犬xに注意を向けることを意図3している。

 ここで、条件(c)は必要である。Sは、Aが犬xに注意をむけることを意図しているが、それだけではない。なぜなら、Sが「これ」と言って、犬xへ注意することを意図したとき、同時にその犬がワンと吼えたために、聞き手が犬xに注意を向けたとすると、彼の意図1は実現しているが、Sが指示をしたとは言えないからである。

3、グライスの意味論による指示と命名の区別
 Sが「ポチ」と言って、犬xをAに指示するとき、次の三つが成立している。

 (a)Sは、Aが犬xに注意をむけることを意図1している。
 (b)Sは、Sのこの意図1をAが認知することを意図2している。
 (c)Sは、Aがこの認知を理由にして、Aが犬xに注意をむけることを意図3している。

 ここでAが以前からその犬が「ポチ」という名前を持つことを知っていたとしよう。<このときには、話し手が「ポチ」と呼ぶことを理解することを意図1していることが理由になって、「ポチ」と呼ぶようになるのではないとしても、指示は成功しているだろう。>と考えるのは、間違いである。これは、固有名の理解と指示の理解を混同している。
 ここで指示が成立するというのは、タイプ「ポチ」が犬xを指示していることを理解するようになるとか、それを学習するということではない。そうではなくて、ここでのトークン「ポチ」で犬xを指示していること、つまりここで話し手が犬xをAに指示していることを理解することである。

4、問題「上の2の主張は正しいのだろうか?」
つまり、「条件の1と2が満たされていて、3が充たされていないようなケースが、発語内的指示に関して、存在するのだろうか。もし存在しなければ、条件1と2をみたせば十分であることになるろう。」あるいは、「条件1と条件2が充たされているが、それにも関わらず条件が3が満たされ折らず、それでも指示が成立しているというケースは存在しないのだろうか」

検証例1:とらわれたヒロインが猿ぐつわをされて椅子に縛り付けられている。そこにヒーローが助けにやってきた。
ヒロインは、横の壁で秒を刻んでいる爆弾のスイッチを目で指示しようとする。ヒーローは、彼女が自分に何かを伝えようとするのが
わかって、周りを見回す。そして、壁の爆弾のスイッチを見付けて、急いでそのスイッチを切る。間一髪、液晶画面は、のこり7秒でを指したところで、停止した。
 さてこのとき、次の条件1,2は成立しているが、3は成立していない。
   女が、目で爆弾のスイッチを指示しようとするとき、
    条件1:女は、男が爆弾のスイッチに注意することを意図1する。
    条件2:女は、スイッチに注意してほしいという意図を男が認知することを意図2している
    条件3:女は、男が意図1を認知することにもとづいて、男が爆弾のスイッチに注意することを意図する。

ここでは、女は、1と2を満たしている、条件3をみたしてはいない。なぜなら、彼女はそれを男にいうことができず、気づいてもらうことを期待できるだけだからである。男がスイッチに気づいたときには、事後的に、女がそのスイッチに気づいてほしいと意図していたのだとわかるのである。このとき、女が、男に爆弾のスイッチを指示したとはいえない。
 つまり、この事例から言えることは、条件1と2がみたされていても、条件3がみたされるとはかぎらず、またそのように条件1と2だけが満たされて、3が満たされていないときには、指示は成立していない。
 ゆえに、指示が成立するためには、条件の1、2、3が必要である。