第4回講義

 



 第一章でのべた命題的指示と発語内的指示の区別についての議論については、まだ曖昧な部分が残っていると思います。とりわけグライスの意味論を発語内的指示に適用できるのかどうかについて、(また、発語内的否定を見とめることができるかどうかについて)気がかりが残りますが、このテーマの射程を示すためにも、次にクワインの「指示の不確定性」テーゼの検討に入りたいと思います。この検討を進める段階で、第一章の議論が関わってくると予想しています。
 


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        第二章 クワインの「指示の不確定性」テーゼの検討

       §4 「指示の不確定性」と「翻訳の不確定性」の説明


 ここでは、次の本をもとに、クワインの二つのテーゼについて説明したい。


        Quine、"Word and Object" The MIT Press 1960
       クワイン『ことばと対象』大出晃、宮館恵訳、けい草書房
          「第二章 翻訳と意味」からの引用。

「翻訳の不確定性原理」(principle of indeterminacy of translation)42
「ある言語を別の言語に翻訳するための手引きには、種々のことなる手引きが可能であり、いずれの手引きも言語性向全体とは両立しうるものの、それら手引き同士は互いに両立し得ないということがありうる。」42

「指示の不可測性(inscrutability)、不確定性(indeterminacy)」
{これは、名辞(or表示句)の指示対象が、一つに確定することが不可能であるということを主張するものです。}

――――――――――――― ここから引用です。

「根底的翻訳」(radikal translation)=「これまで接触のなかった人々の言語の翻訳」44

・「このように言語学者はさまざまな刺激状況のそれぞれにおいて'Gavagai?'と問い、そのたびに、現地人が同意を示しているのか、あるいはそのいずれでもないのかを書き留めるものとしよう。」45
・「ところで、言語学者は、原地人の反応を見たり聞いたりして、如何にして彼らの同意や不同意を認識しうるのであろうか。彼らのジェスチャーを額面通りうけとることはできない。」45「そこで、言語学者は、現地人の自発的な発語をそっくりまねるという実験を試みる。」46
・「今まで述べてきた意味での「促す」(prompt)は「引き出す」(elicit)とは違うことに注意しよう。原地人の'Evet'や'York'を引き出すのは、促している刺激とそれにすぐ続く質問'Gavagai?'との組み合わせなのである。」(47)
{「促し」は、同意ないし不同意の促しであり、「引き出す」というのは、同意であれ、不同意であれ、答を<引き出す>ことを意味するようだ。 <促す>刺激と質問との組み合わせが、答えを<引き出す>}

<刺激と刺激意味>
「'GAVAGAI?'という質問に対して同意するように原地人を促すものは、うさぎではなく刺激である、と考えることは重要である。」47
「'Gavagai?の使用は‘Rabbit'の使用に相当する、と試験的に扱う際、突き合わすべきものは刺激であって動物そのものではない。」48

・肯定的刺激意味
「肯定的刺激意味を、話者の同意を促すであろうすべての刺激のクラス(したがって、直前直後に適当な時間の遮断がなされた展開しつつある目の照射パターン)と定義することができよう。」(50)
 よりめいかくには
「任意の話者にとって、刺激sが文Sの肯定的刺激意味に属すると言えるのは、まずその話者に刺激s’が与えられて、文Sを問われてもそれに同意しないが、その後で刺激sが与えられて文Sをふたたび問われたならば、今度はそれに同意を表明するであろうような刺激s’が存在するとき、そしてそのときにかぎる。」50
・否定的刺激意味
「同様に、否定的刺激意味は、「同意」と「不同意」をそれぞれ交換して定義され、刺激意味(stimulus meaning)は、それら二つの刺激意味の順序対として定義できよう。」5
「刺激意味とは、時刻Tでの、話者aにとっての、文Sの、係数n秒の刺激意味である。」51

<定常文(standing sentence)と場面文(occasion sentence)>
「場面文とは、「赤い」「痛い」「彼の顔は汚い」のような文であり、同意・不同意を促すような適切な刺激に続いて問われたときに限り、同意または不同意を強要する文である。定常文に対する、同意・不同意の判定が促されるということも可能ではある。しかし、これらの定常文は、後に再び問われたとき、被調査者がそのときの刺激には促されずにかつての同意もしくは不同意を繰り返しうるものであるのに対し、場面文は、そのときどきの刺激によって被調査者が今一度促されてはじめて、同意もしくは不同意を強要するのである。定常文と場面文との区別は、刺激係数に相対的である。(57)

<観察文>
「'Red'が'Rabbit'よりも干渉的情報の影響をいくらか受けにくいとすれば、'Rabbit'よりもはるかに干渉的情報の影響を受けやすい文もある。'Bachelor'がその一例である。」65
「'Bachelor'の刺激意味は(おそらく係数の増加をも伴わない限り)想像力をどんなにたくましくしたところで、この文の<意味>だとみなすことができない。」66
{係数の増加とは、たとえば「この十年間の彼は独身だ」というような文への同意、不同意を尋ねることによって、刺激意味を特定しやすくなる、ということだろう。}

「場面文の刺激意味が付帯的情報の影響を受けにくくなればなるほど、その場面文の刺激意味をその文の意味と考えるのは、不合理でなくなる。付帯的情報の影響を受けても刺激意味がなんら変化しないような場面文は、観察文と呼ばれるのが自然であり、その刺激意味はこれら観察文の意味を非の打ちどころのないほど正当に扱っている。」(66)
 {付帯的情報とは、その場面で与えれれている感覚刺激以外の情報のことである}
「観察性という段階的概念を基本的なものとみなすならば、観察性の高い文については、それを単に観察文と言うこともできよう。狭い意味では、'Red'だけに観察文の資格があり、より広い意味では、'Rabbit'や'The tide is out'(干潮だ)も観察文といえる。」69

「観察性という概念は社会的である。上で提出した、行動に基づくこの概念の定義は、共同体全体にわたる刺激意味の類似性に依存するのである。」(70)

<刺激同義性>
「一人の話者に関する限り、刺激同義性(すなわち刺激意味の同一性)は、観察文ばかりか非観察文の同義性をもチェックするよい基準である。」72
「各話者にとっては、'Bacelor'と'Unmarried man'は、刺激同義的ではあるが、「意味」という語の適切に規定されたいかなる解釈においても、同一の意味をもつとはいえないのである。(というのは、'Bachelor'の場合、刺激意味は、何らその種の意味ではないからである。)たいへん結構。なぜなら、ここに、我々が同義性を受け入れながらも意味というものなしにすますことのできるケースがあるからである。」72

<指示の不確定性>
「場面文'Gavagai'と場面文'Rabbit'が刺激同義的であるからといって、'gavagai'と'rabbit'が外延を同じくする名辞である(すなわち、同一の事物についていずれも真である)ということには必ずしもならないのである。」81

'gavagai'は、「単なるウサギの諸相」(stgages of rabbits) ないし「ウサギのすべての雑多な分離されていない部分」(undetached parts of rabbits)ないし「すべてのウサギの融合体(fusion)を名指す単称名辞」(81)ないし「繰り返し起こる普遍者、すなわち<ウサギ性(rabbithood)>を名指す単称名辞」(82)かもしれない。

「場面文と刺激意味は、普遍的に通用する通貨であり、名辞と指示対象は、我々の概念枠に特有なものである。」84「不明なのは、類似性ではなく、文の解体法なのである。」84

<同一言語内での名辞の刺激同義性の定義>
「被調査者が(係数内の)どの刺激の後でも同意するであろうろうような文(なにものにも同意しないであろうようなばあいもふくめて)があれば、わたくしはその文を、その被調査者にとって刺激分析的(stimulus analytic)と呼ぶ。一般名辞としてのFとGとの刺激同義性に関するわれわれの条件は、したがって、'All Fs are Gs and vice versa'の刺激分析性に帰着する。」86
「名辞の同義性の定義をこのように単純化すると、名辞の対象がその名辞を場面文として使ってもおかしくないようなものであるか否かには関係なく、この定義はすべての名辞に拡張されることになる。」87

<論理結合子の翻訳>
 否定、論理的連言、選言といった真理関数は根源的翻訳が可能である。90
「同意・不同意を参照することによって、真理関数の意味論的規準、すなわち、原地語の任意の言いまわしが当該の真理関数を表現していると解釈されるべきか否か、を決定する基準を述べることができる。否定の意味論的規準とは、<否定は、ある人が同意するどの短文をもその人が不同意を示す文に変え、逆もまた同じ>というものである。連言の意味論的規準とは、<連言は、(連言を構成している各文が、短いときに)ある人が構成要素のそれぞれに同意する用意があるときにかぎり常にその人が同意する用意のあるような複合文を作り出すというものである。選言の意味論的規準とは、連減の意味論的規準に現れる二ヶ所の<同意する>を<不同意を示す>に変えたものである>91

<同義文と分析文>
 クワインは「同義的」synonymous、すなわち意味の同一性を、文、句、単語の区別なく使用する。97
「二つの文が同義的であるとは、それらの文を'if and only if'で結合して形成される双条件文が分析的であるとき、そしてそのときに限る。」103
 ただし、「黒い犬が存在したことがある」という文も刺激分析的であることになる。104。{つまり、分析と綜合を、区別できないということである。}

<分析仮説>
野外言語学者によって達成されうることは、次の4つである。
「(1)観察文は翻訳可能である。不確実性が存在するが、それは通常の機能の場合と同    様である。
{これは、たとえば、'Gavagai'が「ウサギ」ではなくて、「白いウサギ」だけを指すのかもしれない、というようなこと、あるいは「ウサギとリス」を指すのかもしれない、というようなこと、である。}
(1) 真理関数は翻訳可能である。
(2) 刺激分析的な文は、認知可能である。逆のタイプの文、すなわち、常に不同意を強要する<刺激矛盾的>な文も同様に認知可能である。
(3) 現地語の場面文の主観内的刺激同義性の諸問題は、それが提起されるとして、非観察的な種類の場面文についても解決可能である。ただし、当の非観察的な場面文は翻訳不可能である。」106

野外言語学者はこの限界を次のようにして超える。
「かれは聞き取った発話を、繰り返し起こる適度に短い部分に分割し、現地語の<単語>のリストを作成する。彼は仮説として、リストの中のいくつかの現地語<単語>を、(1)−(4)に適合する仕方で英語の語句に相当させてみる。私はこれを、彼の分析仮説(analytical hipotheses)と呼ぶ。」106

「競合する分析仮説の諸体系が、それぞれ発話行動全体に完全に一致しうること、そして発話行動の性向全体にも同様に一致しうること、そして、それにも関わらず(刺激場面という)独立の制約を受け付けない無数の文の翻訳としては、互いに両立し得ない翻訳を提供するということは疑い得ない。」113

参照:"Ontological Relativity and Other Essays"1969, pp.35-36.
ここで、クワインは、日本語の「5頭の牛」を例に「指示の不可測性」を説明している。
「5頭の牛」は数詞、分類詞、名詞の三つの語からなるが、英語では、普通は2語でやくされる。しかし、別の訳も可能である。
  five oxen 
  five heads of cattle
後者では、牛は、mass term として理解されている。「コップ5杯の水」のように。


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