第6回講義 (2001.05.29)
§番外編 予備考察(相互知識への諸段階)
(予告では、クワインの存在論的相対性のテーゼについて、説明する予定でしたが、学会のために準備ができなかったので、その後のクワインの検討で使用するであろう予備的な議論を、番狂わせですが、行なうことにします。)
1、実在知と共有知
(1) 実在知
猫が、魚を見つけて、それを食べようとする。このとき、猫は、魚を知覚している。猫に与えられているの魚の知覚像にすぎないが、猫は魚そのものを見ているとおもっているのだろう。
我々も猫と同じく、日常生活でたとえば魚を食べるときに、魚そのものを見ており、見えている魚そのものを食べるのだと思っている。見えているのは、魚の知覚像であるとは考えていない。ここには、知覚(知)と対象の区別はない。このような知を、かりに「実在知」と呼ぶことにしよう。
(2)共有知
さらにいえば日常生活では、私は食卓の魚そのものを見ているのであり、向かいに座っている人間にもその魚そのものが見えている、と私は思っている。つまり、対象そのものが他者に見えている。つまり、私の知は、みんなの知である。この観点からいうならば、「実在知」は「共有知」でもある。日常生活では、それが「共有」されているとは思っているが、それが「知」であるとも、ましてや「共有知」であるとも思っていない。
注:偽信念問題
――――――――――― 人間科学部助手能川さんのメイルから引用。
私が参照したのはRoutledgeの哲学大百科( Routledge Encyclopedia of
philosopy )の "Child's theory of Mind"という項目です。MITの認知科学百
科事典(現在翻訳が企画されていますが)にも簡単ですが説明がありました。
日本語の文献もあったように思いますがすぐに思い出せません。思い出しまし
たらお知らせいたします。
>>発達心理学に「偽信念問題」というのがあります。さまざまな年齢の子ども
>>に次のような人形劇を見せます。Aがやってきてキャンディーの箱を見つけ、>>なかを開けるとキャンディーではなく鉛筆が入っている。次にBがやってきて>>やはりキャンディーの箱を見つける(が、まだ開けていない)。この時、子ど>>もに「Bは箱のなかになにが入っていると思っているかな?」と聞くと、3才児>>は「鉛筆」と答えてしまいます。「キャンディー」と(正しく?)答えられる>>ようになるのはより後になってからです(5、6才だったと思います。ちなみ
>>に、自閉症児はこの「偽信念問題」をうまく扱えないそうです)。AとBの関係
>>に注目すれば、箱の中身が「相互知識」の主題になるわけですが、発達的に
>>は「自分の知識は相互的なものではない=個人的なものである」という認識
>>は決してプリミティブなものではない、ということになります。
>
> 自閉症児は、「キャンディー」と答えるのでしょうか?
いえ、「鉛筆」と答えてしまいます。改めて文献を確認してみると、正常児の
場合4才で85%が「キャンディー」と答えられるようになります。4才児、ダウ
ン症の子ども、そして年長の自閉症の子どもを比較した実験では、自閉症児の
グループが年齢も上で、またダウン症児のグループよりも平均IQが高い(前者
が64、後者が82)にもかかわらず、ダウン症児の85%が「正解」できるのに対
して自閉症児では20%しか「正解」できなかった、とあります。したがってこ
れは一般的な知能の障害に由来するのではなく、自閉症に特有の障害ではない
かと考えられているわけです。
――――――――――――― 引用ここまで
2、提示と指差し
(1)提示(showing)
提示とは、対象を直接に手でもつことによって、相手がその対象に注意を向けるようにすることである。
これは、人間に限らず、チンパンジーにも見られるようである(参照、村田孝次『幼児の言語発達』培風館、昭和43年)。
(2) 指差し(pointing)
これは、対象を指差すことによって、相手がその対象に注意を向けるようにすることである。この動作が、対象を手にとろうとして、手をそちらへと伸ばす行為から発達したのか、ちがうのか、という議論があったが、最近の研究によれば、手をそちらへ伸ばそうという行為から発達したものではない、ということがわかっている。
「指差しのときの発声「アー」「アー」は、落ちついた低い調子で一音、一音切れた独特のものである。要求があるときの「アァー」というイライラしたような調子でやや高く強くのばされた声とは明らかにちがっていた。」(やまだようこ『ことばの前のことば』新曜社、1987年、p.95)
ちなみに、人間の発達の場合、指差し、提示、手渡しは、ほぼ同じころに登場する。
村田氏によれば、チンパンジーには、指差しができないそうである(参考、村田孝次『幼児の言語発達』培風館、昭和43年。この点は、松沢哲郎などの最新の研究を確認する必要があるかもしれない。)
3、相互覚知と相互知識
(1)相互覚知(mutual awareness)
ベイトソンによれば「相互覚知」とは、「相手がこちらを知覚していることをこちらが知っており、相手もこちらが知覚している事実をわきまえている」(ベイトソン&ロイシュ『コミュニケーション』思索社、原書1951年、訳p.224)
(1) 私は、相手を知覚している。
(2) 相手は、私を知覚している。
(3) 私は、相手が私を知覚していることに気づく。
(4) 相手は、私が相手を知覚していることに気づく。
ベイトソンは、「相互覚知」に諸段階を考えているようだが、我々は上の者を相互覚知と呼ぶことにしたい。
(注 ベイトソンは、相互覚知をもつ動物を、次のように考えている。
「進化のこの段階は、ホ乳動物、霊長類と家畜にしかみられないものだろう。操作的に、集団が高次段階にあるかどうかを決めるには、参加者が信号の発信を、その発信が相手に聞こえるか、見えるか、分かるかを配慮して自己修正するかどうか観察すればよい。動物にはこのような自己修正があまり見られないし、人間の場合でも望ましいにも関わらず、常に存在するとはいい難い。」)
(2)相互知識
シファーの定義
「K*sap」=df.「SとAが、pを相互に知っている*」
我々は次のように言うことが出来る。
K*sap iff
Ksp
Kap
KsKap
KaKsp (提示に必要な段階)
KsKaKsp
KaKsKap (指差しに必要な段階)
KsKaKsKap
KaKaKaKsp
・
・
4、相互知識への発展プロセス
ここでは、提示と指差しと相互覚知と相互知識の論理的な発生順序を考えたい。
(1)2点(提示→指差し、相互覚知→相互知識)の確認
・チンパンジーは提示はできるが指差しはできないとされるので、成立条件の論理的な順序において、提示は指差しに先行するだろう。(人間の発達段階においては、ほぼ同時に現れる。提示に必要な運動能力が成立するときには、すでに指差しに必要な知能が成立しているという原因による。)
・ 高等な動物は相互覚知はできるが、相互知識はもたないとおもわれるので、成立条件の論理的な順序においては、相互覚知は相互知識に先行するだろう。
(2)「提示は相互覚知を前提する」の証明
提示は、相互覚知を前提するように思われる。その証明を試みよう。
チンパンジーも提示を行なうそうである。たとえば、人間をブランコまで連れていって、一緒に遊ぼうと要求するそうである。このとき、チンパンジーは、ブランコをその人間に「提示」している。つまり、チンパンジーは、その人間がブランコを見ることを実現させようとしている。これが成功するとき、成立しているのは次のような事柄である。
(1)チンパンジーが、ブランコをみている。
(2)xさんが、ブランコを見ている。
(3)チンパンジーは、xさんがブランコを見ていることを知っている。
(なぜなら、チンパンジーはこれを意図していたのだから、これが
実現したときには、そのことに気づいているだろうから。)
(4)xさんは、チンパンジーがブランコを見ていることを知っている。
ここで(4)が成立していなくても、提示は成立したといえるかもしれない。
たとえば、提示するのがチンパンジーaであり、提示を受けるのが別のチンパンジーbであるとすると、
(4‘)bは、aがブランコを見ていることを知っている
といえるだろうか。これが成立する場合もあるだろうが、成立しない場合もあるだろう。その場合でも提示が成立するといえるかもしれない。
ところで、提示が成立するためには、少なくとも(3)の成立は不可欠である。そして、相手が何を見ているかを知る能力があるならば、互いに相手を見ている場合にそのことを互いに知る能力、つまり相互覚知の能力があることになる。したがって、提示は、相互覚知の能力を前提する。
(3)「指差しは相互知識を前提する」の証明
幼児が、ある対象を指差して「アー」と声をあげて、母親がそれを見ることをもとめる。母親がそれを見て反応すると、幼児は満足する。ここでは、次のことが成立している。
(1) 幼児が、対象xを指差す。
(2) 母親は、幼児が対象xを指差すのを見る。
(3)母親が、対象xを見る。
(4) 幼児は、母親が対象xを見るのを確認する。
(5) 幼児は、<母親が、幼児が対象xを指差したから、対象xを見た>ことを知っている。
ところで、仮にチンパンジーがブランコを指差したのだとしてみよう。
(1)チンパンジーが、ブランコを見ている。
(2)私が、ブランコを見ている。
(3)チンパンジーは、私がブランコを見ていることを知っている。
(4)私は、チンパンジーがブランコを見ていることを知っている。
上の提示の例で成立していたのはここまでである。しかし、指示が成り立つときには、次の(5)も成り立つ。
(5)チンパンジーは、<私が、チンパンジーがブランコを見ているこ
とを知っている>ことを知っている。
(5)が成り立つときには、次の(a)も成り立つだろう。
(a)チンパンジーは、<自分が、ブランコを見ている>ことを知って
いる。
この(a)が成り立つということは、自己意識をもつということである。つまり、(5)が成り立つためには、自己意識が成立しなければならない。たしかに、チンパンジーは自己意識をもつといわれている。それゆえに、(a)が成立する。しかし、チンパンジーには指差しができないといわれる。もしそうだとすれば、チンパンジーには、(5)ができないのだと推測できる。つまり、チンパンジーには、相互知識ができないのである。指差しができるためには、相互知識が可能でなければならない。
さらに言えば、指差しが可能であるためには、相互知識だけでは不十分である。これとついでに示しておこう。
指差しが成立するためには、(5)だけでなく次の(6)も成立していなければならない。
(6) チンパンジーは、<私は、チンパンジーが対象xを指差したから、
対象xを見た>ことを知っている。
チンパンジーに指差しができないのだとすると、チンパンジーには、(6)もまたできないのである。
(上の相互知識の説明のところでは、3階の知が成立していれば、指差しが可能であると述べている。それが正しければ、指差しが成立するには、完全な相互知識が成立していなくてもよい、という結論になる。したがって、相互知識についても、いくつかの段階わけをすべきであるかもしれない。これについては、今後の課題とする。)
(3)仮説「提示は相互覚知を前提し、指示は相互知識を前提する」
もし、(1)と(2)の証明が正しければ、「提示は相互覚知を前提し、指示は相互知識を前提する」を主張できるだろう。また、これらの発展順序は、次のようになるだろう。
相互覚知→提示→相互知識→指差し
(4) 相互覚知→自己意識→相互知識
以上を踏まえて、発達段階における自己意識の位置付けを考えよう。
家畜やサルは相互覚知をもつとベイトソンはいう。しかし、彼らは自己意識をもたないと言われる。これに対して、チンパンジーやゴリラなどの高等な類人猿は、自己意識をもつと言われている。しかし、彼らは指差しを行なわないとされている。したがって、自己意識は、相互覚知を前提するが、相互知識には先行することになる。つまり、次のような順序になるだろう。
相互覚知→自己意識→相互知識
(このような順序を主張する際の難点は、幼児の鏡像段階が、指差しの段階よりも後であることである。このことは、これまでの議論の再考を促しているようにおもわれるが、今後の課題とする。)