第2回講義 2001年10月23日

 

第三章 固有名をめぐる論争の検討

§11 クリプキによる「アプリオリ」と「必然的」の区別

1、「アプリオリ」と「必然的」の区別


2、アポステリオリな必然的真理とアプリオリな偶然的真理が存在する(つづき)

 

<先週の復習>

   

 

アプリオリ

アポステリオリ

必然的

偶然的


○は、従来から認められている。
は、従来は認められていなかったがクリプキがはじめてその存在を主張した。

 

(1)アプリオリで偶然的な真理

「棒Sはt0において、1メートルの長さである」

「水は海水面では、摂氏100度で沸騰する」

    「ニクソンは、1970年のアメリカ大統領である」

「1メートル」が固定指示子であるとすれば、この言明は、形而上学的には、偶然的言明である。

「ニクソン」は固定指示子である。「1970年のアメリカ大統領」は非固定指示子である。ゆえに、アプリオリで偶然的な命題である。

(2)アポステリオリで必然的な真理

「エベレストはゴーリサンカーである」

これは経験的な真理であるが、二つの名前が固定指示子であるので、必然的な真理である。

 

 

<確認のための問い>

問:「なぜ、『ニクソンは、1970年のアメリカ大統領である』は、アポステリオリな真理でなく、アプリオリな真理なのか?」

 

答:たとえば、ニクソンの学生時代の同級生が、1970年のある時点で、ニクソンが大統領になったことをTVで知ったときには、彼にとって「ニクソンは、1970年のアメリカ大統領である」は、アプリオリな真理ではなくて、経験的な真理である。しかし、2001年に学校で、1970年のアメリカ大統領がニクソンであることを学んだ者にとっては、「ニクソンは、1970年のアメリカ大統領である」は、アプリオリな真理である。これは「メートル」の指示を固定する定義とおなじように、「ニクソン」の指示を固定する定義なのである。(意味を与える定義ではない。なぜなら、そのときにはそれは、アプリオリで必然的な命題であることになるから。)

 

クリプキがこのように考えている証拠を二ヶ所挙げよう。

 

「したがって、アリストテレスはこれらの性質の選言をもっていた、という言明は偶然的真理なのである。

これらの事柄のうちの一つをなした当の男として実際に「アリストテレス」の指示を固定するものならば、それをある意味でアプリオリに知っているかもしれない。それでもなお、それは彼にとって必然的真理とはならないだろう。それゆえ、もし名前の記述群理論が正しかったとしても、この種の例はアプリオリ性が必ずしも必然性を含意しないという例になるだろう。」72

(ここでの記述群理論は、弱い解釈で理解されているはずである。)

 

「たとえ私が、夕空のあの位置に見える天体を名指すために「ヘスペラス」を使おうと自分に言い聞かせたとしても、ヘスペラスがそもそも夕方に見えたということは、必然的ではないであろう。しかし、これが私が指示対象を決定したやり方だという意味では、それはアプリオリであるかもしれない。」93

 

ところで、クリプキは、記述群理論の弱い解釈も批判するはずである。そうすると、彼の立場では「ニクソンは、1970年のアメリカ大統領である」はアポステリオリで偶然的な命題になるはずである。(上記のような先週の説明は、十分に注意すべきことであった。)

 

 

 

3、自然種名(terms for natural kinds)について

 

クリプキは、固有名についての以上の理解を、自然種名にも拡張する(第三講義)。結論から言うと、クリプキは、以下の命題は、アポステリオリで必然的な命題であるという。その理由は、主語と述語がともに固定指示子であるということである。

「光は光子の流れである」

「水はHOである」

「稲妻は放電である」

「金は原子番号79の元素である」

 

以下のこの論証を説明しよう。

 

<「虎」や「金」についての知識は、修正される可能性がある>

「われわれが最初にトラを同定するために使った性質をすべて備えながら、トラではないものがあるかもしれないのこと丁度おなじように、われわれが最初に虎を同定するために使った性質のどれももたないような虎が発見されるかもしれない。・・・それゆえ、「虎」という言葉は、「金」という言葉と同様に、その種を同定するために使われる性質のすべてではないにせよ、ほとんどが満足されねばならないような「群概念」をあらわすものではない。逆に、これらの性質のほとんどをもつことは、その種の一員であるための必要条件である必要もなければ、十分条件である必要もないのである。」(前掲訳、143f

「金がこの元素であると認められている以上、ほかのどんな物質も、たとえそれが金にそっくりであり、実際に金が見出される当の場所で発見されるとしても、金ではないであろう。それは、金に類似した何か別の物質であろう。」147

つまり、「虎」や「金」についての記述は、アポステリオリで偶然的であるといことになるのだろう。

 

<しかし>

上の「金」の記述と同じように、<「金の原子番号が79である」は、科学者の研究によって知られることであるので、アポステリオリである。これが間違いであることが将来発見されることはありうる>とクリプキは考える。

しかし次のように言うのである

 

「金が実際に原子番号79をもつのだと仮定すると、原子番号79でないものが金でありうるだろうか。(Given that gold does have the atomic number 79, could something be gold without having the atomic number 79?)・・・・・金がこの元素であると仮定すると、ほかのどんな物質も、たとえそれが金にそっくりであり、実際に金が見い出される当の場所で発見されるとしても、金ではないであろう。・・・・・・

それゆえ、以上の考察が正しければ、そのことは、この素材が何であるかに関する科学的発見を表す言明は偶然的真理ではなく、可能な限り厳密な意味で必然的真理である、ということを示すのに役立つ。」(147)(下線部は、原文でイタリック、訳文変更)

 

「とりわけ現在の科学理論では、原子番号79の元素であることは、われわれが理解する限りで金の本性の一部なのである。それゆえ金が原子番号79の元素であることは、必然的であって偶然的ではないということになろう。」(148)

 

「猫は動物である」も同様(148)。

 

つまり、「金は原子番号79である」「金は黄色い」「猫は動物である」などは、アポステリオリな真理であるが、必然的な真理である、という。

 

{疑問点:たしかに、金が原子番号79であると仮定すると、そのことは、必然的であろう。しかし、そのときには、「金が原子番号79である」が将来間違いであることが発見される可能性は、排除されている。これで、説得力のある証明になっているのだろうか?}

 

 

<以上から帰結>

「自然種(natural kinds)を表す言葉は、普通に考えられているよりもはるかに固有名に近いのである。」(150)

 

・ミル、フレーゲ、ラッセルとの対比

「ミルは、「牛」のような術語、確定記述、そして固有名をすべて名前だと見なす。彼は、「単称」名について、それらが確定記述の場合は内示的(connotative)だが固有名の場合は、非内示的である、という。他方でミルは、すべての「一般」名は内示的だと述べている。つまり、「人間」のような述語は、人間性の必要十分条件を与える一定の性質――理性、動物性、および一定の身体的特徴――の連言として定義される、というのである。フレーゲとラッセルに代表される現代論理学の伝統は、ミルは単称名については誤っていたが、一般名については正しかった、と主張しているようである。より最近の哲学もその先例に倣ってきたが、固有名と自然種名辞双方に関して、定義的性質という概念を性質の群という概念でしばしば置き換え、それぞれの個別的ケースではその群のうちのいくつかが満足されるだけでよい、と主張する点で違っている。」(150)

 

 

 

外延

内包

ミル

固有名

×

一般名

フレーゲ

ラッセル

固有名

一般名

クリプキ

固有名

×

一般名(一部=自然種名)

×

             

 

<クリプキ自身による見解のまとめ>

@「第一に私の議論は、自然種をあらわすような特定の一般名辞は普通に理解されているよりもはるかに固有名に似ている、と暗に結論付けている。」158

   量名辞:「金」「水」「黄鉄鉱」

  可算名詞:「猫」「虎」「金塊」

自然現象をあらわす一定の名辞:「熱」「光」「音」「稲妻」

   自然現象に対応する形容詞:「熱い」「騒々しい」「赤い」

「著者の見解は、フレーゲとラッセルを完全に裏返して、単称名辞についてのミルの見解には(多少なりとも)賛成するが、一般名辞についての彼の見解には反対するのである。」159

 

A「第二に筆者の見解が主張するのは、固有名の場合と同様に種族名辞(species terms)の場合にも、指示の固定の仕方によって与えられる名辞が担っているアプリオリだがおそらく偶然的性質と、その意味によって与えられる、名辞が備えている分析的(それゆえ必然的)な性質との間の対照を心に留めておくべきだ、ということである。固有名に関してと同様に種に関しても、名辞の指示を固定する仕方は、その名辞の同義語と見なされるべきではない。」159

 

「もしわれわれが、その物質に架空の(疑いなく幾分人工的な)命名儀式を想像するとすれば、「金とは、あそこにある品々、または、ともかくそれらのほとんどすべてによって例示される物質である」のような何らかの「定義」によってその物質が選び出される様を想像しなければならない。この命名儀式のいくつかの特徴は注目に値する。まず「定義」の中の同一性は(完全な)必然的真理を表すものではない。これらの品々は、いかにも本質的に(必然的に)金ではあるが、たとえそれらの品々が存在しなかったとしても、金は存在したかもしれないのである。しかしながら、この定義は「1メートル=Sの長さ」と同じ意味で(そして、それに当てはまったと同じ条件つきで)アプリオリな真理を表している。すなわち、それは指示を固定しているのである。一般に自然種を表す名辞は、このような仕方で指示を獲得するのだと私は思う。つまり物質は与えられたサンプル(のほとんどすべて)によって例示される種として定義されるのである。」160

 

「感覚によって知覚可能な自然現象の場合、指示対象が選び出される方式は簡単である。「熱=感覚Sによって感じられるもの」。ここでもまた、同一性が指示対象を固定する。それゆえ、その同一性はアプリオリではあるが必然的ではない。われわれが存在しなかったとしても、熱は存在したかもしれないからである。「熱」は「金」と同様に固定指示子であり、その「定義」によって固定される。」161

 

ここで、クリプキは「金」は、固有名とおなじような固定指示子であるという。そして、その定義は、「1メートル」の定義と同じようなものだという。おそらく彼は、「あそこにある品々」という語、あるいは「あそこにある品々によって例示される物質」は、「Sの長さ」と同じように非固定指示子だと考えているのだろう。もしそうだとすれば、「金」の定義は、「1メートル」の定義と同じく、アプリオリで偶然的な真理であることになってしまうだろう。

とこで「金は、原子番号79の物質である」も金についての定義になるだろう。そうすると、クリプキは次の二種の定義を認めていることになる。

 

 定義1:「金とは、あそこにある品々、または、ともかくそれらのほとんどすべてによって例示される物質である」

これは、アプリオリで偶然的な命題である。これは「指示の固定の仕方によって与えられる名辞が担っているアプリオリだがおそらく偶然的性質」による定義なのであろう。

 

定義2:「金は、元素番号79の物質である」

これは、アポステリオリで必然的な命題である。

 

この定義2は、「その意味によって与えられる、名辞が備えている分析的(それゆえ必然的)な性質」による定義ではない。なぜなら、クリプキは、「分析的」の意味を次のように考えているからである。


「分析的言明は何らかの意味で、その<意味>によって真であり、またその<意味>によって全ての可能世界で真であるということを、手っ取り早く約定(
stipulation)の問題だとしておこう。すると、分析的に真であるものは、必然的かつアプリオリであるということになろう。(これは多少とも約定上のことである)」45


おそらくわれわれは、「金」については「その意味によって与えられる、名辞が備えている分析的(それゆえ必然的)な性質」による定義を持たないだろう。そのような定義は、論理学や数学においては可能である。たとえば、自然数論において、「1」と「後続関数」は無定義述語であるかもしれないが、「2」はそれらを使って定義できるだろう(「2=1′」)このとき、この定義は、アプリオリで必然的な命題である、ということになるだろう。(ちなみに、「ある数xが素数である」の例でわかるように、数学の定理は分析的と考えられている。)

 

B「第三に自然種の場合には、その種を少なくとも大まかに特徴づけ、当初のサンプルにあてはまると信じられている一定の諸性質は、当初のサンプル以外の新しい物件をその種に入れために使われる。・・・これらの性質は、その種にアプリオリに当てはまる必要はない。(161)

 

C「第四に、科学的探究は一般に、金の特性の当初の集合よりもはるかに優れた特性を発見する。たとえば、ある物体はそこに含まれる唯一の元素が原子番号79のものであるとき、そのときにのみ(純)金である、ということが判明する。ここで、「の時、そしてそのときにのみ(if and only if)」は、厳密(必然的)であると見なしてよい。」(163)

「筆者の見解に即せば、種の本質の科学的発見は「意味の変化」を引き起こさない、ということに注意されたい。そうした発見の可能性は、最初から計画の一部に組み込んであったのである。」(164)

 

D「第五に、今述べた科学的探究とは独立に、「当初のサンプル」は新しい物件の発見によって補強される。・・・さらに重要なことは、種族名は固有名の場合とまったく同じように次から次へと受け渡されてゆき、その結果、金をほとんどあるいはまったくみたことのない多くの人々も、やはりその名辞を使うことができるのである。」(164)

 

「理論的同一視の問題に立ち戻ろう。理論的同一性は、私の擁護する考えによれば、一般に二つの固定指示子を含む同一性であり、それゆえ必然的でアポステリオリなものの例である。」165

 

 

4、同一性命題の分類

先週の2での議論を展開して、同一性命題の分類を試みよう。

 

「sはpである」を同一性命題だとしよう。
@ sとpがともにnonrigid designatorであるとき、

(a)sとpがともに単称確定表示句ならば、アポステリオリで偶然的である。

    「初代郵政長官は、二重焦点メガネの発明者である」

「アメリカの前大統領は、ヒラリーの夫である」

 (b)・・・ならば、アプリオリで必然的である。

    このような事例はあるだろうか。たとえば次の事例はどうだろうか?

      「軍隊の最高司令官は、大統領である」

      「外務省のトップは、外務大臣である」

「初代郵政長官は、二代目郵政長官の前任者である」

 
A sとpの一方がrigid designatorで、他方がnonrigid designatorであるとき、

(a)・・・ならば、アプリオリで偶然的である。

      「ニクソンは、1970年のアメリカ大統領である」

  (b)・・・ならば、アプリオリで必然的である。

      「2は、1の後続関数である」  

この場合「1の後続関数」がもし固定指示子であるとすると、これはBの(b)の例になる。しかし、「ヒラリーの夫」は非固定指示子である(ヒラリーは別の男と結婚していた可能性がある)とすれば、「1の後続関数」もまた非固定指示子と考えるべきではないだろうか。

        
B sとpが共にrigid designatorであるとき、

(a)・・・ならば、アポステリオリで必然的である。

    「ヘスペラスは、フォスフォラスである」

    「エベレストは、ゴーリサンカーである」

    「金は、元素番号79の物質である」

    「水は、H2Oである」

  (b)・・・ならば、アプリオリで必然的である。

「πは円周率である」これはアプリオリで必然的である。

 

さて、ここで問題です。

問題「上の・・・のところに、適切な言葉を入れなさい」

 

 

<木村君の質問に答える?>

  (授業では、木村君からの質問をコピーして、配布しましたが、ここに入力するのは、大変なので省略します。)