第11回講義 (2002年1月29日)

 

第四章 指示と相互顕在性

§14 指示の前提

 

9、再説:グライスの意味論(つづき)

<久保君の反論>

先週の講義の後、久保君から次のような趣旨の反論を受けました。

「脱獄囚につかまったヒロインが警官にp「いいえ何も変わったことはありません」というとき、「何も変わったことはない」と信じてほしいと意図1していないということでしたが、意図1していたと言えるのではないでしょうか。なぜなら、ヒロインは、pと発話すると、警官は、「何も変わったとことはない」と信じるだろうと予期しつつ、pと発話するのだから、警官が「何も変わったことはない」と信じることを意図していたといえるのではないか。」

 確かに、そのとおりです。先週の議論では、意図と願望を区別すべきでした。われわれは、様々の矛盾した願望を同時に持つことができます。そして、意図していると矛盾した願望をもつこともできます。しかし、意図に関しては、われわれは矛盾した意図を同時に持つことはできません。この場合、ヒロインは、警官が「何も変わったことはない」と信じないことを意図していたというよりも、願望していたというべきでした。ここでヒロインは、pと発話すれば、警官が「何も変わったことはない」と信じるだろうと予期しつつ、pと発話したのだから、警官がそう信じることを意図していたと言えそうです。(私は、これまでの講義でも、このような発言をしてきました。)

 

・生じる問題とその解決

しかし、このように考えると問題が生じます。つまり、心の中で意図することと、意図を表現することを区別しましたが、その区別がそもそも無効になるということです。<意図を表現するとは、相手が自分の意図を正しく推論できるような手がかりを提供することである>と定義しました。つまり、意図を表現するとは、相手が自分の意図を正しく推論するだろうと予期しつつ、その手がかりを提供することです。上のように考えるならば、このような場合には、心の中で意図しているといることになってしまいます。心の中で意図することと、意図を表現することの区別を放棄すべきなのでしょうか。

とりあえず、次のことは、言えそうです。上の警官とヒロインの事例は、意図1が心の中で意図されていない事例として、適切ではありませんでした。

 

そこで、もっと明確な別の事例を述べたいとおもいます。自動車の助手席に座って、道順を案内しているときに、私はよく右と左を言い間違えます。左に行こうと意図しつつ、「そこを右」と言ってしまいます。このとき、私が「そこを右」と発話することによって、私は「右にいってほしい」という意図を表現することになります。しかし、私は、左に行くことを意図しています。

このときには、上のヒロインの場合とは違って、「そこを右」と言うとき、右に行くだろうと予期しつつ、「そこを右」と発話するのではありませんから、「そこを右」といっても、「右にいこう」という意図を持っていることにはなりません。(しかし、さらに次ぎのような反論があるかもしれません。左に行こうと意図しているのに、「そこを右」といい間違えたとき、言い間違えに気づいていないその瞬間は、心の中でも「右にいこう」と意図しているのである。その「右」が、普通に言う「左」の意味であるにすぎない。 この反論を認めるとしても、心の中の意図と、表現された意図が矛盾しているといえます。たとえ、言い間違えであったとしても、われわれはその発言に責任をとらなければならず、この場合に意図は表現されており、心の中でそれが意図されていることは必要ないということを主張できます。)(心の中の意図と、表現された意図が、このように明らかに矛盾する場合があるので、この二つの意図の区別を放棄することはできません。上のヒロインの場合のように、二つの意図の区別ができないケースがあることは認めます。)

 

結論は、こうです。心の中の意図が、表現された意図と矛盾するときには、心の中の意図は、発語内行為が成立する上で、無視されることになります。また心の中の意図が曖昧であるとき(上のヒロインのような場合)には、表現された意図だけを考慮すればよいことになります。心の中の意図が、表現された意図と一致するときにも、表現された意図だけを考慮すればよいことになります。つまり、先週の結論を保持しておきます。

 

<「意図を表現すること」についての疑問点(先週の続き)>

先週の講義は、つぎの発言で終わった。

―――――――――――― 

これらの事例からいえることは、提供された手がかりから、推論できる意図には多様な広がりがあり、それらのすべての意図を表現していると言うことはできそうにない、ということである。意図を推論するといっても、その推論には限りがないので、何らかの条件を設定する必要があるだろう。

では、その条件とは何か。

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 この条件については、すでに答えがあった。コミュニケーションの推論モデルを採用する理論は、この問いに対する答えを用意しなければならない。ちなみに、関連性理論では、その推論が、「最適な関連性」をもつことが条件となる。「最適な関連性」とは、<小さな労力で大きな文脈効果をもつこと>である。私は、コミュニケーションを、エコノミーで考えるよりも、ポリティクスで考えたほうが適切だと考えるので、この理論を取らない(関連性理論に対する批判は、別の機会に行いたい)。

 

 この条件を考える準備作業として、「時限爆弾とヒロイン」の事例をもうすこし分析したい。

 

10、「時限爆弾とヒロイン」の事例分析

「時限爆弾とヒロイン」の事例をもとに指示について考えてみよう。

ヒロインが、いすに縛られて猿轡をされており、そこにヒーローが助けにやってくる。ヒロインは、「ウーウー」と言いながら、目とあごの動きで、壁にある時限爆弾のスイッチを示そうとする。ヒーローは、彼女が何を言っているのかわからないが、何かを知らせ様としていることを理解し、周りを見渡す。そして、彼は、時限爆弾のスイッチを発見し、すぐにそれを切る。めでたしめでたし、かくして、ヒロインはヒーローに助けられました。

 

前期第三回講義では、このケースについて次のように書いた。

「この場合、条件1と2は充たされているが、しかし3は充たされていない。そして、この場合には、ヒロインは、スイッチを指示したとは言えない。つまり、この事例は、条件1と2が充たされているだけでは、不充分であり、条件3が充たされなければならない、ということの証明になるだろう。」

しかし、これは間違っていた。

 

 

<条件1の意図1が、意図b「何かを知らせようとしていることに気づいてほしい」の場合>

もし、ヒロインの意図1が「何かを知らせようと意図aしていることに気づいてほしい」という意図bであったとしよう。ヒーローは、ヒロインの振る舞いから「彼女が何かを知らせようとしている」ということを理解した。つまり、その振る舞いは、ヒーローが来たことを喜んでいるのでもないし、なにか他の理由によるのでもない、とヒーローは判断し、そこから、意図aを推測したのだとしよう。この場合には、ヒロインの振る舞いを手がかりにして、意図aを推測したのであり、意図bは実現している。ヒロインの振る舞いは、意図bを推測する手がかりになるだろう。ゆえに、意図bも表現されているといえるだろう。ゆえに、条件1は満たされている。

 おそらく、ヒーローは、「何かを知らせようと意図aしていることに気づいてほしい」というヒロインの意図bに気づくことによって、ヒロインが何かを知らせようと意図していることを信じるのである。

 ゆえに、ヒロインは、ヒーローが意図bを認知するように意図2するだろう。

 

<次のステップの分析>

さて、ヒーローは、ヒロインの振る舞いを手がかりに、「何かを知らせようと意図aしていることに気づいてほしい」という意図bを推論したとしよう。つぎに、ヒーローは、意図aの認知を手がかりに、「彼女は私に何を知らせようとしているのだろうか」と問い、周りを見渡してその答えを探し、時限爆弾を発見することによって、「彼女は私にこの時限爆弾を知らせようと意図cしたのだ」と理解する。そしてさらに、彼女がこれを知らせようと意図cしたのは、「早くこのスイッチを切ってほしい」と意図dしたからだと理解するだろう。そして、すぐにそのスイッチをきるだろう。

 

意図cと意図dについては、(仮に条件1,2が満たされているとしても)条件3は満たされていない。

彼が、ヒロインの意図cを認知するのは、時限爆弾を見つけたあとである。彼が、時限爆弾があると信じるのは、意図cを認知したからではない。(「時限爆弾があることを知ってほしい」という意図をヒロインが持っていたとしても、その意図は、自然的意味によって実現するのであって、非自然的意味によって実現するのではない。)

また、彼が、ヒロインの意図dを認知するのは、時限爆弾のスイッチを見つけた後である。彼が、時限爆弾のスイッチを切るのは、ヒロインの意図dを認知したからではない。単に危険だから、切ったのである。ここでも、ヒロインの意図dは、自然的意味によって実現するのであって、非自然的意味によって実現するのではない。

 

意図cと意図dについては、条件2も満たされていない。

意図cを認知してほしいという意図を、ヒロインは持っていないだろう。なぜなら、ヒーローが時限爆弾があることを知るためには、彼が意図cを認知することは必要ないからである。

意図dを認知してほしいという意図も、ヒロインは持っていないだろう。なぜなら、ヒーローが時限爆弾のスイッチを切るためには、彼が意図dを認知することは必要ないからである。

 

意図cと意図dについては、条件1も満たされていない。

このような場合に、ヒロインの振る舞いは、意図cや意図dの推論の手がかりになっているといえるだろうか。ここでは、ヒロインの振る舞いは、意図bの推論の手がかりになっており、その推論がさらに、間接的に、意図cと意図dの推論の手かがりになっている。したがって、ヒロインの振る舞いは、意図bを表現しているとはいえないだろう。

ところで、ヒロインがここで実際に意図しているのは、「ヒーローが、意図bの認知に基づいて、何かを知らせようとしていると考えて、回りを見渡して、時限爆弾のスイッチに気づき、時限爆弾のスイッチを早く切ってほしい」という意図eであろう。ただし、ヒロインは、この意図を表現して、認知されることを意図していないし、その認知にもとづいて実現されることを意図してもいない。

 

<情報意図と伝達意図の区別による、分析の整理>

関連性理論は、次のように二つの意図を区別していた。

情報意図:聞き手に何かを知らせること

伝達意図:聞き手に情報意図を知らせること

この情報意図は、二義的である。それに応じて、伝達意図も二義的である。

 

たとえば、SがAにp「この本は面白い」と言ったとしよう。このとき、われわれは、次の二つの情報意図を考えることができる。

Sは、Aに何かを知らせようと意図1aしている。(情報意図a

 Sは、Aにpを知らせようと意図1bしている。(情報意図b

スペルベル&ウィルソンは、おそらく情報意図bのタイプのものを想定しているのだと思われる。

また、われわれは、これに対応して、次の二つの伝達意図を考えることができる。

 Sは、Aに意図1aを知らせようと意図2aしている。(伝達意図a

Sは、Aに意図1bを知らせようと意図2bしている。(伝達意図b

 

我々は、情報意図1bと伝達意図1bには、情報意図1aと伝達意図2aが含まれているといえる。しかし、情報意図1aと伝達意図2aだけを受け取る場合もある。

たとえば、電話が遠くて、ASの言葉を聞き取れなかったとしよう。それでも、Aは、情報意図aと伝達意図aを理解することはできるだろう。あるいは、Sが「この本は面白いよ」という前に、Aのほうを向く(あるいはさらに「あ」と言う)ことによって、話しの開始の合図をおくったときに、情報意図aを伝達し、また伝達意図aを伝達しているといえる。(話しの開始の合図を受けて、われわれは、情報を受け取る準備をする。)

 

ところで、上の意図1aと意図1bは、次のように言い換えることができる。

Sは、Aが何かを信じることを意図1aしている。

SAがpを信じることを意図1bしている。

この場合、意図1bについては、<Aが、意図1bの認知にもとづいて、pを信じる>ことは、可能である。しかし、意図1aについては、<Aが、意図1aの認知にもとづいて、何かを信じる>ことは不可能である。なぜなら、<何かわからないが、何かを信じる>ということが不可能であるからだ。

 しかし、何かを知らせようと意図1aしていることを知らせようと意図2aしているときに、この意図2aについては、<Aが、意図2aの認知のもとづいて、何かを知らせようと意図1aしていることを信じる>ことは可能である。(上の猿轡をされたヒロインの例は、これに当たる。)(ちなみに、意図2bについても、<Aが、意図2bの認知に基づいて、意図1bの存在を信じる>ことは可能である。)

 

 

 

 上のヒロインの例を考えてみよう。

Sは、Aに何かを知らせようと意図1aしている。(情報意図a

 Sは、Aにp「時限爆弾のスイッチを切らなければならないこと」を知らせようと意図1bしている。(情報意図b

 Sは、Aに意図1aを知らせようと意図2aしている。(伝達意図a

Sは、Aに意図1bを知らせようと意図2bしている。(伝達意図b

 

ヒロインが、その身振りによって表現できているのは、意図1aと意図2aである。

ヒロインは、意図1bをもっている。しかし、意図2bは持っていない。

 

<猿轡をされておらず、手も自由なヒロインの事例>

 我々が普通に言語を用いて指示するときにも、厳密に考えるならば、この場合とよく似たことが起こっているのではないだろうか。

 たとえば、ヒロインがスイッチを指さして、「そのスイッチを早く切って!」と叫んだとしよう。それを聞いたヒーローは、彼女の方を見ているのだから、「そのスイッチ」がなにを指すのかはまだ分からない。指さし動作から、それがどこにあるのか大体のところを理解しているだけである。その叫びを理解した後で、ヒーローは、指さしの方向を向く。

振り向く前の段階で、ヒーローは意図1を理解しているといえるだろうか。<指さしの方向にあるスイッチ>を彼はまだ見ていない。それは、両手と全身を使わなければ、切ることのできないような大きなスイッチかもしれないし、見つけることが難しいほどの小さなスイッチかもしれない。ということは、指さし動作と言葉を理解するだけでは、その意図を理解しているとはいえない、ということである。彼が、向きを変えて壁を見たときに、「そのスイッチ」がどれを指すのかを理解することができる。

 「そのスイッチ」という表示句による<指示>の理解には、二つの意味があることになる。。

 第一に、ヒーローがヒロインから「そのスイッチを切って」といわれ、まだ後ろを振り向いていないとき、「そのスイッチ」が何を指示しているのかについて、ある程度は理解している(これを理解1としよう)。「そのスイッチ」とは、「自分の背後にあると思われるスイッチ」であるという理解である。そもそも、このような理解がなければ、振り向くこともしないだろう。

第二に、ヒーローが、振り向いてそのスイッチを見つけたときに、彼はヒロインが「そのスイッチ」で理解していたものを完全に知ることになる(これを理解2としよう)

 

 他の例をあげておこう。喫茶店で自分の後ろに座っている二人の話が聞こえてきたとしよう。

 「この本は、面白かった」

という発話が聞こえたときに、私は、その発話を理解1する。しかし、「この本」がどんな本なのかは、振り返って見る(理解2)までは分からない。

  「彼は、いい人だよ」

という発話が聞こえてきたときに、私は、その発話を理解1する。しかし、「彼」が誰のことなのか(理解2)は、分からない。

 

<二つの事例の比較>

 上の理解1と理解2の区別は、ヒロインが猿轡をされて声を出せなくて、何かを指示しようとしているのを認知したとき(理解a)と、時限爆弾のスイッチを見つけたとき(理解b)の区別と、どこが違うのだろうか。

 理解2と理解bはともに、そのスイッチを見ているのだから、同じ理解である。

理解aは、「ヒロインが知らせようとしている何か」という理解である。これに対して、理解1は「背後にあると思われるスイッチ」である。ここでは、「何か」のある場所が「背後らしい」と限定されており、またそれが「スイッチ」であると限定されている。つまり、理解1は、理解aと理解2(=理解b)の中間に位置する。

理解a「ヒロインが身振りで知らせようとしている何か」

理解1「ヒロインが「そのスイッチ」という語で知らせようとしている背後にあるとおもわれるスイッチ」

理解2「目の前にあるスイッチ」

 

この二つの差異(理解aとbの差異と、理解1と2の差異)は、質的に異なるのだろうか、それとも程度の違いなのだろうか。

 

<別の例での分析>

 例1:部屋に妻が入ってきたときに、妻の背後を指さして「それを取ってくれる」と頼んだ。妻は、振り返って、「それ」が新聞を指示することを理解し、それを夫に渡した。

 例2:部屋に妻が入ってきたときに、夫は妻の背後をあごで示した。妻は、振り返って、新聞を取ってほしいのだと理解して、それを夫に渡した。(ちなみに、私にはそんなことをする勇気はありません。)

 

 例1では、妻が「それを取ってくれる」という発話を聞いて、振り返る前に理解1aしていることは、「それ」が「背後の何かとってほしいもの」を指示することである。振り返ったときに、妻は、「それ」が「この新聞」であることを理解2aし、「夫は、この新聞を渡してほしいのだ」と理解2aする。そして、夫にそれを渡す。

 例2では、妻が夫のあごの動きを見て、振り返る前に理解1bしていることは、「背後に何か注意してほしいものがある(私が背後のものに注意を向けることを意図1している)」ということである。振り返って、新聞を見つけたときに、「夫は、この新聞に私の注意を向けようと意図2している」と理解2bする。そして、「夫は、私がこの新聞を渡すことを意図3している」と理解3bする。そして、夫にそれを渡す。

 

 この二つの事例をもとに、この間に質的な差異があるかどうかを分析したいとおもいます。

 

 

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 しかし、時間切れです。

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それを踏まえて、先週の宿題の答えを出さなくてはなりません。

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 §14では、指示が前提している事柄を明らかにしようとしましたが、「共有知」以外の論点は、明確にできませんでした。しかし、せめて§14のまとめをしておくことが必要だとおもいます。

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これらをまとめて、三月ころにHPにupします。

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