2008年一学期講義、学部「哲学講義」「アプリオリな知識と共有知」  入江幸男
大学院「現代哲学講義」「アプリオリな知識と共有知
 
シラバスに次のように書きました
「以下のような問題について考察します。
知識とは何か。
アプリオリな知識は存在するのか。
共有知は存在するのか。
内在主義と外在主義のどちらが正しいのか。」
   
       第一回講義 (2008415)

§1 導入 
■近代が発見した二つのテクスト
・『ユークリッド原本』
・セクストス・エンペイリコス『ピュロン哲学の概要』
懐疑主義によって学問の基礎が疑われはじめたときに、ユークリッド幾何学の公理体系が知られることにより、学問の理想は、公理体系に知を組織することだとされるようになる。
■しかし現代では、公理体系には、次の問題があることが知られている。
1、公理設定のアポリア ←ミュンヒハウゼンのトリレンマ
2、定理導出のアポリア ←規約主義のアポリア ⇒根源的規約主義?
3、体系の不完全性   ⇒直観主義論理学, パラコンシステント論理学(da Costa
4、意味論のアポリア  ←タルスキーの形式意味論 ⇒自己言及を許す論理学、ハイパー集合論(アクツェル)
 
(以下は、私の長期的なプランです。
これらの問題を解決して、知の組織化を行なうには、知を問答との関係において捉えることが必要になる。そこで、哲学体系を次のように構想したい。
問答論理学
問答言語哲学
問答理論哲学
問答実践哲学      )
  
1、公理設定のアポリア、あるいは知の基礎付け問題
■ミュンヒハウゼンのトリレンマ
現代では「究極的に根拠付けられた知がある」という立場は「基礎づけ主義(foundationalism)」と呼ばれている。基礎づけ主義を批判するときに、よく用いられるのが、H・アルバートの命名した「ミュンヒハウゼンのトリレンマ」である。
■基礎づけ主義批判からの帰結
「基礎づけ主義」が批判されるとき、帰結するのは次の3つの立場であろう。
(1) いかなる主張も行わない「懐疑主義」(skepticism)
(2) 何かを主張するが、それが誤謬である可能性を認める「可謬主義」(falibilism)
(3) 基礎づけ主義の可能性をなおも追及すること(foundationalism)
 
(2)の立場は、どのようにしてある主張を行うのか、どのようにしてある主張を採用するのかによって、つぎのように区別されるだろう。
   (a) 決断主義 (decisionalism)
   (b) 規約主義 (conventionalism) (b1) 約束主義(意識的に行なわれた規約に基づく)
                            (b2) 慣習主義
 
■慣習主義は、約束主義にゆきつく。
慣習によって真であると受け入れている規約については、それを自覚したときに、その慣習をそのままうけいれるか、それを修正したり廃棄したりするかの選択が不可避となる。したがって、慣習を自覚したときには、決断主義か、約束主義に行き着くことになる。
■決断主義は、約束主義に行き着く。
我々が決断するのは、その必要性のあるときである。そして、決断が必要であるときには、それは常に不可避である。我々は能動的な主体性というような能力を持っているから決断するのではなくて、決断が不可避であるから、決断したことになってしまうのである。決断したことになってしまうということを受け入れることは、決断することと同じことである。問題は「決断が不可避であるという認識がどのようにして生じるか」である。
私が坂道を登っているときに、上から大きな岩が転がってきたとしよう。私は、右に逃げるか左に逃げるかを決めなければならない。そうしないと死んでしまうかもしれないからだ。犬がそこにいれば、犬もどちらかに逃げるだろう。しかし、犬は決断しない。私も、そのとき何も考えないで、犬と同じように決断しないで、どちらかに逃げるのかもしれない。私がTVを見ていて、地震予報が流れたとしよう。私は、どこに逃げるか、決定しなければならない。
自分の置かれている状況を認識したときに、選択が不可避になる。自己意識と時間意識から、選択の不可避性が認識される。この自己意識や時間意識は、他者との関係の中で生まれる。これらが、一旦形成されたのちにも、その存続のためには、この他者との関係を必要とする。
自己意識や時間意識を生み出す他者との関係とは、共有知である。」
「個人の知は、共有知からの分離によって成立し、成立した後にも存続のために共有知を必要とする。」
このことを一学期に証明したい。
 
2、定理導出のアポリア、あるいは規約主義のアポリア
公理と推論規則が与えらると、そこから定理の導出できると思われていた。しかし、<この定理の導出を明示するには、推論規則だけでは不十分であり、その適用規則としてのメタ推論規則が必要であり、さらにその適用規則としてのメタメタ推論規則が必要であり、というように、無限に続く>ということが、キャロル、ウィトゲンシュタイン、クワインによって指摘された。これが規約主義のアポリアである。
 公理だけでなく定理も規約であるとする「根源的規約主義」が、これに対する一つの回答である。この場合、アプリオリな知識は存在しないということになるだろう。
 2学期には、この「規約主義のパラドクス」の解消を試み、次の問題に答えたい。
 「アプリオリな知識は存在しないのか、存在するとすればそれは何か」
 
次の二つの問題については、おそらく議論の途中で部分的に触れるにとどまるだろう。
3、体系の不完全性  ⇒直観主義論理学, パラコンシステント論理学(da Costa
4、意味論のアポリア ←タルスキーの形式意味論 ⇔自己言及を許す論理学、ハイパー集合論
                                   (Aczel