論文10    フィヒテにおける「世界」概念の変化



 小論の目的は、フィヒテの「世界」概念の変化−−特に「叡知界」概念の変化−−を明確にすると共に、その原因を探究することである。(但し、ここでは『知識学の叙述』(1801/02)までを考察するに留まる。)後論のために、先ずフィヒテにおける「自我」と「世界」の概念の変化を、簡略な見取り図に整理し、次に「世界」概念の変化の詳細とその原因を探りたい。

   第一節 「自我」と「世界」の概念の変化の見取り図
   A 『全知識学の基礎』(一七九四) 
 まず、自我についていえば、ここでは、「事行」としての「絶対的自我」ないし「純粋自我」が、「理論的自我」と「実践的自我」に分かれる。そして実践を通して、この二つの自我の統一が追求され、それによって同時に絶対自我への合一が求められる。
 世界についていえば、「世界」という語は、私の知る限りでは三回しか使われておらず、あまり主題的には論じられていない。しかし、「現実的世界」と「観念的世界」という二つの世界が区別されている。「現実的世界」とは、「非我の活動性は、自我の活動性との相互作用の関係にあるが、この非我の活動性に依存している世界」(I-2,403)を意味している。「観念的(ideale)世界」とは、「自我によって端的に全ての実在性が措定されている場合にあるような世界、したがって自我によってのみ措定されており、如何なる非我によっても措定されていない世界」(I-2,403)である。
 ここでの「観念的世界」と「絶対的自我」は内容上同じものであると推測できるのだが、そのことをハッキリと述べている『知識学の新しい叙述の試み』を次に見よう。

   B 『知識学の新しい叙述の試み』(一七九七/九八)
 まず、自我についていえば、ここでは、『全知識学の基礎』とは別の意味で、三つの自我が述べられている。第一は、「知識学がそこから出発する知的直観としての自我」、第二は、個人としての自我、第三は、「知識学がそれで閉じる理念としての自我」である。第一の「知的直観としての自我」と第三の「理念としての自我」は、個人として考えられていないという点では同じであるが、しかし「知的直観として自我」は、自我性がまだ個人性にまで規定されておらず、単に自我の形式であるのに対して、「理念としての自我」では、普遍的法則にしたがった教養形成によって個人性が消失している、という違いがある。この「理念としての自我」は、「理性の努力の最高の目標」であり、「我々はこの理念に無限に近付くだけである」。(Vgl.I-4,265f.)
 世界についていえば、二つの世界「感性界(sinnliche Welt)」と「英知界(intelligible Welt)」が区別されており、その二つは次のような関係にある。「私は有限であるから、行動に何かを対立させなければならない、そして私の行動に対立しているものが、感性的世界であり、私の行動によって生ずべきものが、叡知的世界である。」(I-4,220) この区別は『全知識学の基礎』での「現実的世界」と「観念的世界」の区別と同じである。
 『全知識学の基礎』では「観念的世界」と「絶対自我」の関係がはっきりしなかったが、ここでは第三の「理念としての自我」が「叡知的世界」を含むといわれている。「理念としての自我は、理性存在者が普遍的理性を自己自身の中で完全に表現しており、・・・個人であることを止めている限りでの理性存在者であり、・・・また理性存在者が自己の外に、つまり世界の中にも理性を実現している限りでの理性存在者である。したがって、この世界もまたこの理念の中に措定されている。」(1-513f) しかし、この点については、まだまだ不明な点が多い。後にみるように、この点を詳論するために、フィヒテは次に見る『新しい方法による知識学』の講義に取り組んだのである。

   C 『新しい方法による知識学』
 ここでも、二つの世界が考えられている。「感性界(Sinnnennwelt)」(=「物体界(Koerperwelt)」(IV-2,103)=「経験の世界」(IV-2,143))と「叡知界(intelligible Welt)」(=「精神界(Geisterwelt)」(IV-2,103)=「理性的存在者の国(das Reich vernuenftiger Wesen)」(IV-2,141)=「精神の国(das Reich der Geister)」(ibid.)=「理性界(Vernunftwelt)」(IV-2,260))である。ここでの「感性界」はこれまで「感性界」とか「現実的世界」とか呼ばれてきたものとほぼ同じものであるが、「叡知界」の方は、これまで「叡知界」とか「観念的世界」と呼ばれていたものとは異なる。異なる点は次の二つ。一つはここでの叡知界の中には複数の個人としての理性存在者が存在しているということである。例えば、次のように言う。「理性界は自己自身との相互作用において存立する。通俗的に表現すると、理性存在者達が互いに働きかける、ということである。超越論的に表現すると、各々の理性的個人の中に、自己の外の理性存在者を想定するように強制するものがある、ということである。」(IV-2,260)「自我、個人は理性的存在者の国のなかで個人である。」(IV-2,249) もう一つは、ここでの叡知界は、今までのように実現されるべき理念、目標ではないということ、つまり感性界が叡知界になるのではなくて、この叡知界は感性界と並存しているということである。今までの叡知界は、感性界での実践の目標であったが、そうではなくなる。感 性界での実践の目標は、あくまでも感性界の中での出来事になる。「感性界における複数の理性存在者の行動は、自由によって規定された唯一つの大きな連鎖である。理性全体は唯一つの行動を持つ。一人の個人がそれを始め、他の個人がそれを継続する。そのようにして、理性目的全体が無限に多数の個人によって仕上げられることになる。」(IV-2,254) この二つの世界は一方が他方を基礎付けるという関係にある。「知識学は、叡知界を現象の世界の条件として考察する。後者は前者の上に立てられる。そして、叡知界は自我に基づく、自我は自己自身に基づく。」(IV-2,115)
 さて、自我についていえば、ここでは様々の「自我」の区別が今までのようにハッキリとは述べられていない。そこで強引にまとめると、次のようになると思う。第一に、知的直観としての自我、第二に、個人としての自我である。この個人としての自我は、感性界における自我と、叡知界における自我に分かれる。ここでの知的直観としての自我は、『知識学の新しい叙述の試み』での「知的直観としての自我」と同じものであり、まだ個人性へと規定されていない自我の形式であり、「自我性」とも呼ばれている。ここには、『知識学の新しい叙述の試み』での第三の「理念としての自我」に当たるものはない。しかし、それに類似のものとして、「叡知界」に「理性の塊」(IV-2,248)というものが想定されるが、これは自我ではない。詳細は後に譲る。

   D 『知識学の叙述』(一八〇一/〇二)
 まず、世界についていえば、ここでは、「感性的世界」と「道徳的世界」という二つの世界が考えられる。この区別は『新しい方法による知識学』での「感性界」と「叡知界」の区別と同じである。違いは、『新しい方法による知識学』では叡知界を演繹するだけでおわっていたが、ここでは、叡知界が感性界の根拠であり、感性界は即自的には無であるることが強調される点や、叡知界の内容およびそれと神の関係が詳しく述べられている点である。
 自我についても、『新しい方法による知識学』と同じである。つまり、第一には、知的直観としての自我である。ここでは「知的直観」は「絶対知」とも言われる。これは「純粋な絶対自我」(II-6,198,II-6,311)と呼ばれることもある。第二には、個人としての自我であり、感性界における個人と叡知界における個人に分かれる。

    第二節 『知識学の新しい叙述の試み』から『新しい方法による知識学』        への変化   
    A 「叡知界」の変化の理由
 以上のように一八〇二年までのフィヒテの「世界」概念の変化を辿るとき、もっとも目につく変化は、『知識学の新しい叙述の試み』から『新しい方法による知識学』への「叡知界」の意味変化である。この変化の理由の一つは、それ以前の「叡知界」の概念が矛盾しているということであろう。感性界における行動は非我を前提するにもかかわらず、そのような行動によって非我を克服して「叡知界」を実現しようとすることは、不合理と言わざるをえない。したがって、フィヒテがこの講義から、感性界での行動の目標の実現はあくまでも感性界の出来事であると考えるように変わることは、いわば当然のことである。この矛盾は、ヘーゲルがカントやフィヒテの道徳論を批判するときに指摘したことであったが、フィヒテはここでヘーゲルの批判を自ら先取りして修正していると言える。新しい「叡知界」は、感性界における行動によって実現されるものではないので、先のような矛盾はない。
 但し、フィヒテは、以前の「叡知界」を放棄するだけではなくて、新しい意味の「叡知界」を導入した。それは何故だろうか。一八〇一年五月三十一日付のシェリング宛の書簡でフィヒテは次のように述べている。「知識学(『全知識学の基礎』)は原理において欠けるところは全くないのであって、まだ完成にいたっていないだけなのです。すなわち最高の綜合、精神世界の綜合がまだなされていないだけなのです。この綜合をまさになそうとしたとき、人々はまさに無神論と呼んだのです。」(III-5,45)(括弧内は引用者付記) ここで言う「精神世界」は「叡知界」のことであり、「この綜合の準備」にあたるのが、『新しい方法による知識学』の講義である。彼がこの講義で採用した「新しい方法」の最も目につく新しさは、理論的部分と実践的部分に分けないという点にあるのだが、そもそも彼がそのような新しい方法を採用した理由は、認識と行為の「循環」を記述し、それを解決するものとして「叡知界」を演繹することにあった。
 では、どの様な仕方でこの叡知界が演繹されるのだろうか。フィヒテは最初に、「私は私を直接に意識する」という「直接的意識」=「知的直観」を要請することによって、この講義を始める。この知的直観は、「自我性」とも呼ばれるように、一切の意識が成立するための構成形式にすぎず、まだ現実的意識ではない。しかし、現実的意識の成立を説明しようとすると、次のような「循環」が生じることが示される。行為は目的概念を前提し、目的概念は客体認識を前提し、客体認識は現実的感情を前提し、現実感情は行為を前提する、ところが行為は最初に述べたように目的概念を前提し、・・・以下同様に、前提の「循環」が生じるのである(Vgl.IV-2,128ff)。自己意識の成立を説明するためには、このような「循環」をどこかで断ち切らねばならない。さて、この循環を、切り詰めて、感情と行為の循環として捉え、かつ「感情は制約性であり、行為は自由である」とすると、自由と制約性の「綜合」が「最初の自己意識」であるとすることによって、この循環を回避できるのである。そして、「規定された絶対的当為」が、この自由と制約性の「綜合」であると見なされる。この「規定された絶対的 当為」は「規定された純粋意志」の「現象」と考えられる。さらに、「規定された純粋意志」は「最高の規定可能なもの」としての「純粋意志」(IV-2,145)=「理性の塊(Vernunft=Masse)」(IV-2,177)=「理性の国の塊(das Masse des Vernunftreichs)」(ibid.)=「理性的存在者の国」(ibid.)=「理性の国」(IV-2,176)=「精神的なものの塊、領域」(IV-2,141)=「叡知界」(ibid.)の中に属することになる。
 始めに「理性の塊(Vernunft=Masse)」があって、それからの「取り出し(Herausgreifen)」によって「規定された純粋意志」が成立すると考えられている。「叡知界」での「取り出し」が感性化されたものが、他者からの「自由な行為への促し」であると見なされる。この「促し」の認識として「最初の自己意識」が成立する。これは「規定された当為」の認識でもある。このように、「取り出し」によって「叡知界」での個人としての自我が成立し、「促し」によって「感性界」での個人としての自我が成立するのである。これはもちろん同じ事柄の表裏にすぎない。

   B 「叡知界」の内容 カントの「叡知界」との差異
 このような感性界と叡知界の関係は、カントのそれとよく似ている。カントと同様にフィヒテもまた「精神界は我々にとってまったく現実的なものではなく、我々によって考えられ推論されるだけである。」(IV-2,103)と考えているのである。しかし、両者の間には大きな違いがある。
 第一に、もしカントの叡知界に物自体が属するのだとすれば、フィヒテの叡知界とは異なる。フィヒテはこの講義で「非我」が現象の背後にある物自体のようなものではないことを明言している。このことは、『全知識学の基礎』との重要な差異である。「非我は自我のもう一つの見方である。・・・観念論では、非我は単なる一つの偶有性(Accidens)である。観念論は本来非我をもたない。むしろ非我は、自我を見る特殊な仕方にすぎない。すなわち、ある仕方では、観念論は知的直観に於て、自我を動的なものとして考察する。これは彼にとって自我である。しかし、もう一つの他の仕方では、観念論は知的直観に於て、自我を静止したものとして考察する。これが彼にとって非我である。」(IV-2,40)
 第二に、もし(このようなカント解釈に確信があるわけではないが)カントの叡知界に属している可想体としての自我が、実体的な存在=自我自体であるとするならば、この点でもフィヒテの叡知界とは異なる。非我自体が否定されたのと同様に、自我自体も否定される。「非我は即自的には無である。あるいは物自体は無である。行為との関係においてのみ非我は何かである。・・・それゆえにまた、自我自体も、非我との関係なしには、つまり行為を介した相互作用なくしては、存在せず、単なる理念である。」(IV-2,55)もっと言えば「自我と非我は、批判的観念論にとって根源的には、意識を説明するための我々の思惟の単なる形式にすきない。」(IV-2,55)では、「自我」という形式で説明される「意識」自体はどの様なものかといえば、それはまず何よりも基本的に、知的直観である。この「知的直観」は、フィヒテの言うところによれば、カントの体系に矛盾するものではない(vgl.IV-2,31)。というのは、カントの批判する知的直観は「存在の直観」であるが、フィヒテの知的直観は「行為の直観」であるということによる(参照『知識学の新しい叙述の試み』I-4,225)。したがって、フィヒ テの場合、知的直観や意識の背後にその担い手が存在するわけではない。このことは、「事行」の説明としてよく言われていることである。この点は、西洋の存在論の歴史の中にフィヒテ哲学をどう位置づけるかを考えるときに、決定的な論点となる。彼は、存在論として実体の第一次性を批判して、作用ないし行為の第一次性を主張したのである。そのことを、彼は「知識学の中心命題」であると述べている。「知識学の中心命題は次の通りである。全ての存在は生み出されたもの、創造されたものである。全ての存在の根底にある知性は、如何なる存在でもなく、純粋な活動性である。神性もまた知性と同様に純粋な活動性である。ただ、神性は把握的できないものである。」(2-4、240)このような主張の背後には、「である」論理の社会から「する」論理の社会への移行という歴史的な背景や、スピノザの宿命論を批判して自由を確保したいという実践的関心があったであろう。しかし、私見によれば、フィヒテは実践的な情熱の人であるに劣らず論理の人であって、情熱や関心を秘めながらも、それに論理的な表現を与ようとするというよりは、むしろ、一方で情熱や関心を秘めながらも、他方では結果を 顧みずにあくまでも論理につき従って徹底的に思考する人である。したがって、その思考は常に非常にラディカルであり、時に常軌を逸したものになるが、しかしその点がまた彼の哲学の魅力でもある。したがって、彼が実体の第一次性を批判して、作用ないし行為の第一次性をとるのにも、論理的な理由がある。それは、ヘンリッヒが明らかにしたように、意識の背後に意識するものを想定すると、自己意識の成立を説明できなくなるということであった。
 第三に、カントの叡知界との違いでもっと重要なのは次の点である。カントの叡知界に属する可想体としての自我は、すべて個人としての自我であるが、これに対して、フィヒテの叡知界には、個人としての自我のみでなく、そこから個人の「取り出し」が行われる「理性の塊」なるものが存在する。それに加えて、「知的直観」もこの叡知界に属すると考えられる。なぜなら、「知的直観は直接にそれだけで現れることはなく、むしろ思惟=作用の中でのみ考えられる」(IV-2,133)からである。そして、この「知的直観」もまた、『知識学の新しい叙述の試み』で言われたように、個人性にまで規定されていないものであって、個人としての自我ではない。ところで、この「知的直観」と同様に、「理性の塊」を『知識学の新しい叙述の試み』での「理念として自我」と等置することができるのかといえば、それはできない。なぜなら、「理念としての自我」は諸個人が統一したものであるが、ここでの「理性の塊」は個人にまで規定される以前のものだからである。では、この「理性の塊」は同じく個人にまで規定されていない「知的直観」と同じものなのだろうか。この講義では、この点が非常に曖昧で ある。しかし、我々は、先に引用した一八〇一年五月三十一日付のフィヒテからシェリングへの書簡から、「知的直観」と「理性の塊」とが別物であると判る。そこでは、フィヒテは三つの意識を区別している。「貴方が絶対的意識、すなわちAを措定するとします。すると、この意識のうちには、規定可能なものとしての意識の形式Bと、意識の規定性Cが存在し、B−+−Cとなります。そして絶対的意識のうちで、CからBへの観念的な移行と、BからCへの実在的な、とはいえ形式からみてのみ記述可能な移行とが写し出されます。・・・我々は規定可能な意識(有限な理性の普遍的な意識)[B]をもつことがなければ、どのような規定された(個人的な)意識[C]をもつこともありません。その反対も同様です。この法則は、まさに有限性の根本法則であり、この交替点が有限性の立脚点なのです。」(III-5,47)([]内は引用者の付記)ここから、我々は、先の講義での知的直観は、ここでの絶対的意識Aに対応し、個人としての自我は意識Cに対応し、「理性の塊」は意識Bに対応していることが判る。しかしそれにも関わらず、この「理性の塊」という概念はまだ曖昧なままであると言わざる を得ないのだが、しかし次にみる『知識学の叙述』ではこの概念は消失している。これは何故だろうか。この経緯を次に見よう。
 なお、カントの「叡知界」との第四の差異として「神」と「叡知界」の関係の違いを指摘しておかねばならないが、これに関しても次節で述べることにする。

   第三節 『新しい方法による知識学』から『知識学の叙述』へ
   A 「叡知界」の変化
 『知識学の叙述』では、「理性の塊」に対応するようなものはなく、「個人としての自我の「取り出し」について語られることもない。叡知界は専ら「理性存在者達の体系」=「諸知性の体系」と規定され、諸個人としての自我の相互作用が重要な主題になる。ここでは、自己意識が成立するための対他者関係は、『新しい方法による知識学』でのように<促す者−促される者>という一方的な関係ではない。「自由は、自由としては、他の自由によって制約されてのみあり、他の現実的に自己を外化する自由によってのみ、自己を現実的に外化する。それゆえに、他の全ての知覚の原理としての知の知、自己知覚の条件は、個人の自由な外化の他に、他の自由な外化が知覚され、その外化を介して他の自由な実体が感性界の中に知覚されることである。・・・自由な行為の現実的な外化による相互作用が、全ての知の条件である。」(II-6、305)しかも、この他者との相互的な関係は、『新しい方法による知識学』でのように自己意識の成立の時点に限らず、恒常的なものとして考えられている。「全ての知は、現実的に自己を外化する自由の一定の相互作用によって、制約されており、規定されている。しか も、それは、現実的に規定された知が生じる各瞬間において、そうでなくてはならない。」(II-6、305)したがって、ここではもはや、『新しい方法による知識学』でのように最初の自己意識や最初の認識について語られることもない。
 しかし、最初の自己意識としての「促し」の認識に対応するものを捜すことはできる。それは「勝義の知覚」=「普遍的知覚」である。これまでは認識と行為の循環は「促し」の認識によって解決されていたが、ここでは、この循環は「勝義の知覚」なるものによって解決されるからである。「理性を欠いた世界の知覚(感性界での知覚、客体認識)と自由の知覚(叡知界での知覚、自由な行為の知覚)、後者は前者の観念根拠である。なぜなら、後者によって知が生じるから。・・・自由の知覚は没理性的な世界の知覚によって制約されている。後者は前者の実在根拠である。なぜなら、世界の知覚が自由に実在的行為の可能性を与えるから。・・・勝義の知覚は、死せる世界の知覚でも、自由の知覚でもなく、不可分性と対立における両者の知覚である。その対象、宇宙は、即自的には一つであり対立していないが、しかし現象にかんして感性界と英知界へ分かれるのである。」(II-6、303)(括弧内は引用者の付記)『新しい方法による知識学』での、感性界における「促し」の認識と叡知界における「取り出し」は、表裏のものであると述べたが、ここでは文字通り一つのもの、「勝義の知覚」として立 てられているのである。しかも、これは最初の自己意識になるのみならず、自己意識が成立している限り恒常的にある。ここで興味深いのは、この「勝義の知覚」が単に個別的な知覚であるのみならず、普遍的な知覚であるという点である。「私の自由は実在的作用の根拠であるべきだが、しかし私は全ての知る者達との相互作用の外では実在的ではない、以上のことに注意するならば、この自由の知覚(勝義の知覚)は、単に個人的なものから普遍的なものへ容易に転換するのである。」(II-6、303)(括弧内引用者)つまり、他者との相互作用を重視するが故に、それを可能にするための「普遍的知覚」が想定されるのである。
 では、『新しい方法による知識学』での「理性の塊」は、どうしてなくなったのだろうか。シェリングへの先の書簡の続きの部分が、『新しい方法による知識学』と『知識学の叙述』の内容の対応関係をハッキリさせてくれる。「意識Cの全体はそれ自身、意識Aの客体にすぎません。しかし、意識Cは、それが意識Aという根源的な形式のうちに存在するかぎり、あらゆる人々にとって絶対的な妥当性をもっているのです。意識Cというこの閉じた全体が再び意識Aのなかに取り上げられると、精神世界の体系(上の意識B)が与えられ、<個々人の分断的在り方>の実在根拠が把握されないままに与えられ、そして、万人の理念的な紐帯である神が与えられます。これこそ、私が叡知界と呼ぶものなのです。」(III-5,48)先に見たように、『新しい方法による知識学』での「理性の塊」は、この書簡での「意識B」に対応するものであるが、いま引用した箇所によれば、「意識B」は、『知識学の叙述』での「個人としての諸知性の体系」に対応している。それゆえに、「理性の塊」は「個人としての諸知性の体系」に変容したのである。その場合、「個人としての諸知性の体系」の中から「個人としての 知性」の「取り出し」が行われる、ということになる。つまり、一回限りの「取り出し」によってではなく、恒常的に繰り返し「取り出し」が行われつづけることによって、個人としての自我が成立するということである。このことは、知の成立条件としての他者との相互作用を恒常的なものと考える、という他者論の変化に対応している。
 以上の考察によって明らかなように、『新しい方法による知識学』から『知識学の叙述』への「叡知界」の内容の変化は、一方的な対他関係から相互的な対他関係へという他者論の変化に基づくものだと言える。

   B 「神」の変化
 さて、この二つの知識学の違いは他者論の変化だけではない。その後の知識学の変化を考えるときに、より重要なのは「神」概念の変化である。『新しい方法による知識学』では、神については殆ど触れられていないが、この講義(一七九八/九九年の冬学期)の直前に発表された論文、無神論論争の発端になった論文『神的世界統治への我々の信仰の根拠について』(一七九八)では、「生きて働く道徳的秩序自身が神である」(I-5,354)とされているので、『新しい方法による知識学』でも同様に考えていたと思われる。(この「神」概念が、カントのそれと異なることは言うまでもないだろう。)
 神についてそのように考えていたにも関わらず、その講義で神についてそのように述べていないのは、おそらくこの時期のフィヒテが、「神」概念に一定の規定を与えるような言葉の使用を積極的には支持していないからである。そのことは、無神論という批判に答えて書かれた『ザクセン選定候国政府の没収訓令によって彼に帰せられたる無神論的言説に関して公衆に訴える』(一七九九)から推測される。そこにおいて、かれは「神」を次のように言う。「(理性の尊厳を主張しようとする)人間が、他の人々とこれについて語らなければならないとき、かの(道徳的)秩序の自己および自己の行為に対する様々の関係を、現存している存在者(ein existierendes Wesen)−−彼はこれをおそらく神と名づけるだろう−−という概念のもとにまとめ固定するということは、彼の悟性の有限性の結果である。しかし、それはもし彼がその概念を、直接に彼の内心に啓示される、超感性界の彼に対する諸関係をこのように総括するためだけにしか利用しないならば、害にはならない。」(I-5、428)(傍点と括弧内は引用者の付記)この時期のフィヒテは、「神」=「絶対者」についての規定を認めない。「絶対的なものそれ自身は、いかなる存在でもなければ、知でもなく、存在と知との同一性、言い換えれば、無差別でもありません。そうではなくて、それはまさに絶対的なものなのであって、あらゆる第二の言葉は、このものを歪めるものなのです。」(III-5,113,Vgl.II-6,143f))
 さて、このような事情があるにしろ、『新しい方法による知識学』でも、敢えて言えば「叡知界」=「理性的存在者達の体系」=「神」であろう。しかし、『知識学の叙述』では、「神」は「叡知界」の根拠=「理性的存在者達の体系」の根拠=「神」である。「互いによって規定された諸知性の閉じた体系というこの理念の根拠はどんなものか。・・・知を絶対的に制約している絶対的存在であり、−−両者(知と絶対的存在)の絶対的相互作用である。」(II-6,317)ここでいう「絶対的存在」とは「絶対者」=「神」のことである。「神は全現象界(感性界と叡知界)の神の叡知的根拠である。」(II-6、319)(括弧内は引用者の付記)
 このような「神」概念の変化の理由は、おそらくこうである。叡知界を理性的存在者の相互作用の世界と見なすとき、フィヒテは次のような問題に直面したのである。「宇宙を、それ自身で閉じた個別的存在者の体系からなるものとして措定せよ。この体系は、自己内で有機的に組織されている。各人の存在は、残りの全ての人との相互作用によって規定されており、また逆でもある。・・・各人は残りの人々によって規定されている。それではいったい、規定は何処から始まるのだろうか。これは、永遠の循環(Kreisgang)であり、そこに留まるしかない。・・・存在を他のものから永遠に借りつづけることは不可能である。我々は最終的には、自己の能力によって存在する一者に、到達しなければならない。」(II-6、249)この「自己の能力によって存在する一者」は「神」に相当する。フィヒテは、全てのものが相互的な関係によって規定されているとき、その相互作用だけでは全体は維持できず、全体を支える第三項としてのポジティヴなものがなければならない、と考えるのである。したがって、我々は、フィヒテが「神」概念を変更した理由は、道徳的秩序つまり理性的存在者達の相互作用は、第三 項なくしては成立し得ないということであったと言えるだろう。
 ところで、さきに指摘したように、フィヒテは、存在論において、実体の第一次性を否定し、作用ないし行為の第一次性をハッキリと自覚的に主張したのであるが、さらに、関係の第一次性を主張したと言えるのだろうか。関係のカテゴリーには、実体性と因果性と相互作用があるが、それらの関係について『新しい方法による知識学』では、次のように言われていた。「実体性は、因果性なしには考えられない。・・・因果性もまた、実体性なしには考えられない。因果性と実体性の綜合は、相互作用の中で一緒に考えられる。相互作用は、必然的にその両者(因果性と実体性)の統一に基づくのである。相互作用の範・は、諸範・の範・である。」(IV-2,229)これからすると、フィヒテが関係の存在論的な第一次性を主張するとすれば、それは相互作用の第一次性の主張になるはずである。しかしフィヒテによれば、相互作用は常に第三項を必要とする。そうすると次には、この相互作用および相互作用の項と第三項との関係が問題になる。ここで、もしこの関係を相互作用として考えるならば、更に新しい第三項が必要になるはずである。したがって、フィヒテは相互作用の存在論的な第一次性を主張していな い、と言える。また、フィヒテは関係の第一次性を主張していない、と言える。(但し、これはこの時期のフィヒテについて妥当するものであって、この後のフィヒテについては、最後に触れるように留保しなければならない。)
 先の事例に戻ると、第三項である一者は諸個人と次のように関係する。「この一者が全ての項(諸個人)をもっている。各項の(一者との)関係の直接知が各項の絶対的存在であり、各項の本来的実体的根源である。この関係は、残りの諸項の存在によってはじめて生じるのではなく、むしろこの関係によって、この個人自身および残りの全個人がこの個人に知られるのである。」(II-6,250)(括弧内は引用者の付記)この一者は、個人間の関係を可能にすると共に、諸個人の関係の成立と連動している諸個人の自己意識の成立を可能にするのである。しかし、問題はここでの一者と諸個人との関係である。先の引用をもう一度繰り返そう。「相互に規定された諸知性による閉じた体系というこの理念の根拠はなにか。知を絶対的に制約する絶対的存在自身であり、したがって知と絶対的存在との絶対的相互作用である。」(II-6、317)(傍点は引用者付記)ここに、知と絶対的存在との関係は、相互作用として規定されている。そうすると、この相互作用はさらに第三項を必要とするはずである。ここでの知と神の関係は、なお解決さるべき問題をはらんでいると言えるだろう。
 ところで、フィヒテは『神的世界統治への我々の信仰の根拠について』において、道徳的世界秩序の根拠を想定することを批判している。「かの道徳的世界秩序から出て、根拠付られたものから根拠への推論を介して、特殊な存在者を根拠付られたものの原因として想定する根拠は、理性の中にはない。」(I-5、354)ここで批判されているのは、<根拠付けるもの−根拠付られるもの>という因果関係で「根拠」を考えることである。したがって、フィヒテが『知識学の叙述』において、個人と神の関係を相互作用と規定することは、一方では確かに先にみたように問題を残しているのだが、他方では因果関係で規定するという誤りの回避であったと言える。
 まとめに入ろう。『知識学の叙述』での「叡知界」の内容変化は、他者との相互作用論の導入によるものであり、「神」概念の変化は、相互作用論からの帰結であった。したがって、もし『全知識学の基礎』から『新しい方法による知識学』への変化もまた他者論の導入の為であったと言えるとするならば、一七九四年から一八〇二年までの知識学の変化は、他者論の変化が原因であるといえる。そして、その過程で問題になってきたことの一つは、相互作用を存在論的に第一次的なものとしては主張できないということである。もし我々が関係の第一次性を主張しようとするならば、我々はフィヒテの批判にどの様に答えればよいのだろうか。一つの解答は、ヘーゲルにある。ヘーゲルもまた相互作用を重視するが、その際に生じる第三項の設定の無限反復を自己自身へ還帰させ「自己関係」という論理で解決する。もちろん、ヘーゲルによる自己関係の第一次性の主張が、論理としてどこまで整合的であるかは、問題として残るが、これは現在でもかなり有力な理論的選択肢である。では、その後のフィヒテはどの様な選択をしたのだろうか。彼は、「相互作用」にかえて「貫通(Durchdringung)」という 用語を用いる。フィヒテは『新しい方法による知識学』では「知的直観」を「相互作用」として捉えているが、『知識学の叙述』では「絶対知」=「知的直観」を説明する際に「相互作用」という言葉を使わずに、「両者(自由と存在)の絶対的自己貫通、融合(das absolute sich Durchdringen,und Verschmelzen beider)」(II-6、149)と言う。さらに、一八〇四年の『知識学』では Druchdringung や Durch によって、知と絶対者との関係を捉えることになる。この「貫通」は、「相互作用」のように第三項を必要としないと考えられている。「両者(自由な直観と存在)は、第三者によって統一され融け合うのではない。・・・それゆえに、綜合的統一点はここでは、無であり、−−知の中の絶対的間隙(ein absoluter Hiatus)である。」(II-6,171)フィヒテのこの新しい論理は、これ以後の「叡知界」の内容規定をも変えることになる。なお、この「貫通」概念によって、フィヒテが関係の第一次性を主張していると言えるかどうかについては、検討課題として留保しておきたい。

 注
  フィヒテからの引用は、バイエルンアカデミー版全集を用いて引用文の後に  示す。例えば、I-3,343 は、Reihe 1. Band 3. S.343 のことである。全集  にないものは注に示す。
(1)『フィヒテ−シェリング往復書簡集』(座小田豊、後藤・也、訳、法政大学出版局、一九九〇年)一四七頁。後の引用の箇所でも、この大変優れた翻訳を参考にした。ちなみに、フィヒテとシェリングとの論叢についてはすでにラウトの『フィヒテからシェリングへ』(隈元忠敬訳、以文社、一九八二年)という詳細な研究があるのだが、そこでも触れられていない点として、次のことを指摘しておきたい。シェリングとの論争での食い違いの原因の一つは、フィヒテの「絶対」と「無限」の区別をシェリングが誤解していたところにあるといえる。この論争がそれで打ち切られることになった最後の手紙、フィヒテへの一八〇二年一月二十五日付の手紙で、「絶対者の量的なもの」に関してシェリングは次のように言う。「貴方にとってこの量的なものは、貴方が見たがっておられる私の『我が哲学体系の叙述』の二十五節からは決して、なりたたず、貴方が私の手紙の中で、双対文の後半部を無視していることから生じたのです。そこでは、実はこういわれているのです。『この絶対的なものは、個別的なものにおいては量的な差異という形式のもとで、全体的なものにおいては等しい無差別という形式の 下で実在(現象)する』と。」(III-5、116、前掲訳、一八七頁) シェリングは、『我が哲学体系の叙述』の二十五節以後では、絶対者を「等しい無差別」(=「量的無差別」)において捉えようとしているのであるから、もはやフィヒテが言うように絶対者を量的なものとして捉えようとしているのではないと、フィヒテに反論しているのである。ただ、シェリングは「量的無差別は無限性である」(三十七節)と述べているのであるが、しかし、フィヒテにとっては「無限性」は量的な概念であり、「無限者」と「絶対者」は全く別のものである。フィヒテとシェリングは互いの「無限性」概念の意味の違いに気づいていなかったのではないかと思われる。
(2)方法上の新しさについてはラウトによって適切な整理がなされている。Vgl.IV-2,14.
(3)ここで「存在は否定的概念である」(II-4,39)「存在は、非我の性格である」(ibid.)と述べられているところからして、後に『知識学の叙述』で、絶対知の二つの質料として述べられる「存在と自由」の内の「存在」は、「非我」概念の変容したものだろうと推測できる。それが「非我」と呼ばれなくなるのは、おそらくは物自体のように実体と見なされて誤解されるのをさけるためであろう。もう一つの理由は「自我」という語も、余り用いられなくなることにある。
(4)この点の詳細については、D.Henrich,Fichtes ursprungliche Einsicht,in "Subjektivitat und Metapysik Festschrift fur Wolfgang Cramer",hrsg.von Henrich,1966 ヘンリッヒ『フィヒテの根源的洞察』座小田豊、小松恵一訳、法政大学出版局、一九八六年、ならびに拙論「フィヒテにおける自己意識の成立とダブルバインド」(『哲学論叢』第十九号、一九八八年)の参照を求む。
(5)前掲訳、一四九、一五〇頁。
(6)前掲訳、一五一頁。ラウトの調べによると『知識学の叙述』が書かれたのは一八〇二年であるから(Vgl.II-6,128)、この書簡のあとである。
(7)前掲訳、一八四頁。
(8)フィヒテは『新しい方法による知識学』でも同様の論理を述べている。「私を意識するためには、私は自由に行為しなければならない。しかし、これは行為の概念の企投なしには、不可能である。ところで、私が自由に選択するべきであるならば、私は多様なものをもたねばならない。しかし、多様性(多様体)は対立可能性(対立可能体)である。したがって、意識が生じるべきならば、この多様なものの中で、全てのものが対立していてはいけない。さもなければ、何もなくなるだろう。むしろ、なにかポジティヴなものが想定されなければならない。このポジティヴなものは何か。」(II-4,58)
(9)このことの証明は、拙論「『新しい方法による知識学』の他者論」(『哲学論叢』第十六号、一九八五年)の参照を求む。
(10)実は、先に引用した知と絶対者の「絶対的相互作用」の箇所は、小フィヒテの版では「両者の絶対的相互貫通(eine absolute Wechseldruchdringung beider)」(Fichte,Fichtes Werke,hrsg.von I.H.Fichte,Walter de Gruyter,1971,Bd.II,S.153,)となっている。しかし、この表現は、ラウト編集のアカデミー版全集にはなく、おそらくは小フィヒテの追加したものなのであろう。我々の解釈によれば、「相互作用」よりも「相互貫通」の方が、『知識学の叙述』をより首尾一貫したものとして解釈できるのだが、しかし、現在のところ我々としてはラウトによるテキストクリティークに従わざるを得ない。
 付記 この論文は、フィヒテ協会第五回大会(一九八八年十二月)のシンポジウム(テーマ「自我と世界」)で発表したものに、大幅に加筆したものである。
     大阪大学文学部助手











「この最後の綜合は、最高の綜合です。この視線にもまだ透徹されずに残るものを、仮に存在と、しかも絶対的存在と名付けようとするならば、神とは、純粋な存在です。しかしこの存在は、それ自体では何か圧縮されたものではなく、まったくの動静、純粋な透明性、光であって、光を反射する物体ではありません。後者がそれとして存在するのは、有限な理性にとってだけなのです。ですから、それはただ有限な理性にとってのみ存在するものであって、それ自体としては存在ではないのです。」(151)

<神−理性的存在者の体系−個人としての自我>の関係を次のように述べている。
一八〇一年一〇月十五日の手紙では「一者がどの様にして始めに無限なものになり、ついで多様なものの総体になるのか、これらの問は、終局にまで到達した思弁が解決すべき問である。」(訳184)これを整理すると、<一者 − 無限(量の形式における絶対者) − 多様なものの総体>

 これ以後のフィヒテの展開でも、個人が自立性を失って絶対者の現象や像になり、個人の自由が主張されながらもますます個人の存在論上での価値下落が進んで行くことになる。例えば、こんな風に言うのである。
 では何がどう修正されたのだろうか。問題は、<単なる自己関係>の非個人性(普遍性)と、<として−構造>によって成立する個人性という矛盾する二つの性格をどの様に結合するか、ということである。我々は、<として−構造>によって成立する個人性にしたがって、自己意識を個別的なものと考え、その構成契機のである<単なる自己関係>つまり「知的直観」もまた各自が共通に持っている自我の構成形式であると考えだろう。しかし、フィヒテは全く逆に考えたのである。<として−構造>によって成立する個人性よりも、「知的直観」の非個人性=普遍性のほうに実在性を与えたのである。
 なぜフィヒテは個人としての自我よりも普遍的な知をより本質的なものと考えたのだろうか。その理由の一つとして次のことが考えられる。自己意識の構成契機としては、<単なる自己関係>の方が<として−構造>よりも論理的な順序としてより基底的であるということ。ただし、フィヒテ自身がこのように述べている箇所はない。
 このような知の主体としての「生」が最初に登場するのは、おそらく一八〇四年の講義『知識学』からである。そこでは、「生」が「一者」としてつまり知の主体として登場し、知の構造の探究は、もはや個人としての「自我」に定位するのではなく、「我々」=「生」という普遍的な主体に定位しておこなわれるのである(参照、第一五講義)。この講義から「知識学」の中ではもはや個人としての自我はあまり考察されなくなるのである。
 このような後期フィヒテの立場をよく示す箇所として一八一〇年の講義『意識の事実』の中の次の箇所を引用しよう。そこでは次のように言われるのである。「個体は自己自身を意識する、と厳密に言うことはできるだろうか。けっしてできない。というのも、個体は全く存在しないから、どうしてそういったものが自己を意識するようになりうるというのであろうか。むしろこう言わなくてはならないであろう。生が、個体的形式において、また個体として自己を意識すると。」『意識の事実』1810 647、藤沢訳参照)、この「生」は「神の像」(685)であるとされるので、この「生」が知の究極的な主体ではないにしても、一応の知の主体と考えられるのである。個人の自立性はもはや見る蔭もないというべきだろう。






「私は全ての知の相互作用の項に他ならない。私の知の中に実在的なものとしてあるものは、必然的に普遍的な知の中にある。さもなければ、それは私の知の中でそれは実在的なものではないだろう。」(2-6、300)


叡知界での他者との相互作用を取り上げる前に、注意しておかなければんらないことがある。それは、『新しい方法による知識学』で、感性界での出来事として取り上げられた「促し」が、ここでは全く論じられていないということである。
 この変化の第一の理由はおそらく、『新しい方法による知識学』で、促しの把握を感性界の出来事と考えたことが間違いであったということである。促しの把握は、認識でありかつ同時に行動でもあったはずである。そして、このような意識は叡知界に属するはずだからである。『知識学の叙述』の緒論でフィヒテは、カントが「理性ないし知をその絶対的統一においてではなく、理論理性、実践理性、判断理性として様々の枝にわけて研究した」((129)ことを批判する。そして別の所で、そのような区別の起源を理性を無視して悟性が働くことに求めている。彼が「理性」というのは、絶対知、あるいは知の知であり、これに対して「悟性」というのは、「自己を知として把握しない単なる単純な知」である。彼はこういう。「理性をもってはいるが理性を把握していない」人々の悟性の知は客体を前提し、その行為は目的を前提する。理性の理論理性と実践理性へのこの分割、および、実践理性における客体と目的への分割は、理性を無視することから生じる。」(212f) こうかんがえると、促しを認識するのは、理性あるいは絶対知である。そうすると、それは叡知界での出来事であるということになる はずです。

には次のような箇所がある。「普遍的な知覚の中では諸々の自我は分離されておらず、むしろ一つであり、ただ一つの知覚者なのである。」(注(141)があるが、しかし、これは全集版にはなく、おそらくは小フィヒテの追加したものなのであ



 これをもう少し詳しく検討してみましょう。『知識学の叙述』では、知識学は絶対知から出発します。この絶対知は従来彼が事行とか知的直観とよんでいたものと同じものです。フィヒテは『知識学の新しい叙述の試み』で二つの知的直観を述べていました。一つは自我が成立するための純粋な形式としての知的直観であり、もう一つは哲学者がこの知的直観を把握するための知的直観です。ここでもこれと同じ仕方で、二つの絶対知を考える必要がある。(注 「絶対知は、それ自身の絶対的直観によって把握されなければならない」(16)と言われる。この「絶対的直観」もまた絶対知を考察する哲学者の直観である。これは、「知的直観」(33)と規定されるようになる。)絶対知は、存在と自由の「融合」(Verschmelzung)「相互浸透sich Durchdringen」であると規定され、また思惟と直観の合一(156)と規定される。問題はこのような絶対知と二つの世界の関係です。絶対知のなかでは直観と思惟が合一されていますが、絶対知への反省が単なる直観によって行われるとき、感性界が成立し、それに思惟が加わるとき道徳的世界が成立するのです。「感性界は直観の中でやすらい、道徳的世界は思惟の中でやすらう。両世界は全く一つであり、道徳的世界は、感性的世界の根拠である。」(292)二つの世界は、対等に並存しているのではなくて、感性的世界は即自的には無であり、道徳的世界が唯一の世界なのです。「道徳的世界の把握、純粋思惟に高まるのはほんの僅かの個人である」(293)といわれいます。つまり哲学者が絶対知を絶対知によって捉えるときに生じる道徳的世界が見えるのです。従って、促しの認識を認識と行為の綜合として捉えることが出来るのは、絶対知を把握することの出来る哲学者だけであり、他者との促しの関係は、道徳的世界に属することになるのです。それと同時にこのような道徳的世界では、他者との相互作用が考えられている点が、これまでの他者論と大きく異なる点である。 
 感性的世界は、自我によって構成されるものです(WL1801)。これの構成のされ方は、道徳的世界によって規定されています。道徳的世界は、自我によって構成されるものではありません。道徳的世界は自我と他我との相互作用からなる世界であり、この相互作用を規定しているのは神である。
 道徳的世界は、具体的にはどの様なものであろうか。自他の相互作用は、具体的にはどの様に行われるのであろうか。もしそれが言葉によって行われるのだとすると、空気と光を媒体としているから、道徳的世界は自他に共通の感性的世界を基礎にして成立することになる。
「知のなかには、独断論をハッキリと反・し、観念論をハッキリと証明できる多くの場所がある。」(285)
 
問題は、この普遍的知覚を各人がそれぞれ共通にもっている知覚であるか、それとも普遍的な一者と見なせるようなものであるのか、である。この普遍的な知覚を普遍的な一者と見なせるような箇所は見つからないので(注)、これは各人が互いに関係し合うために世界について共通にもっている知覚である、と解釈するのが適切であろう。

『新しい方法による知識学』では「相互作用」について次のように言われていた。「思惟の構想力による、また構想力の思惟による相互作用、行為と存在の相互作用は、自我性の表象がそれに基づくものである。・・・我々は、それによって自我の意識が生じ、またそれによって残りの全ての意識が生じるところの根源的な綜合をもっている。・・・この二つを、我々は<相互作用の範・の中で必然的に統一したもの>として目撃した。」(2-4、233)

 「自分と同じ他の存在者の意識に同時に到達するのでないならば、自由な存在者は自分自身の意識に到達しない。それ故に、誰も自分を、完全な知る者と見なすことはできず、ただ知の国における一つの個別的な立場とみなすことができるだけである。知性は自己自身において、かつその最内奥の根において、実存するものとして、一者ではなくて、多様なものであり、理性存在者達の国にしてかつ体系である。」(2-6、306)

したがって、「個人の行為の英知的性格は、思惟によって理性体系のなかへ自己を高めており、自己と世界を神の中で直観する者によってのみ認識される」(II-6,318)ということにもなるのだが、

この二つが同じであると明言されているところはないが、しかし、同じものであると思わせるような箇所もあるからである。(例えば、彼は個人としての自我がそこから取り出される「規定可能なもの」が、「自我性」(247)であると述べられているが、「自我性」とは「自己自身への関係」(209)「自己内に還帰する活動性」(141)であるから、「知的直観」に他ならないということ。またもう一つは、「叡知的直観」は「思惟における規定可能なもの」(126)と述べられている箇所である。)我々は、この点を明らかにする資料を、フィヒテのシェリング宛書簡の中に求めることが出来る。