論文16    問いと物語


                               

 かつてウォルシュやドレイが歴史哲学の入門書に述べたような、実証主義vs解釈学という歴史学方法論における対立図式が、崩れてきているように思われる。その理由の一つは、クーン以後の新科学哲学による実証主義批判という自然科学方法論の側の変革であり、もう一つは、言語論的転回による意識哲学批判という解釈学の側の動揺である。このような状況で、注目されているのが、物語である。物語への注目は、歴史学自身の中にも生まれている。かつて事件史を批判して登場した構造史に対して、近年の物語への注目は、事件史の復活という意味をもっているようである。ここでは、「物語形式は、歴史の説明形式なのか、もし説明形式でないとすれば何なのか」を問いたい。そのために、問いと物語の関係を明らかにしよう。

     第一章 物語とは何か
     (一)ダントの物語論
 歴史の説明は、物語形式で行われるという主張をもっとも積極的に行っているのが、おそらくダントである。まず、彼の主張を概観しよう。
 彼によれば、我々が歴史において説明しなければならないのは、出来事がなぜ生じたのかの説明である。それは、ある出来事と他の出来事の関係を説明することでもある。しかもその際求められているのは、変化の説明である。変化というのは、同一の主体について、前の状態と後の状態が異なるということであり、変化を説明するということは、「変化の時間の両端にまたがる中間部分を満たすということなのである。」(1)
 そこで彼は、そのような変化の説明が、次のような物語形式になることを示す。
   (1)xはt1時にFである。
   (2)xにHが、t2時に生じる。
   (3)xはt3時にGである
ここにおいて、(1)(3)はともに被説明項(ある変化)を構成し、(2)は説明項(変化の原因)になる。「いまやいかる意味において、歴史説明が物語の形式をとるかが完全に明らかになったといっておこう。(1)(2)(3)がすでに物語構造をなしているという意味においてそうなのである。」(2)
 このモデルは、歴史説明にかぎらず、どんな因果的説明にも当てはまるので、このモデルに対しては、歴史説明と因果的説明一般をうまく区別していないという反論が予想される。しかし、ダントは、そのような批判を致命的な批判とは考えていない。なぜなら、歴史説明と因果的説明にはなんら本来的な差がなく、因果的説明が物語形式を備えていることを示すことができたならば、彼にとっては十分だからである。(3)
 たしかに、ダントが言うように、歴史的な出来事について、いつどこで何がなぜ起こったのかの説明を求められたならば、正確に詳しく物語る以外には、方法がないだろう。また、説明を求めた人も、フツウはそのような物語で満足するだろう。しかし、物語は、出来事の経過の必然性を証明していないし、因果関係を完全に語り尽くしてはいない。物語による説明は、自然科学における法則による因果関係の説明ほどの厳密性をもっていない。バルトは、これを次のように述べている。「物語活動の原動力は、継起性と因果性との混同そのものにあり、物語のなかでは、後からやってくるものが結果として読みとられる。してみると、物語とは、スコラ哲学が、そのものの後に、ゆえに、そのものによって(post hoc ergo propter hoc)という定式を用いて告発した論理的誤謬の組織的応用ということになろう。」(4)
 さて以上を踏まえて言うならば、冒頭の問いに対する、とりあえずの答えは陳腐である。物語を説明形式と見なすか否かは、「説明」という概念を狭くとるか広くとるかに依存する。ただし、歴史的出来事の説明が可能だとすれば、物語形式以外には存在しないだろう。

     (二)物語は物語る
 主要な日本語辞典によれば、「物語る」という動詞の主語は本来は人物である。しかし、それからの比喩で、物や出来事が何かを示すという場合にも、「物語る」を転用するようになったようである。現代日本語では、次のように言うことができる。
  (1)「几帳面な字は、彼の人柄を物語っている」
  (2)「倒壊した家屋は、地震のすさまじさを物語っている」
  (3)「多くの被害者がでたことは、サリンの毒性の強さを物語っている」
出来事が、歴史的な出来事であるなら次のようになるだろう。(上の用例を含めて、すでに起こったすべての出来事は、歴史的な出来事であるともいえる。)
  (4)「七二四年から一一五六年までの四三二年間、日本で死刑が廃止されていたと      いう事実は、現代日本でも死刑廃止の可能性がある事を物語っている。」
さらに、出来事についての話しや、虚構の話しを主語にすることもできるだろう。
  (5)「『七二四年から一一五六年までの四三二年間、日本では死刑が廃止されてい      た』という話しは、現代日本でも死刑廃止の可能性がある事を物語っている。」
  (6)「『アリとキリギリス』の話しは、勤勉でなければ幸せになれない、というこ      とを物語っている」
 ここから、物語とは、ある出来事が何かを物語っている限りにおける、その出来事についての話しである、と言うこともできるだろう。ただし、循環定義になる可能性があるので、これを定義だとは考えず、物語の特性の記述として主張したい。
 ヘイドン・ホワイトは、ヘーゲルを参照しつつ、歴史意識の発生は、法の発生と関連していると考え、そこから、「歴史的物語にはすべて、密かな、あるいはあらからさまな目的として、それが扱っている出来事を教訓的に説明しようという欲求が備わっていることになる」(5)という。このようなヘイドン・ホワイトの主張は、「すべての物語は、規範法則(道徳、教訓など)を物語っている」と表現できるだろう。
 規範法則に関して言えば、『アリとキリギリス』が、勤勉でなければ幸せになれないということを物語っているというとき、この物語における出来事の経緯は、「勤勉でなければ幸せになれない」という法則から因果的に説明されるだろう。このようにみるとき、この物語における出来事の経緯は、「勤勉でなければ幸せになれない」という法則の具体事例である。ところで、物語における出来事の経緯を説明するのは、規範法則だけではない。実証主義者以外にも、ダントのように、歴史における出来事の因果関係の説明に、自然法則、心理法則、社会法則などの事実法則が使われていることを認める者はおおい。この場合、その物語は、事実法則を物語っていると言えるだろう。(物語が法則を物語るといえるならば、一般的な理論や一般法則自身は、物語とはいえない。なぜなら、それらは、物語られるものだからである。ただし、ある法則が、より普遍的な法則を物語るということはありうる。)
 さて以上を踏まえて、冒頭の問いに答えてみよう。たとえ物語が説明形式でなくても、物語は、法則のみならず、原理、核心、本質、イデオロギー、などなどを物語るものである。次に、そのことを問いとの関係で確認しよう。

     第二章 問いと物語
     (一)<問い合わされるもの>としての物語
 我々は、学問を研究する時に限らず、ある問いの答えを求めるときに、何かに問い合わせるだろう。電話番号を知りたいときには104に、道を知りたいときには通りがかりの人に、単語の意味を知りたいときには辞書に、などなど。これらを<問い合わされるもの>(6)と呼ぶことにする。上の用例において、物語られている内容は、物語るものよりもより普遍的であるか、あるいは物語るものをより普遍的な文脈の中に移し入れるものである。それらの用例は「現象は本質を物語る」「外なるものは内なるものを物語る」「結果は原因を物語る」「事例は、法則を物語る」「現在は過去を物語る」等々のいくつかのタイプに分類できるかもしれない。これらにおいて、我々は「本質を知りたいときには、現象に問い合わせる」「内なるものを知りたいときには、外なるものに問い合わせる」・・・などと言えそうである。つまり、我々は、上のような事を知りたいときに、物語に問い合わせることができるのである。
 例えば、私が「自分はどういう人間なのか」を知ろうとするとき、私は自分の人生を振り返り、それに問い合わせる。自分史は、自分がどういう人であるかを物語っているはずである。たとえば、自分について、優しい人間だとか卑怯な人間だとかいう像をもっているものは、そのような自己像を裏付けるものとして、優しく振る舞ったとか、卑怯なまねをした、とかの過去の物語をもっているだろう。あるいは、人間のあるべき姿について小説に問い合わせたり、今風の恋愛について、トレンディードラマに問い合わせたりできる。<問い合わされるもの>としての有意味性に関しては、真実の物語と虚構の物語に区別はないだろう。(大胆に言ってしまえば、芸術の有意味性は、<問い合わされるもの>としての有意味性であると思われる。偉大な作品とは、我々の成長とともに深まるどのような問いにも、<問い合わされるもの>として十分に役に立つような作品である。)
 では、物語は<問い合わされるもの>になるだけで、それ自体は問いの答えにはならないのだろうか。

     (二)コリングウッドの問答論理学による分析
 コリングウッドによれば、命題はそれだけで意味を持つのではなく、ある一定の問いに対する答えとしてのみ意味を持つ。そして、命題を「思考の単位」と考える立場を「命題論理学」とよび、それに対して彼の立場を「問答論理学」とよぶ。彼によると、「真理は、いかなる単一の命題にも属さず、また・・・諸命題をひっくるめた複合体にさえも属するものではなくて、問題と解答とからなる複合体に属するなにものかである。」(7)
もしコリングウッドのこの問答論理学の立場に立つならば、物語が、もし問いに対する答えになり得ないならば、真理値も意味もないことになる。その場合には、物語は、何かを説明することもできないだろう。
 では、物語は、問いに対する答えになりうるだろうか。たしかに、ダントーがいうように、歴史的問い「x(かつてのある時点、ある場所)において、何がおきたのか」という問いに対する答えは、物語になり得る。また、日常生活でも、「あなたは、今日までどんなふうに生きてきましたか」とか、「どうして寝過ごしたのですか」などの問いに対する答えは、物語になり得る。
 では、虚構の物語の場合にはどうだろうか。「『赤ずきんちゃん』はどんな物語ですか」という問いに対して、「『赤づきんちゃん』というのは、・・・という物語です」と答えることは、物語を語ることではない。そうすると虚構の物語は、問いに対する答えにはならないのだろうか。おそらくそうではない。実は、虚構の物語も、特殊な場合には問いの答えになるのだ。それは、物語の中にすでに入ってしまっているときである。「むかしむかし、あるところに、おじいさんと、おばあさんがいました。おじいさんは、やまへ芝刈に、おばあさんは川へ洗濯にゆきました。そうすると、川上から大きなサッカーボールがドンブリコ、ドンブリコとながれてきました。」ここで、話しを中断すると、子供は「それで」と問うだろう。そこで、私が答えるとき、その答えは、物語の続きとなる。虚構の物語も、それがすでに始まっていて、聞き手がその世界の中にいるときには、物語の続きを聞こうとする問いの答えとなる。
 じつは、真実の物語が、我々の日常の問いや歴史的な問いの答えとなるのも、我々がその物語の中にすでに入っており、その中でその物語の続きを聞いたり、聞き逃していた前の部分を聞き返したりするからである。物語が、問いの答えになるためには、我々が、すでにその物語の世界の中に入っていなければならない、つまり物語の一部を<本当のこと>として受け入れていなければならない。しかし、もし物語の中に入ってその一部を<本当のこと>として認めているのでなければ、物語について問えないのだとすれば、物語としての歴史は、すくなくとも全体としては、問いの答えになりえない。全体としての歴史物語は、虚構の物語と同じく、ただ<問い合わされるもの>になりうるだけである。こうして、歴史物語全体の真理性が問えないとすれば、我々はどうすればよいのだろうか。
 ところで、前述の「私はどのような人間だろうか」という問いは、「赤ずきんちゃんはどんな女の子か」という問いと同じく、すでに一つの物語の中での問いである。そのように、自問するとき私はすでにひとつの物語のなかに入っている。つまり、私にとって、私の物語は、単に<問い合わされるもの>ではなくて、その問いが、従ってまた私自身が、その中ではじめて成立しうるものなのだ。私の自己理解は、このように奥深く入り込んだ仕方で物語形式をもつことになる。そして、その場合には、私の物語を部分物語として含むより大きな歴史という物語の中に入って、「xにおいて、なにが起こったのか」と問うことも必然的なことであろう。前述のように我々は歴史物語全体の真理性を問うことはできないが、我々が歴史という物語の外に出られない以上は、そのことはなんら問題ではないだろう。
 さて以上を踏まえて、冒頭の問いに戻ろう。物語が、説明形式になりうるのは、我々が物語の中に入っているときだけである、といえるだろう。では、このことによって、物語の研究はどのようなプロセスを踏むことになるのだろうか。

     第三章 歴史物語の研究プロセス
     (一)ポパーの図式の検討
 ポパーは、科学研究のプロセスを次のような図式で示している。
   P1 ↓ TT ↓ EE ↓ P2
つまり、問題P1、暫定的理論TT、評価による誤り排除EE、問題P2という図式である(8)。ところで、もし歴史学が、一般法則ではなく、物語形式による出来事の説明を目標にしているとしても、上の図式の「理論」を「物語」に置き換えれば、ポパーの図式は妥当するのだろうか。
 歴史学でも、たとえば、「邪馬台国はどこにあったのか」とか「南京大虐殺の犠牲者は何人か」など意義のある問題として承認されている問題を解決しようとする研究もある。しかし、すべての歴史学の研究がそうなのではなく、むしろ、思いもよらかなった物語を描いて、それによって、いままで見えていなかった現象、あるいはいままで思いつかれなかった解釈を既知の現象に与えることが、画期的な仕事になる場合が多い。
 もちろん、この場合にも、問いがあったはずである。しかし、その問いは、当初おそらくかなり漠然としたものだろう。例えば、「フランス刑罰の歴史はどのようなものだろう」という問いに促されて、様々な細かな問いが立てられ、それぞれを調べていく内に、あるとき新しい視点を発見するのかもしれない。そうして、その視点のもとで、それまで調べたことを見直してみるとき、刑罰についての新しい物語がみえてくるということがあるだろう。この新しい視点の発見は、新しい問いと答えの発見であろう。そのさい、おそらくは未完成の形においてではあれ、問いと答えは同時に発見されるのである。
 一般的にいうと、「ほんとうにsはpだろうか」という問いは、「sはpである」を自明視しているときには立てられない(これは同語反復である)。他でもある可能性が見えたときに、「本当にsはpだろうか」という問いが立てられるのである。他でもある可能性が見えたときというのは、「sはpである」という確信が揺らいだとき、あるいはさらにすすんで「sはpではなさそうだ」と思ったとき、などである。ある時まで「sはpである」を自明視していたのに、ある時「sはpではなさそうだ」とフト思ったとき、その人は「本当にsはpだろうか」という問いと「sはpではない」という暫定的な答えを同時に獲得するのである。このように、我々は、しばしば、問いと答えを同時に獲得する。これについて、コリングウッドは次のように述べている。「歴史家は、まずはじめに問題を考え、しかるのちにその問題に関係のある証拠を探すのではない。問題に関係のある証拠を手にいれてはじめて、問題が真の問題になるのである。」(9)
 このように歴史学では、新しい問題の設定が大変重要であるが、ポパーの分析には、新しい問題が設定される仕方についての解明が欠けている。

     (二)問題設定のメカニズム
 我々は、問題設定についても、その発見方法と正当化方法を区別する必要があるだろう。すると、先のP1の部分は、次のように分節化される。
  問題の発見・仮設 ↓ 問題のテスト(↓問題の訂正↓テスト) ↓ 問題設定
学問を学問たらしめるのは、発見方法ではなくて正当化方法である、と考えるポパーにならって、我々も問題の正当化方法について考えよう。我々は、問題をどうやってテスト・評価するのだろうか。
 ポパーにおいて問題設定の解明が欠けていた理由は、おそらく、自然科学者が実際の研究で問題設定に悩むことは少ないということなのだろう。何が問題であるのかについては、一定のパラダイムが共有されている場合には、合意が得やすい。(あるいは、何が問題であるかの合意が成立しているということが、パラダイムが成立していることの徴標の一つであるといえるかもしれない。)自然科学での問題発見のパターンは、いまだ説明されていない現象の存在、理論と観察結果との矛盾、理論と理論との矛盾、という三つに区別できるだろう。この場合の問題設定の目的・関心は、知の欠如や矛盾を解消して、整合的な知の体系を獲得すること、つまりパラダイムを完成・整備することであろう。そうすると、発見された問題は、この目的・関心に寄与すること、つまりパラダイムの完成・整備への寄与によって、正当化される。逆に言えば、パラダイムの完成・整備にあまり寄与しない問題は、重要でない問題と見なされるし、パラダイムと矛盾する命題を前提した問題は、間違った問題(えせ科学の問題、非科学的な問題、疑似問題など)として否認されることだろう。歴史学でも、これに対応させて 、いまだ説明されていない出来事の存在、物語と出来事の矛盾、物語と物語との矛盾が、歴史学における問題発見の三パターンであり、これらの問題は、物語の完成・整備に対する寄与によって正当化される、と言えるだろう。
 では、歴史学において問いと答えが同時に発見される前述のケースでは、その問いは、何によって正当化されるのだろうか。それは、もはや従来の物語の完成・整備に寄与することによるのではない。それは、おそらく、その問題とともに提起される答えの、つまり新しい物語の<多産性>(非常に曖昧な言葉であるが、これの分析は課題としたい)はによるのであろう。逆に言えば、その新しい物語に魅力がなければ、問題もまた重要でないものとみられるだろう。
 あるいは、自然科学においても同様の事態があると指摘されるかもしれない。科学革命において、新しいパラダイムは、古いパラダイムでは解けなかった問題に答えるために考え出されたのであるが、パラダイムが変化すると問題の理解自体が変化するので、それは別の問題に答えているともいえる。この場合には、新しいパラダイムによる、問題の再定式化と解答を同時に獲得していると言えるだろう。ただし、自然科学と歴史学の間には、差異を指摘することもできる。自然科学のパラダイム・チェンジにおいて再定式化された問題は、確かに新しい問題なのだが、以前の問題との連続性をもっている。これに対して、歴史学では、このような新しい問題は、以前の物語で正当化された諸問題との連続性をもたない全く新しい問題である。(10)
 前述のダントの物語論に則って、歴史的な問いについて考えるならば、(1)から(3)への変化を説明するために、「なぜ変化が生じたのか」という問いを立て、それの答えとして(2)が見つかることによって、物語が完成するのである。「なぜ・・・という変化が生じたのか」あるいは「X[(1)から(3)の間]において、何が起きたのか」という問いに対する答えとして、ある原因が見つかったときに、物語が完成する。ここにおいて、厳密にいえば、物語は、問いに対する答えではない。問いに対する答えは(2)である。この答え(2)の命題の意味を理解するためには、それを問いとの関係において、つまり(1)にはじまり(3)に終わる経緯において理解する必要がある。つまり、コリングウッドが指摘したように、命題は問いへの関係においてのみ意味をもつのである。もう一度言うが、厳密に言えば、物語は、問いへの答えとして与えられるのではない。むしろ、問いにおいて、すでに物語の半分が語られており、解答は物語を完成するのである。このことは、物語は、すでに問う者がその物語を受け入れ、その中に入っていなければ、問いの答えにはならない、という第二章の指 摘と一致する。
 歴史学において全く新しい問いがどのようにして発見されるのか、については我々は今答える用意がないが、その問いが立てられたときに、すでに新しい物語が半分語られているからこそ、たとえ答えが予想出来ない場合でも、その半製品の物語の<多産性>によって、問いを正当化することができるのではないだろうか。
 さて以上を踏まえて、冒頭の問いについて最後にこう付け足しておこう。物語は、広い意味での説明の形式であるだけでなく、歴史的な問いの形式でもある。


(1)A.C.Danto, Analytical Philosophy of History, The Cambridge U.P., 1965, ダン   ト『物語としての歴史』河本英夫訳、国文社、二八一頁。
(2)同訳、二八五頁。
(3)同訳、二八五頁。
(4)バルト『物語の構造分析』花輪光訳、みずず書房、一八頁。
(5)H.White,'The Value of Narrativity in the Represention of Reality', in "On    Narrative" ed. by W.J.T.Mitchell, The Uni. of Cigago Press, 1980, ヘイドン   ・ホワイト「歴史における物語性の価値」、ミッチェル編『物語について』海老根   宏、原田大介、新妻昭彦、野崎次郎、林完枝、虎岩直子訳、平凡社、三四頁。
(6)<問い合わされるもの>という問の契機、および問いの構造分析については、拙論   「問の構造について」(『待兼山論叢』大阪大学文学部発行、二〇号、一九八六年、   所収)を参照下されば幸甚。
(7)R.G.Collingwood, An Autobiography, London, 1939, コリングウッド『自伝』玉井   治訳、未来社、四七頁。
(8)K.Popper, Objective Knowledge, The Clarendon Press, 1972, ポパー『客観的知   識』森博訳、木鐸社、一六六頁。
(9)R.G.Collingwood, Essays in the Philosophy of History, University of Texas    Press, 1966, コリングウッド『歴史哲学の本質と目的』峠尚武、篠木芳夫訳、未来   社、二一四頁。
(10)全く新しい問いが設定されるという点において、歴史学が自然科学と程度の差では   なくて質的に異なっている、と言えるかどうかについて、さらに自然科学と歴史学   の間に方法論上の質的な差異があるのかどうかについては、現在のところ結論が出   せないでいる。

<付記>
 本研究は、一九九五年三月の第三回解釈学シンポジウムでの発表にしたものである。