論文6  『新しい方法による知識学』の他者論


                                        
問題呈示

 フィヒテにとって他者論は何だったのだろうか。一七九四年に『学者の使命』において、彼は「人間は如何にして自己の外に自分と同じものである理性的存在者を想定し、承認するに到るのか」という問いを立て、これに対して類推に基づく蓋然的な他者認識で答えている。そこではこの問いは、「哲学が学問や知識学になりうる前に最初に答えるべき多くの問い」の一つであり、重要な問いではあるが「理論的領域」には属さないとされていた。ところが、知識学の応用された「特殊な学問」である『知識学の諸原理による自然法の基礎』(一七九六年)と『知識学の諸原理による道徳論の体系』(一七九八年)では、知識学に基づいて、他の理性的存在者の演繹が試みられるようになる。更に一七九八/九九年の冬学期にフィヒテがイエナ大学で行った『新しい方法による知識学』(die Wissenschaftslehre nova methodo)と題する講義では、知識学の問題として他者が論じられるに到る。このように、この時期のフィヒテにとって他者の問題は、知識学の外の問題から知識学の応用の問題へ、そして更に知識学自身の問題へと次第に重要なものになっていったのである。では知識学は他者論の導入によってどのように変化したのだろうか。
 『全知識学の基礎』(一七九四年)に対する不満をフィヒテは多くの箇所で述べている。不満の理由の一つは方法にあった。一七九九年三月十七目付のJ・E・C・シュミット宛の書簡で、「あなたが私の知識学の従来の叙述(『全知識学の基礎』)の中に見い出される不充分な点はどこにあるのでしようか。原理の中にはないでしよう。しかしそれは導出の中にあります」(括弧内は引用者付記、以下の引用でも同様)という。また一八〇一年一月三十一目付のF・ヨハンセン宛の書簡でも、「私は印刷された知識学(『全知識学の基礎』)は、それが書かれた時代の跡を非常に多くのこしており、それがその時代に則って採用した哲学する手法も時代の跡をのこしている。そのことによってそれは、超越論的観念論の叙述が必要とするよりも不明確になっている」と述べている。原理の導出の手法・方法に対するこのようた不満から、『新しい方法による知識学』が生まれたのである。
 では方法はどのように変化したのだろうか。二つの知識学を読んでまず目につく方法上の差異は、『全知識学の基礎』が理論的部分と実践的部分に分かれていたのに対して、『新しい方法に一よる知識学』では両者が分けられていないことである。「講義の中では、理論的と実践的という哲学の従来の普通の区分は現われない。むしろ彼(フィヒテ)は哲学一般を講義し、理論的哲学と実践的哲学を統一する。」(H17)「命題の可能性の諾条件が自然的秩序においてではなく、理論的部分と実践的部分において論じられたから、最初の叙述(『全知識学の基礎』)は少しわかりづらくなった。」(K10,vgl. K72)
 さて、このように論じ方を変えたのは単にわかりやすくするためだげだったのだろうか。『新しい方法による知識学』でフィヒテは次のように述べている。「知識学のこの叙述の中では、我々の歩みは最も内的な項から外的な項へ進んでゆく。それ(最も内的な項)は印刷された知識学(『全知識学の基礎』)の中にはない。というのは中心点つまり綜合的思惟を見つけるために外的な項から出発するからである。」(H190)ここにいう「最も内的な項」=「綜合的思惟」とは「目的の思惟から出発する観念的思惟の系列」と「意欲に関係する客体の思惟から出発する実在的思惟の系列」を結合する項、つまり実践的態度と理論的態度を綜合するものであって、この綜合こそ『全知識学の基礎』に欠けていたものである。一八〇一年五月三十一日付のシェリング砲の書簡でフィヒテは、「知識学(『全知識学の基礎』)は原理においては全く欠けていないが、おそらく完成が欠けている。すなわち最高の綜合、精神世界の綜合がまだなされていない。私がこの綜合をなす準備をしたときちょうど無神論と呼ばれたのである」と述べている。この精神世界の綜合こそ、二つの知識学を分けるものでありその後の知識学の進 展の方向を示すものである。「この(『全知識学の基礎』)の中では、当時の時代状況の求めで、我々の全意識がその根拠を、常に真でありつづげる我々の思惟法則の中に持つことを示すという主要目的があった。しかし、我々は現在の叙述によって、叡知的世界という経験的世界のための堅固な基体を同時に手に入れた。」(H150)この叡知的世界は、先の精神的世界にあたるものであろう。これによって「知識学の現在の叙述は、印刷された知識学(『全知識学の基礎』)から離れるのである。」(H150)両知識学の内容上の最も重要な差異はここに見られる。『新しい方法による知識学』でフィヒテは、この叡知的世界を述べるために新しい方法をとったのではなかろうか。この叡知的世界とは、別の表現では「理性的存在者の国」であるが、この「理性的存在者の国」についての叙述は、『自然法の基礎』と『道徳論の体系』における他者論を取り入れたものである。「印刷された知識学の中では、純粋自我は人格的自我性(die persoenliche Ichheit)とは全く異なる理性一般として理解さるべきである。」(H240)しかし、ここでは「個人としての私の成立」(H240)が語られ、「自己意識は個人性(Individualitaet)の意識なくしては不可能」(H241)と考えられるという差異があるが、この「個人としての私の成立」において不可欠なのが、他の理性的存在者からの働きかげである。なるほど確かにフィヒテは他者論の重要性に気づく以前に、非常に早くから『全知識学の基礎』の不充分さを認めて「新たに全く書き直す」(一七九四年九月三十日付のゲーテ宛書簡)ことを考えていたが、それが具体的に『新しい方法による知識学』の方法と内容というかたちをとるに到った原因の一つは、この時期フィヒテにとって次第に重要になってきている他者問題への関心にあったといえるのではないか。これを証明するために、以下では『新しい方法による知識学』で他者論が重要な中心的な役割をはたしていることを明確にしたい。
   二 『新しい方法による知識学』における他者論の位置
 フィヒテによると「哲学と知識学は同一であり」(H17)「哲学と形而上学も同一である」(H19)。そしてその哲学の課題は、「我々はどのようにして、我々の表象の外に現実的な物が存在していると想定するようになるのか」(K4)「我々はどのようにして、我々の表象に表象の外の物が対応していると想定するようになるのか」(H18)「必然性の感情を伴って意識の中に現われるものの根拠は何か」(H18)という問いに答えることである。ところで「意識の中で必然性の感情を伴って現われるものは、全経験である」(H20)ので、この経験の根拠をフィヒテは経験の外に求めることになる。「独断論者」はこの根拠として「物自体」を要請し、「観念論者」は「表象する者」を要請する(H20)。フィヒテはむろん観念論をとるのであるが、独断論と観念論の問には何ら共通のものがないから、哲学的論争によってどちらかに決定することはできず、彼が観念論をとるのは信仰に基づく。「観念論者の体系は、自己自身への或いは自分の自発性への信仰に基づいている。」(H23,vgl.K17)
 かかる観念論をフィヒテは「事行(tathandlung)に基づいた一つの要請(Postulat)」(H29f.)ではじめる。要請されるのは「私が私を直接に意識している」という「直接的意識」(H239f)=「知的直観」(eine intellectuelle Anschauung)(H31)である。ふつう意識の意識といえば、これを意識するために更に別の意識が要求され、この別の意識を意識するために更に別の意識が要求され、以下同様に無限に続くと考えられるだろうが、フィヒテがここでいう「直接的意識」においては、この無限進行をさけるために、「意識が同時に客観であり且主観である」(H30)こと、「措定するものと措定されるものの同一性」(H30)が要請されている。このように要請された意識が成立する条件を次々に遡ってゆき、最高の条件にまで「上昇」(Aufsteigen)(H132)してゆく過程が、『新しい方法による知識学』の前半部(§1から§12まで)をなす。
 さて、この「直接意識」はそれだけでは自己内に留まっているだげであって、現実的意識ではない。「直接的意識は全く如何たる意識でもなく、自己自身の死せる措定であり、如何なる直観でもたい。では、自我は如何にしてこれから外に出ることが出来るのだろうか。自我が自己自身を措定することによってである。従って、直接的意識は自由の行為(Akt der Freiheit)によって意識になる。」(H45)自由に行為するとは、目的の概念を企投(Entwerfen)することである。そこで次に「この目的の概念を企投することは如何にして可能か」(H57)が間われる。目的概念は当然客体の認識を前提しており、客体の認識は現実的感情にもとづいており、この感情は我々の行為と行為の意識にもとづいている(H128)。しかしこの行為は目的概念を前提していた。ゆえに、ここに最終的に説明の「循還」(Zirkel)(H128ff.)が生じる。この「循還」は、。客観的認識と目的概念の循還といっても、感情と行為の循還といってもよい。また「感情は制約性であり、行為は自由である」ところから、制約性と自由の循還と言い換えることも出来る。意識の条件を遡る「上昇」の過程は、このような「循還」にゆきあたった。フィヒテが『新しい方法による知識学』を理論的部分と実践的部分に分けたかったということは、理論的態度と実践的態度の密接な関係を論じたかったからに違いたいが、その密接な関係はここで最終的に、両態度の「循還」として規定されている。それゆえに、我々はさしあたりこの「循還」を述べるためにフィヒテは理論的部分と実践的部分に分けなかった のだといえよう。この「循還」を解決するものとして、次に意識の最高の条件が述べられる。それが「綜合的上昇の最後の歩み」(H132)となる。さて、この「循還」を解決するためには、自由と制約性を綜合しなげればならないが、それはどのようなものになるだろうか。自由が「規定可能性から規定性への絶対的移行」(H130)であるとするとき、これと制約性はどのように綜合されうるであろうか。移行の絶対性が制約されては自由ではたくなる。また、規定性がはじめから制約されていても自由は成立したい。それゆえ、制約性は規定可能性の中にのみありうる。つまり規定可能性が、制約された規定可能性、「有限な一定量」(H130)であることによってのみ、自由と制約性は綜合されるのである。この綜合を別の面から見てみよう。自我は感情の多様を意欲へ関係づけることによって統一する。その際、感情と意欲を関係づけるのは思惟である。詳しくいうと、私が感情の多様を統一するには多様の中に同一のものがなげればならないが、これが「私の意欲の知的直観」(H126)であると考えられ、思惟はこの知的直観を感情の多様へ関係づげるのである。この知的直観は、冒頭に要請された知的直観と同じも のであろう。従って、この知的直観は直接にそれだげで現われることはなく、この思惟=作用において考えられるだけであり、我々はそれを、ただ思惟によってのみ、つまり抽象と反省とそれらから我々の哲学の規則に従って導き出された推論とによってのみ知る(H133f)。この知的直観は、叡知的なものであって、いわば時間の外にあり、従って知的直観は生起したり(entstehen)生成したり(werden)せず、ただそこにある。かかる知的直観によって直観された意欲とは、「規定されたもの」であろうが、しかし「超感性的なものについては、我々は何も知らない。それは我々には、一つの意欲一つの要求として現象する(どのように現象するかは後に述べられる)----従って、この(意欲の)規定性は、定言的要求(categorische Forderung)として、規定された絶対的当為(bestimmtes absolutes Sollen)として現象するにちがいたいだろう。」(H134)この「規定された絶対的当為」において自由と制約性は統一されているとフィヒテは考える。さて、「規定された当為」として現象する「純粋意志」を思惟するには、思惟の法則に従って、「規定可能なものの体系」(H138)を前提したげればならない。この場合「規定されたもの」が叡知的で精神的であるから、「規定可能たもの」もまた叡知的で精神的でなげればならたい。それゆえこれは、「精神的なものの一集合体、領域」=「私の類の本質としての精神の国」=「理性的存在者の国」(das Reich vernunftiger Wesen)=「叡知的世界」(die intelligible Welt)である(H141)。この「理性的存在者の国」に対するとき、私は規定されたものとして「個人」(Individuum)となる。 
 フィヒテは意識の説明を求めて、条件を次々に遡って上昇してきたが、この「規定された純粋意志」と「理性的存在者の国」こそが、意識の最高の条件であり、この後は「我々の意識の残りの全ての客体の導出の道がはじまる」(H145)。ここから「下降する」(herabsteigen)(H132)過程が、後半部(§13から§19まで)をたす。「私のすべての経験的諸規定は、私の根源的規定性からのみ導出され、この前提の下でのみ考えられうる。」(H141)「この必然的に措定さるべき規定可能なものから、我々は今やすべての客体を一純粋な意欲としての当為の直接的意識から導出された間接的なものとして導出するだろう。」(H138)「経験は、私もその中に考えられている理性的存在者の国から出発し、この叡知的世界に残りの全経験が……結びついている。」(H143)この下降の道において最っとも重要な問題は、下降のはじめ、つまり意識の始まりである。意識の始まりにおいて最っとも重要な契機は、他の理性的存在者との関係である。これを次に述べよう。
 フィヒテの整理によると
  一、「最高の観定可能たもの」は「純粋意志」「理性的存在者の国」「理性一般の国     」であり、
  二、これが規定されると「個人性」(巨庄<匡;享警)「規定された純粋意志」が生じ、  三、これが更に規定されると「現実的経験的意欲」になる(H176)。
まず問題になるのは、「理性一般の国」が如何にして「個人性」へと規定されるかである。ここでフィヒテは「取り出し」(herausgreifen)という言葉を用いる。「理性の国の集合体からの私自身の取り出しによって、自己意識がはじまる。これが意識の最深の点である。」(H177傍点は引用者)「取り出し」は意識の最高の条件である「理性的存在者の国」と「規定された純粋意志」の関係であるから、この「取り出し」こそ意識の最高の条件であるということも出来るだろう。「我々の意識における最高のものは、理性の集合体からの取り出しである。これは純粋であって、このようなものとしては意識の中に現われることは出来ず、むしろ行為において自由を外化するように促されていること(ein Aufgefordertseyn, zur Aeusserung der Freiheit im Handeln)としてのみ現われることが出来る。」(H252)この「取り出し」は「叡知的世界」での出来事であり、この「取り出し」の「感性界」での現象が「促されていること」である。従って、「意識は促し(eine Aufforderung)の意識で始まる」(H190)とも言いうる。「取り出し」によって生じる「個体性」は「規定された純粋意志」であり、これもまた叡知的なものである。これが「感性化」されると「促し」になる。「それ(感性化された個体性)は、私の純粋意志の感性化、つまり感性界における事実としての、自由な行為への促しに他ならない。」(H251)「個体性」を「取り出す」ことは、「促し」を「知覚する」ことに対応している。この「促し」こそ、自由と制約性を綜合して循還を解くものであると削る。「促し」は「最初の概念」(H177)つまり最初の目的概念であり、その認識は「最初の認識」(H177)であって、この認識によって「個体性」は同時に「現実的経験的意欲」になっている。以上に述べてきたことをふり返ってみよう。フィヒテは、意識の条件を遡って「循還」にゆきあたり、この「循還」を解くために「規定された純粋意志」を想定し、この「規定された純粋意志」の前提として「理性的存在者の国」を考えた。我々は先に、フィヒテが理論的部分と実践的部分を分けなかったのは、認識と行為の「循還」を論じるためであったと述べた。このような「循還」をフィヒテが最初に述べたのは、 『自然法の基礎』においてではないだろうか。そこでも、行為と認識の「循還」を解くためにやはり一つの総合が要求され、この総合として、他の理性的存在者による「促し」が演繹された。『道徳論の体系』では、「循還」をめぐる議論はもう少し混み入っているが、それが最終的に他の理性的存在者による「促し」によって解決される点は同じである。ここでは、「循還」の解決は「措定された絶対的当為」によってなされるが、これは実は自由な行為への「促し」であって、ここでもやはり「循還」を論じる背景には、他の理性的存在者による「促し」が考えられていると言ってよい。それゆえ我々は、フィヒテが理性的部分と実践的部分に分けないで論じたのは、「循還」を論じるためであり、更には意識の最高の条件としての「規定された純粋意志」と「理性的存在者の国」=「叡知的世界」を述べるためであったと言えようが、具体的には、他の理性的存在者の「促し」を論じるためであったとも言えるだろう。ここでの「促し」概念は『自然法の基礎』や『道徳論の体系』でのそれとほぼ同じものである。以下では、これらの著作では論じられていなかった「構想力」と「促し」の関係を明らかにし 、「促し」概念のもう一つの役割を指摘したい。
    三 構想力と「促し」
 
 自我が自由な行為への「促し」を把握するとは、どういうことであろうか。この「促し」は、自由に行為するように私に促すのだから、この「促し」の概念の中には、「私」と「私の自由な行為」が含まれている。「従って、私は促しの概念によって必然的に、私と私の自由な行為を見い出す(私と私の自由な行為が私に与えられる)。」(H180)では更に、「私が私を見い出す」とはどういうことか。フィヒテによると「自我性は観念的なものと実在的なものの絶対的同一性において存立している」(H181)ので、「私が私を見い出す、私を知覚するとは、私が私を観念的な毛のと実在的なものの同一性として見い出すことである」(H182)。これは如何して可能だろうか。「思惟には、その思惟の意識が直接に結びついている。このことは自ら明らかで、あらゆる疑いを免れている。」(H185)客体の思惟と目的の思惟は、それらの意識においては結合している。この意識をフィヒテは「綜合的思惟」(H185)と呼ぶ。「私が私を見い出す」のは、この「綜合的思惟」においてである。「綜合的思惟」の客体は自我自身であるといえる。では、「促し」の知覚はこの「綜合的思惟」によって行われるのであろうか。この 「綜合的思惟」は「知的直観」(H186)であり、「全ての時間の外」(H190)にあるといわれている。これに対し「促し」もその知覚も感性的であり時間の内にあるはずである。そこで我々は、「促し」の知覚は「綜合的思惟」の感性化したものと考えざるを得たい。では、この感性化は何故またどのように行われるのだろうか。この感性化の必然性は実は「綜合的思惟」白身の中に含まれている。観念的思惟と実在的思惟は、綜合的思惟によって統一されるだけではなく、統一の可能性のためにさしあたり分離される。「綜合と分析はここではつねに共存している。」(H186)この分析の思惟によって時間が生じる。「私は時間の内で考えるのではなく、むしろ私は私の思惟を時間の内へ考え入れる(hineindenken)。」(H196)具体的にいうと「目的概念と行為という両者は、思惟によって区別され、この思惟によって関係の中に措定される。つまり、規定可能なものが規定されたものに先行するという法則に従って、依存(Dependenz)の関係、時間の関係の中に措定される。」(H188)時間とは「依存」の関係である。但し、これは因果関係とは異たる。「因果関係の中にはいかなる時間もない。」(H188)
 また、時間は「知的直観の形式」(H126)である。「純粋意志」が「現実的意欲」になるためには、「純粋意志」は「感情の多様」と結びつかねばならず、その際この両者を結びつける思惟は、前述のように「知的直観」に関係する。思惟が「知的直観」を多様へ関係づける限りで、「知的直観」は繰り返され持続するものになる。それゆえ、
時間はこのように持続する「知的直観の形式」である。さてしかし、各瞬間が持続(Dauerをもたなければ、瞬間をどんなに集めても「時間持続」(Zeitdauer)(H220)は生じない。各瞬間は持続をもつ。それは、「構想力の揺れ」(das Schweben der Einbidungskraft)(H220)から生じる。構想力の働きは、例えば一線分上の無隈の点を「一気に」(auf einmal)(H212,216)とらえるというように「多様な対立したものを取りまとめること(zusammenfassen)」(H212)である。「自己規定は、構想力によってのみ目撃されうる。」(H224)従って、先の「知的直観」もまた構想力によって媒介されてのみ可能であり、構想力によって「自我の活動性の直観が、根源的に各瞬間において持続をうる」(H220)のである。このように「純粋意志」の感性化において構想力が重要な役割をはたしているということは、換言すれば「促し」の知覚において構想力が重要な役割をはたしているということである。「私への促しは、それが知覚されるものであった限りで、すべての印象と同様に私の身体的行為の制約である。」(H254)身体的行為の制約から感情が生じ(H128)、「感情の事柄」は「生産的構想力」によって「直観の客体」になる(固さ)。これだけでは、他の知覚における構想力の働きと同じであるが、「促し」の知覚は他とは異たる点をもつはずである。「促し」を知覚する「現実的意識」は、この「促し」を説明するために「私の外の自由な存在者」(H252)を考える。そのような現象として「促し」はどのようなものでなげればならないのだろうか。「誰かが私に促す とは彼によって始められた行為を完成するために、多様の系列の中へ彼が私を措定することを意味している。彼がその行為をAからCまで行ったとすると、彼は私にそれを最後まで行うように促すのである。」(H253)自由な存在者の行為は、無限の項を通り抜けて行くことだから、構想力によってのみ考えられるものである。従って、無限の項をその途中から引き受けよという「促し」の知覚も構想力によってのみ可能である。例えば、フィヒテが「促し」の「最も明確な例」(H251)として挙げている「問い」について説明するならば、問いを立てそれに答えるということは一つの完結した行為であるが、ある者Xが他の者Yに問う時、XはYがXの問を引き受けて、それに答えてくれることを促しているのである。以上のような「促し」は単に、自己意識の成立に関してのみ重要なのではない。人類の理性目的が、「促し」による行為の連鎖によって可能になるのである。「感性界におげるいくつかの理性存在者の行為は、一つの大きた連鎖である。…理性全体は、ただ唯一の行為をもつ。ある個人が行為を始め、他の個人がそれを続ける。理性目的の全体が無数の個人によって仕上げられる。」(H253f.)このよう た「促し」によって「理性界(Vernunftwelt)は自己自身と相互作用する」(H260)。他方「自然は有機化(Organisation)の法則によって自己自身と相互作用する」(H260)。さらに、この二つの世界同士も「分節された身体」において相互作用の関係に立つ。この二世界の相互作用こそが「意識の根本総合」であって、この総合によって全意識が論じ尽され、「下降」の道は終了するのであるが、ここで両世界を媒介する「分節された身体」とは、理性的存在者間の「促し」とその認識との具体的な媒介者に他ならたい。このように、「促し」による対他者関係の問題は、意識の始まり即ち下降の始まりのみでなく、その全体に渉るものであることが削る。
   結び
 我々は『新しい方法による知識学』において他者論が重要な役割をはたしていることを見てきた。もし我々が主張するように、他者論への関心が『全知識学の基礎』から『新しい方法による知識学』への変化に影響を与えているのだとすると、その影響はこの後の知識学にも見られる可能性が大きいだろう。そのようた影響は確認できるだろうか。『人間の使命』(一八○○年)でも、フィヒテは次のように問う。「いかにして自由な諸精神は自由な諸精神について知るのか。……或いは『私は私と同類の理性的存在者を、それが感性界において産み出す諸変化によって知覚する』と君が私に言うつもりたら、私は君に問い直す。いかにしてそもそも君はこの諸変化自身を知覚する(12)ことが出来るのか。」この諸変化とは、『自然法の基礎』以来のフィヒテの論述によれば、自由な行為への「促し」に他ならない。この諸変化、「促し」の認識について、ここでは次のように述べられる。「自由な存在者のこの相互的認識と相互作用は・:…自然法則と思惟法則に従っては全く理解できず、一者(das Eine)によってのみ説明されうる。」この「一者」とは、「無限的意志」である。「促し」の認識は、「最初の 認識」であり、意識が成立する最初の瞬間でありたがら、フィヒテはそれを充分に明らかにしていなかった。或いは明らかにしえなかったのかもしれ(14)ない。『人問の使命』では、この認識を「見えざる世界の大いなる秘密」といい、この説明のために「一者」を想定するのである。この「一者」が、『知識学の叙述』(一八〇一年)での「絶対者」になるのだとすれぱ、『新しい方法による知識学』以後の知識学の変化・進展においても他者論への関心が影響を与えていると言えるだろう。これについては次の機会に論じたい。

  ↑注
(1) J.G.Fichte, Weke, hrsg. von I.H.Fichte, Gruyter, 1971, Bd. VI, S. 302.
(2)『学者の使命』から『道徳論の体系』に到る他者論の展開については、拙稿「初期フィヒテの他者論」(『哲学論叢』大阪大学文学部哲学哲学史第二講座発行、第十四号所収)を参照下されば幸甚です。
(3)アカデミー版全集の『全知識学の基礎』の編集者の解説に詳しく述べられている。
(4)J.G.Fichte, Briefwechsel, hrsg. von H. Schuls, Olms, 1967, Bd. II, S. 21.
(5)Ibid., Bd. II, S. 310.
(6)『新しい方法による知識学』の講義は、学生の筆記ノートとして残っているものが二つある。一つは、ハレ大学図書館に保存されていたもので、筆記者の名前は判っていない。これは Hans Jacob によって一九三七年に出版され、現在は、アカデミー版全集(IV. Bd. 2))に R. Lauth と H. Gliwizky の編集で収められている。もう一つは、ドレスデンの図書館で一九八○年に Erich Fuchs によって発見されたノートである。これは Karl Christian Friedlrich Krause (一七八一〜一八三二年、哲学者)によって筆記されたものである。これは Wissenschaftslehre nova methodo, hrsg. bon E. Fuchs, Felix Meiner, 1982 として出版されている。二つのノートは個々の表現に到るまで非常に似ており、同じ講義の筆記であることが解る。但し Klause のものには Einleitung が二つあるのに対し、ハレ大学図書館のものには、最初の方の Einleitung が欠けている。筆記ノートである以上、論旨のとりにくい部分も多く、二つのノートを参照し合いながら読む必要があるが、拙稿での引用は原則としてハレ大学図書館のものを用い、これに欠けている場合にのみ Klause のものを用いた。例えば H17は、アカデミー版全集(IV. Bd. 2)S. 17 を示し、K10 は Wissenschftslehre nova methodo, hrsg. von E. Fuchs, Felis Meiner, 1982, S. 10 を示す。
(7)J.G.Fichte, Briefwechsel, hrsg. von H. Schulz, Olms, 1967, Bd. II, S. 323.
(8)Ibid., Bd. I, S. 405.
(9)同様の定義が『第一序論』と『第二序論』で与えられていた。J.G.Fichte, Werke, hrsg. von I. H.Fichte, Gruyter, 1971, Bd. I, S. 423, 455.
(10)Auffo(r)derung, Aufgefor(r)dertsein を、私のこれまでの論文では、「要求」「要求されてあること」と訳してきたが、これではやはり訳語の意味が広すぎるので、「促し」「促されていること」と訳すことにした。量義治先生が『人間の使命』(『世界の名著、続9』中央公論杜、昭和四十九年、二三六頁)で「促し」と訳されているのを参考にさせて頂きました。
(11)「促し」を受ける当の現実的意識が、「促し」の原因として「私の外の自由な存在者」を考える機制については、schliessen(H 141m 248),uebertragen(H248), hineindenken(H 141)等として述べられているのだが、これについては『自然法の基礎』『道徳論の体系』での論述の方が詳しく、また論旨もほぼ同様である。
(12)J.G.Fichte, Weke, frsg. von I.H.Fichte, Gruyter, 1971, Bd. II, S. 301.
(13) Ibid.
(14) Ibid., S. 299.
                              (大阪大学文学部助手)