フィヒテにおける自己意識の成立とダブルバインド     (『哲学論叢』19号、1988年12月発行)

                                              入 江 幸 男
 


 自己意識がもつ循環とその循環を解決する仕方について、これまで多くのことが語られてきた。しかし我々は今だにその問題系の首ねっこをつかめていないという気がする。ただ、数ある試みの中でも、フィヒテの試みは一つの有力な研究プログラムを示しているように思われる。フィヒテ自身も様々の試みをしているのだが、我々が注目したいのは、彼が他者からの働きかけによって自己意識の循環を解決しようとしたことである。

  第一章 自己意識の循環、ヘンリッヒとヤンケの解釈の修正
 イエナ期からベルリン期にかけてのフィヒテの知識学の変化は、自我が自分自身で知を基礎付るという考えから、知の根拠として絶対者を想定するように変わることであり、その変化の理由は、絶対者を想定しなければ自己意識の循環をうまく説明出来ないということである、と考える解釈がある。この様な解釈の代表者は、おそらくヘンリッヒとヤンケであろう。

 ヘンリッヒは、『フィヒテの根源的洞察』という論文で、デカルトからカントまでの自己意識の理論を「自我の反省理論」と名付けて批判している。彼によると「自我の反省理論」は、第一に、思惟の主体を想定し、この主体が自己自身と絶えず関係している点を強調する。第二に、自己自身との関係において、主体が自己自身を対象とし、もともとは自己以外の対象に向けられている表象作用を自己自身の内に振り向けていること、つまり、唯一、主体だけが活動性と活動性の成果との同一性を実現するということ、これが第二点である。
 このような「自我の反省理論」に対して、ヘンリッヒは次の2つの異論を提起する。第一の異論は、先に述べた第一点への批判である。「自我の反省理論は、反省の作用が遂行される以前に、不当にも自我全体を前提してしまっているが、しかし、自我が成立するのはこの反省の作用によってである」という異論である。第二の異論は、先に述べた第二点の批判となる。「自分自身を把握したということを、自己意識は一体どのようにして知ることができるのだろうか。明らかにそれが可能なのは、自己意識が前もって既に自分について知っている場合だけである。こうして、反省理論は、またも論点先取の虚偽に終ってしまうことになる。」という異論である。仮に、自我が自分自身を対象にしているとしても、予め自分がどの様なものであるかを知っていなければ、当の対象が自分自身であることを知ることは出来ない、という批判である。
 ヘンリッヒの解釈によれば、第一の異論はフィヒテ自身が立てたものであるのに対して、第二の異論は、フィヒテ自身が自覚して取り上げてはいないが、しかし彼の理論の中にこの異論が呈示する問題の解決を見いだすことが出来るものである。ただし、「フィヒテの発見」という論文では、二つともフィヒテ自身が考えていたとヘンリッヒは述べている。私も後に述べるように第二の異論もフィヒテ自身が自覚していたと考える。
 ヘンリッヒによると『全知識学の基礎』(1794)での自我の定式「自我は、端的に自己を措定する」という定式に表現されている「事行」の概念が、先に述べた第一の異論を自覚しそれを克服しようとしたものである。そして、『知識学の新しい叙述の試み』(1797)での定式「自我は自分を、<自分を措定するもの>として措定する」という定式は、自我が自分に付いての知をもっているということを明らかにしている点で、先の定式に比べて優れており、これによって第二の異論が克服されると考える。そして、この第二の定式が、『新しい方法による知識学』(1798/99)でも踏襲されていると述べている。
 これに対して、ヤンケは<として>構造は既に『全知識学の基礎』の中にあると批判している。この批判は正しいだろう。しかし、彼が、ヘンリッヒによる知識学の展開の三段階、三つの定式、「自我は端的に自己自身を措定する」(1794)「自我は自己を措定するものとして端的に自己を措定する」(1797)「自我は眼を備えた活動性である」(1801)を修正して、次のような三段階、「自我は自己を措定するものとして端的に自己を措定する」(1974)「知は知的直観の中で自己を絶対知として目撃する」(1801)「悟性は自己を絶対者の像として理解する」(1804)を主張している限りで、我々はヤンケをも批判しなければならない。なぜなら、この様な解釈に於て、ヘンリッヒとヤンケは、『新しい方法による知識学』の中の他者論の重要性に気づいていないからである。彼らが、その他者論の重要性を見過ごすことになった原因は(或は彼らを含めて、従来のフィヒテ研究が他者論の重要性を見過ごしていたのは)、『自然法の基礎』(1976)や『道徳論の体系』(1978)を充分考慮しなかったことにあるのではないだろうか。これらの著作を考慮すると、この時期の他者論の重要性は明瞭であり、彼らの解釈は少な くとも次のような修正を必要とする。
 『自然法の基礎』において、フィヒテが、ヘンリッヒのいう第二の定式、ヤンケのいう第一の定式を改良していることは、次の発言にはっきりと示されている。先ず彼は、自己意識の成立のためには、<として>構造が不可決であることを次のように言う。「いかにして主体が自己自身を客体として見いだすことが出来るかが、問題であった。主体は、自己を見いだすためには、自己を自発的な者としてのみ見いだすことが出来た。そうでなければ、主体は自己を見いださない。」ここまでならば、ヘンリッヒの言うとうりである。しかし、フィヒテはこれに続けて次のように言う。「自己を(反省の)客体として見いだすために、主体が自己を、自発性へと自己規定するものとして見いだすことは出来ない。(事柄自体が、超越論的視点からみて如何にあるかは、ここでは問題ではない。むしろ、事柄が、研究されるべき主体にとっていかに現れるに違いないか、ということのみが問題なのである。)むしろ、外的な衝迫(Anstoss)によって自発性へと規定されたものとして、自己を見いだすことが出来るのである。この衝迫は、主体の完全な自由を自己規定へと解き放たなければならない。というのは、さ もないと、[自己意識が成立する]最初の点が消え去り、主体は自己を自我として見い出し得ないからである。」(()内はフィヒテ、[]内は引用者、I,3,343)。ここで、自己反省の<として>構造の成立にとって、他者論が不可欠であることが指摘されていると言える。なぜなら、ここで言う「衝迫」こそ、他者からの「促し」という働きかけだからである。
 『自然法の基礎』から『道徳論の体系』をへて『新しい方法による知識学』(1798/9)までの時期に於て、フィヒテは自己意識の循環を認識と行為の循環として捉え、それを他者の「促し」によって解決しようとしていたと考えられる。但し、フィヒテのこのような他者論のきっかけは、彼が一七九五年の夏に自然法の講義の準備をしていたときに、他者の存在の哲学的な基礎付が欠けていることに気がついたことに始まる。だから、フィヒテは、自己意識の循環という問題に気づいて、それを解決するために他者論を考え出したのではなくて、むしろ他者論を考えている内に、それが自己意識の説明にとって重要であることに気づいたのである。しかし、きっかけがそういうことであっても、自我のみによって知を基礎づけようとする時期と絶対者によって知を基礎づけようとする時期の間に、対他者関係によって知を基礎づけようとする時期があることは確実である。
 我々は、他者からの「促し」が如何なる意味でヘンリッヒのいう第二の異論を克服して自己意識の<として>構造を成立させるのかをまず説明したいのであるが、その際に「促し」をダブルバインドとして解釈することが有効である。また、この解釈で重要なものとして浮かび上がってくるのは「決断」であるので、最後にフィヒテの決断主義とも呼べる立場について考察するつもりである。

   第二章 促しとダブルバインド
 フィヒテの言う「促し」(Aufforderung、一般的には、勧める、促す、誘う、要求する、などの意味)は、理性的存在者が他の理性的存在者に対して行う促しであり、促しの内容は、『自然法の基礎』では、他者に「自己規定(Selbstbestimmung)」や「作用性へと決断すること」を要求すること(I,3,342)、『道徳論の体系』(1798)では、他者に「自発性(Selbsttatigkeit)」を要求すること(I,5,201)、『新しい方法による知識学』では他者に「自由な活動性」「私の当為」「自由を外化すること」(IV,2,251)を要求すること、と述べられている。表現の違いはあるが、これらは同じものである。このような促しが、如何なる意味で自己意識の<として>構造を可能にするのだろうか。

   第一節 促しはダブルバインドである
 まず、最初に指摘したいことは、「自由に行動せよ」という促しが、グレゴリー・ベイトソンのいうダブルバインド(二重拘束)であるということである。彼によると、これは、第一次的な命令があり、且つより抽象的なレベルでその第一次の命令と衝突する第二次的な命令が存在することであり、例えば、親切な言葉をかけておりながら、声の調子や表情がそれを裏切っているというような場合や、罰を与えておいて、「これを罰とみなしてはいけない」と言うような場合がこれにあたる。前述の「自由に行動せよ」という促しは、内容においては、相手の自由を求めておりながら、促しという発語行為において、相手を拘束するものであり、サールがいう意味での命題行為と発語内行為が矛盾しているのである。また「自由であれ」という促しは自己言及的であって、この意味でもダブルバインドに陥る。「自由であれ」という促しの自己言及性は、「この命令に従うな」と言い替えればはっきりするだろう。「この命令に従うな」という命令は、「この文は偽である」という否定的な自己言及文と同様のパラドックスに陥る。つまり、他者に促された者は、促しに従うとき、自由ではなくなるが、しかし 自由でなければ、「自由であれ」という促しに従っていないことになり、しかしまた、促しに従っていなければ、自由であることになり、自由であれば、「自由であれ」という促しに従っていることになり、・・・・と、このように無限に続く循環ないし矛盾に陥るのである。
 「自由であれ」という命令がダブルバインドであることは、浅田彰とハバーマスが既に指摘している。ハバーマスは、「啓蒙の過程や教育の過程というものは、行政的手段がそのきっかけとなることはあっても、命令のように遂行されるものではないということが言えると思います。つまり、自立は命令することは出来ないものなのです。これは、逆説的な事柄、ダブルバインド的な事柄です」と述べている。浅田彰は、「勝手にしろ」とか「この命令に従うな」という命令をダブルバインドとして捉え、それをやはり教育に関係づけて論じている。フィヒテもまた「促し」を具体的には、子供を一個の自由な主体へと教育することとして考えている(I,3,347)。三人が共に、教育についてこれを論じていることは、偶然の一致だろうか。教育上の促しは、官僚機構での命令のようにその時その場でのその命令の実行だけを目的としているのではない。例えば、親は子供に「オモチャを片付けなさい」と命令する。この命令は、その時その場で子供がオモチャを片付けることだけを目的としているのではない。そうではなくて、そういう命令を実行することを通じて親に言われなくても自発的にオモチャを片付 けるように促しているのであって、自由な決断を求めていると言えるのではないだろうか。そして、如何なる内容の具体的な決断の要求であれ、「決断せよ」という要求は、「自由であれ」という促しと同じものであり、その中にダブルバインドをひそませている。その子供が親の促しに逆らってオモチャを片付けないとしても、その時彼は自分で決断したことになるのである。その時彼は、親に何も言われないでそのままオモチャを片付けないでいる状態とは全く異なった状態にあると言えるだろう。
 ベイトソン自身は、ここでの「促し」のようなダブルバインドについては論じていないが、しかし彼もやはり、ダブルバインド一般を学習理論と関係づけて論じている。例えば、禅の公案をダブルバインドとして解釈しているのである。

   第二節 促しがダブルバインド構造を持つことになる必然性
 『自然法の基礎』では、フィヒテは、次のような循環のために「促し」を持ちだす。「a)理性的存在者は、不可分の綜合に於て同時に自己に作用性を帰属させるのでなければ、いかなる客体も措定(知覚、及び把握)出来ない。b)しかし、理性的存在者は、この作用性が向かうべき客体を措定し終えていなければ、如何なる作用性も自己に帰属させることが出来ない。」(I,3,340)これを示すと次のようになる。
 これについて彼は次のように問題を指摘する。「全ての概念把握は、理性存在者の作用性の措定によって制約されており、全ての作用性は理性存在者の先行する概念把握によって制約されている。それ故に、意識の可能な全ての瞬間は、先行する瞬間によって制約されており、意識はその可能性の説明に於て、既に現実的なものとして前提されている。意識は循環によってのみ説明され得る。従ってまた、意識はおよそ説明され得ず、不可能なものと思われる。」(I,3,340)
 簡単に要約してしまうと、フィヒテは、客体の措定と作用性の措定、つまり認識と行為が互いに他を前提するから、自己意識の発生を説明しようとすると無限遡行に陥るという矛盾を指摘しているわけである。そしてそこから、この矛盾を解決するために、最初の自己意識は、作用性であり且つ客体でもある両者の「綜合」の措定であると想定する。この綜合は、「客体の性格」と「作用性の性格」を合わせ持たなければならないといわれる。「客体の性格」とは、「客体の把握の際に、主体の自由な活動性が阻止されたものとして措定される」という性格であり、「作用性の性格」とは、「主体の活動性が絶対的に自由であり、自己自身を規定する」という性格である(I,3,342)。この二つの性格は矛盾しているから、この総合は、同一の論理階型では不可能である。フィヒテは、この総合を、「自己規定へと主体が規定されていること(ein Bestimmtsein des Subjekts zur Selbstbestimmung)」或は「作用性へと決断するようにという主体への促し(eine Aufforderung an dasselbe,sich zu einer Wirksamkeit zu entschliessen)」と考える。つまり、フィヒテは、先の矛盾した二つの性格を論理階型を分けることによって総合するのである。この「促し」の内容は「作用性へと決断せよ」ということであるから、この中には、先に述べた二つの性格のうちの一方「作用性の性格」しか含まれていない。「促し」は、もう一つの性格をその形式においてもっているのである。「促し」を把握する者にとっては、「促し」は客体であるので「客体の性格」を持つことになる。こうして、「促し」はその内容と形式が、互いに矛盾する要求であることになり、必然的にベイトソンのいうダブルバインドになるのである。

   第三節 促しによる<として>構造の成立機制
 もちろんフィヒテ自身は、促しがダブルバインドであるとは言っていない。しかし、促しによる<として>構造の成立機制は、促しをダブルバインドとして考えなければ、説明できないように思われる。
 『自然法の基礎』で、彼は次のように言う。「理性的存在者が意図されていた概念(促しの内容である「自由」や「自発性」という概念)を把握するとき、理性的存在者は、現実的な行動によってか、・・・・或は、行動しないことによって、自由な作用性を実現することになる。」(括弧内は引用者、I,3,343)つまり彼は、促しを把握した者は、どのように行動しても、また行動しなくても自由を実現することになると言うのである。
 このことを私は今まで、促しを把握するとは、自分の自発性ないし自由に気付くこと(こういう言い方はヘンリッヒのいう第一の異論を招く、なぜならば、自発性に気付く以前に自発性があったことになるからである)であり、一旦自分が自由であると理解すると、どんなふうに行動してもまたしなくても、常に自由な決断をしていることになる、という意味に解釈してきた。確かに、自分が自由であり且つその自由を自覚するのならば、どんなふうに行動してもまたしなくても、自由を実現していることになるだろう。しかし、促しによって、自分の自発性や自由の概念をもつことと、これらの概念の実在性、妥当性をみとめること、つまり自分が実際に自由であると認めることとは、区別されなければならない。一般的に、概念を持つことと、その概念に実在性を与えることは区別される。従って、単に自分の自発性や自由の概念を持つことによって、直ちに現実に自分が自由であると認識するようになるわけではない。更に、この区別に加えて、そもそも他者から教えられて自分が自由であると知ることは、フィヒテによれば「真の矛盾」であり、有り得ないことなのである。促しを把握するとき、「主 体は自分自身の自由と自発性の概念を持ち、しかも外から与えられたものとして持つことになる。主体は自由な作用性の概念を獲得するが、しかし現在の瞬間に存在するものとして獲得するのではない。なぜなら、そういうことは真の矛盾であるだろうから。むしろ主体は将来の瞬間に存在すべきものとして獲得するのである。」(I,3,342f)ここでは、他者から教えられて自由を獲得することが「真の矛盾」である理由は述べられていないが、おそらく他者によって自由が与えられるということは、自由の概念に矛盾するということであろう。
 『道徳論の体系』でも、同様のことが述べられている。「私が私を自由なものとして見いだす」ことが、何を意味しており、いかにして可能かを問題としている箇所(I,5,200)で、フィヒテは、「自発性による自己規定」つまり自由を、「与えられるもの(Gegebenes)」と考えることは出来ないと言う。ここでも理由を述べていないが、自己規定が与えられると言うことは、自己規定ということに矛盾していることが、理由であろう。そこで彼は、自己規定を自分で自分に与えなければならない、と考えるが、これもまた、「完全な矛盾」であると言う。その理由は、自己規定を自分で自分に与えるというとき、その与える行為自体が既に自己規定であって、自己規定を前提していることになるという循環にあると思われる。(この循環は、先に述べたヘンリッヒのいう第二の異論、つまり<自己意識が自己を自己として知るには、その前に自己が何であるかを知っていなければならない>という循環と同じものである。)このディレンマを解決するために、フィヒテは次のように考える。「それ故に、私は、観念的な活動性、私の介入なしに現前しているものを模写(Nachbildung)することによってのみ、一 定の自己規定を見いだすことが出来るだろう。」(I,5,200)ここでの「私の介入なしに現前しているもの」とは、他者からの促しであり、促しの中で「自己規定の概念」が与えられるのである。「自己規定」は与えられることが出来ないけれど、「自己規定の概念」は与えられることが出来る、と考えられている。ここでも、促しの把握によって成立するのは、自己規定の概念の把握であって、自己規定は「将来の瞬間に存在すべきもの」として理解されていると言えよう。
  しかし、促された者が「自由と自発性の概念」や「自己規定の概念」を持つだけならば、その後にどんなふうに行動してもまた行動しなくても自由を実現することなるわけではない。フィヒテの叙述が正しいとすれば、我々はこれをどのように解釈すればよいのだろうか。どんなに行動してもまたしなくても自由を実現していることになるとすれば、その際に意志による決定が行われているということであろう。促される者は、彼が促しを把握するとき、単に自分の自発性や自由の概念を持つことになるだけではなくて、促しに従うかどうかの決断を迫られていると意識することになり、それ故に、どの様に行動してもまたしなくても、決断したことになるのではないだろうか。このように解釈するときに問題になるのは、どうして促しを受けた者が決断を迫られていると考えるのか、ということである。
 一般に、促された者が決断を迫られていると考えるのは、どの様な場合だろうか。促しや命令を受けると、ふつう我々は、従った場合と従わなかった場合の利得と損失あるいはその確率を計算して利得が大きい方を選択するだろう。この時、我々は決断をしているのではなくて、計算による「意志決定」、推論による行為の正当化をしているのである。ふつう我々が決断するのは、計算や推論が不可能な場合である。(フィヒテも後で見るように理性からの決定根拠が無いときに決断が行われると考えている。)しかし、計算や推論によって決定する場合にも、我々は、適当な計算方法と尺度の選択について予め(或はその場で)決断しているのではないだろうか。勿論、この選択自体が別の利害計算によって決定されている場合もあるだろうが、その場合も、更にその計算方法と尺度の選択が予めおこなわれているはずである。これを遡れば、計算や推論による「意志決定」の場合にも、最終的にはなんらかの決断に基づいていると言えるであろう。
 フィヒテの「促し」が具体的にどのようなものであるかは、『自然法の基礎』でそれが「教育」と言われているのと、『新しい方法による知識学』で、問がその例として指摘されている(IV,2,252)だけである。そこで、促しとしての問について考えてみよう。他者への問いかけは、確かに相手に答えてくれるように促すことである。しかし、普通に考えると、問いかけに答えることは、決断ではない。我々は問いかけに対して持ち合わせの知識や文献や実験や観察をもとに、推論によって答えるのである。推論を発見方法とするわけではないが、提出する答えとしては推論によって根拠付けうるものを求めるのである。しかし、(答える者の能力のためであれ、問そのものの性格によってであれ)推論によって答えることが出来ないときには、我々は決断によって答えるしかないだろう。ゆえに、推論で答えることの出来ない問を問うことによって、相手に決断を迫ることが出来るのである。しかし、前述のように推論による意志決定の場合にも決断が行われていたのと同様に、推論で答えることができる問の場合にも、実は決断が行われていると見なすことが出来る。つまり、推論が前提にする知識の妥当 性は最終的にはなんらかの決断に基づいていると言えるし、また推論が従う規則自体もその妥当性は最終的にはなんらかの決断に基づいていると言える。(後に述べるように、フィヒテ自身も決断をこのように根源的に考えている。)そうするとどんな問でも決断を迫ることになる。ましてこの促しの認識がもし文字どうり最初の認識であるとすれば、促された者はどんな知識にたよることもできず、また推論規則を用いるとしても始めてであるならばそれは決断によらざるを得ないであろう。言葉や推論規則を確実にはものにしておらず、知識も少ない幼児、自己意識を形成する段階の人間にとっては、大げさに言えばどんな問に答えるにも決断が必要である。ところで、促しが行われるとき、言葉の習得がなされていないならば、「自由に行為せよ」といっても理解されないだろう。自己意識を持つ自由な主体へと子供を教育形成しようとしている親は、決してこんな言葉を子供に投げかけはしない。彼らが、話しかける最初の言葉は「ミルク?」とか「これ?(これが欲しいの?)」とかいう問いかけであるかもしれない。このような問いかけは決断を促すものであると同時に、子供に「決断」つまり「自由 」や「自己規定」の概念を与えるのである。もちろんこれは、最初にはいわゆる概念ではなくて、一種の「構え」のようなものであろう。
 ここでのフィヒテのいう促しは「自由に行為せよ」を内容としているが、しかしこの言葉どうりのものである必要はないし、むしろこの言葉どうりのものである場合は極めて少ないと言えるだろう。ここでの促しは、前に述べたように、教育することと考えられており、具体的には様々の内容や形態をとると考えられる。「自由に行為せよ」というのは、いわば教育に於て行われる様々の促しの本質を表現しているものであると見ることが出来るだろう。
 教育上の実際の促しは、ある一定の具体的な行為を自発的に行うように促すことである。それゆえに、促された者は、その行為を行うか行わないかの選択を迫られることになる。従って、促すことは選択を迫ることであるといえるが、選択を迫ることは、それがどんな選択であれ、じつはダブルバインドである。なぜなら、選択を迫ることは、相手を拘束すると共に相手に選択の自由を要求するという二つの矛盾する命令からなり、しかもこの二つの論理階型が異なる、つまり選択の自由に対して選択肢の拘束はメタレベルに立つからである。
 教育上の促しではなくて、官僚機構での命令のように、必ず一定の行為をするよう命令する場合には、命令者は、それに従わないことを許さないし、命令される者も命令に従うか従わないかの選択を考えたりはしないから、このの場合には、ダブルバインドは生じない。ただし、この場合であっても、もちろん命令された者がそれに従わないことは有り得ることであり、従うか従わないかの選択の自由が残されている。彼がこのように考えるときには、その命令はダブルバインドであるといえるが、そのとき彼の意識はもはや彼の属する官僚機構を超越しているのであって、その命令の持つ意味も別のものになっていると言える。官僚機構での命令のような促しは、対他者関係の中ではむしろ特殊なものであるといえるだろう。大半の促しは、ダブルバインドになっているのではないだろうか。
 さて、促しがこのようなダブルバインドであるとき、何が起きるだろうか。ダブルバインドは、論理的には矛盾していないが、しかし論理階型を区別できない者には、矛盾として受け取られることになる。ここでの促しの相手は論理階型を充分に区別できないであろうから、これを矛盾として受け取り、困惑し動揺するであろう。しかし、このようなダブルバインドは、論理階型を区別する能力のある者にとっても、なんとはなしに困惑と動揺を与えるのではないだろうか。我々が他者と接するときには、常に互いに対して多くの促し合いをしているが、我々が他者と接するときのめまいの感覚の原因の一つは、このダブルバインドにあるのかもしれない。このように困惑し動揺するとき、どうするべきかを推論によって理性的に決定することはできないのであるから、彼は決断を迫られることになるのではなかろうか。このようなダブルバインドの構造ゆえに、促しを受けるものは決断を迫られていると意識するのではないだろうか。
 あるいは、このような解釈は、解釈の過剰であるという批判があるかもしれないが、しかしフィヒテの「促し」論を整合的に解釈するためには、促される者が何故決断を迫られることになるのかについての説明が不可欠であり、この解釈はその一つの試案として必要なのである。
 フィヒテ自身も促しのダブルバインドという性格に気づいていると思われる。彼は『自然法の基礎』で、促しを認識した者は行動しないことによっても自由を実現すると述べているが、その理由として次のように述べている。「理性存在者がこの要求(促し)に反して振舞い、行動を慎むとき、理性存在者は(一定の行動を選択する場合と)同様に、行動と非行動の間で自由に選択しているのである。」(括弧内は引用者 I,3,343)ここでは、自由であれという促しに背くことが、自由を実現することになると考えられているのである。また『道徳論の体系』には次のような箇所がある。「私は自由であるから、私はこのあらゆる条件(促し)によって反省へ強制されるのではなく、むしろそれ(促し)にも関わらず、絶対的自発性によって反省するのである。しかし、もし条件(促し)がそこになければ、私はあらゆる自発性にも関わらず、反省することは出来ないだろう。」(括弧内は引用者 I,5,200f)ここで、フィヒテは一方では「促しにも関わらず、絶対的自発性によって反省する」と言い、他方では「促しがなければ、・・・反省することは出来ないだろう」と言う。この発言は一見矛盾してい る。「促しがなければ、・・・反省することは出来ないだろう」というのは、他者からの促しによって自己規定の概念を得るからであるし、また促しがなければ決断が成立不可能であるからと解釈できる。これに対して、「促しにも関わらず、絶対的自発性によって反省する」というのは、まるで促しが反省の成立を妨げるかのような言い方である。しかし、これこそ促しがダブルバインドであることを考えれば納得がゆく。促しがダブルバインドであるとき、促しに従って反省することは、同時にそれに背いて反省することでもあると解釈できるからである。

   第三章 徹底した決断主義と促すものの変化
 このような解釈に対しては、あるいは「決断」を不当に重要視し過ぎているという批判があるかも知れない。しかし、彼にとって決断が如何に重要なものであるかは、『知識学の新しい叙述の試み』(1797/98)の有名な言葉を思いだしてもらえればよい。「人がどんな哲学を選択するかは、人がどんな人間であるかに依存している。」(I,4,195)ここで、フィヒテが念頭においている哲学は、物の自立性を原理とする独断論と、自我の自立性を原理とする観念論である。「この二つの体系のどちらも、対立する体系を反ぱく出来ない。なぜなら、この争いは、もはや導出されることのない第一の原理についての争いであり、・・両者は、それらが互いを理解したり同意したりする点を全く持たないからである。」(I,4,191)今の言葉で言えば、二つの体系はパラダイムが異なり共約不可能である、ということになる。この場合、「理性からの決定根拠は不可能である」(I,4,194)ので、どちらをとるかは、理性の推論によってではなく「選択意志の決断」によって決められる。決断は理性の決定根拠が無いときに行われるのである。しかし、「選択意志の決断は、根拠を持つはずである」その根拠は、「傾向性 や関心」であるいわれている。これが「人がどんな人間であるか」ということである。つまり、フィヒテの観念論は決断に基づいているのである。フィヒテは『人間の使命』で、このような決断の根源性を一層徹底し、明確に示すことになる。
 
   第一節 フィヒテの懐疑と決断主義
 『人間の使命』で、フィヒテは、知に対する懐疑を、次のように述べる。「ひとは意識の全ての規定を再び反省し、始めの意識についての新しい意識を作り出すことが出来、そのことによって直接的意識を常に一段より高く押し上げ、始めの意識を暗く疑わしいものにすることが出来る」(I,6,256)、従って、「全ての知はその根拠としてより高いものを前提し、この上昇には終わりがない。」(I,6,257)そこで、フィヒテが確実性のより所とするのは、「信仰」であり「決断」である。「信仰は、如何なる知でもなく、知を妥当させる意志の決断である」(I,6,257)と定義されている。(「良心」も信仰と同じ様なものとして述べられている(I,6,258)。)真理は、意志の決断によって決定されるので、彼の真理観を実践的主体的な真理観と言えるだろう。ちなみに、この決断は根源的に考えられていて、思考法則にも及ぶ。「私は、私の思考の仕方の全体と、私が真理一般について持っている一定の見方を、私自身によって作り出す」(I,6,260)とか、「私の思考の仕方の全体・・・は、全く私に依存している」(I,6,260)と、彼が言うとき、彼は如何なる思考法則を妥当とするかも、信仰および決断に基づくと 考えているのである。
 フィヒテのこうした信仰主義は、更にそれ自身がまた一つの信仰に基づくことになる。「単なる思考によって生み出され、信仰に基づいていない真理は全て誤りであり」、「こうした間違った知は、それが最初に信仰によって諸前提の中においたもの以外のものを決して見いださない。」(I,6,258)つまり彼によれば、真理を信仰によってではなく、思考のみによって生みだそうとする立場も、それ自体ある信仰に基づいているのである。それならば、彼は明言していないが、これに対立して、真理を信仰ないし決断で基礎づけるという彼の立場自身も信仰ないし決断に基づいていることになる。つまり、ここに信仰の立場への信仰、決断主義への決断を指摘することが出来る。この様な意味に於て、フィヒテの決断主義は徹底的なものであると言えるだろう。
 彼がこの様な決断によって妥当させる知は、「私は自発的であるべきである」(I,6,254)という思想である。前に述べたように、促しの認識によって得られるのは、この思想であった。ここでは、この思想を理解することと、それが妥当すると考えることが先に我々が考えたようにはっきりと区別されている。彼はここでは、決断によってこの思想に実在性を与えることを明言している。ところで、決断するということは、自発的な行為であるから、「自発的であろう」と決断することは、いわば決断しようと決断すること、決断への決断ではないだろうか。そうすると、決断主義への決断をしたフィヒテにとって、「自発的であろう」というこの決断の内容は、形式に由来する必然的なものであることがわかる。

   第二節 促すものの変化
 フィヒテの卓見は、このように決断の根源性を承認しながらも、決断へと促すものを背後に考えることである。では、右に述べた決断を促すものは何であろうか。我々がフィヒテを離れて考えると、二つの可能性を考えることが出来るだろう。
 一つの可能性は、徹底的な懐疑のもたらす周知のパラドックス(「全ての命題は疑わしい」という命題が正しいとすると、この命題自体も疑わしいことになる)が、懐疑する者に懐疑に留まることを許さず、何等かの知を妥当させる決断を要求するということである。しかし、フィヒテは、論理規則をも疑っているのであるから、論理的なパラドックスが生じてもなんら困らないはずである。そうすると、懐疑によって決断を迫られるのではないだろう。勿論、懐疑がなければ、決断がこのように根源的に捉えられることはなかったであろう。しかし、一般に懐疑自体が決断を迫ることはないのではなかろうか。決定の必要性は、決定に際して理性的な根拠かあるかどうかとは別のことであるから。
 もう一つの可能性は、他者による促しである。確かに、ここでは徹底的な懐疑があるから、他者の促しを認識して、自己の自発性の知を得ても、促しの原因としての他者の存在が疑われて、ダブルバインドが成立せず、従って決断も行われないと思われるかもしれない。しかし、他者の存在がどんなに疑わしくても、実践の領域では、それを疑わしいとして無視するのか、それとも疑わしいけれども一応他者の存在を想定して行動するかを決断しなければならないはずである。どんなに理論的に懐疑しても、実践の領域では、一旦促しをうけると我々は何等かの決断を迫られることになり、また何等かの決断をすることになる。理論的な懐疑故に決定を留保し続けること自体が、実践的には一つの決断になるのである。他者の存在に対する理論的な懐疑は、他者の促しが決断を迫ることを妨げない。我々はパスカルのように賭をするのである。ここに、実践的な対他者関係の秘密があるようにおもわれる。
 しかし、『人間の使命』でのフィヒテは、決断へと促すものを他者ではなく神と考える。この著作からフィヒテの他者論は大きく変化しており、それは神についての思想の変化に対応しているのである。これは一体どういうことだろか。これについては別の機会にゆずらなければならないが、最後にこの時期の他者論と神の関係を振り返っておきたい。『自然法の基礎』では、自己意識が成立するには他者からの促しが前提となり、その他者もまた自己意識となるときには別の他者からの促しを必要とするから、ここに最初の人間に促しを行うものとして神が想定されることになる。フィヒテは「誰が最初の一対の人間を教育したのか」と問い、「人間ではない他の理性的存在者が彼らを教育したということが必然的である」と答え、全哲学は最後に再び「古い尊敬すべき古文書」に帰らなければならないと述べている(I,3,347f)。ここでは、神という表現は用いられていないが、神が想定されていると考えてよいだろう。また『新しい方法による知識学』でも同じことを、「最初の個人の発達は、より高次の絶対的理性の想定によってのみ説明され得る」(IV,2,178)と述べている。ここでも、神という表現は 用いられていなが、より高次の絶対的理性といえば神以外には考えられない。
 しかし、フィヒテは論文「神的世界支配への我々の信仰の根拠について」(1798)では、道徳的世界秩序=神である(I,5,354)、という。このように無神論論争以前に既にフィヒテの神の理解が変化を見せていることは興味深い。そして無神論論争を経た『人間の使命』では、よく知られているように、道徳的秩序=神ではなくて、精神世界の法則でありかつ根拠である神が想定されるようになるのである。同時に彼の他者論も変化し、「我々が互いについて持っている認識は、君から私へ、私から君へと直接に流れるのではなく」(I,6,294)、神がこれを媒介すると考えられるようになる。そうして、これまで他者に与えられていた促しの働きは、神による「促し」(I,6,299)にとってかわられることになるのである。
 このように他者による促しから神による促しへと変化するが、フィヒテが根源的な決断の背後に決断への促しを考えた点に、我々は単なる決断主義を乗り越える一つの可能性を求めることが出来るのではないだろうか。そのとき、その決断への促しの論理構造を明確にすることが必要であり、ダブルバインド論はその有力な武器になると思われる。


 フィヒテからの引用は、バイエルンアカデミー版全集を用いて引用文の後に示す。(例えば、I,3,343 は、Reihe 1. Band 3. S.343 のことである。)全集にないものは注に示す。
(1)D.Henrich,Fichtes ursprungliche Einsicht,in "Subjektivitat und Metapysik Festschrift fur Wolfgang C ramer",hrsg.von Henrich,1966 ヘンリッヒ『フィヒテの根源的洞察』座小田豊、小松恵一訳、法政大学出版局、 一九八六年、五九頁。
(2)Ibid.,S.212. 前掲訳、一〇二頁。
(3)Ibid.,S.195. 前掲訳、六三頁。
(4)Ibid.,S.193.  前掲訳、五九頁。
(5)Ibid.,S.212.  前掲訳、一〇三頁。
(6)前掲訳、十一頁。原文はフランス語であるが、これをヘンリッヒが自分で独訳したものがある。D.Henrich,Fic htes >Ich< in "Selbstverhaltnisse",Reclam,1982,S.62.
(7)Wolfgang Janke,Fihite,Gruyter,1970,S.416.このヤンケのヘンリッヒに対する批判については、隅元忠敬氏か らご教示を受けた。
(8)『学者の使命』での類推による他者認識から、それを原理的に批判して他者の演繹を行う『自然法の基礎』での 他者論への移行過程、またその後の『道徳論の体系』までの他者論の変化については、拙論「初期フィヒテの他 者論」(『哲学論叢』十四号、大阪大学文学部哲学哲学史第二講座発行、一九八四年)で論じた。また『全知識 学の基礎』から『新しい方法による知識学』へのフィヒテ知識学の変化に於て他者論が重要な契機になっている ことについては、拙論「『新しい方法による知識学』の他者論」(『哲学論叢』十六号、一九八五年)で論じた。
(9)Gregory Bateson,Toward a Theory of Schizophrenia in "Steps to an Ecology of Mind",Ballantine Books, 1972 ベイトソン『精神の生態学』上巻、佐藤良明、高橋和久訳、思索社、一九八七年
(10)河上倫逸、M・フーブリヒト編『ハバーマス・シンポジウム 法制化とコミュニケーション的行為』、未来社、 一九八七年、二〇五頁。
(11)浅田彰『ダブルバインドを超えて』、南窓社、一九八五年、一 〇四ー一〇六頁。
(12)Gregory Bateson, Double Bind,1969 in "Steps to an Ecology of Mind",Ballantine Books,1972 前掲訳下 巻。
(13)Ibid.,p208.前掲訳上巻、三〇三頁。
(14)Ibid.,p184.前掲訳上巻、二七四頁。
(15)『新しい方法による知識学』では、哲学の選択は「人間の階級」に依存すると考えているようだ。「独断論は、 人間の最も高貴な階級にとっては、非常に腹立たしいものである。」(21) おそらくこの階級は社会的な階級で はなく、精神的な階級であろうが、しかし我々はここに意識の存在被拘束性の指摘を見ることが出来る。但し、ここで決断の根拠として述べられている「傾向性や関心」は、決断を促すものではない。彼のいう決断の根拠と決断を促すものは、さしあたっては、はっきりと区別されなければならない。

(16)このような考えは既に論文「神的世界支配への我々の信仰の根拠について」(1798)(I,5,351)に見られる。
(17)吉田兼好が『徒然草』の最後の段(第二四三段)で、ここでのフィヒテと同様の議論をしていることは大変興 味深い。人が仏になるのは、先に仏になった人から教えられることによってであるが、それでは、最初に仏にな った人は如何にしてか。
(18)最近発見されたもう一つの筆記ノートでは、「より高次の把握できない存在者を想定しなければならない」(Fichte,Wissenschaftslehre nova methodo,Felixmeiner,S.176)と述べられている。

付記 これは昨年一二月に第十一回大阪カント・アーベント例会で口頭発表し、今年四月に京都ヘーゲル読書会で口頭発表した原稿を改めたものである。
                                                                               (大阪大学文学部助手)