前回最後の問題は、以下のとおりです。
>ここでは、次の二つの意図(欲求)の矛盾が成立している。
> 「生きるのが苦しいので、私は生きるのをやめたい」という意図・欲求
> 「私は生きるのをやめたくない」という意図・欲求
>では、この二つの意図の矛盾の解決のために、次の問いを立てるのだろうか。
> 「私は何のために生きているのか」
>私は、これまで、現実と意図の矛盾から、問いが発生すると考えてきたのだが、
>このケースについては、どのように考えたらよいのだろうか。
今日は、これに答えたい。
私の中に二つの矛盾する欲求がある、ということは、しばしばあることである。
例えば、「ケーキを食べたい」
「健康のためにダイエットしたい」
このときの我々にとって問題になるのは、二つの欲求の矛盾をどのようにして解決するのか、と言うことである。
「二つの矛盾する欲求がある」という現実認識
「欲求の矛盾を解消したい」という意図
そこで、立てられる問いは、
「どうやって、この矛盾を解決したらよいのだろうか」
という問いであろう。
先の二つの意図(欲求)の矛盾については、どうなるだろうか。
「生きるのが苦しいので、私は生きるのをやめたい」という意図・欲求
「私は生きるのをやめたくない」という意図・欲求
ここでも、次の問いが立てられるだろう。
「私は、どうやって、この矛盾を解決したらよいのだろうか。」
これに対する答えが次のものである。
「もしここで『私は何のために生きているのか』という問いに対して、『私はxのために生きる』という答えが得られたならば、『私はxのために生きる。そのためには、私は苦しくても、生きるのをやめることは出来ない』と考えることが出来る。これによって、我々は、『生きることは苦しいので、生きたくない』という欲求を消し去ることができ、当初の矛盾を解消することができる。」
この答えに基づいて、「私は『私は何のために生きるのか』という問いの答えを知りたい」という意図、願望を持つ。
しかし、「私は、この問いの答えを知らない」という現実がある。
この矛盾を解決するために、「私は、何のために生きるのか」という問いが立てられる。
このように考えるのは、ペダンチックで冗長であるかもしれない。
これは一般化すると次のようになる。
「Aは、qという問いの答えを知りたい」(意図、願望)
「Aは、qという問いの答えを知らない」(現実)
この二つの矛盾から、Aはqという問いを立てる。
こんな風にいわなくても、「Aは、qという問いの答えを知りたい」という願望から、直接に、Aは、qという問いを立てる、と考えることもできるかもしれない。
(このあたりは、もっと整理する必要があるとおもいますが、しかし、以上で人生論の二つの重要問題の導入を終えて、
もっと、基本的な問題について、次に考えることにします。)