「漱石は漱石だ」

2010年10月の信州です。この近くでサルの群れを見つけました。
 
「漱石は漱石だ」
これはどんな意味になるのだろうか。
これを説明するのに役立つのは、ドネランの「帰属的用法」と「指示的用法」の区別である。
 
ドネランは、確定記述の用法を二つに分けている。
「私が心にとめている確定記述の二つの用法を、帰属的用法と指示的用法とよびたい。主張において確定記述を帰属的に使用する話し手は、しかじかのものが何であれ、誰であれ、それについて何かを述べる。主張において確定記述を指示的に使用する話し手は、他方で、人物やものについて何かを話したり述べたりしているものを、聞き手が取り出すpick up ことを可能にするために記述を使用する。」(Donnellan ’Reference and Definite Descriptions’ in “The Philosophical Review”, 75(1966), pp.285)
 
たとえば、私がパーティで「あそこにいる美人は誰ですか」と友人に尋ねたとしよう。私が「あそこにいる女性」で指示しようとしていた人物は、実は女性ではなくて男性であったとしても、私は指示に成功するだろう。これが指示的用法である。それにたいして、私が友人に、「君の奥さんはどんな人ですか」とたずねて、友人が「世界で一番の美人だよ」と答えたならば、それは帰属的用法である。
 
我々は、この二つの用法を、確定記述ではなくて、一般名にも固有名にも使えるだろう。
 
「規則は規則だ」
これは、ある規則を指示して、それは守るべきものだ、と述べている。つまり主語の「規則」はある規則を指示するために使用されており(指示的用法)、述語の「規則」は守るべきものであるという性質を帰属させるために用いられている(帰属的用法)。
 
例えば低い山に登っていてしんどくなった時、
「山は山だ」
と言うとしよう。これは、「この山は、低いとはいってもやはり他の山とおなじように登るのはしんどいものだ」という意味になるだろう。ここでも主語の「山」は指示的用法であり、述語の「山」は帰属的用法である。
 
「漱石は漱石だ」
これは、夏目漱石を指示して、彼はやはり漱石と呼ばれるだけの大した文学者だ、というような意味で用いられている。ここでも主語の固有名「漱石」は、指示のために用いられており、述語の「漱石」はある性質を帰属させるために使われている。
 
「小沢は小沢だ」
これは、ある人物を指示して、彼はやはり評判どおりのこわもてだ、という意味で用いられているかもしれない。
 
「○○さんは、○○さんだ」
この○○に自分の名前を入れて、意味を考えて見ましょう。