61 実質的暗黙的問答か形式的暗黙的問答か (20230626)

[カテゴリー:問答推論主義へ向けて]

前回推論の成立順序についてつぎのように述べました。

<実質的暗黙的推論→実質的明示的推論→形式的明示的推論→形式的暗黙的推論

この最後の形式的暗黙的推論とは、形式的推論であるけれども、論理的語彙をもちいて完全に推論関係を明示化できていないという推論です。例えば、次のような省略三段論法がそれになります。

   「雨が降るならば、道路が濡れる。」

これを省略三段論法として理解するときには、次の()の中の前提が省略されていると考えます。

   「雨が降る。(雨が降れば、雨が当たるところは濡れる。道路には雨が当たる。)ゆえに

道路が濡れる」

ブランダムは、「雨が降るならば、道路が濡れる」を省略三段論法ではなく、実質的推論(私の分類では、実質的明示的推論)だと考えます。この違いについて、次のように言います。両略三段論法は、形式的明示的推論の前提のいくつかが省略されているものですが、実質的推論には、そのような省略はありません。

 では、ブランダムはなぜ実質的推論の存在を主張するのでしょうか。もし論理的語彙の意味が、その使用法であり、論理的語彙の意味から使用が決定するのではなく、論理的語彙の使用法から、その意味が決定されるのだとすると、論理的語彙の最初の使用は、論理的語彙の意味によって正当化されるのではないことになります。つまり論理的語彙の使用は、少なくとも当初は、形式的な使用ではありません。その使用は、実質的推論となります。

 同じことが、疑問表現にも言えるはずです。そこで、問答は少なくとも当初は、実質的問答であるはずです。明示的問答は少なくとも当初は、明示的実質的問答であるはずです。

第52回から論じてきたことは、<論理や意味や発話行為が問答に基づくだろう>また<論理的矛盾、意味論的矛盾、語用論的矛盾を問答論的矛盾から説明できるだろう>という予測です。

これらは、実質的問答(つまり、「問答関係の正しさが、その問と答えの概念内容を決定するような種類の問答」)のアイデアに基づいていると言えそうです。

 では、「私たちは、どうして問答関係の正しさを理解できるのでしょうか」あるいは「わたしたちは、どうして問答ができるのでしょうか」

60 問答の、暗黙的/明示的、実質的/形式的、の区別 (20230618)

[カテゴリー:問答推論主義へ向けて]

前々回(58回)に、疑問表現を使用しない問答を「暗黙的問答」、疑問表現を使用した問答を「明示的問答」と呼ぶことにしました。次に、(前回(59回)紹介した)ブランダムの「実質的推論」の定義にならって、「実質的問答」を次のように定義したいと思います。

実質的問答」とは、「問答関係の正しさが、その問と答えの概念内容を決定するような種類の問答」です。これとの対比で、「問と答えの概念内容にもとづいて、問答関係の成立を説明できる問答」を「形式的問答」と呼びたいと思います。

さて、このように定義した「実質的問答」は存在するでしょうか。まず明示的問答の前に成立していたと考えられる「暗黙的問答」は、実質的問答でしょうか、形式的問答でしょうか。いまだ疑問表現を持たない言語、あるいはまだ疑問表現を学習していない幼児を考えると、その場合の

「これは」「リンゴ」

というような問答は、これらが問答関係になることを、それぞれの発話を構成する表現(「これは」「リンゴ」など)の意味から説明することはできません。したがって、これは「実質的暗黙的問答」です。また、形式的問答が成立するには、疑問表現が言語に導入されていること、また疑問表現を幼児が学習済みであることが必要になることがわかります。

ところで、疑問表現を使用する明示的問答が最初に登場するとき、疑問表現の意味はまだ曖昧です。その意味は、その使用において明確になり構成されるでしょう。したがって、この段階の明示的問答は、問いと答えの意味に基づいてその問答関係を説明することはできません。したがって、この問答関係の正しさから、問いを構成する疑問表現の意味が説明されるでしょう。つまり、少なくとも当初の明示的問答は、「実質的明示的問答」です。

こうして疑問表現の意味が成立し、また習得されたとすると、「形式的明示的問答」が可能になります。一旦「形式的明示的問答」が成立すると、これに含まれる疑問表現を省略したものとして、「形式的暗黙的問答」が可能になるのだと思われます。

まとめると次のような順序で成立することになります。

<実質的暗黙的問答→実質的明示的問答→形式的明示的問答→形式的暗黙的問答>

前回は推論についてて次の順序で成立すると述べました。

<実質的暗黙的推論→実質的明示的推論→形式的暗黙的推論→形式的明示的推論>

しかし、この最後の二つの順序は次のように逆にすべきでした。

<実質的暗黙的推論→実質的明示的推論→形式的明示的推論→形式的暗黙的推論

論理的語彙の意味が学習されて、形式的推論が可能になり、形式的明示的推論が成立した後で、はじめて、そこから論理的語彙を省略して形式的暗黙的推論が可能になるからです。

さて、以上を踏まえて、私たちが日常的によくおこなう暗黙的問答は、「実質的暗黙的問答」なのか「形式的暗黙的問答」なのか、を考えたいと思います。

59 暗黙的推論と実質的推論 (20230611)

[カテゴリー:問答推論主義へ向けて]

私は、疑問表現を取得したあとも、私たちは暗黙的問答を行っていると考えているのですが、これを検討する前に、問答推論ではなく通常の推論についての「暗黙的推論」と「実質的推論」の関係について考えておきたい思います。      

R・ブランダムは、「推論の正しさが、その前提と結論の概念内容を決定するような種類の推論」(ブランダム『推論主義序説』斎藤浩文訳、春秋社、p. 71)を「実質(的)推論」と呼ぶ。通常の推論つまり「形式的推論」では、推論の正しさは、それに含まれる論理的語彙の意味に基づいて説明されるます。しかし、実質的推論では、逆に、推論が正しいということから、論理的語彙の意味を決定します。また論理的語彙の意味だけでなく、その他の語彙の意味も決定することになります。

では、この実質的推論は、前に見た暗黙的推論とどう関係するのでしょうか。暗黙的推論とは、例えば、「雨が降っている」から「道路が濡れる」を結論する推論です。この推論を論理的語彙を用いて明示化すると、「雨が降っているので、道路が濡れる」などの文になるでしょう。これは、原因と結果の関係(前提と帰結の関係の一種)を明示的に表現しています。「ので」は、原因と結果の関係、ないし前提と帰結の関係を明示化する語彙です。

ここで、「雨が降っている」「道路が濡れる」の意味からこの暗黙的推論やこの明示的推論が正しいことがわかるのだとすれば、それは「形式的推論」です。逆に、この暗黙的推論やこの明示的推論が正しいことから、「雨が降っている」「道路が濡れる」の意味が規定されると考えるとき、この暗黙的推論やこの明示的推論は、「実質的推論」です。つまり、暗黙的推論と明示的推論の区別と、形式的推論と実質的推論の区別は、独立しています。

ところで推論は原初的には暗黙的推論であり、それが明示化されるのだと考えられます。さらに、語や文の意味は、原初的にはその使用法であるとすると、暗黙的推論は、原初的には実質的暗黙的推論です。では、実質的暗黙的推論は、次に実質的明示的推論になるのでしょうか。それとも形式的暗黙的推論になるのでしょうか。形式的暗黙的推論は、それぞれの文の意味に基づいて正しいとされる推論でした。そのためには、それぞれの文の意味が前もって確定していなければなりません。文の意味の確定、つまり明示化は、それの使用法、それを用いた推論の明示化かによって可能になります。したがって、実質的暗黙的推論は、まず実質的明示的推論になり、その後で、形式的暗黙的推論になり、最後に形式的明示的推論になるのだと思われます。

 これを準備作業として、次に、問答についての、暗黙的/明示的、実質的/形式的、の区別について考えたいとおもいます。

58 疑問表現を用いない暗黙的問答について (20230604)

[カテゴリー:問答推論主義へ向けて]

前々回に、論理的語彙を使用せすに行われる推論を暗黙的推論と呼びましたが、それと同じように、疑問表現をもちいなくても問うことや問答が行われることがあり、それを「暗黙的問い」や「暗黙的問答」と呼びたいと思います。例えば、

  「これは」「リンゴです」

なにかを指さして「これは」といえば、相手は「これは何ですか」「これはいくらですか」などの問いとして理解し、「リンゴです」とか「100円です」とか答えるでしょう。このとき、「これは」は「これは何ですか」「これはいくらですか」などの省略形である場合もあるでしょう。

しかし「なに」という語(の使用法)を知らない場合にも、「これは」で何かを求めていると理解できる必要があるのではないでしょうか。もしそれが理解できないとすると、「何」という語の使用法を学習することや教えることの説明がかなり難しいでしょう。

 言語を持つ以前の人間や他の動物は、探索行動をします。例えば、エサを探します。言語化すれば、「これは食べられるだろうか」とか「これはなにだろうか」などの問で表現できる探索行動をしていると思われます。「これ」や「リンゴ」などの語を取得すれば、それらをもちいて問うことができるでしょう。「これ」や「リンゴ」などの語を学習するためにも、探索が必要です。そこでは語の使用方法を確認しようとする問答が必要になるはずです。

 ところで、すでに疑問表現を習得している私たちも、このような暗黙的な問答を行っているのではないでしょうか。それを次に考えたいと思います。