都会には小さな嘘が渦巻いている?
食品偽装、再生紙偽装など、最近よくニュースになる偽装事件は、おそらくは、最初から大規模な偽装を計画して行われたものではなくて、最初はごく小さなごまかしから始まったのではないだろうか。最初の小さなごまかしは、「儲けたい」という欲望によるものだったのだろう。小さなごまかしが次第に大きなごまかしになって行く、そのプロセスをどこかでとめることができなかったのは、「怠惰」からではないだろうか、あるいはいまさら人に言えないという「臆病」からかもしれない。
では、最初の小さなごまかしは、どうして生じたのだろうか。儲けたいという欲望は誰にでもある。儲けることは、つねに誤魔化しなのだろうか。例えば、商人の儲けは、常にごまかしによるものなのだろうか。
そうではない。たしかに、多く場合、商人はその取引によって、どれだけの儲けがあるのかを、明らかにしない。例えば、果物屋さんでりんごを買うときに、「いくらで仕入れたの」ときいても、本当のことを言ってくれないような気がする。「いくらで仕入れたの」とたずねることもまた、相手を疑うようで、はばかられる。商人は店先で、仕入れ値を聞かれて、本当の仕入れ値より少し高く答える、というようなことがあるかもしれない。これは道徳的に悪である。しかし、このような質問に正直に答えることが商人の義務であるとは思われない。
商人の利益は仕入れ値の何パーセントかに決まっているわけではない。時には、利益が出ないときもある。仕入れの値段も、売値もそれぞれの市場での需要と供給の関係で決まる。商品の価値が需要と供給で決まるときに、商品の品質についての正しい情報が提供されて、その品質と値段を買い手が納得して買うのならば、売り手がどれほど大きな利益を得ても、それは正当な利益である。通常は、商人は、仕入れ値については、答える必要はない。「仕入れ値がそんなに安いのなら、もっと安くしてください」という要求は、つねに仕入れ値よりも高く売れるとは限らないというリスクをとって商売をしている人に対しては、過剰な要求だからである。(もっとも、答える必要がないということは、答える代わりに嘘をついてもよい、ということではない。例えば、絵画の仕入れ値を法外に高く偽って、それを高く売ろうとすることは、詐欺である。)
商品の品質について間違った情報を意図的に提供して、より多くの利益を得たとすれば、その利益はごまかしによる不当な利益である。これは法的に悪である。商人は、商品の品質については、正しく答えるべきである。
儲けたいために、品質について嘘をつくとしよう。なぜ嘘をつくのだろうか。嘘をつくことが悪いことだと思っていなければ、嘘をつくだろう。嘘をつくことが悪いことだと思っていても、その理解が曖昧であれば、儲けたいという明確な欲望が優先することもあるだろう。では、このような最初の小さな悪を阻止するためには、嘘をつくことがなぜ悪いのかを、周知すればよいのだろうか。
最初の小さな嘘はどうして生まれるのだろうか。