09 社会問題の解決としての人格 (20120608)
別の書庫で述べたように、「人格とは、問答ないし問答の連鎖である」と考えることにします。
ではそのような人格はいつ、どのようにして成立したのでしょうか。
問答の成立は、言語の成立と同時だと考えられます。では、人格の成立はいつでしょうか。人格を構成する問いは、現実認識と意図の矛盾から生じるとしましょう。人格が成立するには、意図「私は・・・したい」の成立が必要になります。ところで、幼児の発達段階では、自分の名前を言うことが、「ぼく」「わたし」などの一人称代名詞の使用に先立つと言われています。人格が成立するときには、名前の成立、例えば「ゆう」の成立が最初に必要であるかもしれません。「ユウは、・・・したい」という意図が成立して、初めて人格を構成する問いが成立することになります。では、人の名前は、どのようにして発生したのでしょうか。
猿は、すでに群れのなかの個体を識別していると思われます。だからこそ、群れの中に新しい猿が参加することがむずかしくなります。人類も、言語を使用する前から、個体を識別していたと思われます。では、人に名前を付けるようになる理由は何なのでしょうか。名前があれば、その個体について語ることが可能になります、また特定個人に呼びかけることが簡単になります。名前は、最初は、個人について語るためよりも、個人に呼びかけるために、作られたのではないかと想像します。呼びかけることが必要なのは、より迅速、正確なコミュニケーションのためでしょう。
個人の名前は、物の名前と同様に、集団の中でその使用が承認されることによって成立します。したがって、個人が名前を持つことは、社会によってのみ解決可能な課題です。このときの問題は、「より迅速、正確なコミュニケーションをどのようにして実現するか?」だったのでしょうか。これだけでは、理由として弱いような気がします。
各人が名前を持つことによって、集団は、どのように変化するのでしょうか。
(今日は疲れ果てて、あまりかけません。)
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