(写真がなくて、すみません。写真のupは時々にします。)
理性は能動的で、感情は受動的なのか? (20130319)
しばしば「理性は自発的(能動的)で、感情は受動的である」という記述を目にします。特に哲学の文献に多いのかもしれません。これは、欧米の言語の使い方にもとづく理解であると思われます。欧米の言語では、感情は殆どの場合受動形で表現されます。しかし、日本語では感情は殆どの場合能動形で表現されます。
I am pleased. 私はうれしい。
I am pained 私は悲しい
I am satisfied. 私は満足だ
I am annoyed 私は腹が立つ。
I am disappointed. 私は落胆した。
英語でも、感情表現が自動詞の能動形で表現されることはあるでしょう。また日本語で感情が受け身で表現される事があるかもしれません。しかし、感情は、欧米の言葉では他動詞の受動形で、日本語では自動詞の能動形で表現されることことが多いようにおもいます。
つまり、日本語話者にとって、感情は能動的な態度なのです。
このような出発点をとると、感情に関する哲学的な議論は違ったものになってくるはずです。
哲学の仕事ではありませんが、ホックシールドが提唱した「感情労働」という概念があります。日本語話者にとって、私達が仕事の場面で感情をコントロールしたり、作りだしたり、抑制したり、変形したりして労働していることはほぼ自明のことですが、それは欧米の人にとっては、斬新な視点だったのかもしれません。