04 一般的交換手段と一般的価値形態

 
04 一般的交換手段と一般的価値形態 (20130609)
 
金や銀は、それ自体が使用価値をもつと考えられていなければ、交換手段として用いられることはありえないでしょう。では、なぜ金や銀は、それ自体で価値をもつものと考えられるようになったのでしょうか。それらは、装飾品として他の金属よりも価値をもつと考えられたのでしょう。
 
貨幣が誕生したということは、一般的な交換手段として、交換が広まっていることを示しています。では、貨幣が誕生するためには、交換は、社会の中でどの程度広まっている必用があるのでしょうか。共同体間の取引にだけ貨幣のようなものが使用されるということがあるかもしれませんが、そのような取引では、何でも取引されるわけではないでしょう。つまり、そのときの交換手段は、また一般的交換手段だとは言えません。それが一般的交換手段つまりほとんどの交換に利用できる交換手段となるのは、多くの物の交換が社会の中に広まっている必要があります。金や銀は、腐りにくく持ち運びに便利なので、最初は遠隔地交易のための交換手段として利用されるようになったのかもしれません。しかし、いずれにせよ、金や銀は、共同体の中での活発な交換の手段として用いられるようになります。
 貨幣が一般的な交換手段になるということは、多くの物の交換価値が、貨幣との交換比率という一つの尺度で表現されるということです。それは言い換えると、多くの物の価値を、一様化することです。すべてものの価値が、貨幣価値で表現されることになります。つまり、貨幣が「一般的価値形態」になるということです。これは物の世界を大きく変化させるでしょう。(ちなみに、Marxは一般的価値形態と貨幣形態を区別します。それはコメや麻布が一般的な交換手段として用いられることがあるとしても、金が一般的交換手段として用いられる場合とは異質であるということです。ここではその区別を無視しています。)
 貨幣で多様なものを買えるということは、貨幣をもつ者は、いつでも多様なものを自由に買えるということです。貨幣をもつ者は、多様な行為の選択肢をもつことになります。これが、貨幣所有者を、自由な個人にするのでは無ないでしょうか。
 (ちなみに、Marxによれば、商品の交換価値とは、「人間労働の凝結物」です。投下労働時間によって、交換価値が決定することになります。それでは、Marxは、国によって賃金の違いがあることをどう説明するのでしょうか。それは、単一のグローバルな労動市場がなく様々な規制があるために生じているということでしょうか。それとも価値を投下労働時間ではかることが間違いなのでしょうか。)