93 認識の正当化:問いに対する真なる答えの正当化 Justification of the true answer to the question (20231127)

(Justification of recognition: Justification of the true answer to the question) (20231127)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

(これまでのこのカテゴリーでの議論の歩みについては、カテゴリーの冒頭の(書き直した)説明をご覧ください。ブランダムの概念実在論の考察にいずれ戻ると思いますが、しばらく、問いに対する答えが真であることをどうやって正当化できるのかを論じたいと思います。まず、基本的な知覚報告から考えます。

#知覚報告「これは赤い」の真理性

「あかい」の学習は、「これは赤いですか」に対して「これは赤い」とか「これは赤くない」という正しい答えを学習することによって、行われる。このような学習を繰り返して、未知の対象についての「これは赤いですか」という問に、正しく答えられるようになるとき、語「赤い」を学習したと言えます。このプロセスは、性質<赤さ>を学習するプロセスであり、「これは赤い」という文の意味学習するプロセスでもあります。

「これは赤い」が真であることは、語「赤い」を学習したときの諸事例と、問われたときの事実が類似しているということによって、正当化されます。

この類似性は、語の学習時の事例の記憶に基づきます。この記憶の正しさの問題は、私的言語の問題と似ている。それは、感覚Eにたいする私的言語の使用が規則に従っているかどうかは、判定できないという問題と、似ています。規則遵守問題が、言語共同体の承認によってしか解決できないのだとすると、知覚報告は、社会的承認によって正当化されることになります。

「赤い」を学習したときの諸事例の類似性は、社会的承認によって正当化されます。言語を学習するとは、言語表現の使用規則を学習することです。また学習後の「これは赤い」という知覚報告の真理性もまた、社会的承認によって正当化されます。

次に、問いに対する推論による答えの正当化について説明したいと思います。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。