102 記憶の問題 (Memory problems)(20240117)

[カテゴリー:問答の観点からの認識]

「あれが富士山です」という命名宣言が成立するには、「あれ」による指示が成立しなければなりませんが、それを確認するためには「「あれ」というのはどれですか」という問いに「あれです」と答えるという問答が必要です。この問答が自問自答であれば、この問答が正しいか、正しいと信じているだけか、区別できません。指示できるためには、指示を確認できなければなりません。そして指示を確認するには、(自問自答では、規則に従うことができないので)最終的には、他者との問答が必要です。したがって、命名宣言が成立するには、他者との問答が必要です。

 こうして命名宣言が成立した後で、「あれが富士山です」と事実についての主張が行われたとき、それが真であるためには、命名のときに「あれ」で指示した対象を、主張において「あれ」で指示していることが必要です。そのためには、命名の時に「あれ」で指示した対象を記憶している必要があります。この記憶が正しいのか、正しいと信じているだけなのか、を区別するには、他者との問答が必要です。(これは、記憶によって人格の自己同一性を正当化しようとするときにも、他者との問答が必要であることを意味しています。)

したがって、命名宣言が成立するには、他者との問答が必要ですが、命名とその記憶に基づいて「あれが富士山です」と事実を主張するときにも、他者との問答が必要です。

そこで、次に「他者と問答できていることと、他者と問答できていると信じていることの区別について」考えたいと思います。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。