(3月19日に大河内さん主催の「推論主義研究会」で「ブランダム=ヘーゲルの承認論とフィヒテの承認論」というタイトルで発表しました。その準備の段階で「共同承認」というアイデアを思いついたので、これを展開したいと思っています。その時の発表原稿については、こちらをご覧ください。
この発表準備のため、このカテゴリーでの更新が中断していました。)
前回見たように、現実の行為のためには、多くの事柄を決定しなければならなりません。お昼ご飯を、「いつ」「どこで」「誰と」「何時に」「何を」食べるか、などを決定しなければばならないのですが、実際に設定する意図決定の問いは、例えば、その一部を明示化した次のようなものになります。
「何を食べようか」
こう問うときには、すでに多くのことが暗黙的に決定されているでしょう。まだ決定していないこともあるかもしれませんが、それはこの問いに答えた後、あるいはこの問いに答える途中で答えることができるでしょう。どのような仕方で行為の決定を問うか、つまり「何をするか」を問うことは、どの要素を重視するかに依存しています。
行為のある要素を他の要素より重視するのは、より上位の目的の実現にとって、その要素が重要だからででしょう。
(この後は、宣言的問答についての考察したいと思います。)