[カテゴリー:問答の観点からの認識]
#トークンとトークンの関係としての照応
照応を照応詞と先行詞の関係として語るとき、照応詞となる語句のその文脈でのトークンと先行詞となる語句のその文脈でのトークンの関係を語っているのであり、タイプとタイプの関係ではありません。「このリンゴ」を「それ」で指示したりするように、照応関係は、通常は異なるタイプの語のトークンの関係として成立します。
ただし、固有名の場合には少し事情が異なる。Aさんが「この子を「ソクラテス」と名付ける」と発話して、ある赤ん坊を「ソクラテス」と名付けたとします。さらに、その場にいた別の人Bさんが、「ソクラテスが幸せな人生をおくりますように」と発話したとします。ここでの「ソクラテス」の二つのトークンは、音の並びとして同型と見做される。
ここでは、同型の音の並びが、同音異義語としてではなく、同音同義語として見做される。つまり「ソクラテス」という音の並びが、別の人物や犬や喫茶店の名前として使用されているのではなく、同一人物を指示する名前として使用されています。そして、「ソクラテス」の二番目のトークンは、一番目のトークンによる指示を照応して、それと同じ対象を指示することを意図して発話されています。同一のタイプの語「ソクラテス」の二つのトークンの関係として成立します。固有名の使用は、どの固有名の場合にも、命名の時の固有名のトークンの照応の照応の・・・という照応の連鎖によって成立しています。
#語句のトークンは、その語句が命名ないし定義されてた時のトークンからの照応の連鎖として成立する。
単一の対象を指示する固有名以外の語、例えば一般名の場合にも同様のことが生じています。私たちがある一般名を使用するとき、その一般名が定義されたときに発話されたその語のトークンを照応して発話している。あるいは、その照応の照応の・・・という照応の連鎖によって発話しているといえます。
同様のことは、一般名だけでなく、動詞や形容詞や副詞についても言えると思います。
何かを表示する語句であれば、その語句を定義したときのその語句のトークンの照応するものとして、その語句のトークンを理解することができます。
さらに言えば、何か表示するのではない語、例えば接続詞の使用も、それの使用法を学習したときのその語に照応することによって成立します。
これでは、照応関係を拡張しすぎだという批判があるかもしれません。そこで照応関係を、二種類に区別してみたいと思います。
#最広義の照応関係
まず、次の例を見て下さい。
「机の上のリンゴは、昨日私が買ってきたリンゴです」
ここに「リンゴ」のトークンが二つあります。もし上記のように考えるならば、タイプ「リンゴ」のトークンは、語「リンゴ」が定義された時のトークンまでさかのぼる照応の連鎖をもつはずです。しかし、ここでの二つのトークンの間には、照応関係はありません。
さらに、私は「リンゴ」の意味を知っており、それを学習したときのトークンまでさかのぼる必要を感じません。ただし、私が忘れているだけであり、私は、幼児のころに「リンゴ」という語を習ったはずです。その時のトークンの照応の連鎖が、現在のトークンにつながっているはずです。さもなければ、「リンゴ」を使用できません。
これが最広義の照応関係です。照応の連鎖はあるはずだが、それを思い出すことは出来ない場合です。私が語「リンゴ」の意味を知っているというのは、私が語「リンゴ」の使用法(つまり、「リンゴ」を含む多くの実質問答推論)を知っているということであり、語「リンゴ」の意味に基づいて、語「リンゴ」を使用するとは、それらの実質問答推論と両立可能な仕方で、「リンゴ」を使用することです。ここでの「リンゴ」の二つのトークンは、私が知っている語「リンゴ」の使用法(つまり、「リンゴ」を含む多くの実質問答推論)に基づいているのだとすると、そのことは、語「リンゴ」の使用が、それ以前の使用の照応であるということと、どう関係しているのでしょうか。 トークンが持つはずの照応の連鎖とこの実質推論はどう関係しているのでしょうか。これを次に考えたいと思います。