[カテゴリー:問答の観点からの認識]
#事実に関する記述的問答の下位区分
前回、答えが真理値を持つ問答を「記述的問答」とし、記述的問答の中で規範的語彙を含まない問答を「事実に関する記述的問答」と名付け、今回はその下位区分を行うと予告しました。様々な下位区分の方法があるので、どのように整理するか、未だに迷っています。(更新の頻度を上げるつもりが、まったく上げられずすみません。)
(後で訂正することになる可能性がありますが)今回、とりあえずの下位区分を説明したいとおもいます。まず、<問答の答えが単称命題になる問答>と<問答の答えが全称命題になる問答>を区別できると思います。よく使用される表現で言えば、「観察的問答」と「理論的問答」に対応します。
(1)観察的問答:単称命題を答えとする記述的問答
知覚に問い合わせて答える問いを「知覚的問い」と呼び、その答えを「知覚報告」と呼ぶことできるでしょう。知覚報告を答えとする問答を知覚的問答と呼ぶことができます。この知覚報告は、単称命題になります。
これと同様に、観察に問い合わせて答える問いを「観察的問い」と呼び、その答えを「観察報告」と呼ぶことができます。ただし、何が観察可能であるかは、人によって、文脈によって異なります。例えば、レントゲン写真を見て、医者は肺癌を観察するかもしれませんが、素人にはそれを観察することができません。医者のその観察には、多くの経験や知識が前提となっています。カルナップが言うように、観察可能なものと観察不可能なものの間に一義的な境界線を引くことは困難です。観察報告を答えとする問答を「観察的問答」と呼ぶことができます。
例えば、「これはバラ科ですか」という問いに、「これはリンゴです」「リンゴは、バラ科です」ゆえに「これはバラ科です」と答える場合、「これはリンゴです」という前提は、観察に問い合わせています。ただし、ここでは「リンゴはバラ科です」という全称文(理論文)にも問い合わせています。
とりあえずまとめると、観察的問答には、つぎのような場合があります。
知覚的問答:(知覚に問い合わせる問い、その答えは知覚報告となる。)
知覚に問い合わせて、単称命題(知覚報告)が答えとなる場合
知覚報告に問い合わせて、単称命題(観察命題)を答えとして推論する場合
観察報告に問い合わせて、単称命題(観察命題)を答えとして推論する場合
理論命題に問い合わせて、そこから観察命題を推論する場合
観察報告と理論命題の両方に問い合わせて、観察命題を推論する場合
(2)理論的問答:全称命題を答えとする記述的問答
全称命題を答えとする問答は、全称命題を理論的な命題だとするならば、全称命題を答えとする問答は、「理論的問答」と呼ぶことできます。
観察報告に問い合わせて、全称命題をチェックし、全称命題を推定して答える場合。
観察報告と他の全称命題(理論命題)に問い合わせて推論し、全称命題で答える場合。
他の全称判断に問い合わせて推論し、全称命題で答える場合。
以上の二つ「観察的問答」「理論的問答」のより上位の問いは、記述的問答ですが、記述的問答のより上位の問答が実践的問答である場合があります。これを「技術的問答」と呼びたいと思います。これは上記の二つとは異質です。(これについては、第127回に論じましたが、もう一度論じ直したいと思います。)
(3)技術的問答:<ある目的を実現するための手段を求める問答であり、その目的手段関係が自然的な因果関係に基づくものであるような問答>です。
ただし、技術的問答は、因果関係の記述を答えとする問答そのものではありません。技術的問答は、自然的因果関係の認識に依拠するので、因果関係を問う問答を前提としますが、因果関係を問う問答そのものではありません。
「Aが生じれば、Bが生じる」という因果関係の記述は、記述的問答の答えになります。これは理論的問答になると思われます(なぜなら、一回的な出来事の関係では因果関係であるということができない可能性があるからです。これについては、もう少し説明の必要があります)。これは「Aすれば、Bを実現できる」という目的手段関係の記述と同一ではありません。「どうすれば、Bを実現できますか」という技術的問いの答えは「Aすれば、Bを実現できる」という目的手段関係の記述になります。
この技術的問答と実践的問答関係については、127回でも述べましたが、次回もう一度考えてみます。