エントロピー3

     またしても秋吉台です。この高原が水で浸食されていくのも
     エントロピーの増大・・・
 

凡人さん、森田さん、コメントありがとうございました。
 
 ボルツマンとH定理をWikipediaで調べてみました。(インターネットは、便利です。)
 ボルツマンのH定理の功績は、巨視的な熱力学の第二法則を、分子運動に関する統計力学から説明したことにある、と理解しました。(ボルツマンによるエントロピーのこのような説明が、私が考えていたことと同じことなのかどうか、いまひとつ確信がもてません。がそれは、次の質問で明らかになるも知れません。)

 森田さんは、
「そのような人間の解釈に過ぎない(客観的に見ると何の特別性もない)エントロピー最小状態が宇宙初期に実現していたということが,いまの宇宙論ではおおきな謎になってしまうのです.」
と書かれています。

そこで確認したいのですが、ボルツマン(or森田or現代の物理学者たち)は、次のように考えているのですね。
<「宇宙の初期の状態は、エントロピー最小状態である(あるいは、宇宙の現在の状態よりも、エントロピーが小さい)」という主張は、人間の解釈にすぎぎない、つまり宇宙の初期状態を、現在の状態と比較するとき、客観的にみて何の特性もない。>

もしこのようにいえるとすると、森田さんのいう「おおきな謎」は、むしろ次のように問うべきなのではないでしょうか。
<我々はなぜ、宇宙の現在の状態よりも、初期状態のほうがエントロピーが小さい、ないし秩序だっている、と解釈するのか? なぜ、我々にとって、そのような解釈が適切であるように思われるのか?>

 もしコメントいただければ、幸いです。

エントロピーの続き

凡人さん、コメントありがとうございました。

トランプの例は、人間が作り上げた秩序だからよい例ではないというご指摘ですね。私もそうかもしれないとおもいます。

ただし、問題は次のようなことです。

たとえば、コップに水がはいっており、その中に角砂糖を一つ入れたとします。いずれ砂糖は水に溶けます。最初のうちは、砂糖が溶けた水は、コップの下のほうだけにあるのだろうとおもいます。しかし、そのままにしておくと、水の分子運動につれて、砂糖はコップの水の全体に、均一に広がるでしょう。
これを、エントロピー増大の法則の一例だと考えてよいだろうとおもいます。

しかし、私が前回のべた疑問点は、次の通りです。
「コップの中に角砂糖が溶けずにあることが、解けている状態よりも、エントロピーが小さい。」
「溶けた水がコップの下のほうにあるよりも、コップの全体に均一に広がっている方が、エントロピーが小さい。」

このような主張もまた、ちょうどトランプの数字の解釈が人間の作り出したものであるのと同様に、人間の作り出した解釈なのではないか、というのが、私の疑問でした。

私の疑問点が、うまく伝えられたかどうか、わかりません。
どなたでも、ご批判をお願いします。

エントロピーについての疑問

 秋吉台の夏の景色です。緑が綺麗で、ヨーロッパのような景色でした。先日二泊三日で山口に行ってきました。

 この書庫「思いつき」では、時々の哲学に関する思い付きを断片的に書くことにします。

 先日山口で参加した研究会で思いついたこと。
 それは、「エントロピー増大の法則は、人間的な原理かもしれない」ということです。これは、次のような意味です。買ったばかりの新しいトランプをシャッフルすると、次第に無秩序な並びになります(研究会でAさんの挙げた例です)。それが、エントロピー増大の法則の例だと見なされています。しかし、それは我々が番号順に並んでいる最初の状態を秩序があると考えるためであって、もしたまたま数字と同じ形の文字をもつけれど、全く異なる意味でそれを理解する言語があるとすると、その言語の使用者にとっては、そのトランプの並びは、最初からずっと無秩序なままであったということになるでしょう。そこには、とくにエントロビーの増大はなかったということになるでしょう。
 我々が、秩序正しく並んでいたトランプをシャッフルするとき、一回のシャフルのたびにカードの並びを記録したとしましょう。その記録を見て、その順番が次第に整理されていき、最後の状態で最もよく整理された順番になっている、というようにトランプの数字をよむ読み方もありえます。そして、別の言語の人にとっては、たまたまそのような順番になっていることもありえます。このとき、エントロピーは縮小していったことになります。したがって、トランプの例での、エントロピー増大の法則は、数字をどのように読むかに依存していると思われます。(違うかもしれませんが・・・)

 これと同様で、ビッグバンのときに、エントロピーが最小で、その後次第に増大しているのが宇宙である、と我々は考えていますが、ビッグバンのときがエントロピーが最小であるというのは、我々の自然に対する一つの解釈であって、別の解釈もありえるのではないでしょうか。そして、自然はそのような解釈に関係なく、実はつねに同じエントロピーのままである、という可能性があるのではないでしょうか。
 あるいは、エントロピーという概念は、つねに一定の「秩序」の解釈を前提しますが、そのような「秩序」そのものが人間的な概念なのではないでしょうか。

 エントロピーに詳しい方のご批判をおまちしております。