13 第4章の見取り図 (4) (20201121)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

「4. 4 超越論的論証の限界」では、問答論的矛盾を用いた超越論的論証は、他の超越論的論証と同様の限界をもち、究極的な根拠づけにはなっていないことを説明しました。

 まず超越論的論証一般の限界を説明しました。それは、超越論的論証が、古典論理を前提して成り立つ論証であるということにあります。それは次のような事情です。

 今仮に、命題T が、真なる経験的命題E の超越論的条件であることを証明するとします。この場合には、

   E → T

が成り立ちます。これを証明するには、この対偶

   ¬T→¬E

を証明すれば、古典論理に基づいて、これからE→Tを導出することができます。

 ¬T→¬E の証明は、次のように行うことができます。例えば、T が「私が存在する」であり、E が「私はpを主張する」であるとすると、¬T→¬E は、「もし私が存在しなければ、私がpを主張することはない」となります。これは自明であるかもしれませんが、この自明性は、日本語の「存在する」や「主張する」の意味に基づいています。ここでは仮に、これらの語の意味の理解については問わないことにして、仮に¬T→¬E が成り立つとしましょう。その場合、それに続く超越論的論証は、次のようになります。

    1(1)¬T→ ¬E     仮定

    2(2)¬T        仮定

   1, 2(3)¬E       (1)(2)MP

     4(4)E         仮定 

 1, 2, 4(5)¬E&E     (3)(4)&+

     1, 4(6)¬¬T      (2)(5)¬+

     1, 4(7)T              (6)二重否定消去

       1(8)E → T         (4)(7)→ +

この証明の(6)から(7)のステップにおいて、「二重否定消去」を使用しています。しかし、この推論規則は、古典論理では認められますが、直観主義論理では認められないものです。その意味で、超越論的論証は、古典論理の採用を前提しています。

 もし、このような論証で究極的な根拠づけを行うとすれば、古典論理の採用を正当化する必要がありますが、それはなされていません。これが、超越論的論証の論証としての限界です。

 問答論的矛盾による超越論的論証の場合にも、ある問いに対して否定の返答が、問答論的矛盾を引き起こすことを介して、肯定の返答の必然性を証明しました。ここでも、この最後のステップで「二重否定消去」を用いており、古典論理の採用を選定するという限界を持っています。

『問答の言語哲学』の「序文」全文が掲載されました(20201120)

拙著の「序文」全文が「けいそうビブリオフィル」の「あとがきたちよみ」コーナーに掲載されました。ぜひご覧ください。https://www.keisoshobo.co.jp/book/b535722.html

ここでの内容紹介の方も継続します。

12 第4章の見取り図 (3) 超越論的論証 (20201116)

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「4.3 問答論的矛盾による超越論的論証」では、表題通り、問答論的矛盾を用いて、いくつかの超越論的論証を行います。

 ある問いに対する答えが、問答論的矛盾を引き起こすならば、それを避ける答えを行うことが、問答関係を成立させるための必要条件(超越論的条件)となります。ある問いに対する特定の返答のこのような必然性を「問答論的必然性」と呼ぶことにしました。ここでは、問答論的矛盾をもちいて、問答関係の成立条件についての超越論的論証を行いました。

 まず、問答関係の基礎的超越論的条件として3つを説明しました。

  「私の声が聞こえますか?」

    「いいえ、聞こえません」

  「私の言葉がわかりますか?」

    「いいえ、わかりません」

  「誠実に話していますか?」

    「いいえ、誠実に話していません」

これらの否定の返答は、問答論的矛盾を引き起こすので、このように問われたときには、肯定の返答をすることが問答論的必然性を持ちます。そこで次の3つが問答関係の基礎的超越論的条件になります。

 (1) 会話者が互いに声を聞くことができる(絡路の相互確認)

 (2) 会話者が相互の言語を理解できる(言語の相互理解)

 (3) 会話者が互いに誠実に話している(誠実性の相互確認)

次に、問答関係の意味論的超越論的条件を考察しました。詳細は省きますが、それは次のようなものです。

 (1)照応関係

 (2)タイプとトークンの区別

  (3)言語の規則に従うこと

次に、問答関係の論理的超越論的条件を考察しました。

 (1)同一律

 (2)矛盾律

次に、問答関係の規範的超越論的条件について考察しました。

 (1)根拠を持って語る義務

 (2)嘘をつくことの禁止

 (3)相互承認の義務

これらは、問答関係が成り立つための超越論的条件の網羅を意図したものではありません(おそらくこれら以外にもあるだろうと予想します)。重要なことは、これらが問答関係が成り立つための超越論的条件であるということです。

11 第4章の見取り図 (2) 問答の照応関係と問いの前提 (20201113)

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「4.2 問答関係の分析」では、一般的な問答関係と問答論的矛盾の関係を考察します。

この前半では、問答が照応関係を必要とすることを確認した上で、問答論的矛盾がその照応関係を妨げることを説明します。

 「昨日私は奇妙な人に会いました。彼女は変わった帽子をかぶっていたのです。」

という文があるときに、「彼女」という代名詞は、ここで「照応詞」として使用されています。「彼女」は、「奇妙な人」を指します。正確には、「奇妙な人」が指示する人を指示します。そのとき「奇妙な人」を「先行詞」と呼びます。照応関係は、名詞(名詞句)に限らず、動詞、形容詞、副詞などにも見られ、ありふれているけれども大変興味深い現象です。

ところで、ある疑問文の発話とそれに続く平叙文の発話が、問答の関係にあるときには、平叙文の中の一部の表現が、照応詞ないし照応表現として、問いの中の表現をその先行詞としている必要があります。なぜなら、問いは答えの半製品であり、答えの一部はすでに問いの中に現れている必要があるからです。例えば

  「このリンゴは何ですか?」

    「はい、それはマッキントッシュです」

の「このリンゴ」と「それ」が照応関係にないとしたら、これは問答になりません。

ところで、問答論的矛盾を引き起こす問答の場合には、この照応関係が成り立ちません。例えば、

  「私の言うことが聞こえますか?」

    「いいえ、あなたの言うことが聞こえません」

返答の中の「あなたの言うこと」は、問いの中の「私の言うこと」が指示するものを指示する必要があります。しかし、聞こえないならば、この照応的な関係自体が成り立たないはずです。以上から、問答論的矛盾を惹き起こす問答の間には、適切な仕方で照応関係が成立していないと言えます。

後半では、「問いの前提」について一般的に説明し、それと問答論的矛盾の関係について考察しました。発話一般の前提については、第3章の3.2で説明したのですが、問いの前提については触ていませんでした。ここでは問いの前提について、まず一般的に説明します。問いの発話は、意味論的前提と語用論的前提を持ちます。

問いの「意味論的前提」については、Belnapの提案を拡張して、、問いが真なる(あるいは適切な)答えを持つための必要条件と考えました。例えば、「フランス王はハゲていますか?」という問いの意味論的前提は、「フランス王が存在する」となります。

問いの語用論的前提とは、質問という発語内行為が成立するための必要条件であり、質問発話の誠実性と正当性です。例えば、

 ・答えを知らないこと

 ・答えを求めていること

などが誠実性に関わる語用論的前提となります。

また正当性にかかわる前提としては、例えば、「明日の会議に出席しますか?」と問う場合には、その質問者が、相手にそれを尋ねる資格があること、質問者が相手がその会議に出席する資格があると信じていること、などになります。

では、このような問いの意味論的前提と語用論的前提は、問答論的矛盾とどう関係するでしょうか。次の問答論的矛盾の問答で考えてみましょう。

  「あなたは私の言うことが聞こえますか?」

    「いいえ、私には、あなたの言うことが聞こえません」

この否定の返答は、(詳細な分析を省きますが)この質問の意味論的前提と語用論的前提を否定しませんし、これらの前提を承認するように聞き手に要求する「前提承認要求」を否定することもありません。

しかし、以上のことは質問の通常の語用論的前提、つまり誠実性と正当性に関して言えることです。例えば、

  ・質問者の声が相手に届くこと

  ・質問者の言葉を相手が理解すること

  ・相手が誠実に答えてくれること

これらもまた質問の語用論的前提だとすると、事情は異なってきます。上で、問いの語用論的前提を、〈質問という発語内行為が成立するための必要条件〉として定義しましたが、この定義によるならば、これらもまた問いの語用論的前提となります。これらは通常の問答では成立しているので、看過されているのです。ここでの返答「いいえ、私には、あなたの言うことが聞こえません」は、「質問者の声が相手に届くこと」という問いの語用論的前提と矛盾しています。つまり、問答論的矛盾の返答は、問いのある語用論的前提と矛盾することになります。

問答論的矛盾を惹き起こす返答が否定している語用論的前提は、問答が成立するための超越論的条件となるでしょう。それを次に考察します。

10 第4章の見取り図 (1) 問答論的矛盾 (20201111)

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 第1章で命題の意味を、第2章で発話の意味を、第3章で言語行為を考察してきました。命題の意味は発話の意味の一局面として成立し、発話の意味は言語行為の一局面として成立するものです。そして、第3章の最後に、言語行為は問答関係の不可避性によって成立すると説明しました。これを受けて、第4章では、コミュニケーションが成立するための条件、つまり問答関係が成立するための必要条件(超越論的条件)を考察しました。第4章は、4つの部分に分かれています。

 「4.1 問答論的矛盾の説明」では、問答関係が成立しなくなる特殊な矛盾関係「問答論的矛盾」について説明します。この矛盾を避けることが、問答関係が可能になるための必要条件(超越論的条件)となります。

 問答論的矛盾とは、例えば「私の言うことが聞こえますか?」「いいえ、聞こえません」というような問答関係の矛盾です。まず最初に、この矛盾が、従来「矛盾」関係として論じられてきた「論理的矛盾」「意味論的矛盾」「語用論的矛盾」とは異なることを説明しました。

 二つの文が「論理的に矛盾」するとは、たとえば「AはBである」と「AはBでない」という二つがともに真であることが論理的に不可能であるということです。二つの文が「意味論的に矛盾」するとは、例えば、「これは赤い」と「これは青い」の二つがともに真であることが、文の意味によって不可能であるということです。ある発話が「語用論的に矛盾」するとは、例えば「私は存在しない」という主張のように、主張するという発話行為と、主張される命題内容が、矛盾するということです。

 問答論的矛盾は、これらのどれでもありません。問答論的矛盾は、二種類「純粋な問答論的矛盾」と「混合型問答論的矛盾」に分けることができます。

 「純粋な問答論的矛盾」とは、例えば、次の問答の関係です

  「私の言うことが聞こえますか?」

    「いいえ、あなたの言うことは聞こえませ」

この問いも答えも、単独では問題のない発話です。しかし、この答えの発話が上の問いに対する答えとして発話されるなら、矛盾します。なぜなら、質問が聞こえなければ、それに答えることはできないはずだからです。

 したがって、この問いに対しては、「いいえ」という答えることは不可能であり、「はい」ということだけが可能になります。つまり「はい」という答えが問答論的に必然的なものになます。他にも次のような例があります。

  「あなたは日本語がわかりますか?」

    「いいえ、わかりません」

  「あなたは、私の質問を憶えられますか?」

    「いいえ、憶えられません」

「混合型問答論的矛盾」となづけたものは、例えば次のようなものです。

  「あなたは、誠実に私に話していますか?」

    「いいえ、私は誠実にあなたに話していません」

この質問への返答であるためには、返答は質問に対して誠実なものである必要があるので、「いいえ、私は誠実にあなたに話していません」という返答は矛盾します。つまり、この返答の内容は、これが質問への返答であることと矛盾します。その意味でこれは問答論的矛盾です。ただし、この返答は、「私は誠実にあなたに話していません」という発話として単独にとらえたときに、語用論的に矛盾しています。つまり誠実に主張するという言語行為と、発話の「命題内容」が矛盾するのです。この問答では、問いと答えが問答論的矛盾になっているだけでなく、答えの発話がそれだけで語用論的矛盾になっているので、このような問答論的矛盾を「混合型問答論的矛盾」と名付けました。ここでも「はい、私は誠実にあなたに話しています」と答えることが問答論的に必然になります。他にも次のような例があります。

  「どなたかいませんか?

    「いいえ、誰もいません」

  「あなたは何か主張していますか」

    「いいえ、私は何も主張していません」

  「私はあなたの命令に従うべきですか?」

    「いいえ、あなたは私の命令に従うべきではありません」

純粋な問答論的矛盾と混合型問答論的矛盾は、興味深い構造をもっており、本書では、より詳しい分析を行っています。純粋な問答論的矛盾と混合型問答論的矛盾のこれらの事例から、〈問答論的矛盾は、言語的コミュニケーションのための必要条件(超越論的条件)を示している、と言えるでしょう。

09 第3章の見取り図 (3) 問答の不可避性 (20201110)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

「3.3 言語行為の不可避性」では、これらの言語行為がそもそもどうして可能なのか、どうして成立するのかを考察しました。その答えは、ある種の「不可避性」によって、成立するということです。

 まず、全ての発話は、暗黙的に質問であることを説明しました。すべての発語が、暗黙的に依頼(質問)であるとすると、すべての発話は聞き手に何らかの選択を求めていることになります。発語は、聞き手の選択を可能にするだけでなく、選択を迫り、選択を不可避なものにします。

 次に、この選択の不可避性が、指示を可能にすること、指示を不可避なものにすることを説明しました。ある発話が問いの答えとして発話されるとき、それに含まれる指示詞や確定記述のような表現は、対象を指示できるというだけでなく、むしろ対象を指示しないことはできないことはできません。このような対象の指示の不可避性が、指示を成立させるのです。

 次に、この種の伝達の「不可避性」がグライスの言う「協調の原理」で説明できることを示しました。「協調の原理」とは次のようなものです。

「会話の中で発言をするときには、それがどの段階で行われるものであるかを踏まえ、また自分の携わっている言葉のやり取りにおいて受け入れられている目的あるいは方向性[または問い]を踏まえたうえで、当を得た発言を行うようにすべきである」(Grice 1989: 26, 訳37、[ ]内は引用者の付記)

この「協調の原理」は、第3章で「会話の含み」の説明で述べたように、破ることができるのですが、しかし破ったとしても、破ることによってある意味を伝えようとしているのだと(「協調の原理」に則って)理解されてしまいます。つまり「協調の原理」は不可避的に私たちに迫ってくるのです。このことが、伝達の不可避性を成立させ、さまざまな言語行為を不可避的に成立させます。

 最後に、この「協調の原理」の不可避性の成立の前提になっているのが、問答の不可避性であることを説明しました。未開の民族の人間に出会ったとき、私たちは「協調の原理」が成り立つことを前提できないのですが、しかしそのような状況でも、それぞれの振る舞いが問いかけとそれに対する答えとなってしまうことは、想定できます。つまり、問答の不可避性は、想定できます。

 こうして、言語行為は最終的には問答の不可避性によって説明出来るでしょう。

08 第3章の見取り図 (2) 言語行為の新分類 (20201109)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

「3.2 言語行為の新分類」では、従来の言語行為に「前提承認要求」という言語行為を追加することを提案します。

 まず従来の言語行為の分類(発話行為、命題行為、発語内行為、発語媒介行為という分類)では、ヘイトスピーチをうまく扱えないことを説明しました。発話行為や命題行為は、命題内容へのコミットメントを含んでいないので、ヘイトスピーチを説明できない。他方で、本文で例を挙げて説明したのですが、発語内行為や発語媒介行為ではヘイトスピーチの働きをカバーしきれません。

 次に、それをうまく説明するために「前提承認要求」という行為を付け加えて、<発話行為、命題行為、前提承認要求、発語内行為、発語媒介行為>と分類することを提案しました。その際に、これらの言語行為間の差異を明確にするために、ヴェンドラーによる動詞の分類を利用しました。これは行為の分類に使えるものです。彼は、動詞を次の4つに分類しました。

  ①状態動詞:「嫌う」「愛する」「所有する」など状態を表す動詞。

  ②実現動詞:「勝つ」「始める」「発見する」などある状態を実現する瞬間的な出来事を表す動詞。

  ③活動動詞:「走る」「「押す」など終着点を持たない行為を表す動詞。

  ④向実現動詞:「(絵)を描く」「「(椅子)を作る」「(小説)を読む」などの内在的なっ終着点を持つ動詞。

ちなみに、①と②は進行形を取りますが、③と④は進行形をとりません。

この分類によると、発語内行為を表す「主張する」「命令する」などの遂行動詞は、実現動詞に属します(ただし、すべての実現動詞が、遂行動詞になるのではありません)。これに対して、発語媒介行為を表現する「説得する」「実行させる」「受諾させる」などは、向実現動詞になります。

では、「前提承認要求」はどうなるのでしょうか。

発話が何を前提しているかは、発話が不適切になる場合を調べることによって、明らかにすることができます。発話が不適切なものになるケースについては、オースティンの分析があります。この分析を踏まえて、発話の前提として

  論理的前提

  意味論的前提

  語用論的前提

を挙げることができます。

 「前提承認要求」は、発話が成立するためのこれらの前提(論理的前提や意味論的前提や語用論的前提)を承認するように聞き手に要求する向実現行為、である。

 話し手自身は、発話においてこれらの前提を承認している。この「前提承認」は、発語内行為の前提であり、発語内行為に含まれている実現行為である。しかし、話し手が承認しているこれらの前提を聞き手が承認するように要求するのが「前提承認要求」である。

 この意味で「前提承認要求」は聞き手に、発語内行為が成立していることの承認を求めることでもある。これに対して、発語媒介行為は、同じく向実現行であるが、発語内行為の成立を聞き手が承認していることを前提した上でなりたつ行為である。

 結論として言えることは、発語媒介行為、前提承認要求、発語内行為は、つぎのような実践的推論を構成するということです。

  私は学生に水を持ってきても欲しい。(発語媒介行為の意図)

  学生は短時間で水を持ってくることができる。(前提(真理性)承認要求)

  私が学生に水を持ってくるように依頼することは正当である。(前提(正当性)承認要求)

  ∴私は学生に「水を持ってきてください」と依頼する。(発語内行為)

07 第3章の見取り図 (1) 質問発話の特殊性 (20201107)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

本書第1章では、命題内容の意味を問答推論関係として説明しました。第2章では、命題の特定文脈での発話の意味について説明しました。言い換えると発話が焦点を持つとはどういうことかについて説明しました。焦点位置の違いは、命題内容の与えられ方の違いであり、発話の意味は二重問答関係のなかで成立するということでした。第3章では、行為としての発話、言語行為を考察します。この章も3つに分かれています。3.1と3.2では、オースティンとサールの言語行為論の改良を提案します。3.3では、言語行為がどのようにして成立するのかを説明しました。

 まず「3.1 質問と言語行為」では、オースティンとサールの言語行為論を紹介したのち、彼らが注目していなかった、質問発話の特殊性を説明しました。

 サールは、言語行為を次のように分けていました。

(a) 発話行為(utterance act)=語(形態素、文)を発話すること(これは音声行為(phonetic act)、音韻行為(phonemic act)、形態素行為(morphemic act)からなる。)

(b) 命題行為(propositional act)=指示と述定を遂行すること

(c) 発語内行為=陳述、質疑、命令、約束などを遂行すること

(d) 発語媒介行為=発語内行為という概念に関係を持つものとして、発語内行為が聞き手の行動、思考、信念などに対して及ぼす帰結(consequence)または結果(effect)という概念が存在する。

さらに発語内行為を次のように区別していました。

(1)主張型(assertives)    ┣ (p)

(2)行為指示型(directives)  ! (p)

(3)行為拘束型(commissives) C (p)

(4)表現型(expressives)    E (p)

(5)宣言型(declarations)   D (p)

発語内行為を一般的にFとし、命題行為をpとすると、F(p)という一般的な表現になります。サールは、「質問」という発語内行為を、行為指示型の「依頼」の一種(情報提供の依頼)として説明し、それを?(p)と表記しました。

ところで、サールが強調するように、同じ命題内容でも異なる発語内行為を採ることがあります。例えば、「あなたを首にします」が、記述の場合(主張型)もあれば、約束の場合(行為拘束型)もあれば、宣言型の場合もあります。しかし、サールの表記法では、すべてとなります。

  ? (p)、 ┣ (p)

  ? (p)、 C (p)

  ? (p)、 D (p)

同じ命題内容の返答が異なる発語内行為を採るとすれば、それは質問がことなるからではないでしょうか。つまり質問がすでに返答の発語内行為を指定しているのです。「問いは、答えの半製品である」ということは、命題内容に関してだけでなく、発語内行為に関してもそうなのです。質問が、すでに返答の発語内行為を指定しているとすると、上記の問答は、次のように表現すべきです。

  ?┣ (p)、 ┣ (p)

  ?C (p)、 C (p)

  ?D (p)、 D (p)

一般的に表記すると質問と返答は、次のようになります。

  ?F (p)、 F (p)

以上のように、質問は、特殊な発語内行為であり、上記の5つの分類とは独立したものとして分類すべきです。

 サールは、後に上記の発語内行為の5つの分類を修正していますので、本書ではもう少し詳しく説明していますが、基本的なアイデアはこのようなものです。

06 第2章の見取り図 (3) 「今日は暑いね」の言外の意味 (20201106)

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 第二章の「2.3 会話の含み」を紹介します。

 例えば、夏の暑い日に教師が教室に入ってきて「今日は暑いね」と言ったとき、それは「窓を開けましょう」とか、「暑いけれど頑張って勉強しましょう」とか、「教室にクーラーが欲しいね」とかの言外の意味を持つでしょう。このような言外の意味は「会話の含み」(グライス)と呼ばれている。会話の含みやそれと類似のものを含めて、次のように整理されています。

  ①論理的含意  「pかつq」→「p」

  ②意味論的含意 「これはリンゴだ」→「これは果物だ」

  ③一般的な会話の含み 「女性がやって来た」→「母親以外の女性がやって来た」

  ④特殊的な会話の含み 「今日は暑いね」→「窓を開けましょう」

グライスが「会話の含み」と呼んでいるのは、③と④で、③は発話の特定の文脈に依存せず、一般的に成り立つ含みであり、③は特定の文脈で成り立つ会話の含みです。①と②と、③と④の違いは、後者の含みは、その後の発話によって否定されることもありうるということです。例えば「今日は暑いね」に続いて、「しかし夏休みまで後一週間ですね」と言えば、会話の含みは「窓を開けましょう」から「暑いけれど頑張って勉強しましょう」に修正することになります。

 さて、聞き手が会話の含みを理解するメカニズムについて、グライスは通常の会話では「協調の原則」と「会話の格率」に私たちが従っていることを指摘し、それが破られているときには、聞き手は、その理由を考え、それがある「含み」を伝えるためなのだと理解する、と説明します。

 これに対して、スペルベルとウィルソンの「関連性理論」は、通常の発話の意味(「表意」)と会話の含意(「推意」)の関係を連続的なものと考えます。どちらも「関連性の原則」(「すべての意図明示的伝達行為は、その行為自体の最適な関連性の見込みを伝達する」)に基づいて、推論されることになります。

 これらに対して、私は、二重問答関係によって「会話の含み」を説明することを提案しました。

店長X と店員Y の次の会話があったとしよう。

  X「そろそろ閉店の準備をした方がいいだろうか?」

  Y「もうすぐ5 時です」

   〔そろそろ閉店の準備をした方がよいでしょう〕(会話の含み)

この場合、Y の返答の含みは、次のような二重問答関係で説明できるでしょう。(「」は実際に行われた発話であり、〔〕は暗黙的な思考や会話の含みを示す)。

  Q2「そろそろ閉店の準備をした方がいいだろうか?」

    Q1〔今何時だろうか?〕

    A1「もうすぐ5 時です」

  A2〔そろそろ閉店の準備をした方がよいでしょう〕

発話A1は、相手の質問Q2に答えるために立てた問いQ1の答えであり、この答えA1を前提にして、Q2の答えA2を推論できる。

一般に、発話は、その相関質問のより上位の問いの答えを「会話の含み」とする。発話がどのような「含み」を持つかは、このような二重問答関係のなかで説明できるでしょう。

 最後に、このアプローチの、グライスの説明と「関連性理論」に対する長所を整理しました。

05 第2章の見取り図 (2) (20201105)

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第二章の「2.2 発話が焦点を持つとはどういうことか」では、この問いに答えました。

発話が焦点をもつとは、発話の中のある部分に注目しているということです。同じ文の発話でも異なる部分に注目している発話は、異なる焦点を持つことになります。例えば

  「バイデンは、ペンシルベニア州で勝つだろう」

という文の発話は、次の三か所に焦点を持つことができるでしょう。

  「[バイデン]Fが、ペンシルベニア州で、勝つだろう」

  「バイデンは、[ペンシルベニア州]Fで、勝つだろう」

  「バイデンは、ペンシルベニア州で、[勝つ]Fだろう」

(ここで 「[バイデン]Fが」の場合、「は」を「が」に変えた方が自然な日本語になると思います。それは、日本語の「は」と「が」の違いが、焦点位置を示しているためだです。これについては、脚注で説明し、関連する拙論を示しました。)

次のように「(他でもなく)」を付け加えると、ニュアンスの違いが明確になると思います。ただしそれをそれぞれの焦点の前につけると、別の文になってしまうので、説明のための便宜上のこととになります。

  「(他でもなく)[バイデン]Fが、ペンシルベニア州で、勝つだろう」

  「バイデンは、(他でもなく)[ペンシルベニア州]Fで、勝つだろう」

  「バイデンは、ペンシルベニア州で、(他でもなく)[勝つ]Fだろう」

ところで、発話の焦点位置は、その発話を答えとする補足疑問の相関質問によって、明示できることが知られています。たとえば、次のように対応します。

  「誰が、ペンシルベニア州で勝ちますか?」

    「[バイデン]Fが、ペンシルベニア州で、勝つだろう」

  「バイデンは、どこで勝ちますか?」

    「バイデンは、[ペンシルベニア州]Fで、勝つだろう」

  「バイデンは、ペンシルベニア州で、どうなりますか?」

    「バイデンは、ペンシルベニア州で、[勝つ]Fだろう」

つまり、発話の焦点位置は、発話の現実の上流問答推論(相関質問と上流推論)を示しています。

ところで、このように焦点位置の異なっていても、同一の命題内容の発話であるならば、その真理条件は変わりません。それでは、焦点位置の違いは、意味の違いではないのでしょうか。たしかに問答推論関係で明示化される命題内容は同一です。しかし、現実的な問答推論は、焦点が異なれば、異なっています。そこで、同一の命題内容の焦点位置の違いは、命題内容の与えられ方の違いであると考えることを提案しました。

発話の焦点位置の違いは、このように問答上流推論の違いを示すだけでなく、問答下流推論の違いも示していることも示しました。私たちが、問いを立てるのは、より上位の目的のためです。その目的は、より上位の問い(理論的問いや実践的問い)に答えることとして理解できます。ここでの二つの問いの関係を「二重問答関係」と名付け、それを次のように表現しました。

  「Q2→Q1→A1→A2」

これは、問いQ2の答えを得るために、Q1 を立て、Q1 の答えA1 を得て、A1 を前提にQ2 の答えA2 を得る、という二つの問答関係の入れ子型の関係「二重問答関係」を表現しているものとします。

 ここで発話A1の焦点位置は、相関質問Q1によって決まります。Q1を前提とする上流問答推論によってA1がえられます。ところでのこのQ1を問うたのは、Q2の答えを求めるためでした。したがって、Q2とA1(と必要ならば他の平叙文)を前提とする問答推論によってA2を得ることになります。この推論は、A1の下流問答推論になっています。

 A1の焦点位置は、相関質問Q1によるものでしたが、Q1を設定するのは、Q2に答えるためでした。したがって、Q2は、A1の焦点位置を間接的に規定しています。つまり、A1の焦点位置は、A1の問答下流推論とも密接な関係にあります。

 なお、この2.2では、補足疑問(wh疑問)と決定疑問(yes/no疑問)の返答文の関係についても、詳細に分析しましたが、ここでは説明を省略します。