情熱は社会的に構築される

ローマのコロセウム、情熱の跡です。

urbeさん、コメントありがとうございました。

「情熱が、社会関係の中で生まれる」
と書いたのは、次のような意味でした。
 ある若者が「ゴッホのような画家になりたい」と思ったとします。そのとき、彼のこの情熱は、ゴッホを知ることによって触発されたはずです。また、単に画家になりたいという欲望にしても、画家という職業がある社会でしか、生まれないはずです。
 このような意味で、すべての情熱は、あるいは欲望は、社会の中で生まれるのだとおもいます。それを、今風の言い方をすれば、「情熱は社会的に構築される」ということになるだろうとおもます。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

「情熱は社会的に構築される」への2件のフィードバック

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    答えていただいてありがとうございます.なるほど,そういう意味ですか,納得しました.少し違う事柄ですが,次のようなことを考えました.僕はもちろん僕自身に興味があるので,自分の情熱や欲望はよく吟味します.その際,社会的な要素は無視できません.自分が主体的になにかしようとしているように見えながらも,結局偶然自分のおかれた中でなんとなく決断を繰り返しいるだけのようにも見えます.なかなか情熱も欲望も見極めるのが難しいですね.

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