人生論のある基本前提

これは、少し前の、時間があったときの写真です。
最近、忙しくて人生について考えている暇がない、というのが実情です。
これは、いったい何という人生でしょうか。
そんな人こそ、人生について、考え直す必要があるのではないでしょうか。

3、人生論のある基本前提

人生論における最も基本的な問題だと思われるのは、次の二つの問題です。
「自分の死についてどのように考えたらよいのか」
  「私は何のために生きるのか」
端的にいえば、死の問題と生きる意味の問題です。人生には、それ以外にも沢山の問題があるでしょうが、それらは、これらから派生する問題であるか、そうでないとしても、これらよりも重要性の低い問題になるのではないかと思われます。
 ランダムに挙げみます。これらは上の問いよりも、より具体的で、より切実かもしれません。しかし、上の問いよりも基本的であるとは思えません。(それはなぜでしょうか?)
   「老いについて、どのように考えたらよいのか」
   「失業について、どのように考えたらよいのか」
   「何のために働くのか」
   「何のために勉強するのか」
   「結婚するとはどういうことか」
   「子供を育てるとは、どういうことか」

さて、最初の二つの基本問題について、これまで瞥見してきたのは、実は、それらがともに共通の前提を持つことを示すためでした。その前提とは、
   「私は生きたい」「私は死にたくない」
という欲求の存在です。
 もしこの欲求がなければ、我々は「自分の死についてどのように考えたらよいのか」悩まないでしょうし、「何のために生きるのか」悩まないでしょう。

ところで、我々は「生きたい」という欲求を持っているということは、本当なのでしょうか。
問題をより簡単にしましょう。

「私は『私は生きたい』という欲求をもっている」という主張を、私(あるいは、あなた)は、どのようにして証明ないし正当化できるでしょうか。

 「そんなことは自明だ。なぜなら、私はそう感じるからだ。」
と大方の人は答えるでしょう。あるいは、これ以外に答えようがないと思うかもしれません。
しかし、このような答え方については、セラーズによる「所与の神話」という有名な批判があるのです。

これについて、次回に考えましょう。