矛盾の解決?

冬の味覚?大豆です。もうすぐ豆まきです。
     待ちきれずに、食べてみました。

前回は、個人が「特定の個人や組織に対する敵意」を抱くだけでなく、自分で「悪意」と知りつつ、「特定の個人や組織に対する悪意」を抱くことがあることを述べた。

 善良な人間Cが、もし何の理由もなくAに殴られたとしよう。Cは、Aに対して怒りを感じるだろう。Cが、Aに対して怒りを感じることは、悪いことだろうか。そうではないだろう。たとえば、悪を憎むことは、正しいことであるし、悪に対する怒りは、おそらく正しい感情である。では、その怒りに基づいて、Aを殴り返そうとすることは、正しいことだろうか、悪いことだろうか。
一般的には、(正当防衛を除いて)どんな場合にも他者を殴ることは悪いことだ、と考えられている。もしそのとおりだとすると、たとえ正しい怒りにもとづいてAを殴るのであっても、殴ることは悪いことである。そこで、善良なCは「殴りたい」けれども、殴るのをやめる。このとき、Cは「殴りたい」という「悪意」を心の中にもっている。
このとき、Cの心は、矛盾しているのだろうか。Aの行為に対して怒ることは正しい感情である。しかし、この怒りからAを殴ることは悪いことである。Aに対する怒りが正しいのに、Aを殴ることが悪いのは、なぜだろうか。ここではCの心が矛盾していないだろうか。この矛盾をどのように考えればよいのだろうか。

Aに対する怒りが正しいのは、社会から見てのことである。Cは自分の怒りを正しいと考えるだろうが、それは社会から見て正しいと考えるということである。(これは「正しい」という語の用法に由来する。)Aに対する怒りは、Cだけでなく、社会の人々が共感ないし共有できる怒りである。他方で、Aを殴ろうとするのが悪いのは、<Cが>Aを殴ろうとすることだからである。<社会が>Aに制裁しようと意図するのであれば、(おそらく)それは悪いことではないだろう。しかし、CがAを殴ろうとする意図は、社会から見て悪いことである。それゆえに、Cもまたそれを社会から見て悪いことだと考えるのである。
Aに対する怒りを、Cは社会と共有できる。しかし、CがAに仕返しすることを、Cは社会と共有できない。なぜなら、CがAに仕返しすることと、社会がAに仕返しすることは異なるからである。

このように説明すれば、Cは、Aに対する怒りが正しくても、その怒りのためにAに仕返ししてはいけないことを納得できるだろうか。

ところで、Cは、Aに対する怒りをどのように処理すればよいのだろうか。社会にAの犯罪を訴えればよいのだろうか。しかし、CがAに殴られたというだけで、それを証言してくれるものがなかったらどうなるだろうか。警察は、それを立件しないだろう。Cの怒りは、Aだけでなく、警察や社会にも向かうことになるかもしれない。このような事例を次に考えよう。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

「矛盾の解決?」への27件のフィードバック

  1. Hey just wanted to give you a brief heads up and let you know a few of the pictures aren’t loading properly. I’m not sure why but I think its a linking issue. I’ve tried it in two different internet browsers and both show the same results.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です