このテーブルは、我々に何をアフォードしているのでしょうか?
バーベキュー?
久しぶりの発言なのに、勉強が進んでいなくて、すみません。
アダムソンが、乳児の発達の第一期:注意深さの共有(shared attentiveness)の時期について書いた『乳児のコミュニケーション発達』の第四章「注意深さの共有」を読んで見ましたが、正直なところ素人の私には、「注意深さ」というのがどのようなもので、それが「共有」されているということがどのような実験や観察から確認できるのか、よくわかりませんでした。
共有していることを確認できるためには、赤ちゃんとのより高次なコミュニケーションが可能になっていることが必要であり、仮に、この段階の幼児との「注意深さの共有」があったとしても、それが親や観察者の主観的な思い入れ以上のものであることを、確認するすべがないのかもしれません。
乳幼児の「世界は知覚的単一体(perceptual unity)の一つである。・・・この単一体は非常に深遠で非様相的特性のみを有するに過ぎないようにおもわれる」(邦訳,p.94)という指摘が、非常に深遠そうで、面白そうに思いました。乳幼児の場合には、視覚や聴覚や触覚などの感覚の様相が区別されておらず渾然一体となっており、世界は「知覚的単一体」を構成しているということでしょうか。アダムソンもいうように、乳児がどのように世界を知覚しているのかは、大人には想像することが大変難しそうです。