9月の初旬、奈良から名古屋に向かう(その1)
まるで現代社会のような不気味な天気です。
「最近の世の中はおかしい、哲学を研究する者に何か発言してほしい」という期待が社会の一部にある。もっともな期待であると思う。もしそのような発言が出来ないのならば、哲学には何の価値もないとまで言わないにしても、世の中だけでなく哲学自体がかなりの重症である、と私も思う。
さて本題に入ろう。「最近の世の中はおかしい」と多くの日本人が考えているようだ。これについてのアンケートを見たことは無いが、このような発言は、TVでも日常でもしばしば耳にする。では、「最近の世の中は、本当におかしいのだろうか。」これに対しては、次のように答えよう。「世の中がおかしい」という人が大勢いるのであれば、それによってすでに「社会問題」が構成されている、と。
では、「世の中はどこがおかしいのだろうか」この問にはっきりと答えること、つまり時代診断をはっきりとしなければ、解決すべき問題を明確にすることも出来ない。そこですぐに思いつく具体例を挙げてみよう。
無差別殺人がおそらく増加している。
法や道徳を守らない企業が、グローバルな悪影響を与えている。
年金問題に見られるように、役人の仕事が非常に杜撰である。
格差が拡大しつつある。
TV番組が俗悪である。
これらは全て人に優しくない(俗悪な番組は我々の人間性を傷つける)。
「地球に優しいことも大切だが、人に優しいことがもっと大切だ」
しかし、こんな簡単な診断と軟弱な回答では、世の中は変わらない。
これらの原因はなにだろうか。それは社会での競争の激化による人への優しさの喪失ではないだろうか。競争に敗れた者からは、社会への敵意が生まれる。競争の激化で、企業人は利益を上げることを、法や道徳に優先させる。役人は、競争の激化のなかで、公共心を忘れて自分の利益に走る。社会には格差が広がる。TV番組は、人への優しさを忘れた人々の視聴率に支配される。(もちろん、私もまた、この社会の中でそんなに清く正しく生きてはいません。)
「競争の激化と格差の拡大、これが諸悪の根源である。」
この診断は、陳腐な診断である。しかし、冷戦後の資本主義のグローバル化の中で、競争は確かに激化している。これをとりあえずの診断にして、この書庫では、格差に関する、具体的な問題や抽象的な問題に取り組みたい。
「どこに哲学的問題があるのか?」という人は、今しばらくお待ち下さい。
いずれ哲学の問題が登場します。たぶん。