ここではとりあえず、ストローソンの一面的な不可分論、つまり<人格は肉体と結合したものとしてのみ同定可能であるが、肉体は人格に言及しなくても同定可能だ>が正しいと仮定しよう。このように考えるときには、肉体だけを賃貸契約の対象にすることが可能であるかもしれない。しかし、雇用契約は、肉体だけを賃貸契約の対象とすることではない。労働には、肉体だけでなく、精神の働きが必要だからである。
では、労働力の賃貸契約だといえるだろうか。ストローソンは、M述語とP述語を区別した。M述語とは、「意識状態を帰そうとは夢にも思わない物体がもつ述語」であり、P述語とは、「その他の述語」である。つまり、肉体はM述語で同定されるが、意識状態や人格はP述語+M述語で同定される。労働を記述するには、M述語とP述語の両方が必要である。労働力が労働する能力だとすると、それを記述するにもM述語とP述語の両方が必要だろう。したがって、労働力を賃貸契約の対象にすることもできない。なぜなら、労働力と人格を分けることができないからである。労働力の同定と人格の同定は不可分である。それゆえに、労働力は商品ではない。
「労働力は商品ではない」
ここから帰結することは、「雇用契約は、商品の賃貸契約や売買契約のようなものではない」である。
労働力を商品とみなすことは、便利な説明方法であるかもしれないが、しかしそれは間違った説明方法である。労働力は、労働力市場で売買される商品ではない。
では、雇用契約とはなにだろうか?
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