2011年1月10日の哲学ワークショップのあと、「きりたんぽパーティ」をしました。とてもおいしかったです。前にも書きましたが、一つの火と鍋を囲んで食事することは、おそらく最も原初的な食事の形態だとおもいます。もし縄文土器が鍋としても使われていたとすると、そのころから続いてきた歴史をもつのだとおもいます。それとも縄文土器は、鍋には使われていなかったのでしょうか。
さて、その若手哲学ワークショップは二部構成で、第一部のテーマは「平和を実現するにはどうするか」でした。それを聞いていて、つぎのように考えました。
・ガルトクングにならって、戦争のような暴力と構造的暴力を区別して、それぞれが無い場合を、「消極的平和」と「積極的平和」に区別する。
・戦争状態を、熱い戦争と冷たい戦争に区別する。
・まとめると次のようになります。
1、消極的平和:戦争状態でないこと
①熱い戦争がないこと
②冷たい戦争もないこと
2、積極的平和:貧困、飢え、などがないこと
・国家の廃絶は、消極的平和には役立つが、積極的平和に役立つとはかぎらない。
・「正義の戦争はあるのか?」
国家がある限り、対話不可能な侵略国家もまたありうるので、防衛のための正義の戦争はありうる。また国内で人権侵害をしている対話不可能な国家もまたありうるので、人道的な介入のための正義の戦争はありうる。ゆえに、国家がある限り、正義の戦争はありうる。
・ゆえに、正義の戦争をなくするには、国家を廃棄して、世界共和国を作るしかない。
・次善の策は、世界の全ての国家の連合によって、正義の戦争だと認めた戦争のみの遂行を許可することである。(この許可の仕方については、さらに多くの議論が必要になると思われる。)
・「構造的暴力をなくすにはどうするか?」
貧困と飢えをなくすには、世界的な規模での再分配をおこなうしかない。
以上が、消極的平和と積極的平和を実現するための方法です。
これだけでは、机上の空論かもしれません。これを実現するための方策を考えることが難問なのかもしれませんが、しかしまずはこの空論が正しいかどうかについて、ご意見を伺いたいとおもいます。
是非、ご批判をお願いします。