まどろむは、私か猫か 梅の下
約束を守る義務はどのようにして発生するのか (20120323)
ここでは上記の宿題に答えよう。
前にもふれたが、約束における誠実性の義務は、嘘をつかないという義務の特殊ケースである。しかし、「おなかが減っていませんか」と問われて「はい減っています」と答えるときの誠実性と、「この本をくれますか」と問われて「はい差し上げます」と答えるときの答えの誠実性は、次の点で異なる。
前者は現在の状態についての発言である。これが嘘でないとは、これの真偽に関係なく、発話者がこの返答を真であると思っているということである。後者は未来の行為についての発言である。これが嘘でないとは、発話者が実際にその本を挙げるかどうかに関係なく、発話者がその本をあげようと思っているということである。前者には真理値があり、後者には真理値がないという違いがある。
人格論との関係で重要な差異は、前者は、発話者の現在の状態(おなかの減り具合)にコミットしているだけであるが、後者は、発話者の未来の行為にコミットしている点である。計画を立てるときと同様に、約束するときには一定の未来にわたる人格の同一性にコミットする。しかも、計画の時には、一定の未来にわたり人格の同一性を保持する責任はないが、約束の場合には、一定の未来にわたり人格の同一性を保持する責任が発生する。ここでは、人格の同一性を保持する責任だけでなく、そのような人格としてある行為を履行という責任が発生する。
いつの間にか、約束を結ぶときの誠実性の義務が、約束の履行の義務に変わっているように見えたかもしれない、つまりこの二つの義務は不可分であるように見えたかもしれないが、そうではない。この二つを区別することは、次の二つを区別することと類比的である。
「私のおなかは減っていません」という発話が誠実であるとは、発話者がその発話を真であると思っているということである。しかし、このような主張型の発話を主張するときには、誠実に発話していることだけでなく、つまり発話が真であると思っていることだけでなく、実際に発話が真であることに責任を持つことになる。誠実に主張する義務と、発話が実際に真であることに責任を持つことは異なる。これと同様に、誠実に約束する義務と、約束を実際に履行することに責任を持つことは異なる。
約束を守る義務が発生するのは、何かを主張した時に、それが真であることを立証したり保証する義務が発生するのとよく似たことである。たとえば、何かを主張して、後で実際にそうでないことが分かった時には、彼は何らかの仕方で責任をとる必要があるだろう。これは、約束をして、それを履行しないとき、何らかの仕方で責任をとる必要があるのと同様である。
主張の発話にせよ、約束の発話にせよ、相手に何かを語るとき、相手に何らかの責務を負うことになる。不誠実な主張であっても誠実な主張であっても、主張内容についての立証責任を負うことになる。同様に、不誠実な約束であっても誠実な約束であっても、約束の履行の責任を負う。
約束の履行の義務は、おそらくは約束や主張に限らず全ての発話の場合にも生じている責任の特殊ケースなのである。
次回は、これまでの流れを復習したい。
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