3 感情と実践的推論 

 

                郡山城公園の夜桜です 
 
3 感情と実践的推論 (20130401)
 
前回のべたことは、Kim Senseiからの次の質問に答えるものでした。
「感情が互いに衝突するとき、私たちはそれらの違いを、客観的な仕方でどのように解決するのでしょうか。」
 
これに対するとりあえずの回答は、<感情に矛盾があることと、感情が能動的であることは両立します。つまり、その矛盾は、解決の必要がないものです>ということになります。
(ここから、日本人の変わり身の速さの分析などの、日本文化論につなげることもできるかもしれません。しかし、それよりも、韓国語や中国語での感情表現がどうなっているのか、気になります。どなたか教えてください。)
 
Kim Senseiからのもう一つの質問は、次のものでした。
「もし感情が能動的であるならば、それらは合理的(つまり、広い意味で何らかの「論理」に従うもの)なのでしょうか?」
 
今回は、これに「そのとおりです」と答えたいと思います。感情が持つ論理性は、感情の成立が推論に基づいていることによって、示されると思います。
 
感覚については「なぜ指が痛いのですか」と問われたら、その答えは理由ではなくて、原因を答えるものになります。このときの答えは、観察によって得られます。
これに対して、感情の場合には、「なぜ、悲しんでいるのですか?」と問われたらその原因ではなくて理由を答えることになります。しかもその答えは、観察や推論によらず、即座に得られるのです。
このように指摘してるのは、アンスコムです。人の意図的行為について、アンスコムは、「なぜ・・・しているのですか」と問われたときに、人は直ちに「・・・のために・・・しているんだ」というように意図や動機を答えることができることを指摘しました。しかもその答えは、「観察によらない知識」であるといいます。そして、彼女は感情についても、「なぜ」と問われたときに、その原因を観察によらないで答えることができるといい、これを「心的原因」と呼んでいます。(G.E.A. Anscombe, Intention, Oxford, Basil Blackwell, 1957, アンスコム『インテンション』菅豊彦訳、産業図書、1984年)
 
(以下は、拙論「感情の物語負荷性と問題」(http://www.let.osaka-u.ac.jp/~irie/ronbunlist/papers/PAPER18.HTM)をもとにしています。)
 
まず感情は、次のような三段論法の結論として成立します。
 
     お金が欲しい。                                欲求
     宝くじに当たる=お金が手にはいる。   状況認識
e=”MARGIN:0mm 0mm 0pt;” class=”MsoPlainText”>     だから、嬉しい。                                感情
 
     お金が欲しい。              欲求
     大金を落とした。                                状況認識
            だから、悲しい。                               感情
 
まず、前提の一つを、<欲求>と考えて<意図>としないのは、次のような理由です。私たちは、ある対象について同時に矛盾する二つの感情を抱くことがあります。それは、私たちが同時に矛盾する二つの欲求をもっているから、と説明できます。互いに異なる(ときには矛盾する)二つの欲求が、同一の状況の認識の変化と結びつくことによって、異なる(ときにはアンビバレントな)感情が帰結するのです。ところで、私たちは、同時に矛盾する欲求を持つことはできても、同時に矛盾する意図をもつことはできません。なぜなら、それらの二つの意図を同時に実現することは出来ないので、その意図はそもそも実現不可能だからです。私たちは、実現不可能だと解っていて、それを意図することは出来ないのです。それゆえに、感情の脈絡を構成するのは、<欲求>とするのが適当でしょう。
 
ところでこのような「感情の三段論法」は、いわゆる「実践的三段論法」によく似ています。アリストテレスの「実践的三段論法」では、結論は行為にかかわる命題であり直ちに行為が続く(あるいは、結論は行為である)、と考えられています。『動物運動論』での例で考えてみましょう。
 
     「「飲みたい」と欲望が言い
     「これが飲物だ」と感覚か表象か理性がいう。
     と、私はすぐ飲むのである。」(アリストテレス『動物運動論』第7章、701a30
 
これを三段論法に整理すると次のようになります。
 
     なにか飲みたい。                (意図)
     これが飲物だ。                   (状況認識)
     ゆえに、私はすぐ飲むのである。   (行為)
 
この結論を欲求を表現するものに入れ換えれば、欲求の三段論法になるでしょう。
 
     なにか飲みたい。                        (意図/欲求)
     これが飲物だ。                         (状況認識)
これを飲みたい。            (欲求)
 
 上の例では、一般的な意図(欲求)からより具体的な意図(欲求)が生じていますが、前提での一般的な嫌悪や恐怖が、結論でより具体的な嫌悪や恐怖になる三段論法も考えられます。例えば、次のとおりです。
     私は、青汁が嫌いだ。
     これは青汁だ。
     私は、これが嫌いだ。
     ゆえに、私はこれをのまない。
 
これらの三段論法は、欲求を結論とする三段論法であり、最初に述べた「感情の三段論法」とは、区別すべきであるように見えます。
その二つを比較してみましょう。
 
<感情の三段論法>
     お金が欲しい。                                 (欲求)
     宝くじに当たる=お金が手にはいる。  (状況認識)
     だから、嬉しい。                              (感情)
 
<欲求の三段論法>
     お金が欲しい。                                  (欲求)
     xをすればお金が手に入る        (状況認識)
     だからxをしたい。                           (欲求)
 
この二つの違いは、状況認識の種類の違いのようです。
 この違いを分析する必要がありますが、しかし、とりあえずは、以上の分析でも、感情が推論によって成立していることが示せるのではないでしょうか。
 
(Kim Sensei, I am sorry, I wanted to translate this into English, but this became a little bit longer and I became tired.)