07 無定義術語と推論的意味論 (20200425)

 06で述べたように語の意味を定義することは困難であることが多い。実際に私たちが語の意味の理解するのは、定義を知ることによってではなく、むしろその語を用いた命題の上流推論と下流推論を理解することによってあることが多い。このような語の意味の理解は、ヒルベルト以後の公理主義における無定義術語の理解と似ていることをまず説明したい。

 ユークリッド以来の公理系の理解は、<まずその領域の用語の定義を与え、次にその用語を用いた公理を提示し、それにもとづいて定理を導出する>というものであった。ここでの公理は、自明な真理だと見なされてきた。

 これに対して、ヒルベルトは『幾何学基礎論』において、幾何学の概念「点」や「線」などを「無定義術語」として導入し、その意味はその語を用いた公理の意味から抽象されることになる。ヒルベルトは、幾何学の公理についての議論の中で、「点、直線、平面の代わりに、テーブル、いす、ビールコップを使っても幾何学ができるはずだ」と述べたことが報告されている(ヒルベルト『幾何学基礎論』岩波訳215)。これは、ある対象を「点」と名付けようと「テーブル」と名付けようと、どう名付けようともかまわない、という名づけの恣意性の話ではない。これは、ある名前で名付けられる対象そのものが、その名前を用いた命題によって与えられるということである。意味の理解において、語よりもそれを使用する命題(公理)が基礎的だということである。

「われわれがある理論を詳細に研究するならば、概念の骨組みの構成には、その知識部門の幾つかの特別な命題が基礎になり、かつまたこれだけを基礎にとって骨組み全体を論理的原則にしたがって組立てることが十分にできることをわれわれは常に知るのである」(ヒルベルト『幾何学基礎論』岩波訳194)

ただし、ヒルベルトは、この公理の意味の理解に関しては、それぞれの公理の意味を単独に理解できると考えているように思われる。つまり、語の意味は、命題(公理)のなかでの役割によって与えられるが、しかし命題の意味の理解は、単独に得られると考えているのではないかと推測する。この点が、推論的意味論との違いである。

 推論的意味論もまた、語の意味は命題の意味からの抽象によって得られると考える。命題の意味が言語的な意味の単位で会って、語の意味はそれからの抽象によって得られるものである。さらに、命題の意味は、単独に成立するのではなく、他の命題との推論関係によって成立するのである。この点がヒルベルトの公理主義と異なる点である。この推論関係とは、その公理を前提として、また必要に応じて他の公理も前提に加えて、代入規則やMPなどの推論規則によって、定理を導出するという推論関係である。この推論は、当の公理にとっての下流推論である。公理系は、公理の下流推論の集合である。逆に、私たちは、こうして与えられた定理から、他の公理や定理をもちいて、元の公理を導出することも(もしやろうと思うならば)できる(ただし、このような仕事は公理系の幾何学のなかでの仕事にはならないだろう。なぜなら公理系のなかでは、公理は証明されるべきものではなく証明の出発点だからである)。このような推論は、その公理の上流推論となる。このように公理は単独で意味を持つのではなく、その上流推論関係や下流推論関係によって意味を持つ。

この点が、現代の公理主義が想定する意味論と、推論的意味論との違いである。

 現代の公理主義は、無定義術語を導入し、語の意味を公理によって与えるが、推論的意味論によれば、形式的な言語に限らず、日常言語も含めて、全ての語が、無定義術語であり、命題やその推論関係のなかで意味を与えられるのである。

 語の定義は、普通名詞ないし普通名詞句の定義は、それが当てはまる対象の集合によって与えられる。対象の集合は、その集合に属するすべての対象が持つ性質を列挙することによって定義するか、あるいはその集合に属するすべての要素を列挙することによって定義される。

 例えば「リンゴ」がa1(赤い)、a2(丸い)、a3(甘い)、…という性質を持つとき、

   xはリンゴである┣xはa1である

   xはリンゴである┣xはa2である

と推論できるが、これは「xはリンゴです」の下流推論である。(この下流推論は、多くの場合、「リンゴはどんなものですか」という問いに対する答えを求めるために行われる推論である。)

 例えば「リンゴ」が{x1、x2、x3、…}という個体の集合であるとき、

   これはx1である┣これはリンゴである

   これはx2である┣これはリンゴである

と言えるが、これは「xはリンゴである」の上流推論である。(この上流推論は、多くの場合、「どれがリンゴですか」という問いに対する答えを求めるために行われる推論である。)(ちなみに、「なぜpなのですか?」という質問が、pという主張の根拠を求めているとするとき、その答えは、「r、s┣p」などの推論になる。このように根拠を問う「なぜ」は、pの上流推論を求めており、pの十分条件を求めている。)

 このように「リンゴ」の意味の理解は、定義によって得られるのではなく、それを用いた文の上流推論と下流推論を学習することによって得られるのである。

 次回は、なぜ「推論」によって意味を構成したり明示化したりできるのかを、説明したい。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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