「なぜ推論によって文の意味を明示化できるのか?」への答えは、ブランダムによれば「推論が文の意味やそれに含まれる語の意味を変えないからである」となる。
この答えを説明しよう。推論は、論理的な語彙「かつ (∧)」「あるいは (∨)」「もし…ならば、… (→)」などによって行われるものであり、これらの語彙の使用規則に従った文の書き換えが、推論だといえる。論理的な語彙の使用規則とは、ゲンツェンが明示した導入規則と除去規則である。
p、r┣p∧r ∧の導入規則
p∧r┣p ∧の除去規則
p∧r┣r ∧の除去規則
p┣p∨r ∨の導入規則
p∨r、p→s、r→s┣ s ∨の除去規則
p、p→r┣r →の除去規則
p┣r ならば ┣p→r →の導入規則
p→⊥┣¬p ¬の導入規則
¬¬p┣p ¬の除去規則
もしある論理的語彙の導入規則と除去規則を連続して適用したときの結果が、その論理的語彙を使用しないで推論できるものであるとすれば、その論理的語彙は、その他の語彙や文の意味を変更していないということである。たとえば、論理的語彙の導入規則と除去規則を連続して適用したときの結果がpであったとしよう。そしてそのpの導出に用いられた前提がΓ(命題の列)だとしよう。つまり、Γ┣pが成り立つのだとしよう。この推論Γ┣pが、当該の論理的語彙を使用しないでも成立する推論であるとすれば、Γ┣pという推論を導出するにあたって、当該の論理的語彙およびその導入規則と除去規則の連続適用は、その他の語彙や文の意味、その他の推論規則に影響を与えていないことになる。ヌエル・ベルナップは、このような導入規則と除去規則を「調和」していると呼んで、論理的な規則の設定の恣意性を制限しようとした。(そうしないとPriorの”TONK”のような奇妙な規則を許してしまうことになる。これについては、N. Belnap, Tonk, Plonk, and Plink, Analysis 22 (1962): 130-134, commenting on A. N. Prior’s “Runabout Inference Ticket” Analysis 21 (1960-1961): 38-39を参照。)
逆に、もしある論理的語彙の導入規則と除去規則を連続して適用したときに結果が、その他の論理的語彙やその規則だけでは推論できなかったものだとすれば、Γ┣pにおいて、語彙や文やその他の推論規則の意味が変わってしまっていることになる。
このような意味で「調和」した論理的語彙の導入規則と除去規則を適用しても、表現の意味を変えないのだとしたら、それらを用いた推論において、表現の意味は維持されていることになる。つまり、推論関係は、表現の意味を変えるのではなく、それを明示化することになる。
通常の正しい論理的推論において、そこで使用される語彙や文の意味が変わることはない。これはいわば自明のことであるが、しかしこの自明のことゆえに、推論よる文の書き換えによって、表現の意味が明示化されることになる。
(いつもながら、話がややこしくてすみません。しかし、厳密に論証しておくことが重要なので仕方ありません。)
次回は、論理的語彙に関するこの議論を、疑問表現の語彙に拡張します。