80いちろうさんの質問への回答(2) (20220408)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

#いちろうさんの質問4は次です。

「質問4 p.68で「人物と時間と場所に関する専用の疑問詞がある」ことについて指摘し、家畜専用の疑問詞のようなものも想定し、疑問詞が社会的なものだということを示しましたが、そうすると、例えば、はい・いいえのような決定疑問についても、そのような問い方を知らない社会というものも想定できるので、決定疑問・補足疑問という区別すらも文化的なものだということになるのでしょうか。または、極端に言えば、全く疑問詞がない社会も想定できるということでしょうか。(平叙文しかなく、前後の文脈で疑問詞かどうかを見分けるような社会。)そうすると、問答というアイディアにとって、形式的に疑問文か平叙文かという差異は根源的なものではない、ということでしょうか。」

疑問詞をつかわないで補足疑問を行う方法というのは、面白いアイデアだとおもいます。疑問詞の部分を単に空所を示す( )にしてもよいかもしれませんが。しかし、この場合には「( )」をある種の疑問詞だと見為すべきかもしれません。あるいは、疑問詞を使わないで補足疑問のような問いをおこなう方法は他にも可能かもしれないとおもいます。

決定疑問についてはどうでしょうか。私たちは語尾を上げるなどして簡単に平叙文をもちいて決定疑問を行うことができます。英語なら、語順を変えることによって、日本語なら文末に「か」という助詞付け加えることによって、決定疑問文にすることができます。決定疑問を行う方法は、さまざまな言語で様々ですし、現にあるどの言語でのやり方とも異なる方法で、決定疑問文をつくるという規約を作ることは可能です。

ひょっとすると、補足疑問や決定疑問をもたない言語が可能かもしれませんが、私は、問答関係が、言語の成立、考える(問答推論)の成立にとって不可欠だと考えるので、その場合でも、異なった形式の問い方、あるいは問答の仕方が採用されているだろうと思います。たとえば、未来のAIは、私たちとは異なった形式の問い方で問答するかもしれません。しかし、そのAIとっても、問答は必要だろうと思います。

#いちろうさんの質問5は次です。

「質問5 p.22の「アンドリューは、幸福である。アンドリューは健康ですか。」は、「アンドリューは、幸福である。」が偽だとしても妥当な推論である、ということです。そうすると、「たいていの中国人は信用できない。Aさん(中国人)は信用できますか。」というヘイトスピーチも、「たいていの中国人は信用できない。」が偽だとしても妥当な推論になってしまうということでしょうか。

p.22の例で「アンドリューは、幸福である。」が偽だとしたら、アンドリューが幸福であることを受け入れていないので、(C1)「もしこの前提が真であれば、結論は健全である」の「もしこの前提が真であれば」を受け入れておらず、条件を満たしていないように思えます。前提承認要求を拒否しているとも言えると思います。」

ご質問の前半部分について。

   「アンドリューは、幸福である」┣「アンドリューは健康ですか」

この場合、前提が成り立つならば、結論の問いは健全(真なる答えを持つ)であるので、妥当な推論です。

   「たいていの中国人は信用できない」┣「Aさん(中国人)は信用できますか」

この場合も、前提が成り立つならば、結論の問いは健全(真なる答えを持つ)であるので、妥当な推論です。

前提の「たいていの中国人は信用できない」はヘイトスピーチですし、この結論の「Aさん(中国人)は信用できますか」という質問もヘイトスピーチにあたると思います。この前提は偽だと思いまうが、前提が偽であるとしても、この推論は妥当な推論だと思います。例えば、「p, r┣s」という推論がある場合、これはp、r、sの真理値については何も語っていません。「もしpとrが真ならば、必然的にsが真となる」という関係を語っているだけです。

ご質問の後半部分について、

   (C1)「もしこの前提が真であれば、結論は健全である」

この(CI)は条件文の形をしています。一般に条件文は、前件が偽の時には、つねに真となります。したがって、この場合、前提が偽ならば、(CI)は常に成り立ちます。

したがって、

   「アンドリューは、幸福である」┣「アンドリューは健康ですか」

という推論において、前提が偽だとしても、この推論は妥当です。

#いちろうさんの質問6は次です

質問6 問いの前提となる平叙文にも更に問いがあるとするならば、問答というのは無限に連鎖しているということなのでしょうか。(問い1の前提としての平叙文1は、その平叙文1に着目するならば何らかの問い0の答えであり、更にその問い0には前提としての平叙文0が含まれており、その平叙文0は、何らかの問い-1の答えであり、問い-1にも前提としての平叙文-1が含まれており・・・・となるので。)
もしそうだとすると、p.30の1行目で「Q1はQ3に対して認知的有用性を保つ必要がない」と言っているのは重要なことだと思います。事実としては問答は無限に連鎖するけれど、認知的有用性の観点から、問答の分析としては、(三重や四重までは不要で)二重問答関係までを分析すればいい、ということになるので。」


ご指摘、その通りです。「事実としては問答は無限に連鎖するけれど、認知的有用性の観点から、問答の分析としては、(三重や四重までは不要で)二重問答関係までを分析すればいい」

わたしもこのように考えています。

気になるのは、もし問答が無限に連鎖するとしたら、最初の問答はどのようにして生じるのか、ということかもしれません。もし最初の問答が、知覚報告を答えとする問答でならば、例えば、Q「あれは何だろう」┣ p「蛇だ」、という問答推論によって成立し、これは平叙文の前提を含まないので、無限の連鎖はそこで止まります。あるいは、もし最初の問答が、欲求の報告を答えとする問答で、「何をしようか」┣「食べ物を探そう」、という問答推論によって成立しするならば、これもまた平叙文の前提を含まないので、無限の連鎖はそこで止まります。(この問題をさらに詳細に説明しようとすると、人類や個人における言語の発成を説明する必要があるとおもうのですが、ご承知の通りの難問ですので、とりあえずここまでとします。)

#いちろうさんの質問7は次です。

「質問7 p.81で実践的知識は実践的下流(問答)推論を持つ、という話のなかで述べていることは、p.6のアリストテレスの実践的推論の説明に基づくならば、「何をしているのか」の下流(問答)推論に〈ピストルを撃つという行為〉が含まれているということでしょうか。

 P.77のブランダムは「知覚報告は言語参入であり、行為は言語退出であると考えた。」の問題提起のうち、知覚報告は言語参入ではないことを丁寧に説明していると思いますが、行為が言語退出なのかどうかを説明いただけていないように思えます。」

ご質問の前半部分についての回答。

「実践的知識」というのは英語でも日本語でも多義的です。一つには、how to の問いへの答えを指します。つまり、自転車の乗り方のような知識です。一般的にはこれがよく知られた「実践的知識」かもしれません。これは「自転車に乗るにはどうした良いのか」という実践的な問いに対する答えであり、「・・・すべきだ」「・・・したらよい」というような形式や「…しよう」という形式の発話になります。最初の二つの場合は、行為を指示する発話であり、真理値を持ちません。最後のものは、事前意図を表明する発話であり、これも真理値を持ちません。実践的推論の結論は、真理値を持たない発話になります。

他方で「実践的知識」には、別の用法、つまりアンスコムのいう「実践的知識」があります。私たちは、行為をしているときに、「何をしているの」と問われたら、観察によらずに即座に、例えば「コーヒーを淹れています」のように答えられるのですが、この場合の「私はコーヒーを淹れています」という知をアンスコムは実践的知識と呼びます。これは、その時に話し手が行っている行為の記述であり、真理値を持ちます。このような実践的知識は、実践的推論の結論にはなりません。

p81の「実践的知識」とは、このアンスコムの言う意味の「実践的知識」です。意図的行為の場合、「何をしているのですか」と問われた、観察に寄らずに即座に「ピストルを撃っています」のように答えられるのですが、そこでさらに「なぜ、そうするのですか」と問われたとわれたら、即座に「Bさんを殺すためです」などのように理由を答えることができます。この人は、「Bさんを殺すためにどうしようか」と問い、実践的問答推論によって、答え「Bさんにピストルを撃とう」(事前意図)を得たのです。ここで、この人は、実践的知識「Bさんをピストルで撃つ」の下流推論(「Bさんをピストルで撃つ」┣「Bさんは死ぬ」)を行っています。結論「Bさんは死ぬ」を答えとする相関質問で、この推論によって答えを見つけることになるような問いには、いろいろなものがあるだろうと思います。例えば「Bさんはどうなるだろうか」という問いであるかもしれません。どのようなものであるにせよ、この結論は記述ですので、相関質問は理論的な問いでなければなりません。

ご質問の後半部分についての回答。

ブランダムは、行為は言語退出であるという考えるのですが、私はそう考えません(そのことが十分に明示的になっていなかったのかもしれません)。私がそう考えない理由は、行為は実践的知識や行為内意図を、不可欠な構成要素としており、言語的に分節化されたものだと考えているからです(「長所4:問答推論と行為」(pp.80-83)でそれを説明しました。