81いちろうさんの質問への回答(3) (20220415)

[カテゴリー:『問答の言語哲学』をめぐって]

#いちろうさんの質問8は次です。

「質問8 聞き手のコミットメントについてですが、p.89の下から4行目あたりでは、聞き手は、話し手の選択のコミットを理解しても、聞き手がコミットするとは限らないとあります。一方で、p.90の上から3行目あたりでは、聞き手が理解するためには指示へのコミットが必要な場合があるとあります。この、話し手の選択のコミットと、聞き手の指示へのコミットは別のことなのでしょうか。

僕は、たくさん車が並んでいる駐車場で、「君(聞き手)の車はあの車だよね。」と、(一台しかない)赤い車を指差す場面を想像しました。ただし、実は聞き手の車は青い車なので、話し手の選択は間違いだったという場面です。この場合、聞き手は、話し手の選択のコミットは理解した上で、聞き手自身は、その選択にコミットしていないことになります。(よってp.89の話とは合う。)

また、指示=選択とするなら、聞き手は、話し手の指示のコミットは理解しているが、聞き手自身は指示自体にはコミットしていないことになります。(よってp.90の話とは合わない。)

どのあたりで理解が間違えているのでしょうか。

(また、p.90の上から3行目あたりの記載は、p.90の11行目からの記載とも齟齬があるように思えます。11行目では理解→コミットという順序だとしているのに、3行目あたりでは、コミット→理解という順序の場合があるとしているので。)」

ご指摘のように一見すると矛盾しているように見える記述があるので、確かにこの個所はわかりにくいかもしれません。矛盾しているように見えるとしたら、説明不足のせいだとおもいます。

p.89の下から4行目あたりで、聞き手は、話し手の選択のコミットを理解しても、聞き手がコミットするとは限らないと書いたのは、次のような意味です。言語表現(語、語句、文)は、多義的です。話し手が、ある言語表現を発話するときにはその中の一つの意味を選択して、その意味で使用することにコミットしています。聞き手は、話し手のその選択とコミットを理解する必要がありますが、しかし、聞き手自身がそのコミットメントを受け入れるとは限りません。たとえば、「あれは桜です」と話し手が言うのを聞いて、聞き手はそれを理解しても、それは桜ではなく梅だと考えるような場合です。

 他方で、この場合、話し手の「あれは桜です」を聞き手が理解するには、話し手が「あれ」である特定の対象を指示していることを理解するとともに、(聞き手がその発話を真であるとみなしたり、偽であると見なしたり、真か偽かを問おうとしたりするためには)、「あれ」で話し手が指示しているのと同じ対象を指示してみる必要があります(つまり、同じ対象を指示することコミットする必要があります)。そうしなければ、聞き手は、話し手の「あれは桜です」を理解できないからです。p.90の上から3行目あたりで、聞き手が文を理解するためには指示へのコミットが必要な場合があると書いたのはこのような意味です。ここでは、聞き手は、文を理解するために、その真理性にコミットする必要はないのですが、文を理解するために、その文に含まれている語や句の多くの意味の中の一つの意味の選択(コミットメント)や語や句による対象の指示へのコミットメントを行う必要があります。

 したがって、

「質問8 聞き手のコミットメントについてですが、p.89の下から4行目あたりでは、聞き手は、話し手の選択のコミットを理解しても、聞き手がコミットするとは限らないとあります。一方で、p.90の上から3行目あたりでは、聞き手が理解するためには指示へのコミットが必要な場合があるとあります。この、話し手の選択のコミットと、聞き手の指示へのコミットは別のことなのでしょうか。」

という最初のご質問には、「はい、別のことです」と答えたいと思います。

次の疑念について

「僕は、たくさん車が並んでいる駐車場で、「君(聞き手)の車はあの車だよね。」と、(一台しかない)赤い車を指差す場面を想像しました。ただし、実は聞き手の車は青い車なので、話し手の選択は間違いだったという場面です。この場合、聞き手は、話し手の選択のコミットは理解した上で、聞き手自身は、その選択にコミットしていないことになります。(よってp.89の話とは合う。)

また、指示=選択とするなら、聞き手は、話し手の指示のコミットは理解しているが、聞き手自身は指示自体にはコミットしていないことになります。(よってp.90の話とは合わない。)

どのあたりで理解が間違えているのでしょうか。」

この例では、聞き手は、「君(聞き手)の車はあの車だよね」という発話を理解しています。したがって、話し手が「あの車」でどの車を指示しているのかを理解しています。聞き手が、この発話を理解するとき、聞き手もまた「あの車」で話し手が指示しているのと同じ対象を指示することにコミットする必要があります。しかし、聞き手はこの発話が間違いだと考えるので、この発話の真理性にはコミットしません。語句による対象の指示にコミットすることと、発話の真理性にコミットすることを区別したら、良いのではないでしょうか。

ついで説明すれば、p.89の下から二行から書いたように、「言語表現の意味が全て理解できた後に、それに対するコミットメントが行われる、という二段階」にはなっていません。たとえば、「Xさんの車はどれですか」と問い「あの赤い車です」という返答があったとしましょう。質問者がそのあたりを見ても、赤い車はないのですが、朱色の車が一台見えるとします。そこで、質問者は、返答者は「あの赤い車」で、あの朱色の車を指示しているのだろうと理解します。返答者が「あの赤い車」によってある対象を指示していることを理解したり、返答者によるその指示にコミットするのは、質問者が「あの赤い車です」という返答が正しいということに暫定的にコミットしたあとで、その正しさを前提することによって、「あの赤い車」がどれを指示しているかを理解することが可能になっています。まず文の真理性に暫定的にコミットし、次に、それを前提として文の意味を理解しようとする(これは同時に、文が含む語句の複数の意味の中から適切な一つの意味を選択したり、語句の指示対象を理解しようとする、などを伴う)場合があります。問いに対する返答を理解しようとするときには、このような順序になることが多いでしょう。

意味の原子論への批判(全体論)に従うならば、<語の理解が句の理解に先行し、語や句の理解が文の理解に先行する、という>順番は常に成り立っているわけではないでしょう。また語や句のある使用方法へコミットメントが、文の内容へのコミットメント(是認)に常に先行しているといこともでないでしょう。

(ちなみに、私は、<コミットする>ということを、<選択すること>として理解しています。ある関数を選択することは、その関数にコミットすることです。ここでは<選択すること>を、<あることを意識的に意図的に選択し、その結果に責任をもつこと>ということを伴うこととして理解しています。)

最後に、次の疑念に答えたいと思います。

(また、p.90の上から3行目あたりの記載は、p.90の11行目からの記載とも齟齬があるように思えます。11行目では理解→コミットという順序だとしているのに、3行目あたりでは、コミット→理解という順序の場合があるとしているので。)」

p.90の11行目からの「語や句や文などの言語表現のそれぞれに関する理解とコミットメントの関係について言えば、聞き手がその表現の意味を理解したあとに、それに対するコミットメントが行われる」という部分が言わんとすることは、ある語(ないし句、ないし文)の理解とコミットメントの順序に関して言えば、理解が先行し、コミットメントが後続するということです(ただしコミットメントが後続しない場合もあります)。例えば、<ある語の理解とコミットメントの関係に限っていえば、聞き手によるその理解が先行し、聞き手によるコミットメントはその後で生じる>ということです。なぜなら、聞き手は、語の意味を理解する前に、その語の使用を聞き手が是認することは無いだろうとおもいます。ある文の理解とコミットメントの関係についても同様です。つまり、<文の場合、聞き手は確かに、文を理解する前に、それが真であるだろうということを暫定的に認めて、文の理解に進む場合があります。しかし、その場合に行われていることは、聞き手が、話し手の発話の意味を理解するまえに、話し手がその発話を真だと見なしているということを理解し、その発話が真であるとしたら、その文はどのような意味でなければならないかを、聞き手が推論する、ということです。この場合も、聞き手が、話し手の文の真理性にコミットするのは、文の意味を理解した後で、それを聞き手自身が是認できるかどうかを検討した後で、それを最終的に是認する場合です。>

以上のこの11行目以後の部分が、3行目あたりに述べたこと、つまり「聞き手が文を理解するには、文を構成する語句の意味を理解するだけでなく、それがある対象を指示することにコミットすることが必要な場合があるだろう」と齟齬があるようにみえるという疑念ですが。

3行目当たりの記述は次のような順序になっています。

  語句の理解→語句による指示へのコミットすること→文の理解

したがって、語句に限るならば、語句の<理解→コミット>という順序になっていますので、少し紛らわしいですが矛盾していないだろうと思います。

この質問8にお答えする中で、「2.1」での「関数」概念の説明が不十分であること、しかもその概念を残りの部分で十分に活用できていないことに気づきました。今後、機会を見つけて論じたいと思います。ありがとうございました。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。

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